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アウターリミッツ

1963'9'16〜1965'1'16

 ジョー・チップさんによるレビューです。

 

主な登場人物
話数 タイトル コメント DVD
第1話 宇宙人現る
“The Galaxy Being”

  監督:ルイス・スティーヴンス
  脚本:ルイス・スティーヴンス

 「これはTVの故障ではありません・・・」有名な若山玄蔵のナレーションで始まるこのシリーズ、第一話はこの出だしからのつながりでTVの画像から始まる。
 最初なのでさすがに気合が入っている。宇宙人の造形が異質で、やはりアメリカと日本では宇宙人に対する感覚が違う、と思った。日本だと昆虫とか爬虫類とか、もっとなじみのあるモデルを使うと思うが・・・、何を考えてるか分からない丸い目玉と、鼻も口もない造形は感情の移入を拒否している。
 この異様な宇宙人とTV交信して、いろんなやりとりからだんだん分かり合えていく過程が丁寧に描かれている。その結果、宇宙人が酸素循環ではなく窒素循環、エネルギー源は電磁波ろいうことが分かる。とてもお互いの環境では生存できそうもないが・・・
 出演は「アルジャーノンに花束を」を映画化した邦題は「まごころを君に」で後にビデオではやっぱり「アルジャーノンに花束を」に改題した原題「チャーリー」でアカデミー賞を受賞したクリフ・ロバートソン。
 前半は地味だが後半は大掛かりな特撮。


VOL.1
第2話 もう一人の自分
“The Hundred Days of the Dragon”

  監督:バイロン・ハスキン
  脚本:アラン・バルター
      ロバート・ミンツ

 いきなり地味な話・・・。スパイ大作戦である。007の『ゴールドフィンガー』、日本の『キングコングの逆襲』などを見ても分かるが、60年代東洋の某国は明快に敵だった。雰囲気はちょっと『影なき狙撃者』を彷彿させる。TVにもかかわらず、白黒映像には深みがあり、影の強調が観る者を不安にさせる。
 カメラは『明日に向かって撃て!』『アメリカン・ビューティー』『ロード・トゥ・パーティション』で3度アカデミー賞をとったコンラッド・ホール。

第3話 ゆがめられた世界統一
“The Architects of Fear”

  監督:バイロン・ハスキン
  脚本メイヤー・ドリンスキー  

 シリーズ中、一二を争う異常な話。どういう権限があるのか分からないが、科学者たちが集まって、戦争をなくすためには人類共通の敵を作らねばならない、ということで宇宙人が地球に襲来する、という事件をデッチ上げようとする。しかしただデマを流すだけでは不足なので人間を本物の宇宙人に改造することにする。正直言ってこんな計画に志願する人はいないと思うんだが。ほとんどの時間が人体改造の様子に費やされ、最後の最後に計画が実行に移されるのだが・・・この宇宙人が人間に似ても似つかないというのがすごい。
 監督はバイロン・ハスキン。

第4話 人間電池
“The Man with the Power”

  監督:ラズロ・ベネデク
  脚本:ジェローム・ロス

 この邦題はちょっと笑っちゃうが、脳改造を自ら行い、超能力を持った男の悲劇を描く。この大学教授が野心満々ではなく、普段は妻に頭の上がらないオドオドした小心な男なのが面白い。演じるドナルド・プレザンスがこれ以上ないはまり役。
 この小心な男が、何かむかつくことがあると、どこからともなく黒雲(えんどこいちのマンガ『ついでにトンチンカン』に出てくるドンヨリ雲みたいなやつ)がムクムクと湧き上がるのであった。

第5話 狂った進化
“The Sixth Finger”

  監督:ジェームズ・ゴールドストーン
  脚本:エリス・セント・ジョセフ

 未来人=頭がでかいというイメージを普遍的にした有名な作品。デビッド・マッカラムが出演。なんか雰囲気が変だと思ったら、一応イギリスが舞台。それで無知で貧乏=炭鉱夫ということらしい。今観るとやや差別的。未来人がピアノを弾くシーンがいい。見たところマッカラムが本当に弾いている。恋人役のジル・ハワーズも良い。

第6話 生まれてこなかった男
“The Man Who Was Never Born”

  監督:ロナルド・ホム
  脚本:アンソニー・ローレンス

 『12モンキーズ』みたいな話。科学的設定はかなりいい加減だが、寓話として割り切ってみるとかなりの傑作。
 時間の壁を破って200年後の地球に来てしまった宇宙飛行士は、荒廃した地球に愕然とする。ただ一人生き残った地球人アンドロ(マーティン・ランドー)は語る。バート・キャボットJr.と言う科学者が宇宙から持ち込んだ細菌が増殖し、人類は滅亡した。過去へ戻ってキャボットを殺さなくてはならない、と。アンドロはこの細菌のために容姿がしゃれにならないくらい醜く変貌していた、頭脳は明晰だった。「重要だったのは予防医学だったが、人類は月へ行くことや、原水爆の製造に忙し過ぎたのだ。」
 そして過去に戻ったアンドロは、キャボットの母にあたる若い女性ノエルに遭遇するが・・・。
 アンドロには催眠能力があり(なぜ?)、人々にはハンサムな男に見えていた(ランドーが素顔で演じるわけね)。この時だけ画面がソフトフォーカスなのがうまい演出。自分の醜い容貌を恥じ、ノエルを愛し始めるアンドロの複雑な内面をランドーは演じきっている。さすがである。

第7話 地球は狙われている
“O.B.I.T.”

  監督:ゲルド・オズワルド
  脚本:メイヤー・ドリンスキー

 物語の大半が証人の質疑に費やされており、地味というか、会話は結構難解である。これを見るとこのシリーズは子供を対象にしていないと分かる。
 国防省の委託を受けている科学研究所で、殺人事件が起こる。事態を重く見た政府は上院議員オーヴィルを派遣し、実態調査を行う。この研究所の科学者たちは精神を病んでいた。絶えず見られいるような気がする、個人的な秘密がどんどん漏れている・・・と証言する。以前から不安を訴えていた科学者は軟禁されていた。そして議員はある機械の存在を突き止める。国防省の依頼で開発したO.B.I.Tという機械だった・・・。
 面白い眼鏡をかけた謎の男、ロマックス博士を演じたジェフ・コーリーは50年代にレッド・パージに引っかかり、不遇をかこっていた人物だそうで、確かにALL CINEMA ONLINEで検索すると12年のブランクがある。後に演劇の教師としてジャック・ニコルソン、レナード・ニモイ、サリー・ケラーマン、バーブラ・ストライサンド、ロビン・ウィリアムズなどの指導をしたそうである。この話も赤狩りの時代を踏まえているのは明らかだろう。
 コンラッド・ホールによる映像も凝りまくりで、人物にも背景にもほとんどまともな照明が当たってない。

第8話 脳交換
“The Human Factor”

  監督:アブナー・ビバーマン
  脚本:デヴィッド・ダンカン

 北極圏の氷に閉ざされた軍事基地。同僚を事故で死なせた罪悪感から、精神に異常をきたした少佐、ヘッドギアみたいな帽子をかぶると、脳波を電波にしてお互いの考えていることがわかる装置を開発した科学者のストーリーが交錯してとんでもない事態になるという話。
 簡単言にいうと大林宣彦監督の『転校生』サスペンス版。いまひとつ話がこなれていない印象。少佐が見る幻覚も効果的とは思えない。科学者を愛する助手にロバート・アルトマン組のサリー・ケラーマン。

第9話 宇宙ビールスの侵入
“Corpus Earthling”

  監督:ガード・オズワルド
  脚本:ルイス・シャルボニュー

 石がしゃべるという結構間抜けな設定で前半は油断するが、後半その石の声が聞こえる唯一の男(戦争中の負傷で頭蓋に金属板を入れているのだが、それがラジオみたいな作用をするらしい)が自分は頭がおかしくなったのではないか?と悩みメキシコに逃避するあたりからゾンビ映画っぽくなって異様な雰囲気となる。ところで歴代のハリウッド映画のメキシコ観を見てみると興味深いかもしれない。
 本土の人間が沖縄に対して手前勝手な楽園をイメージするのと似ているような気がする。悪くは描いていないが、文明国とは異質な呪術的な回路で動いている、そんなイメージである。

第10話 悪夢
“Nightmare”

  監督:ジョン・アーマン
  脚本:ジョセフ・ステファノ

 人間性を押しつぶしてしまう軍隊組織に対する怒り、ストーリーの完成度から見てもレベルの高い傑作。地球はエボン星と戦争をしていた。6人の兵士がエボン星人の捕虜となる。エボン星人は一人一人呼び出して地球軍の機密を話せとせまる。エボン星人は幻覚を利用し彼らを心理的に追い詰める。それでも忠誠心から口を割らない彼らだが、いつの間にか極秘情報を敵に知られてしまう。誰かが裏切ったのか・・・疑心暗鬼から仲間割れが始まり、精神を病んでいく。そして意外な結末が・・・。『12人の怒れる男』のように、更地のスタジオに書き割りの岩しかないという抽象的なセットで、男たちの深層心理がむき出しになっていくさまは迫力があり、俳優に相当の演技力を要求する。特に精神的に虚弱でやたら吼えたがるマーティン・シーンと、無口で他を見下しているような態度のジェームス繁田(『ダイ・ハード』の社長の人)の対比が面白い。

第11話 人喰い雲
“It Crawled Out of the Woodwork”

  監督:ガード・オズワルド
  脚本:ジョセフ・ステファノ
 とある原子力研究所を訪問した科学者は、体に変な機械を取り付けた女性に案内される。案内されたのは廊下みたいに細長い部屋。「え、これは・・・」と振り返った時にはもう扉がガチャンと閉まっていた。閉じ込められたのだ。反対側の扉が開くと異様なモノが出てくる。放電した雲のようなものが迫ってくる。まるで生きているように・・・。
 人喰い雲と、もう一つネタがあるんですが、この二つがあんまり関連性がないというか、このネタで2本作れるんじゃないかと思った。この辺が1時間もののつらいところで、やはり1時間もたせる脚本練るのは大変だなあ、と思う。刑事役のエドワード・アスナーが良い。
第12話 二次元の世界へ
“The Borderland”

  監督:レスリー・スティーヴンス
  脚本:レスリー・スティーヴンス
 これは子供の頃見てて妙に印象に残った。内容はまったく理解出来なかったが、「両手とも右手をバンと出されたシーンが結構ショックだった。しばらくの間、「両手とも右手だったら茶椀と箸をどうやってもつんだ?」とかいろいろ考えたよ。同世代の荒木飛呂彦氏もたぶん同じこと考えていたんだろう。二次元の世界=霊界と考える科学者、霊媒師、亡くした息子に会いたい一心の富豪の三者の思惑が、大掛かりな実験場内で交錯する脚本はなかなか見ごたえがある。
 プロデューサーのレスリー・スティーブンスが自ら監督、脚本を担当した。氏は若い頃、オーソン・ウェルズの使い走りをしていたそうです。
第13話 太古の魚
“Tourist Attraction”

  監督:ラズロ・ベネディク
  脚本:ディーン・リーズナー
 南米サンブラス共和国(特産品コーヒー、公用語スペイン語)はマキュリオ将軍(ヘンリー・シルヴァ)が君臨する軍事独裁国だった。政治家と一握りの財閥が富を独占し。至る所に盗聴、スパイが配備され、民衆は貧しく言論の自由はなかった。
 この国の湖で水中探査機の実験を行っていた実業家のデクスターは海底で奇怪な生物に襲われ、これを捕獲する。その生物は古代からインディオが崇拝している神像とそっくりだった。これを知った将軍はこの生物を独占しようと武力をもって押収するが、この生物は常識を超える能力を持っていた・・・。
 この怪魚とヘンリー・シルヴァの面構えだけでもう満腹。怪魚の造形はすごいとしか言いようがない。頭が異様にでかい魚の着ぐるみに人間が入り、両手足は外に突き出していて、その手足で這いずり回る。人間が入っていること一目瞭然で、どう考えても子供だましなんだが、これだけ堂々と見せられると、いつの間にか説得力が出てくるから不思議である。軍服姿のヘンリーシルヴァの顔もそれに拮抗するだけの迫力がある。
 怪魚が研究室で暴れるシーンは『ガメラ 大怪獣空中戦』のギャオスを思い出した。その後『ウルトラQ』の海底人ラゴンみたいな展開となり、最後はジョン・ブアマン監督の『エメラルド・フォレスト』みたいなアっと驚く結末を迎える。怪魚と人間が本物の水中で格闘するシーン(中の人は大変)もあり、なかなか見所の多い作品である。
第14話 蟻人の恐怖
“The Zanti Misfits”

  監督:レオナルド・ホーン
  脚本:ジョセフ・ステファノ
 ふと思うんだが、このシリーズの邦題はネタバレが多い。確かに昔はネタバレについては寛容だった。予告編でも結構最後の方まで説明しちゃってたからなあ。とにかく蟻みたいなザンディ星人が出てくる有名な作品。
 米軍は市民に極秘で実は宇宙人とコンタクトを持っていた。ザンディ星人はかの星の凶悪犯の流刑地として、ここカリフォルニアの郊外の砂漠の一部を明け渡すことを要求してきた。妨害すれば地球全体を破壊する(砲艦外交?)と言うのだから従わざるを得ない。ザンデイ星から第一陣が到着したころ、この立入り禁止地域に逃亡中のギャング(ブルース・ダーン)がやってきて・・・。
 前回に続いて性格異常犯罪者役の得意な俳優の登場だが、ブルース・ダーンの使い方はもったいない。一体何のために出てきたのやら・・・。ザンディ星人はコマ撮りで動き、予算の都合上登場時間は少ないが強烈な印象。みんな違う顔をしていてデザインが工夫されている。もっともあんな蟻がなんでそんなに怖いのかよくわからないが。
 クライマックスでは大量のザンデイ星人が基地に押し寄せ、『エイリアン2』的燃える設定となる。しかしザンディ星人側には、人間には教えていない秘密の目的があった。いかにも60年代らしい皮肉な結末が待っている。というか我々が普段踏み潰しても一顧だにしない蟻どもにいいように振り回されること事体が皮肉な設定なのだが。
 西部の荒野のすさんだ風景がいい感じ。
第15話 クロモ星人
“The Mice”

  監督:アラン・クロスランドJr.
  脚本:ビル・S・バリンジャー
      ロウ・モーハイム
 『スタートレック』に出てくる転送装置も初期はこんなことをしていたのかもしれない。クロモ星との友好事業として開発された瞬間移動装置の人体実験として、ケランダー博士は終身刑の囚人から志願者を募る。脱獄のチャンスを狙うチノ(ヘンリー・シルヴァ)が志願するが、クロモ星との陰謀に巻き込まれる。
 つくづく思うんだが、ヘンリー・シルヴァってすごい顔だよなあ。怖い顔とか醜いとかではなく、なんというか・・・人間離れしてるって言うの?私に言わせるとロン・パールマンと双璧なんだが、この二人がコンビの刑事とか、恐ろしいだろうなと思う(世代が違うのが残念だが)。
 13話と違って、悪人だが時に人間らしさを見せる深みのある人間を演じており、昇格したなと感じる。ラストはウェスタン調。クロモ星人はクラゲみたいなグニャグニャ造形で、こういうのが西洋人が嫌悪する外観なのかなと思わせるデザイン。しかし転送されてきた宇宙人を野放しにしとくのはどうかと思う。
第16話 火星人の実験
“Controlled Experiment”

  監督:
  脚本:

 毎回怪獣や宇宙人ばかり観ていてはお疲れでしょう、ということで(実は予算がもたない?)軽いコメディ調のものを合間に入れるのは日本のウルトラシリーズも同じである。
 しかしこれはフレドリック・ブラウンの短編にありそうな、レベルの高い作品。
 ダイモスは路地裏のしがない質屋とは仮の姿、実は宇宙の辺境地球の監視員であった。そこへ火星から派遣されたエージェント、フォボスが派遣されてくる。彼はこの高度に文明化された銀河連邦では見られない地球独特の現象である「殺人」に興味を持ち、徹底的に解明せよと命じる。
 そこで二人はとあるホテルで起こった、男の浮気の発覚から女が男を射殺するという事件を観察することにする。「逆行機」と呼ばれる機械(あり合わせの材料で作ったようないい加減なデザイン)によって時空に介入し、あたかもビデオのように現実の空間を早送り、巻き戻し、スロー再生し、一時停止したりするのだ。これを作動させている間は彼らの姿は人間には見えない。これは実に便利なしろもので、私も是非欲しいと思ったものだ。
 何度検証しても人間の行動がさっぱり理解できない彼らは、「こうなったらこの事件に介入してみよう。」と弾丸の弾道を変えてしまうのであるが・・・その結果、時空連続体にゆがみが!
 とにかく二人の宇宙人(バリー・モース、キャロル・オコーナー)のボケと突っ込み、人間の行動に対する無理解ぶりが面白い。
 早送りはカメラのコマ落としで撮られているが、スローは俳優がゆっくり動いて演じていて笑わせる。口もちゃんとスローで動かしている。もちろんその間を普通に動いている宇宙人を同時に撮るためである。巻き戻しはカメラ操作と演技の両方をうまく使いわけているようだ。最新の技術でリメイクしてみたい作品。

第17話 破滅の箱
“Don't Open Till Doomsday”

  監督:ジャド・オズワルド
  脚本:ジョセフ・ステファノ

 ホラー風味の話。前半『サイコ』、後半は『何がジェーンに起こったか』みたい。真相はSFだが。
 駆け落ちした若いカップルが泊まるところを探してある大きな屋敷に転がり込むのだが、そこにはいかにも怪しげな成金趣味のおばさんが一人で住んでいたのだった。そして邸内で娘が失踪する。そして追って来た娘の父親もこの屋敷に来る。そしてある部屋に置いてある箱の前に立つと・・・。おばさん(ミリアム・ホプキンス)の役作りといい、南部のさびれた屋敷といい、やはりロバート・アルドリッチ監督の『何がジェーンに・・・』や『ふるえて眠れ』のベティ・デイビスを踏襲しているような気がする。

第18話 昆虫美人
“ZZZZZ”

  監督:ジョン・ブラーム
  脚本:メイヤー・ドリンスキー

 どうでもいいことだがこのシリーズに出てくる女性は巨乳が多い、気がする。ただTVものということでスター俳優を使うわけにもいかないのでそんなに美人はでてこないが、この作品のジョアンナ・フランクはなかなか妖しげな美女、いつも薄着である。この女性レジーナ(この名前で大抵の人はピンときてしまうのだが)が昆虫学者ベン博士の研究所にやってきて無理やり助手になってしまうのであるが、電波な言動にも関わらず、ベン博士は彼女の魅力に引き込まれてしまうのであった。
 この博士の研究がすごい。蜂の言葉が分かるというのだ。蜜蜂の発する信号を彼の発明した蜂語翻訳機にかけると、「シンニュウシャハッケン」「コロセコロセ」「アッ、ウシロウシロ!」とか翻訳できるのだという。これはもうバウリンガルどころの騒ぎではありません。もっとも分かったことろでどうなる?とも思うのだが。最後は当然蜂の群体が人間を襲うのだろうと期待したが、特撮面ではチトがっかりな出来。

第19話 肉体の侵略
“The Invisibles”

  監督:ジャド・オズワルド
  脚本:ジョセフ・ステファノ

 ある権力者が足のつかない食い詰め者を集めて訓練し、なにやら妖しげな陰謀を企てる。プータローを装ってこの組織に潜入した政府のエージェント、スペイン(ドン・ゴードン)はその訓練所でとんでもないものを目撃する。
 筒井康隆の短編で、背中に乗っけて寄生させると頭がよくなる(その代わり見た目はセ○シみたいになってしまう)という宇宙生物の話があったが、なんかそのモトネタじゃないかと思わせる。いちいち当人を呼び出して背中に乗せなければならないのだから、効率が悪い。これでは世界制覇の道は遠い。
 前半、陰鬱な訓練所、後半は明るいワシントンDCと、大胆な場面の切り替えが面白い。
 ここでもコンラッド・ホールの映像が冴えている。特に前半の微妙な明暗のトーンがいい。いかにも怪しい秘書ディック・ドーソンのキャラもいい。


VOL.2
第20話 宇宙へのかけ橋
“The Bellero Shield”

  監督:ジョン・ブラーム
  脚本:ルー・モーヘイム
      ジョセフ・ステファノ

これは世間では並の作品ということになっているのだろうか。あまり話題にならないが印象深い作品。とにかく主人公のジュディス(サリー・ケラーマン)の行動が浅はか過ぎる。それゆえ返って現実味があるように思える。
 真面目だがレーザー開発の研究一筋で予算を食いつぶしているリチャード・ベレロ(マーティン・ランドー)は強欲な資産家の父親(ニール・ハミルトン)、野心満々の妻ジュディスの双方から疎まれている。
 しかし、ある日彼が宇宙に放射したレーザー光線から、見よ!宇宙人がスルスルっとつたって降りてきた(んな馬鹿な)。宇宙人はサーフィンのごとく電磁波に乗って星から星へ渡り歩く、言わば宇宙のバックパッカーみたいな人だった(いい身分だ)。リチャードはすっかり宇宙人と仲良くなって打ち解けるが、ジュディスは宇宙人が護身用に持っている道具に目をつける。それはどんなものも寄せ付けない(おそらく核兵器でも)無敵のシールド発生装置だった。権勢欲に駆られた彼女はそれを横取りしようと企むのだが・・・
 シールドと言っても、プラスチックかアクリルの透明な板がパっと前に現れるだけの安上がりなものである。こんなワンアイデアだがS・ケラーマンの迫真の演技もあって、後半は「こういう死に方だけはしたくない」と言いたくなるような恐怖を味わせてくれる。
 この作品が優れているのは、現実のシールドと、夫と妻、父と息子、人間と宇宙人、の間にある人間の心のシールドとがちゃんとリンクしていることであろう。結末は自業自得と言えばそれまでだが、夫を愛すればこそやったことだとも受け取れるので、やるせない思いがする。
 脚本は『サイコ』のジョセフ・ステファーノ。

第21話 宇宙人の落し子
“The Children of Spider County”

  監督:レオナルド・ホーン
  脚本:アンソニー・ローレンス

 だからこの邦題ネタバレだろ。
 天才的科学者として各界の重要なポストに就いていた4人の若者がほぼ同時に失踪する。調査の結果、なんとこの4人は同じ村に同年同月同日に生まれてることが判明。しかも父親は失踪し、ミドルネームは全員エロス(ちょっとやだな)。幼い頃から知能が高く、特殊な才能があった。問題のスパイダー村に残っている5人目の男イーサンの存在を突き止めた宇宙局のジョンは彼に会おうと村に赴くが、彼は殺人容疑で拘留されていた。そして村の周辺では謎の人物が暗躍する。
 しかしどこかで聞いたことがあるような話である。ひょっとして『アストロ球団』のモトネタか(違う)?
 それはそれとして、他の4人はエリートとして成功してるのに、同じ能力があっても周囲のイジメや無理解でダメになってしまう人もいるという結構シビアな話でした。エロス星人の価値観がはっきりしないので、物語としては今ひとつの印象。後半は恋人との逃避行と、アメリカン・ニューシネマみたいな展開もなんだかなあ。

第22話 宇宙植物
“Specimen: Unknown”

  監督:ジェラルド・オズワルド
  脚本:スティーヴン・ロード

 セカンドシリーズから、テコ入れのせいか、宇宙を舞台にした派手な話が多くなる。
 宇宙から来た生物が蔓延して地球全体が危機に陥るという、今でいえばバイオハザードを描いた作品。生態系の破壊というテーマにかなり早い時期に着目している。また実物大の宇宙船セットや、宇宙空間での船外活動など、大掛かりなセットが見もの。
 宇宙ステーションにくっついていたキノコみたいな物質が数個発見され、船内の実験室で栽培してみたところ、花が咲く。この花、1本だけ見るといかにも作り物感満点で笑わせるが、大量に出てくると不気味だ。というかよくあんなに作ったな、と特撮班の苦労がうかがえる。
 しかし宇宙船の乗組員もどう考えても怪しいこの植物を隔離もしないで放置してるし、これを地球に持ち帰ろうとするのだからあまりにも無謀だ。地上の軍隊も何の防護処置もとらず、普通の格好で現場にきちゃうし。まあやはりこの時代、この程度の危機感だったということだろう。地上の司令官の決断は今の感覚なら甘いと受け取られるかもしれないが、結構緊迫する。
 ただし結末はハア?という感じ。

第23話 遊星衝突の危機
“Second Chance”

  監督:ポール・スタンリー
  脚本:ソーニャ・ロバーツ

 遊園地の宇宙船施設が実はモノホンの宇宙船だった、というちょっとジョー・ダンテあたりが好きそうな設定。宇宙人は遊園地内で着ぐるみを装って、負け組感ただよう人たちを選って、乗船させる。そこにはとんでもない目的があったのだ(って邦題見れば分かるんですが・・・)!
 結構いい話だと思うのだが、これからって時に話が終わる。脚本が良ければ「ギャラクシークエスト」みたいな面白いものになったと思うのだが・・・というかこんな荒唐無稽な設定ならコメディとして撮るべきだった。予算がなくなって来たのでこの程度でお茶を濁したのだろうか。
 いい歳して宇宙船ガイドのバイトをしているしがない男(ドン・ゴードン)がいい。

第24話 月への亡命
“Moonstone”

  監督:ロバート・フローリー
  脚本:ジョセフ・ステファノ

 月面のセット、宇宙人の造形とその世界観、主人公がひきずる戦時中の禍根を巡る人間ドラマ、などがうまく組み合わさって見所の多い作品。
 アメリカの月面探査隊が、地中から人工物としか思えない直径30cmくらいの球体を発見する。基地に持ちかえる(これまた何の隔離処置もとらないんだよな。無謀だ!)が、実はこの球体の中には・・・!宇宙人がいたのですが、これが地球上のどの生物にも似ていない個性的で不気味なデザイン。このちっぽけな生物が人間から見れば神にも等しい知識を持っていたというのもアウターリミッツらしい皮肉。隊員たちはこの宇宙人と友好を取り結ぶが、彼らは地球で言えば亡命者だった・・・。
 しかしなによりもアウターリミッツらしいのは結末の敗北感だろう。無論それゆえ「人間の尊厳」「内心の自由」というテーマが浮き彫りになるのだが。今の米国だったらこの結末はありえない。

第25話 第二の地球を求めて

 ウォーレン・オーツと言えば、サム・ペキンパーの映画の常連、特に男泣き映画『ガルシアの首』では主役を張って印象深いが、その延長線でこれを見ちゃうとたまげます。
 なにしろほとんどのシーンで日除けゴーグルをつけて素顔が見えない。そしてゴーグルを取ると・・・やはり素顔は見えない(笑)。
 しかし放射能の影響でミュータントと化した人間の悲劇を、W・オーツは演じきっていると言えよう。人より優れた能力を身に着けても賞賛されるどころか、今まで仲の良かった同僚からも気味悪がられ、疎外される。男は超能力を使って言うことを聞かせようとする。ますます周囲から反発を受け、超能力による暴力がさらに暴力を生むのだった。この男を一方的に非難することは一概にはできないだろう。
 こういう陰惨な人間関係の舞台を、夜のない惑星にしたところがまたうまい。常にギラギラ照り付ける太陽がさらに焦燥感を煽るのであった。

第26話 二階にいる生物

 流れ者(このシリーズにはこういう人がよく出てくる)のノートンは、ひょんなことから人里離れた場所にある怪しげな大邸宅に入り込んでしまう。そこにはかつての大女優、老夫婦、薄幸そうな美少女の4人がいた。奇妙な取り合わせの彼らはまた、態度もおかしかったが、その理由はすぐ分かった。この屋敷は一度入ったら、二度と出られなかったのだ!そしてこの屋敷内では時間が進まないことを知る。彼らは数十年間この屋敷の「二階の生物」に囚われた身であり、以来まったく歳を取っていなかった。そしてノートンもまた二階に召喚されるのだが・・・
 このシリーズの中ではファンタジー色が強く、完成度もそんなに高くないが、強く印象に残っていた作品。その理由はおそらく、「外部から隔絶された空間で終わらない日常を(それと知りながら)繰りかえす人々」「異なる時空間を生きる男女の悲恋」という日本人好み(ごく一部と言う説もある)の設定に萌えたからだろう。
 ラストの光景が結構ショック。

第27話 宇宙の決闘  ニック・アダムスと言えば、東宝特撮映画で日本人ならば誰もが知っている俳優、特に男泣き映画『フランケンシュタイン対地底怪獣』では主役を張って印象深いが、この作品ではしがないチンピラ役です。なんとなくニコラス・ケイジに似てる。
 賭博場でのトラブルで警察に追われるマイク(ニック・アダムス)、逃げ込んだアパートのドアを開けるとそこは地球から何万光年離れたアンデラ星だった!「それではこれから皆さんに殺し合いをやっていただきます♪」アンデラ星人は宇宙から2対の星の人間を選び、その戦いぶりを見物して愉しむという、ローマ時代のグラディエーターみたいなことやっていたのだ。今回の対戦は地球代表マイクとローラ(ナンシー・マローン)VSカルコ星代表(ほぼケダモノ)のお二人、負けたほうの星は滅亡。拒否する二人だが、辞退しても地球は消滅すると言われ、渋々と出場する。アンデラ星人の妙に紳士的な物言いがおかしい。対戦場所はアンデラ星の衛星で、地球のジャングルみたいなところ。食料は三日分、飛び道具禁止。
 フレドリック・ブラウンの小説『闘技場』を原作とした有名な作品。この「不条理な決闘」というパターンは、その後色々なバリエーションを生むことになる。私の世代で印象深いのは永井豪のマンガ『真夜中の戦士』か。
 戦いを通して、人生を投げていたマイクが心のトラウマに立ち向かい成長していくというストーリーでもあります。
第28話 宇宙洗脳

 テコ入れのためにスケールが大きくなったのはいいが、ストーリーが大味になったのは否めない。やはりこの作品のようにごく普通の日常生活に乱入する非日常、現実への不安を描いたものがアウターリミッツの醍醐味であろう。
 ベンジャミン氏は妻と息子の中流3人家族であった。この家の室内のセットが大きくてちょっとびっくりする。他の映画のものを流用したのかもしれないが。2階があるので一軒家かと思ったら、後でアパートだと分かる。で、そこにゼノという紳士が訪ねてくる。彼は政府の教育プログラムから派遣された家庭教師と名乗る。未来の国家を担う優秀な子供たちを政府が直接指導する・・・名誉なことにお宅のケニー君が選ばれました、というのだ。
 こうして毎日訪問してケニーを教育するゼノ氏だが、ベンジャミン氏はだんだん不安が募ってく。教育内容が異常に高度になっているのだ。そして彼はゼノ氏の驚愕の正体を知るのだった。
 地球征服のために子供を狙う、というのは『ウルトラマン』のメフィラス星人を連想させる。ゼノ氏も引き際も潔く、いかにも紳士的な悪魔、という雰囲気。その一方、いかにもベ野暮ったいお父さんのベンジャミン氏が、息子を守るためにこの悪魔的なゼノ氏と対決しようするところが泣かせる。どう見てもかないっこないのだが・・。クライマックスまでほとんど室内のシーンで地味な展開だが、最後のどんでん返しとともに大掛かりな特殊効果が見られる。光学、音響、スローモーションと持てる技術を総動員したという感じだ。
 電光とともに出現するゼノ氏の特撮もかっこいい。良作。

第29話 ルミノス星人の陰謀  ある朝、サイモン(サム・ワナメーカー)は妻(フィリス・ラブ)に離婚話を持ちかけられていた。女は家庭にという保守的な夫に、ジャーナリストである妻は愛想がつきたのだ。車で出勤途上で悩みを友人に打ち明けるサイモン。
 だがそんな家庭のいざこざや人生の苦悩は、実は彼らにとってもはや何の意味もなかったのだった。夜のうちに彼らの住む街は、まるごとルミノス星に転送されていたのだ!ルミノス星人は地球人を侵略するに当たって、奴隷に使えるかどうかのサンプルとして彼らをヒョイとつまんでみただけだった。地球では街のあった場所に巨大なクレーターができていた。
 まさに米国版『漂流教室』である。前半に人々の日常が丁寧に描かれているので、それらがあっという間に崩壊してしまう恐怖が良く出ている。毎日毎日面白くもなく過ぎていく日常、そんな日々ですらかけがえのないものであることが思い知らされる。とにかく暗い話で、やはり赤狩りを逃れて一時米国を離れていたサム・ワナメーカー(監督も兼任)の思いがあるのか。宇宙人をやっつける武器もなければ、ヒーローもいない。無力な町民たちは最後に地球侵略を阻止するためにある行動をとるのだが、涙なくしては見られない。
第30話 大爆発  レナード・ニモイが出演しているが、チョイ役で印象は薄い。ニモイは後の方の話で活躍します。主人公は原子力研究所の所長マーシャル博士(ジョージ・マクレディ)とその妻ローレル(シグニ・ハッソ)。脚本のレスリー・スティーブンスは第12話に続いて、謎に挑む科学者の飽くなき探求精神と夫婦愛を描く。
 宇宙から飛来したと思しき新種の素粒子を発見したマーシャル博士は、それを原子炉に閉じ込めて観察するのだが、放射能が異常に強くなり、作業員(全員防護服)もゾンビのようになり命令をきかなくなる。顔の窓をのぞくと顔はなく、防護服の中を電光が走っていた。
 どうやらこの粒子が彼らを操っているとしか思えない!そして原子炉は暴走し始め、このままではメルトダウン必至!真相の解明に頭脳を絞る博士だが・・・
 研究所内に起こる異変に対し、飽くまで理論で立ち向かうハードSF。60年に発見されたばかりのクェーサー(強力な電波を放出している恒星でも星雲でもない謎の天体)の話題を取り入れている。放射能でケロイドになる作業員や、ゾンビ化した作業員の群れの怖さ、後半の大爆発カウントダウンのサスペンスなど演出も力強く見ごたえがある。強面ながら「だめだ!わからん!」「時間が足りないんだ!」と結構弱気な博士を叱咤する奥さんも迫力あり。
 しかし結末はいくらなんでも強引過ぎ!
第31話 人間カメレオン

このカメレオンという題名には二重の意味がある。今回の計画の内容そのものと、メイスのこれまでの人生とである。
 ある森の中に宇宙人の乗った船が着陸している。長らく監視していた軍は彼らが何の目的で飛来してきたのか考えあぐねていた。そこで情報局の人間が提案する。「スパイを潜入させましょう。適役がいます。」
 その男メイス(ロバート・デュバル)は、場末のメキシカン酒場でベロベロに飲んだくれていた。そこに後ろから忍び寄ってきた男がいきなり銃を突きつける。敵だ!だがメイスの眼光が鋭く光ると、目にも止まらぬ速さで銃を払いのけ、持っていたハエたたきの柄で男を絞殺した! 恐るべし!正にナチュラル・ボーン・キラー!殺人機械!その後ベトナム人民をナパームで焼き払っただけのことはある(違う映画)。
 で、このスパイというのが、なんと人間に似ても似つかない宇宙人に変身して、宇宙船に潜入するというもの。身体を遺伝子レベルで変化させ、身も心も宇宙人になりきるというのだ!博士「猿では成功してます。大丈夫、終わったら元の体に戻します。」信用できね〜。
 しかし長いスパイ生活で心が荒んだメイスはこのミッションを承諾する。
 「なぜ俺が任務を受けるか、ヒーロー願望でも義務感でもない。俺の存在は任務の道具に過ぎない。任務がなければ存在しないも同然、任務のために汚いこともやったが、存在しないよりはマシだ。俺には誰もいない。愛する人も、愛してくれる人も・・・だからできることをやる、それだけだ。」
 ロバート・デュバルが寄る辺ない孤独な男を演じて絶品。カウンター・カルチャー、異なる文化との衝突と融和、アメリカ社会からのドロップアウトを思わせる後半の展開など、アメリカン・ニュー・シネマの萌芽を見る。

第32話 死体蘇生器

 カーシャ(ヴェラ・マイルズ)とレオノーラ(バーバラ・ラッシュ)は父を恐喝している愛人のアンドレを湖畔で毒殺、死体を車のトランクへ入れて始末しようとするが、レオノーラは恐怖にかられて逃げ出してしまう。豪雨の中、二人が辿りつた先は大きな古い屋敷、中には謎の若者(デビッド・マッカラム)といかにも胡散臭い盲目の老執事。
 若者はレオノーラに滔々と語る、私は時間を遡って死人を生き返らせる方法を発見した。私もそれで生き返った・・・レオノーラは謎の部屋に案内され驚愕する、一方、車のトランクに死体はなかった・・・
 前半はまんまフランス映画『悪魔のような女』、後半は『サイコ』・・・というかジョセフ・ステファノってひょっとして『サイコ』だけの人なのか?いつもパターンが同じ。
 やたらカメラワークに凝っていてホラーサスペンスとして見ればは楽しいが、別に『アウターリミッツ』でなくてもいいような話である。

第33話 38世紀から来た兵士

地球のタイムスリップ

 荒廃した大地が果てしなく続く殺伐とした世界、太陽の光も射すことはない。殺人光線の光が間断なく飛び交うだけ。世界は2大国家に真っ二つに分かれて果てしない戦争に明け暮れていた。認めたくはないが、これが38世紀の地球の姿だ!「・・・この兵士の名はクワロ、生まれた時から国家に訓練され、愛情も温もりも知らない。敵を殺すことだけを目的に育てられた・・・」そう、彼は正に戦うためだけに生まれてきた男、究極の戦闘マシーン!リーサル・ウェポン!
 こんな設定は今日日それこそ掃いて捨てるほどあるわけですが、これはその先駆けではないか?これまでのシリーズのものと比べて気がつくのは、娯楽性が高まって展開がスピーディになっていること、細部のこだわり方である。
 未来の兵士はローマ時代のようなコスチュームなんだが、そのヘルメットからは絶えず「殺せ、殺せ、殺せ・・・」と繰り返す声が聞こえる。「司令部」から流しているらしいが、洗脳の手法である。これには防音装置が施されていて、余計な音は聞こえないようになっている。はずされると(ものごごろついた頃からかぶっているので)極度の不安に陥り暴れだす。彼は同じような格好をした「敵」と取っ組み合いをしている内にタイムスリップ(仔細は省く)!60年代のアメリカの市街に忽然と姿を現す。いきなりの登場に騒ぎ出す市民。ここで彼が持っていた銃を乱射したら『世界の中心で愛を叫んだけもの』そのものなんだが、お茶の間にそんな映像を流すわけにもいかないので、パトカー1台溶かしただけで警官に取り押さえられ、軍の「精神異常者収容所」に送還される。この正体不明の男を調査するために、当局から言語学者ケーガン(ロイド・ノーラン)が派遣される。軍人でもエージェントでもない、武道の心得のないおっさんが究極の戦闘マシーンに対峙するわけである。

野生の少年
 ケーガンは彼の話す言葉が極度になまった英語であることを突き止める。名はクワロ(マイケル・アンサラ)というらしい。「話すスピードが速く、俗語を多用しています。」これは実際そうなってますね。この時代の映画の英語は私でも聞き取れるくらいちゃんと文法に則って一語一語発音していますが、70年代からだんだんスラングが多くなって、最近のアメリカ映画の英語は全然聞き取れません。アクション映画だともうお手上げです。40年の間にアメリカの英語もだいぶ変化していると思います。
 持っているレーザー銃は「バラバラに分解したが、動く部品は3個しかない。部品を半分にしても動く」らしい。これは構造が単純なので壊れにくいカラシニコフを連想しますね。
 ケーガンはクワロとサシで粘り強く教育しようとする。絵を見せて「犬だ、イ、ヌ。」とか初歩的な言語から始める。時には怒鳴りあい、殴られたりする。
 最初、凶暴だったクワロはそうするうちにだんだんケーガンに心を開いていく。このように野獣のような人間を一から教育する、というシーンを見ると自然と心が和んでくるのはなぜだろう?過去のこうした題材の映画、『野生の少年』『奇跡の人』『カスパー・ハウザーの謎』、人間ではないが『ホワイト・ドッグ』などが思い浮かぶ。思うに「教育」というものの原初的な喜び、のようなものを目の当たりにするからだろうか。日本では今学校というと、学校に行きたくない人が急増しているとかろくな話を聞かないが、世界の大部分を占める貧しい国ではむしろまともな教育を受けたくとも受けられない子供たちも多いと聞く。本来教育というものは「権利」であり、知ることとは喜びであり、学問というのは面白いものであるはずなのだが、実際はそううまくいっていない。

ターミネーター
 相変わらず頑ななクワロだが、「お前は敵じゃない。」と言い、ヘルメットなしでも平静でいられるようになったので、ケーガンは彼を自分の家(妻、一男一女)にホームスティさせようと思い立つ(無謀だ!)。とうとう自宅へ招いてしまったのだが、家族総出で出迎えられたクワロは、初っ端からとんでもない行動をする(これはネタバレになりそうなので記述は控えるが、観たら爆笑必至)。
 で、小学生の娘と男の子ともなんとかうまくやっていくのだが、こういうシーンを見ているとリメイクするとしたら、クワロ役は体格といい、憮然とした表情といい、その裏に垣間見える優しさといい、やはりシュワルツェネッガーが適役だろうなと思う。ジェームス・キャメロンがこの作品に強く引かれたのも無理もない。
 また、ケーガンは彼との対話から38世紀の恐るべき現実を知る。未来のアメリカは北朝鮮みたいな全体主義国家に成り果て、兵士は人工子宮で次々に「生産」される。クワロもそうした両親を知らない人間だった。命令が全てであり、人格は否定されていた。
 そんなドタバタをやってるうちに、別の場所では例の「敵」もタイムスリップしていた。彼は探知機で自分の相手を探してさまよっていたのだが、ついにクワロを探知した!クワロの方はこの世界にすっかり馴染んで勘がなまっていて気がつかない。あやうし!ケーガン一家!
 と、今のハリウッド映画だったらここからが見せ場なんですが、そのノリでこの後を見てしまうと肩透かしを食らってしまいます。実際今だったらこれまでの展開はサワリでしかないだろう。しかし特撮の発達していなかった当時、やはりSFと言えどもドラマ重視であり、今とは視点がまったく違っていたというべきである。
 ジェームス・キャメロン監督の『ターミネーター』が登場したとき、エリスンは「俺のパクリだろが!」とキャメロンを告訴(世に言う「ターミネーター裁判」)。後に『ターミネーター』のクレジットに原作としてこの作品と第37話『ガラスの手を持つ男』(すごい傑作)を付け加えることで和解した。


VOL.3
第34話 宇宙に散った白血球

 この邦題なんとかならんか・・・。『血を吸う宇宙』並みに奇妙な題名である。原題は『Cold Hands、Warm Heart』というかっこいいもの。
 金星探査に行ってきた飛行士ジェフ(ウィリアム・シャトナー)は金星人にとりつかれ、白血球が欠乏していく。その治療と宇宙人退散に妻(ジェラルディン・ブルックス)が献身的なサポートをするという、「アウター・リミッツ」には意外とよくある夫婦愛もの。髪の毛振り乱した変なマペットの宇宙人が有名なのだが、話はあんまり面白くない。面白いのはシャトナーの演技。設定は夏なのだが、金星人に取り付かれた彼は体温が下がっていく。それで最初は上着を羽織るくらいで目立たないのだが、シーンが変わるたびに服装が厚着になっていく。最終的にはみんな薄着なのに、自分だけ南極へ行くような防寒具で完全武装。笑いをとっているような演出ではないのだが、笑える。シャトナーが深刻な顔して演技するのでなおさらである。まあこうなる前に普通は死んでると思います。
 ウィリアム・シャトナーはこういうパラノイア的な演技が結構似合う。よく見るとイっちゃてるような目つきなんだよね。それゆえか、『スター・トレック』でも決して模範的な船長というわけではなく、スポックのような冷静な補佐役が必要だった。ロバート・ワイズ監督は映画版『スター・トレック』でカーク船長を、台頭する若手の芽を摘もうとするイヤな上司に仕立て上げた。

第35話 二次元からの闖入者

 「闖入者」は「チンニュウシャ」と読むらしい。これはシリーズでは珍しくさわやかな話。異界の知性体との友情を描いたものである。
 ストーン光学博士は、隕石から作ったレンズを装着したメガネをかけてみたところ、そこにいるはずのないモノを見てしまう(『ゼイリブ』か?)。それは二次元の世界から来た生物だった。メガネをかけただけで言葉も通じるという都合のよさはさて置くとして、この生物の造形、着想が良い。二次元の生物だから厚みがゼロ、従って横からならばどんな壁もすり抜けてしまうという理屈は正しいかどうか分からんが面白い。
 非常識な言動の絶えない変人のストーンと、常識人で面白みのない性格の兄、同じ科学者だが対照的な性格の兄弟。ストーンは生物と仲良くなり匿うが、兄は未知のものは危険だから殲滅すべし!と考える。常識で考えれば兄のほうが正しいと思うが、この作品は徹底してこの兄を悪く描き、生物にシンパシーを感じるストーンをいい人に描く。その偏向ぶりが泣ける。またストーンの秘書のエリザベスを演じたジョアン・フリーマンは『性本能と原爆戦』とかキワモノ専門だったようだが、なかなかの美人。変人に理解のある美女・・・オタクの夢であろう。

第36話 ウルトラ人間  「ウルトラマン」ではなく「ウルトラ人間」・・・まあいいんですが。薬を飲んだら超人に変身し暴走し始める、というだけの単純な話なんですな。しかしここで注目すべきは、この薬=CE(意識拡大)物質があからさまにドラッグ、特にマリファナを連想させることである。1966年、まだ米国では広範な麻薬汚染は顕在化していないと思うが、水面下では広がっていたことを思わせる。
 CE研究の一人、東洋系のアカダ先生は恍惚として言う「・・・そもそも幻覚とは何か、我々が日常目にする物と知覚が拡大して見える物、どちらが本物なのかということです。簡単な例でお話しましょう。木の葉が落ちていくとします。CEを飲んだ者にはあらゆる葉の動きが見える。過去も未来もです。種から芽が顔を出し、それが成長していき枯れ果てるまでが目に映るんです・・・」
 まあ「神を見た」と言う人もいるらしいですから、こういう幻覚を見た人もいるかもしれませんね。CEの発想は、精神力によって肉体が変容するということからくる。後のクローネンバーグ映画の肉体変容を先取りしているようで興味深い。でもやはりクスリで超人を目指すのはやめましょう。
第37話 ガラスの手を持つ男

 ハーラン・エリスン脚本、バイロン・ハスキン監督、ロバート・カルプ出演というドリーム・チームによるハードSFアクション。最高傑作と言うと異論があるかもしれないが『ウルトラセブン』における『第四惑星の悪夢』に相当するシリーズ中もっとも先鋭的かつスタイリッシュな作品であることは確か。撮影のケネス・ピーチはB級専門のようだが、ここでは暗さを強調した映像が美しく、音楽もいつものとは変わって、物憂げなジャズピアノみたいな音楽を全編に渡って使用している。
 「トータル・リコール」
 男(ロバート・カルプ)が夜の街をさまよっている。彼は追われていた。自分が何者なのか、何故狙われているのか、何も思い出せない。
 「誰かが私の記憶を消し、私を殺そうとしている。なぜだ、お前は誰だ。」しかしこれまで彼は数々の難局を乗り越えてきた。「そしてわが‘手’からなすべきことを教わった。」彼の左手=「ガラスの手」は高性能コンピューター搭載の義手であった。手袋を外すとガラス細工の手が現れる。その手は人差し指、中指、薬指が欠けていた。
 ガラスの手に問う。「君が何をするべきかといえば、次の通りだ。A・追跡者がつけている黄金のメダルを奪うこと。B・一度に2名の時間旅行を可能にするタイムミラーがある。それを破壊すること。C・とにかく生き続けること。鍵は‘手’を修復することだ。D・‘指’が全部揃えば君を助けられる。」
 こうして彼はわけも分からぬうちに行動に出なければならなくなる。記憶を失くしたとはいえ、彼の身のこなしは特殊訓練された者のそれだった。追跡者を捕獲すると、新たな事実が判明した。
 彼の名はトレント。追っ手はカイバン星人、彼らはトレントの‘手’を狙っていた。すでに指3本はカイバン星人の掌中にあった。「私に分かるのは、君が未来の地球に生きる最後の人間だということだ。」また、カイバン星人が首からぶら下げている黄金のメダルは、時間収束器であり、トレントもまた首から下げていた。これを取られると、瞬時に元いた未来に引き戻されてしまう。「タイムミラーはどこだ?」「商業地区のディクソン・ビルだ。」それだけ聞くとトレントはメダルを引きちぎった。星人はパっと消えた。
 「ゲーム」
 今から1000年後、カイバン星人が襲来し人類は1ヶ月で制圧された。だが一夜にして700億人の人類は忽然と姿を消した。そして彼、トレントただ一人が残されたのだ。人類の行方を知る「ガラスの手」を託されて。1000年前の過去に逃げてきたトレントを追って、人類の行方を探るカイバン星人たちもまたこの世界へやってきたのだ。「君は人類最後の希望・・・だが‘手’はカイバン人に部品を奪われ計算能力が不十分だ。奪われた‘3本の指’を取り返し、カイバン人の意図を探れ。なぜ君だけが1000年後の地球に残されるのか、その理由を探れ。」
 そして巨大な廃墟のような「ディクソン・ビル」へやって来た。だがこれは罠だった!「ようこそトレント君、我ら一同待っていたよ。」ビルの周囲にはすでにバリアーが張られていてもはや袋の鼠。しかしトレントは前に進まなくてはならない。1000年後の人類を救うために。そして自分は何者なのかを知るために・・・。
 冒頭でこの物語のお膳立てがすべて出揃う。トレントは3本の指をゲットしなければならない。隔離されたビルの中で、立ちはだかる相手を倒し、指を奪う。そのたびに新しい情報が手に入り、能力も向上する。そして最後の指は最上階にある敵の本拠地にあり、指を奪った上に「タイムミラー」を破壊すれば「あがり」だ。
 はっきり言ってこれはゲームである。66年の段階でこれだけゲーム性の高い映画というのは希少。かなりの先進性である。ゲーム性といえば、メダルの発想も面白い。時間旅行は自然の摂理に反しているので、自然は過去に戻った人間を絶えず元の時間に戻そうとする。ちょうどバンジージャンプのゴムみたいなものである。それを引き止める「重し」がメダルなのだ。これをとられると、アっと言う間に未来に引き戻されてしまう。これは筋が通った理論だ。しかしそんな大事なものをなんで引きちぎってくださいと言わんばかりに首からぶら下げているのか?と突っ込まれたら、ゲームだから、としか言いようがない(笑)。トレントもそれをぶら下げているわけで、同じリスクを背負っているわけだからフェアであるとは言える。
 「ブレード・ランナー」
 この物語は全編ビルの中で展開される。このビルの意匠を見て、どこかで見たことがあるような・・・と思う人が多かろう。古い、バロックだかアールデコだか判別がつかないようなゴテゴテとした装飾過剰ともいえる内装。巨大な吹き抜け、テラスから突き出した印象的なエレベーター・・・実はこれはあの『ブレード・ランナー』でハリソン・フォードとルトガー・ハウアーが死闘を繰り広げた場所と同じところ=「ブラッドベリー・ビル」でロケしているのだ。この建物はロサンゼルスにあり、1895年築という非常に古いもので、現在でも現役で使用されている。今も『ブレラン』詣での観光客が後を絶たないという。実際、トレントとカイバン人との戦いぶりは『ブレラン』を彷彿させる。エレベーターも効果的に使われているし、ちゃんと屋根裏部屋もでてくる(「ブレラン」では鳩が舞っていたが、こちらはマネキンの群れ。スタンリー・キューブリックの『非情の罠』か?)。窓から外の壁にへばりつくシーンもある(遠くには街のネオンが・・・雨は降っていないが)。ハーラン・エリスンはこの作品を以って、ジェームス・キャメロンを訴えたのだが、ハードボイルドなテイストと言い、全体の印象は明らかに『ブレード・ランナー』であり、彼はリドリー・スコットも訴えるべきじゃないのか?まあ別に余計なお世話ですが。
 で、たまたま逃げ遅れた薄幸の女(アーリン・マーテル)と一緒に足引っ張られたり、援護されたりしているうちに恋が芽生えたり、指が増えても小出しにしか情報を与えなくてイライラさせたりと、もう最後まで引っ張る引っ張る。「なるほど、それは分かった。じゃあ○○はどこにあるんだ?」「それはもう一本指がないと分からない。」こんな調子・・・(-_-;)
 そして「あがり」になった時、想像だにしなかった衝撃の結末が訪れるのであった。この結末は現代でも通用するんじゃないかな。はっきり言って、うまい!としか言いようがない。そしてラストシーンには、今のアメリカ娯楽映画が失ってしまった「暗さ」「苦さ」がある。

第38話 沈黙の叫び

 アンディ(エディ・アルバート)とカレン(ジューン・ハヴォック)夫婦は、中西部の荒野で立ち往生してしまったのだが、そこでとんでもない異変に出くわしてしまう。枯れ草が襲ってくるのだ!枯れ草って、よく西部劇で、風にのってコロコロと道を転がっている球状の枯れ草のかたまりって出てくるじゃないですか。あれが人を襲うんだよね。そして一軒家の農家に篭城することになる。周りを枯れ草に取り囲まれて・・・窓には恐ろしげな枯れ草の影が!悲鳴を上げる奥さん。こう書くと馬鹿みたいだが、原案のルイス・シャーボノーは第9話でも、最初は馬鹿馬鹿しい設定で最後になってゾっとさせる話を提供しているので、あなどれない。
 なぜ名優のE・アルバートが出演するのか、後になるほど分かってくる。力量のない俳優だったら、枯れ草と格闘する絵なんかとても説得力を出せない。そして襲ってくるものは枯れ草だけではなくなる。カエルの群れ、岩の襲撃とパニック映画の様相となり・・・そしてやっぱり最後はホラーだ。
 アンディはこれは肉体を持たない宇宙生命体(アンノン星人か?)がモノに憑依していると推測し、それと交信する案を考えるだが・・・。クライマックスで、やはりE・アルバートは納得のいく名演を見せてくれる(というかこの話は彼のギャラ以外、金のかかっている所が見当たらない)。

第39話 火星!その恐るべき敵

 久々に宇宙を舞台にした大掛かりな作品。火星の「砂の海」という発想が素晴らしい。よくあんなセットを組んだな。
 有人火星着陸第一号M1号は着陸後、何ものかに襲われ消息を絶った。3年後、メリット(アダム・ウェスト=バットマンの人)少佐を船長とするM2号が発進した。火星にはM1号の残骸があった。慎重に調査を進めるメリット少佐一行だが、第一日目にして最初の犠牲者が!何の痕跡も残さず人間を襲う相手は「見えざる敵」としか言いようがなかった。そして部下のバックレー大尉は止めるのも聞かず、正体を突き止めようとするが・・・?
 砂から背びれだけが出てズズーっと突進する様がまさしくジョーズみたい。さらにカニのような巨大なハサミがズオオーっと砂から出てくるなど、ビジュアル的に圧巻。砂の下でどうやって動かしているか想像すると楽しい。ただ穴をあけただけでは下に砂が落ちてしまい、首を動かすのが困難になると思うのだが、砂が落ちない工夫をしているのだろうか。
 本作は哲学や文明への警鐘といったテーマは特になくて、怪獣を如何に攻略するかという一点に絞った分かりやすい作品で、それゆえ怪獣の造形は念が入っている。
 なんでも原作、脚本のジェリー・ソウルは『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』の企画にも参加していたそうです。

第40話 謎の惑星ウルフ359  はっきり言ってこの作品の発想はすごい。水木しげる先生も、裏庭の池の真ん中の島で宇宙生物が進化していく『宇宙虫』という短編を描いたが、これがモトネタではないか(結末はこちらのほうが納得できる)。ネタ不足のハリウッド映画は、そろそろこの話に着目するかもだ。というか、『フェッセンデンの宇宙』なんだが。
 8光年離れた惑星ウルフ359を観測するために、ジョナサン博士(パトリック・オニール)は研究所内にそのウルフ359のミニチュアを作る。隔離した部屋に直径2mくらいの半球が設置されている。観測データに基づいて大気、温度、地質、密度、重力(どうやって?)、太陽(これはライト)・・・全てを正確に再現した。この実験の眼目は、この環境にDNAを投入して果たして生命が誕生するのか?ということなのだが、実験は成功、ミニチュアの惑星の上に植物が育っていく。惑星の表面を顕微鏡で観測すると地表一面が森林で覆われていくのが分かる。ちなみにミニチュア惑星では縮尺は20万分の一(従って顕微鏡で観測しないと見えない)、地球の1秒で11日半が経過する。まあすごい速さで進化が進んでいるのである。
 このシミュレーションを基に研究を進めれば、来るウルフ星開発の準備が容易となる。博士は得意満面だったが・・・。ほどなくして、研究所内外で異変が起こる。周囲の植物が枯れ始め、小動物がバタバタと死に始める。その一方、惑星の生物は順調に進化していく。すでに恐竜の時代に入っていた。博士は地球の進化とあまりにも似通っていることに驚愕する。そして、研究所内に奇怪な幽霊のようなものが出没するようになる。このいわゆる「ウルフ359ゴースト」は影絵で言うところの「鳩」に両手を組んだ上にぬいぐるみを被せた、はっきり言って安直なシロモノなのだが、動物的な生の動きができるのが強みだ。
 惑星上の生物が進化するほど、ゴーストは巨大となり、生き物は死んでいく。あたかも我々の世界から生気を吸い取っているかのように。恐怖を感じた博士は妻も助手も追っ払い、一人悲壮な覚悟で惑星に対峙して、成り行きを見守る。惑星上では人類が登場し、現実の人類の歴史を再現していた。「明日の今頃、惑星は地球に追いつき20世紀に入ります。その後は・・・惑星を通し、未来の地球を目にするでしょう。生きていれば・・・」
 なんとも恐ろしい話だが、これだけ引っ張っておいて結末は結構腰砕けな感じで正直がっかりである。しかしもし、こうした研究が可能だとしたら、もう一つの可能性も考えねばならないだろう。我々が住んでいるこの世界もひょっとして単なる実験に過ぎず、上から顕微鏡で観察されている存在なのではないか?ということである。・・・まあ妄想ですけどね。
第41話 ロボット法廷に立つ

 アメリカの地方都市(セントルイスらしい)の郊外、リンク工学博士は研究所内で首の骨を折って死んでいた。そこに居合わせていた博士が作った人間型ロボット、「アダム」が博士殺害の容疑で連行される。アダムは学習し、自発的に話すことができ、感情すらあった。外見は金属だが、ほぼ人間に近かった。博士の姪のニーナ、新聞記者のエリス(レナード・ニモイ)はアダムの冤罪を訴えるが、警察は廃棄処分を強行しようとする。そこでエリスは友人で、かつてはスゴ腕弁護士だったが今はすっかり人間嫌いになり隠遁生活を送っていたターマン・カトラー(ハワード・ダ・シルヴァ)に頼み込んで法廷でこの問題に決着をつけようとする。
 このH・D・シルヴァがいい。がっしりした体格、柔和ではあるが、これまでの苦労をにじませる顔の皺、いつもパイプを手離さず、法廷でもポケットに手を突っ込んで歩き、権威など物ともしない姿勢、いかにも酸いも甘いもかみ分けた老練な紳士である。この頃まではこういう感じの味のある俳優が結構いて、脇を締めていたのだが今はとんと見当たらない。強いて言えばショーン・コネリーか?いや、ちょっと違うな。
 彼は赤狩り(またか!)でブラックリストに乗って仕事を干されたこともあるので、今回の役どころは彼の人生とシンクロしているのだろう。
 また、レナード・ニモイは、知的で偏見のない、それでいて自分の新聞の売り込みも怠らない現代的で明朗な若者を演じている。
 カトラーの面談から、アダムが怪力ではあるが、人に危害を加えない優しい性格であることを知る。彼はアダムの証言からこれは事故だ!と確信するが、ロボットに偏見を持つ証人の証言はアダムに不利なことばかり。しかもその怪力が周囲から恐れられる。カトラーは孤軍奮闘するが・・・。この辺の展開は『アラバマ物語』を連想させる。実際この話が黒人差別を下敷きにしているのは明らかだろう。
 実際、この作品の法廷シーンは本格的(被告がロボットであること以外)で、難しい法律用語もポンポン飛び出す。さすがベン・ブラディは『ペリー・メイスン』を手がけているだけのことはある(あんまり見てなかったが)。
 一般にキリスト教圏では人型ロボットは敬遠されている、と言われる。人間が神に似せて作られた以上、人が人に似せて作ることは許されない・・・。ゴーレム、フランケンシュタインの怪物、西洋の人造人間は皆、悪魔の所業か、悲劇に終わる。どれだけ信憑性があるか分からないが、ロボット開発における日本の人型ロボットのこだわりようを見るとそうかなとも思う。この作品でも、アダムは誕生時から家政婦や出入りの業者から悪魔でもみるような目で見られる。このような宗教的な偏見も視座にいれているとしたら、当時としては勇気のいることだったろう。

第42話 見知らぬ宇宙の相続人(前)

 シリーズ中唯一の前後2部構成。加えてシリーズ中最大の問題作。いや、作った当初はそんなつもりはなかったはずなのだが・・・おそらくこれを今、地上波で放送することはできないだろう。しかしながら傑作であることは確か。
 アメリカは東南アジアの某所で戦争に明け暮れていた(ベトナムなんだけど)。戦闘中、敵の銃撃を受け、頭部に弾を受けたが奇跡的に助かった兵士が相次いで4人いた。ミンズ少尉(スティーブ・インハット)、ジェームス・コノヴァー軍曹(アイヴァン・ディクソン)、フランシス・ハドレー上等兵(ディー・ポロック)、ロバート・レナルド二等兵(ジェームス・フローリー)の4人である。この4人は手術中に、2種類の脳波が出るという異変が起こっていた。科学大臣直属秘書アダム・バラード(ロバート・デュバル)はこの4人に出現した脳波がすべて同一のものであることを突き止める。つまりある一つの意思が4人をまとめているということだ。しかも回復は異常に早く、4人のIQは200以上に上昇、しかもこのことが判明している現在、未だ動けないミンズ少尉を除いて煙のように失踪していた!何者かが4人を操り、なにか途轍もないことを企んでいる・・・事態を重く見たバラードはさっそく行動を開始した!
 銃弾を受けて超能力に目覚める、というと『ジョジョの奇妙な冒険』の「矢」を思いだすが、この銃弾は特殊なものだった。銃弾の出所を確認するためにバラードは戦乱の東南アジアへ飛ぶ。
 東南アジア某所ではネオニワ大尉(ジェームス繁田)が待っていた。ネオニワがゲリラの捕虜から聞き出した情報によると、銃弾の原料はある特定の場所から来ているらしい。ゲリラはその場所を「燃える空」と呼んでいた。「どこにあるんだ?」「ホイ・トン省です。」「さっそく行ってみよう。」「バラードさん!本気で行く気ですか?敵地ですよ?」「チャーリーがサーフィンをするかぁ〜〜!!(別の映画)」
 バラードの熱意にほだされてネオニワ軍曹はホイ・トン省へ同行。銃弾は飛び交うわ、密林からゲリラは飛び出して襲いかかるわ、決死の思いで「燃える空」へたどり着く。そこは巨大な隕石孔だった。星野之宣のマンガ『宗像教授伝奇考』によれば、人類が最初に用いた鉄は隕鉄・・・隕石からとれた鉄だったそうである。確かにそれは理にかなっている。地中に埋まっている地層から掘り出すよりよほど手っ取り早い。偶然にも近くに隕石が落ちていればの話だが。
 遠い昔、宇宙から飛来した隕石の中で眠っていた「何か」が戦争によって覚醒したのか・・・。
 そのころミンズ少尉は厳重な監視の中、あっさり病院から脱走。その足でNY株式取引所へ行くと、先物取引と株で500ドルの元手を1週間で40万5572ドル15セントに増やしてそのまま失踪する(うらやましい)。送金ルートを調べると、ストックホルム、東京、アメリカのウィチタ郡の銀行口座にそれぞれ送金していた。彼がリーダーらしい。
 バラードはまずウィチタへ。ここでハドレーは工場施設を買い取り、なんらかの空調装置を作っていたことが判明する。その後ハドレーは薬草を採りに南米で消息を絶つ。
 ストックホルムではコノヴァーがとある製鉄所で合金製作の依頼をしていた。彼の試作に基づいて作った合金は信じがたい性能を持っていた。普通の製法では融合しない金属の合金であり、しかも重さは元の金属の90%の重さ(あり得るのか)。彼はこれで乗り物のようなものを作るつもりだ。「彼は優秀だが、気の毒な人です・・・彼は悩んでいる。まるで・・・まるで悪魔がとりついているようだ!」
 東京で(ことさら東洋であることを強調していないところがいい)バラードはレナルドと対面する。レナルドは特殊エンジンの製作をしていた。彼は送金してくる人物を知らなかった。必要な知識は頭の中から自然と浮かび、必要な時に送金されるのだ。彼は自分の意思に反して何かに操られているのであり、彼自身苦悩していたのだ。
 ミンズ少尉は・・・アメリカのとある住宅地を歩いていると、見知らぬ少年に声をかけられた。少年は彼を見るなり、「少尉さん!」と駆け寄った。
「私に何か?」
「一緒に行く。」
「私と?どこへ?」
「どこでも。」
「遠いところだぞ。」
 そのころ少尉のアジトの前では、バラード以下、武装した数名のメン・イン・ブラックの面々が待機して少尉の帰りを待ち構えていた。
 この時点で彼らの真の目的が何なのか、正確に分かった人は(すでに見た人を除いて)地球上に存在しないと断言する。

第43話 見知らぬ宇宙の相続人(後)

 後編はどこから語ってもネタバレになりそうなので、内容を具体的に語ることはできない。
 前編のサスペンスフル、ミステリアスな展開はなかなかのもので、しかもこの作品、考えてみたら特撮も怪獣も何も出てこない。それでいてちゃんとSFものなのだから、これは演出の賜物だろう。ジェームス・ゴールドストーン監督(代表作『世界崩壊の序曲』)の生涯最高の演出ではないか。
 後半も骨太の演出は変わりないが、前編が世界を飛び回ったのに対し、後半はウィチタの工場内での、バラード対ミンズ少尉+3人の対決が中心である。後編はロバート・デュヴァルとスティーブ・インハットの、TVドラマの範疇を越えた演技合戦の様相を呈していく。科学力では到底太刀打ちできないと悟ったバラードは、4人のチームワークを崩す心理戦に持ち込むが、ここでミンズ少尉はとうとうこの計画の全貌を「自分の言葉」で語り始める。
 ロバート・デュヴァルは始終抑えた演技であまり感情を表に出さないが、素晴らしい演技を見せてくれる。前編では国家を背負って「宇宙人撃つべし!」みたいな険しい感じだったのが、少尉の話を聞いているうちに顔の険が取れてきて優しい面持ちになっていくのがわかる。この辺りの微妙な演技はさすがである。
 また、ミンズ少尉演ずるスティーブ・インハットも、アップで滔々と話し続けるシーンが圧巻、全能にも係わらず、全てを諦めたような悲しげな表情がいい。
 計画の全貌とは・・・それを詳しく語ることはできないが、現在の感性からするとどうなのか?と疑問を感じざるを得ない。私の考えすぎなのかもしれない、「いい話じゃん」で済む内容なのかもしれない、しかし立場によっては激怒する人もいると思う。特に「この子達は地球では幸福になれない。」というセリフは私も、それはちょっと言い過ぎでは?と思ってしまう。スタッフ一同の善意と意気込みを疑うことはできない。そうでなければ、こんな大作にすることはなかっただろう。
 この作品の印象は『キューポラのある街』を今観た時に感じる「居心地の悪さ」に似ている。確かに『キューポラのある街』は映画史に残る傑作だ。しかしあの北朝鮮出航シーンをそう暢気にみてはいられないだろう。ここまで書くと、私の心はすっかり薄汚れてしまったのだな、と思う。この時代にはあったピュアな感性を信じられなくなってしまったのだ。最近、特撮映画『三丁目の夕日』を観たが、あの映画の中の人たちならば、この作品を見て遠慮なく泣いただろう。だからと言って、昔は良かったなあとは言いたくない。社会の成熟、科学技術の発展、これが進歩というものなのだ。
 しかしあの60年代でも、ここまで描いたのは勇気がいることだっただろう。心も体も傷ついたベトナム帰還兵が地球(アメリカだけど)に見切りをつけてしまう話と受け取れるからだ。ここにもアメリカン・ニューシネマの萌芽を見るのである。
 写真一番左のジェームス・フローリーはその後監督に転向し、『弾丸特急ジェットバス』『刑事コロンボ 死者のメッセージ』などを撮った。

第44話 宇宙からの使者

とある民間の研究所に勤務しているエリック(ウォーレン・スティーブンス)は、逆磁力分裂理論(?)における詰めの方程式が分からず、婚約者ジャネット(ゲイル・コープ)にも当り散らす荒れる毎日だった。そこに研究室に突然やってきた陪審員#1じゃなかった謎の男(ロバート・ウェッバー)。二人のやり取りが面白い。「秩序ある社会では女の役割は出産のみ。」「何のために生きている?」「任務遂行だ。」「何が手に入る?」「知識だ。」「愉しみは?」「征服だ。」「原動力は?」「エネルギーだ。」「何のために?」「支配するためだ。」男はアイカーと言う、宇宙人だった。アイカーは感情というものを知らない。彼の星は個性というものの存在しない、一つの意思に全員が従うアリのような社会だった。アイカーは提案する。人間を研究するために感情というものを知りたい。君の感情と方程式を交換しよう。この方程式がなんとしても知りたいエリックはこの提案を受けてしまう。悪魔の取引をしてしまったわけである。
 感情を失ったエリックは研究がはかどって磁力破壊装置を完成。一方アイカーはジャネットに「愛とは何だ?」とストーカーまがいに付きまとう。ジャネットはできた人で、アイカーをピクニックに連れて行ったりして、感情の何たるかを教えようとする。ここでもアイカーの世界を窺い知ることができる。「その社会が実在するとしたら、そこにはあなたみたいな人が?見分けはつくのかしら?」「違いはある。それが適正分類だ。賢い者は科学者、強い者は労働者、殺しが得意なら兵士・・・基本的には皆同じだが。」アイカーはそれが進歩した社会だと言う。適正分類は「なりたいものになる」というのとは違うよなあ。当時の共産主義のイメージなんでしょうな。後のほうで適正分類された人たちがやってくるが、同じ種族でこうも変わってしまう社会は恐ろしいね。
 冷酷なロボットと化して最終兵器を淡々と作っていくエリックと、地球侵略に疑問を感じ始めるアイカーという、立場の逆転が面白いが、演出としては平板。

第45話 宇宙怪獣メガゾイド

 メガゾイド・・・なんかジャパニメーションのロボットものに出てきそうな名だが、ホントにそういう名前だ。しかし実は怪獣は脇役に過ぎない。ほんとのテーマは「クローン人間」の生を描く、本格SFである。
 第二シリーズになってから、女優の美人率、主人公の豪邸居住率が高くなってだいぶ気前が良くなっているような気がするが、しかも今回はなんと!SF小説の巨匠クリフォード・D・シマック先生の原案である!話の密度についてはシリーズ中最高レベル。
 未来、人類は外宇宙にも進出、色々な星の生物の標本を博物館に飾っている。中でも白鳥座のメガゾイドはその狂暴な性格、それでいて知恵もありしかも繁殖能力が旺盛という、危険な生物だった。そんなわけでメガゾイドは、地球に持ち込み禁止になっていた。
 ところがヘンダーソン博士(ロン・ランデル)は豪邸の一角に研究のためメガゾイドを隠匿しており、ある夜その牢が破られていることを発見する。こりゃ大変だ、極秘に奴を探して処分しなければ・・・そこで彼は自分の複製“Duplicate Man”を作り(この時代、クローンという言葉はなかった)、彼にメガゾイドを殺させることにする(卑怯だ!)。
 この作品の最大の特徴は、明快に未来世界の話、ということである。なにしろ太陽系の外まで人類は到達しているのだから、下界も少しは進歩していないとおかしいだろう。それで妙な未来ファッションや未来建築、未来カー、未来インテリアが出てくる。横道にそれるが、SF映画を撮る場合、未来ファッションはよほど勝算が無い限りやらない方がいい。アっと言う間にダサくなってしまい、作品そのものの評価にも影響してしまう。この作品の服装も正直恥ずかしい。ただ、TV電話が出てくるのだが、この外観が現代の液晶パソコンに奇妙に似ている。ただしプッシュボタンではなくてダイヤル式だが。
 人間の複製は政府が厳重に管理しており個人が複製を作ることは違法であったが、ヘンダーソンはコネで作ってもらう。複製は放っておくと自我に目覚めてしまい、厄介なことになる。記憶、性格ともに本体と見分けはつかず、本体を殺そうとすることもある。そのためクローンは寿命が決まっている(どこかで聞いたことがある設定だ・・・)。ヘンダーソンは複製の寿命が5時間であることを確認して注文する。
 ヘンダーソンbQは博物館の中で目覚める。懐にはピストルが入っていた。「メガゾイドを殺さなければ・・・。」
 第1戦で、bQはメガゾイドに自分が複製であることを知らされる。「私は人間だ!」「君は使い捨てのロボットさ。」意外とインテリ風の怪物。愕然とするbQ。
 ヘンダーソンにメガゾイドを横流ししたブローカー、エメットに会う(実在する、奇妙な建物に住んでいる)。エメットは顔半分を覆面で隠している。かつてメガゾイドに顔を削り取られたのだ。この辺芸が細かい。bQは、人と接触しているうちに本体の記憶がよみがえってくる。
 bQは本体の妻ローラ(コンスタンス・タワーズ)に電話をかける。彼は彼女を恋人時代の呼び名「プリンセス」と呼ぶ。「電話の声、ある人に似ていたわ。昔のあなたよ。」妻に複製を作ったことがばれた。
 bQは本体と対峙する。自分は一体何のために生まれてきたのか・・・複製にも生きる権利があるはずだ!ある意味、造物主に対する異議申し立てである(やはりどこかで聞いたことがある話だ・・・)。
 本体とbQとローラの奇妙な3角関係が生まれる。あろうことか、ローラは複製のほうへなびいていく。「不思議ね。一人は結婚した人、もう一人は愛した人・・・」(確かにくたびれた本体より若くて新鮮な方がいいですね)邸内で3人の主張が緊迫している間に、メガゾイドも邸宅に侵入。本体からbQ抹殺を請けおったエメットも侵入。そうこうしている間に寿命のタイムリミットも近づく。さあ、どうなる?結末間際になっても伏線が張ってあって、最後まで目が離せない!
 コンスタンス・タワーズはブロードウェイのベテラン俳優。シリーズ中の女優では最大の存在感。ジョン・フォードの『騎兵隊』『バファロー大隊』、サミュエル・フラーの『ショック集団』『裸のキッス』などに主役級で出演。

第46話 アンテオン遊星への道

 来るアンテオン遊星への飛行実験として、実物同様の宇宙船に、実際にかかる飛行時間(261日10時間51分)、搭乗していただき心理的、身体的なデータを採るという模擬実験を行う。主催は政府か民間かは分からないが、成功したら被験者は現実のアンテオン星飛行へのタダ券をもらえる。しかし実験中、何らかの不測の事態、トラブルは生じた場合、緊急スイッチ(誰でもすぐ押せる場所にある)が押され、実験はその時点で中止となる。
 この実験に参加する被験者はジョー・ディクス土建屋(マイケル・コンスタンティン)、アリシア・ヘンドリクス人類学者(ジャクリーン・スコット)、キース・エリス新聞記者(ラリー・ウォード)、マイケル・リント植物学者(チャールズ・ラディラック)、マシュー・ジェームス医師(グラハム・デントン)、ヘンリー・クレイブ環境生態学者(サンディ・ケニヨン)。
 宇宙船と言っても宇宙旅客機仕様で、乗客は快適な環境で過ごせる。しかし疑似体験として、隕石群を通過したりして乗客に揺さぶりをかける。最初は所詮作り物と高をくくっていた被験者だが、おかしなことが次々と起こる。夜中に首をしめられる、なぜか娘のぬいぐるみが枕元に置いてある。明らかに我々以外のモノがいる・・・妄想かと思っていたがそうではない!密室での疑心暗鬼と孤独感から人々の精神は不安定となり、各人の隠されたトラウマが露になっていくのであった。人間関係のグダグダが頂点に達したとき、あっと驚く特撮が!
 正直言って地味な話だが、それぞれのキャラクターは面白い。特にいつもわがまま言っているトラブルメイカーのマイケル・コンスタンティンははまり役。日本で言えば『吸血鬼ゴケミドロ』の金子信夫みたいな役どころ。

第47話 バーム大佐の脳細胞

宇宙開発が本格的に始動する時代、軍は一つの壁に突き当たっていた。宇宙において普通のコンピューターでは不測の事態に対応できない。かといって過酷な宇宙空間で生身の人間の活動は限られている。遠隔操作は外宇宙では時間かかり過ぎ。そこで人間の脳を搭載したコンピューターを作ってはどうか、ということになる。そこで優秀だが不治の病で余命いくばくも無い(都合良すぎ!)というバーム大佐(アンソニー・アイスリー)に声がかかる。いくらもうすぐ死ぬと言ってもこんな実験を承諾する人もいないと思うのだが、美人の奥さんジェニファー(エリザベス・ペリー)がいるにもかかわらず、バーム大佐は承諾する。天才を自負するバーム大佐は、心血注いだ宇宙開発に異常な未練があったのだ。
 しかしこの計画、法律的にはどうするのだろう。「死んだ」ということにするのか。脳付コンピューターということで器物ということになるのか。
 「教育すれば最高の頭脳になるかもしれん、宇宙の謎を解く頭脳にな。」「神をも超えるかもしれません。」
 脳だけになったバーム大佐は開口一番「痛い。」と言うのだが、これは現実に近いのではないか。筒井康隆の短編でも脳だけになる男の話があるが、あれはゾっとした。こちらは音声、視覚、聴覚も電子的に繋げてあるので破格の待遇である。
 チームの一人、心理学者のマッキンノン少佐(グラント・ウィリアムス)はもともとこの計画に異を唱えていた。「理性は部分的に体とつながっていて、身体的欲求を感じたり、満足感を得たり、失望したりするのです。」つまり心と身体は別物ではなく、補完し合っている。身体という枷(かせ)から解き放たれた脳は、自我を思うがままに拡大してしまう。いままで人類がなしえなかった精神の領域に達するのではないか・・・。一体何が起こるか分からない、そういう警告だろう。そういえば『アルタード・ステーツ』という映画では、比重の高い液体の入ったカプセルにプカプカ浮かんであらゆる刺激から解き放たれて瞑想すると脳の隠された能力が覚醒する、というのがあったが、あれも擬似「脳だけ状態」と言えるかもしれない。最近のサイバーSFを見ると、「脳だけいいんじゃないの?」とかそういう意識の拡大に肯定的な見方もあるのだが、この時代、人間の精神はおそらくそれに耐えられず自滅するであろうという悲観的な考えのほうが強かった。
 で、その不安は的中する。とにかくバーム大佐、自力で動けないのにすごく態度が大きくなり、命令口調になる。「私に悩みなどない、あれは人間特有のものだ。どれ、君の悩みを聞いてやろう。楽になるぞ。」アンテナで人の会話を立ち聞きしている様子が怖い。
 容器内に余裕があるので、脳が育って大きくなる。「容器をもっと大きくしろ。割れないうちにな。」ほどなくして研究員がジェニファーに襲い掛かるという事件も発生。原因は不明だが、バーム脳に関係すると見たマッキンノンは警告するが、科学者は耳を貸さずバーム脳の育成に邁進する。バーム大佐の暴走はとどまるところを知らず、マッキンノンとジェニファーが接近していることを察知したバーム大佐は・・・
 彼の能力拡大の原動力が奥さんへの執着心だったというのが哀しい。

第48話 十秒間の未来  最終回目前にして、これまたものすごい作品が登場。これだけの底力があるのだから、もっとやれたのでは・・・まったく惜しい。
 なんと今回は知っている人は知っている、知らない人はまったく知らないSF映画の巨匠、イブ・メルキオール監督(オールシネマ オンラインでは『メルキオー』と表記)の原案、脚本である!メルキオール監督は50〜60年代、B級SF映画を作り続けた。『バンパイアの惑星』『巨大アメーバの惑星』など、彼の作品は、低予算、チャチな特撮でも、確固たるSFマインドがあれば鑑賞に耐えうる映画を作れるということを証明している。特に『原始怪人対未来怪人』(原題『タイムトラベラーズ』)は時間旅行の方法、未来世界の様子、など実にユニークで、特にラストの意外性が印象深い傑作である。
 この『十秒間の未来』は『原始怪人対未来怪人』のラストからの着想であろう。
 冒頭、『博士の異常な愛情』のファーストシーンのようにB52が飛行している。B52の片翼に小型飛行機がぶら下がっている。超音速機のテスト飛行である。パイロットのジム(デューイ・マーチン)がボタンを押すと、機は勢いよくB52から離れていった。これはなにかの記録映画からの映像だと思うが、迫力がある。下では妻のリンダ(メアリー・マーフィー)が自動車で機を追っている。だがトラブル発生!機はリンダの自動車の目の前で不時着、自動車は脱輪、二人とも意識を失う。ジムが気がついて機から降りてみると・・・何かが違う・・・静かだった。人も動物も動いていない。鳥が空中で止まってるじゃん!
 ジムとリンダ以外、全てが静止していた。我々は死んだのか・・・?基地で戻ってみると、やはり基地の人間はみな『江分利満氏の優雅な生活』の1シーンか、バルタン星人に冷凍光線を浴びせられたかのように静止していた。しかしジムは基地の時計を観察し、こう推測した。墜落のショックで二人は十秒先の世界に飛び出してしまったのだ。そして時間の裂け目にはまってしまった。二人と世界は別の時間軸で動いている・・・目の前に見慣れた世界が広がっているにも関わらず、何一つ動かせず、声も届かない。絶対的な孤独であった。しかし時計をよく見ると、ゆっくり動いていた。人間もゆっくりだが生きて動いている。
 これってスティーブン・キングの『ランゴリアーズ』に似ていると思うが気のせいか。あとで謎の怪人も出てくるんだが。
 とりあえずどういう現象かは把握したが、基地でとんでもない光景を発見する。基地の託児所にあずけていた娘が三輪車で遊んでいる。娘の死角には軍用トラックがある。そのトラックはハンドブレーキを引いていない!メーターは5キロくらいを示している。つまりあと数秒で無人のトラックは娘を轢いてしまうだろう・・・。時間軸が違うので、この世界のものは何一つ動かせない。無情にもズンズン進んでいくトラック。彼らは愛する娘を助けられるのか・・・、元の世界に戻れるのか?
 筒井康隆の初期の作品『お助け』に似ているが、これは筒井先生の方が先。最近では平成アニメ版『サイボーグ009』にも似たような話があったが。
 やはり見ものは止まっている表現方法だろう。今だったら『マトリックス』の「マシンガン撮影」で撮れるが、この作品は写真と止まってる演技のミックスで何とか見せる。子供にすら止め演技を要求するとは正に鬼(それほどでもないか)。女の子、ブルブル震えてます。写真の人間と動いている主人公が同じフレームに納まっているシーンがあるが、方法は良く分からない。ひょっとしたら等身大の人の写真を用意したのかも知れない。
 メアリー・マーフィーの経歴は、ルドルフ・マテ(『地球最後の日』)、スタンリー・クレイマー、ノーマン・ジュイソン、サム・ペキンパーと、やたら監督に恵まれている。
第49話 宇宙通信SOS!!
 日本列島付近を飛行中だった輸送機が台風にまきこまれ海上に不時着、クルーの5人は救命ボートで脱出する。ここで荒れる海のスクリーンプロセスが背景に描きこまれ、なかなか迫力がある。そういえばこのシリーズで海が出てくることはほとんどなかったな。
 濃霧が晴れてくると下には海はなく、そこが巨大な建造物の中だということに気がつく。無人だった。ここはどこなのか、何者がこれを作ったのか、何のためのものなのか・・・まったく分からない。次々に遭遇する意味不明な事態、自動機械、徘徊する不定形生物。彼らはここから脱出できるのか・・・?
 『アウター・リミッツ』最終回はかなり地味な内容で、複雑なストーリーでもない。しかしこの話には『アウター・リミッツ』のテーマが凝縮されているのではないか。
 この話は、始終彼らの視点のみで語られている。彼らには知らされていないが、我々の方にだけ分かる材料というものはない。画面に出てきた現象、自動的に作動している機械の目的を彼らと一緒に推理する。
 彼らは色々な手がかりからこれは宇宙人が地球を調査に来た無人探査機ではないかと推推測し、そこにいない宇宙人とコンタクトをとろうと試みる。しかしその推測が真実とは限らない。物事は人の言説を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えなければならない。
 私が思うに、『アウター・リミッツ』には共通するテーマがあったと思う。それは世の中、物事は相対的なものであり、絶対的な価値観はないということである。宇宙人から見て、地球はどう見えているのか、未来から現代はどう見えるのか・・・そういう異界からの視点を設けることによって、我々は普段の何気ない行為や、普通に暮らしていた社会が実は異常なもの、反対に素晴らしいものだった、という発見があるだろう。こういう価値観の逆転や、視点の過激な入れ替え当時のSFの大きな特長であった。
 また、「赤狩り」でハリウッドを追われた人たちがTVの方へ活動を移していったことが、「辺境からの視点」をこのシリーズに与えた。
 もう一つは、科学的なものの考えを徹底したことである。このシリーズの愚直なまでの科学に対する信頼がある。世界の謎や困難は科学の力で解決できる、科学が発展すれば災害、経済不安、差別など人類を覆う不幸を克服できる、と堅く信じているのである。科学の暴走で破局がくるという話ばかりじゃないかと思われるかもしれないが、根本には大きな試練に立ち向かう科学者の勇姿が描かれる。科学的な思考を放棄した昨今のオカルト志向ではない。
 思うにこれが当時の(今から見れば)古きよきアメリカの民主主義精神だったのだろう。最近の全世界的に蔓延する政治的、民族的不寛容を見るにつけ、思えば遠くに来てしまったなあという気がします(まああの時代も現代に負けず劣らず酷い事件がたくさんあったわけですが)。