越前三国嶽の龍神が住むという伝説のある夜叉ヶ池に民俗学者の山沢学円(山崎努)という男が訪れた。池の畔の家で彼は美しい女性百合(坂東玉三郎)と出会う。彼女に自分がここにやってきた理由を語る学円は、実はこの旅は純粋な学術的な旅行ではなく、二年前に失踪した親友の跡をたどるためのものだと打ち明ける。実は百合の夫萩原晃(加藤剛)こそが学円の言う男だと気付く百合。そして二人の話を立ち聞きしてしまった晃は、学円の前に出て、自分が何故ここにいるのかの理由を語るのだった。実はここには本当に白雪姫という龍神(坂東玉三郎・二役)が住んでおり、彼女の心を静め、一日三回鐘を突かねばならないという。二年前にここにやってきた晃は、鐘突の老人弥太兵衛からその事を聞かされ、近代化によってそれを迷信と思いこむ村人にはその役目を継いでくれる人がいない。と言われ、その跡を継ぐことを決心したというのだ。そして村の娘百合と結婚し、爾来毎日鐘を突いて生きてきたという。だが、この地方にやってきた干ばつに、村人はなんと百合を雨乞いの生贄に捧げようとしていた…
岐阜県と福井県の県境にある実在の池の伝説を元に泉鏡花が仕上げた小説。それが一旦舞台劇となったものの映画化作。尚、舞台劇は時折今でも上演され、近年ではあの三池崇が作ったと言うことで結構話題にもなった。
本作は一応文学作品の映画化、しかも邦画の重鎮である篠田監督作品と言うこともあり、特撮のカテゴリーに入れるのはちょっと気も引けるが、数多くの特撮的手法も用いられている(ちなみにラストの強引な合成で分かるように特技監督は矢島信男が務めている)。
本作の最大特徴としては、メインヒロインの白雪姫=百合に女性ではなく女形の坂東玉三郎が用いられていると言うこと。これがどうか?と言われると、何ともかんとも。舞台俳優としての玉三郎は良いんだろうけど、映画になると、立ち居振る舞いが全く異なるし、何よりあの声では男丸わかりだからなあ。そもそも女形は“見立て”として女性となる。ところが映画の場合、それはリアリティにはならず、男が女の真似をしているとしか見えなくなってしまうものだから(時代が変われば、男は男のままヒロインが演じられるんだろうけど)。
特に本作を観たのが私がまだ子供の頃だったので、目を丸くした記憶があった。勿論坂東玉三郎という存在も知らなかったし、女形などというものが理解出来る歳でもなし。親に「なんで男の人が女の人の役をやってるの?」と聞いて閉口された記憶があり。
物語はともかくとして、演出部分は素晴らしいところと酷いところが混在してる。色々文句はあるものの、合成や着ぐるみ特撮部分などは、普通の邦画の中にこういうのが入っていると大変嬉しいのだが、問題は演技の仕方がモロ舞台風なため、大変嘘くさくなってしまったという点。映画的リアリティと舞台のリアリティは異なっているのだが、それを敢えて舞台寄りに持って行ったのは玉三郎の個性を活かそうとした結果だろうが、明らかにそれは雰囲気を崩してしまっていた。
ラスト部分のスペクタクルは確かに凄かった。しかし突然どこぞの大瀑布のところに飛んでいっての合成は流石に強引すぎ。流石矢島信男と言うべきか。あれには流石に唖然と出来る。
ちなみに一応本作は映画だが、公開期間がとても短く、テレビ放映も一回されただけという、結構貴重な作品らしい。たまたま子供時代テレビで観られた私は運が良かったのかな? |