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戦争のリアル

2008年
エンターブレイン
 軍事評論家の岡部いさく氏と共に毎年2月26日に行われている軍事評論の集い“226”からスピンオフした企画で、「戦争を研究し続けている男」と「戦争を語り続けている男」による対談集。主に押井が突飛なアイディアを提示し、岡部がそれが実現可能かどうか。という事を検証することで話は展開していく。二人とも知識においては申し分ないため、話はどんどんあらぬ方向に飛んでいき、それが逆に魅力になっているのは確かな話。

第一章 敗戦のトラウマと日本のアニメ 総論として

・自衛隊は強いのか
 最近になって自衛隊は本当は強い。という本が出てきているが、本当にそうなのか?という事から話は始まるが、結論は先送り。押井は自分の立ち位置として政治についてのメッセージは決して語るつもりが無いこと。だからこそ本書はまず「日本で戦争について語る事はじつはどういう事なのか。なぜそれが必要なのかという総体的なものを足がかりに、今自分が疑問に思っていることを語っていくという形にすることを表明。
・第二次大戦のトラウマ
 何故押井は戦争について語り始めたのか。それは先輩クリエイター達が敗戦を機に意識が形成されているという観点に立っている事に気づいたから。改めて考えると、押井が少年時代は仮想戦記のブームがあり、「こういう兵器があったら戦争に勝てた」というマンガが多量にあった。「竹槍とB-29」の比喩が語られる一方、「大和は世界一、ゼロ戦は世界一」と書かれている本もある。特にマンガでは「大和がもう二隻あれば、富嶽が200機あれば戦争に勝てた」と言った具合。これのお陰で戦後民主主義の教育を受けていながら、もう一方ではある種の軍事少年でもあったことを告白している。
 しかしながら、この流れは今に至るも連綿と続いている。「宇宙戦艦ヤマト」も「機動戦士ガンダム」もやはりそのトラウマではないかと推測(事実としてガミラスはドイツ人風だが、やってることはアメリカに対する特攻のイメージがある)。
 これらのブームは、日本が100%悪く、アメリカが正しかったから勝てた。と言わんばかりの戦後民主主義の押しつけに対する反発であった。
 それは今に至るも解決されていない。それは第二次世界大戦自体が目的なしに戦争を始めてしまったから。
 これまで技術的な意味で戦争を語ってきた人はほとんどいなかった。ようやくそれが今になって語られ始めた。むしろ総括のために敗北の理由をきちんと語っていく必要性がある。
 226であれ、この本であれ、何故それを作らねばならなかったのかは、自分なりにその総括をしてみたいということから。

参考:加藤隼戦闘隊忍者部隊月光快傑ハリマオ宇宙戦艦ヤマト機動戦士ガンダム

富嶽
立体物はなく、書籍のみ
・戦争を総括してない日本人
 日本は未だアメリカに負けたという事実を未だに総括できていない。負けるのも一つの技術。負けから総括することで歴史は動いてきたはず。ドイツもナポレオンに負けたからこそクラウゼヴィッツの「戦争論」が書かれ、参謀本部という組織を作り上げてきた。
 日本は日露戦争までは兵をとても大切にしてきたのに、太平洋戦争になると途端に兵の命を軽んじるようになった。これは日露戦争を単なる勝利と見なし、総括することを怠ったから。これはアメリカの南北戦争をきちんとリサーチしなかったヨーロッパにも当てはまる。機関銃の威力が分かっていながら(クリミア戦争で使われたマキシム機関銃のこと)、それに対し兵の突撃しか考えてなかった結果として(第一次世界大戦の)塹壕戦で何百万という人間を殺すはめに陥った。戦争を語らないことは、必ず後世のツケとなって残る。
 日本が幸運なのは、今まで戦争は語ってこなかったが、次の戦争をしていないという事実。
 仮想敵国を作り、アメリカと共にBMD計画(弾道ミサイル防衛Ballistic Missile Defense)をアメリカと共同して作っているが、それはレーガン政権時のスターウォーズ計画と同じく政治的なはったり。もし本当にミサイル戦争を想定しているのならば、迎撃ではなく、日本も弾道弾を持つしかない。
 第二次世界大戦では唯一の被爆国として日本はいかにも被害者然としているが、実際は爆弾を落とされた総量も、銃後の国民が殺された割合で言ってもドイツの方が遥かにダメージは大きかった。この部分はドイツが陸続きであったことも看過できない。事実大戦後、いち早くドイツは武力を装備したが、これも東西冷戦下の地理的条件として考えることが出来る。

戦争論(クラウゼヴィッツ)
・ルーザーであることの誘惑
 日本人が懲りないのは戦争に関してナーバスだから。本当に負けたのではない。とそう思いたがっている節がある。その証拠に受けた戦争映画(ここでは『火垂るの墓』と『男たちの大和』を取り上げている)は全て“被害者”を描いた作品であることが挙げられる。それはルーザー(敗者)であることの居心地良さに浸っているから。
 これまで日本は勝者になると言う可能性は追求していなかった。一方、アメリカは未だに勝者たることのツケを払い続けている。アメリカでは戦ったことに対し「意味」を求め、ひたすら世界に対して責任を持とうとしているが、日本人は「負けたからしょうがないや」で60年間過ごしてしまった。

参考:火垂るの墓男たちの大和
・脳天気でナーバスな日本人
 日本人は根本的に戦争をやる以上絶対に勝たねばならない。という意識が低い。「宇宙戦艦ヤマト」でも最後は「愛のために特攻する」訳だから…相手の母星を破壊までしておいて、戦うのは間違いだったとか言い、更に「愛のために生きる」と言っておきながら特攻をかけるという、論理的に無茶苦茶なことを言っていることを指摘。
 日本はそもそも義経願望というのがある。これは類型的に戦術の天才でありながら、孤立して負けるというシチュエーションのこと。太平洋戦争でも特化した戦闘力を持つものを強調して考える傾向がある(飛燕とか)。
 連合国の視点は違う。爆撃機を重要視して量産体制に持っていったことは大きな違い。イギリスではランカスター、ハリファックス、スターリングといういわゆる「重爆トリオ」に速成で訓練した兵士を多数乗せて爆撃を中心に考えていた。(宮崎駿がイラストを描き、復刊にこぎ着けた「ブラッカムの爆撃機」はその良い例)。その分消耗率は高かったが、あくまで本土爆撃にこだわった。
 戦争は抽象化すべきものではなく、あくまで具体的で歴史的なものであることをもっと真剣に考えねばならない。

参考:一式陸攻飛燕0戦はやとランカスターハリファックススターリング(楽天)

ブラッカムの爆撃機
・徳川三百年の功罪
 日本人は最後に孤立して滅ぼされる少数という話が好き(押井自身も「ケルベロス」でやった)。だが、それを国家間の戦争に持って行ってしまったら負けるのが決まっている。
 この辺りの戦争下手を考えるに、徳川三百年の歴史によって失われた技術が山ほどあるのではないか。ここには良き発展もあったが、主にそれは文化方面。軍事方面では失われたものの方が多い。
 トータルで見る限り、日本には国レベルの愚行はないのだが、戦争に関しては愚行の連続。
・日本のアニメは戦争だらけ
 日本人にとって経験した戦争は第二次大戦のみ。以降全く経験がないため、日本の戦争文化は貧困に尽きる。
 一方、アニメショーンの半分は戦争を描き続けてきた。特に押井自身が大体は戦争を題材にした作品ばかり作ってると自嘲。
 アニメーションで描く戦争は、主に第二次大戦の資料映像から来ている。だから宇宙空間であったとしても、艦載機の動きはそのまま地上のものと変わらず。更に無駄な巨大人型兵器が跋扈している状況。これも又義経願望の現れだろう(ここでは「個艦優越主義」と称している)。凄いものを一体作ったと言うところで自己完結してしまっている。
 日本人的な感覚ではB-24を大量生産するよりも、幻に終わった震電や橘花、雷電や紫電改の方が素晴らしいと考えてしまう(戦車においても同じで、プラモデルの人気はティーガーであり、シャーマンは全然人気がない。どちらが有用だったかと言えば、対戦車戦を顧慮に入れず、汎用性に優れ、しかも低コストで多量に作られたシャーマンの方なのだが)。
 アニメやマンガでもそれはよく表れていて、たとえば松本零次や宮崎駿が俎上に上がる(巨神兵は単独運用兵器としては無敵かもしれないが、試作品が自壊して終わるとか。更に「ナウシカ」については、この世界は石原完爾が夢見た日本そのものであり、王蟲は押し寄せるシャーマンを意味するとまで言っている。)
 その最たる例が人型兵器。しかし、実際問題として人型兵器というのは兵器としての運用で考える限りいかに無能であるか。正面投影面積はでかいし、二足歩行などと言う壊れやすいシステムが実際運用できるはずはない(その辺は押井の「映像機械論 メカフィリア」に詳しい)。
 一方、そう言いつつ確かにその片棒を担いでいた自分自身の事も韜晦して語っている(…が、その最たる『スカイ・クロラ The Sky Crowlers』はどうだ?と言われると途端に滑舌が悪くなる)。
 その意味で、日本の映画で本当に戦争を描いたのは
『P2』だけになるのかもしれない。とは本人の弁。
参考:映像機械論 メカフィリア震電橘花雷電紫電改ティーガーシャーマン映像機械論 メカフィリア

第二章 イラクで何が起こっていたのか? 光学サイトから読みとる裏の事情

・小銃の間合いと道端爆弾
 近代の戦争の距離感は、まず小銃の間合いから始まる。という事で、自衛隊の89式小銃(wiki)から話が始まる。
 では何故小銃の間合いなのか。それは戦争の大目的(勝利条件とは単に戦いに勝てばいいのではない。特にアメリカの場合それを事細かく設定する)には必ず占領という行為を伴うから。
 アメリカがイラクから何故撤退できないか。それは小銃の間合いに全てを収めておかなければならないから。そこで真なる民主国家が出来るまではそこから動くことが出来なくなってしまった。
 この方式はヴェトナム戦争の時代から変わっていない。特にヴェトナム戦争ではミサイルや爆撃の精度が上がり、それだけ効率は良くなったはずだが、その代わりアメリカ本国でその日その日の作戦を指令するようになったため、かえって非効率になってしまった。特に近代において戦争は為政者のコントロールを受けるようになっていった。その上で占領下に置くように指令されるため、現場の混乱を引き起こす。これが現在のイラクの現状。

参考:89式小銃マクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓
・撮影用機甲師団
 ちょっと話は脱線。前にTVでM1戦車が砂漠を隊列を組んで自走していく光景が映されたが、運用上戦車(特にM1戦車は燃費がとても悪い事で有名)でこれをやるのは無理ではないか?という話。だから、あれが本当になされたのか、それともやらせなのか?
・幻の忍者部隊
 戦争というものは同時代にはさばけないもの。実際に何があったかと言うことであれば、情報が膨大であるほど見えてくるのに時間がかかる。つまり、現在のイラクでは我々が与えられている情報以上のものがあるはずなのだが、それが未だ見えていない。
 前々節の続きで、いかに街を占領するのか。と言う点で考察。実際道端爆弾やRPG-7を持った兵士がそこらかしこに隠れている状況では占領行為自体が最早不可能なレベルになっていると語る。
・光学サイトの謎
 イラクで自衛隊が89式に光学式サイトを付けているのをテレビで観た押井が、これはおかしいではないか。と言う所から話が始まる。そもそも89式は突撃銃(wiki)で、光学サイトを付ける必然性がない。
 自衛隊は基本的に小銃の間合いで小銃を撃つことを前提に考えられていない。むしろ遅滞防御(wiki)こそが自衛隊の戦い方。89式そのものが実はそのコンセプトで作られていたはず。それでいくつかパターンを考えると、実包をなるだけ無駄にしないためではないか。
・RPG−7の脅威
 自衛隊がイラクに行く際、何故90式戦車(wiki)を持っていかなかったのか。もちろん戦闘に参加しなくても、実地テストになるし、襲撃ゲリラの戦意を大きく削ぐことが出来る。それを持っていくつもり無ければ最初から参加しなければいい。表題のRPG−7についてはここではほとんど語られず。
参考:90式戦車
・89式の実力
 ここでは小銃について色々と。
 自衛隊では64式(wiki)から威力が弱い89式に変わったが、それは結局持ち運びには軽くした方が良いという考えでしかなかったのではないか?

参考:64式小銃89式小銃
・小銃の歴史は終わった
 戦場において小銃の間合いは依然として重要だが、現在は占領統治型の任務には小銃の間合いは有効ではなくなっている。第二次大戦からアメリカはその事を知っていたからこそシャーマンの量産がなされたはず。
 第二次大戦でも実際に小銃の間合いというのは、敵を牽制するのが目的。牽制している間に手榴弾を使うなり、戦車を呼ぶなりした方が効率的には良い。それを参考として、ヴェトナム戦争ではアメリカはグレネードランチャーを多用しそれ用に薄くて軽い擲弾筒を作った。

参考:グレネードランチャー
・陸上自衛隊の出稽古
 陸上自衛隊は国外に行って訓練をする機会がない。この状態で一体何を想定して訓練をしなければならないのか。現時点の陸上自衛隊が出来る事はヘリボーン(ヘリコプターを使って兵を集中して適地へ降下させる戦術)しかない。しかし、実際にそれが真面目に考えられているようにも見受けられない。
・自衛隊員の現実感覚
 押井が言う「戦争のリアリティ」とは、「自分が戦場に行って、勝つ予感がするかどうか」。その意味で一般の人間が感じることが出来ない戦争のリアリティは自衛隊員なら持てるのか?多分それはない。彼らが持っているのは技術的なプライドであり、戦うという所には目がいってないから。
 ところで北朝鮮はどうかと言うと、彼らは確かに装備はどれだけ貧弱でも、勝つ予感だけは山ほど持っているだろう。かつてのオウムもそう。
 これに関連して、又自衛隊の制式小銃が64式から89式に変わったのかが又疑問として提示される。89式は64式と較べ、威力が弱くなっただけでなく、製造工程にしても退歩している。それだけ64式は信用がなかったという事か?
・リアリティの獲得
 軍隊で必要なのは「勝つ予感」それは与えられない限り持つ事は出来ない。ヨーロッパなどは常に戦争のリアリティを維持する努力をしている。たとえば田舎などだと、年に一回くらいは防空壕に飛び込む訓練をしている。たとえばポーランドなどは、東西の交通の要地にあるため、いつ戦争が起こるか分からない状況でこれまで暮らしてきたのだから、訓練を欠かすわけにはいかない。
 対して日本のアニメはそのようなリアリティを志向してきたのか?たとえばオモチャ一つを取ってみても、日本のモデルガンは世界一で、AK-74は電動でリコイルまで再現されているものがあるが、それだけリアルなものを作るのに、社会的な回路とはまるっきり断絶している。これを文化的な落差と見ている。

参考:AK74
・戦争体験とアイデンティティ
 ヨーロッパでは、「武装した人間」を「市民」と呼んでいた。その意味で日本には「市民」がいない。
 それでは日本人が戦争のリアリティを味わうためにはどうすれば良いか。そこに至るためには、自分の属するコミュニティの存続を願う心から来るもの。
 日本人はこれまで他国からアイデンティティを強要されたという歴史がない分、日本人でいると言うことに苦労がない。リアリティの欠如はそこから来る。
・言葉のリアリティと日本人
 日本人には言葉のリアリティというものがある。それは漢字文化が作り出したものである。漢字だと、並べるだけで意味が分かり、高揚させてくれるものがある。しかし一方ではこれは実務には向かない。結局第二次大戦はスローガンが先行した。
 日本人は依然として言葉のリアリズムの中にあるのかもしれない。現在の“平和”も又スローガンによって泳がされているだけなのではないか。

第三章 かっこういい自衛隊を目指して−勝てそうな携行兵器

・極小のリアルと極大のリアル
 自衛隊が装備している対戦車携行兵器としてパンツァーファウスト3を制式採用した。しかし、兵器としては安価で簡単に作れるRPG-7を採用すべきだった。という話から。今度は核の話に。
 日本の潜水艦は核ミサイルを積むように出来ていない(垂直発射が出来ない)。しかし、トリム(潜水艦の前後の傾き)をいっぱいに取れば、潜水艦自体を垂直近くまでにすることが出来る。それだったら通常の魚雷発射管でも装備は可能のはず。この二つの問いにこの章では答えは出ていない。
・兵器に真に求められるスペックとは
 戦後、最も活躍した兵器と言えばAK-47とRPG-7。それを自衛隊は装備するという考えはないのか。
 押井はかつて「アヴァロン」で実際にAK-47の実物を用いて発射シーンを描いたことがある。その裏話(画面でRPG-7を撃つ人物はもちろんダブルだが、あれはポーランド陸軍の男性。しかしえらくほっそりしているので、そのまま画面に使えたとか)を経て、あれは実際に手で持ってみると、本当に当たりそうな気がする。アメリカ軍の制式武装であるM72よりも遙かに見た目信頼が置ける(M72はシュワルツェネッガーの『コマンドー』で4つくっつけたものが登場してる)。

参考:M72
・どういう戦争を想定するのか
 自衛隊が装備しているパンツァーファウスト3は使い勝手が悪いのだから、いっそ有線誘導式のTOW(wiki)を使った方が良くないか。そもそも日本の携行兵器は持ち帰ることが基本になっているからいけない。携行兵器は使い捨ての方が良い。
 基本的に自衛隊は攻められることを前提としての軍隊。遅滞防御を考えるしかないので、小銃と携行ロケットは装備としては基本中の基本。
参考:TOW
・理想の戦闘か、最悪の事態か
 戦いは出来るだけスマートに勝ちたいという思いがあるが、その考えが兵器の採用に影響する。
 RPG-7は独ソ戦での市街戦の経験から生まれたものではないか。
 太平洋戦争で日本軍が連合軍と五分以上に戦えたのはジャングルだけ。それは連合軍が銃の間合いに入ることを恐れ、戦車待ちという戦法を取っていた分、肉薄した日本軍の優位性があったから。
 しかし一方自衛隊はそのようなゲリラや市街戦を想定してないように見える。それが自衛隊の求める「スマートさ」になっているが、それが最も有用な武器を使えなくしているのかも知れない。
・いままで何やってたんだ?
 日本で考えられる最悪のシナリオを考えてみる。もし敵国が日本に攻めてきた場合、遅滞防御をしながら、米軍が来るまで待つことになるが、その場合、やはり最終的には作戦行動が不可能になり、個々であたるしか無くなる。この際に一番頼りになるのはやはり携行ロケットと軽機関銃ではないだろうか。
 結局はやはりRPG-7であり、何故歴代の防衛庁はこれを導入する計画を一切立ててなかったのか。という話になる。
・絵になる兵器はいい兵器
 何故パンツァーファウストではなくRPG-7なのか。それは「絵になるから」。正しい装備というのは絵にならなければおかしい。
 だったら、それをフィクションの世界でやってみたい。特に近年になってようやく自衛隊もフィクションとして描けるようになってきた。
 例を挙げると、それは金子修介監督の平成ガメラシリーズになる。特にあの作品は自衛隊の携行武器についてかなり描写が良かったと(珍しく)褒めている。
 日本の映画で傾向銃を撮らないのは、それが「絵にならない」から。実際現在の自衛隊の装備品を見ても、それを使ってみせようという気にさせられるものが無い。
 実は『パトレイバー2』でゲリラにパンツァーファウスト3を持たせる案もあったが、結局ボツにしたのは、やっぱりそれが絵にならないから。
 ついでに脱線。監督はレイバーが嫌いと公言しているが、レイバー一機よりもRPG-7を100挺持たせた方がよっぽどまし。とまで発言してる。オープニングシーンでレイバーがボコボコにやられるのは、そのあらわれだとか。
 絵になるとは、勝てる予感がすると言うこと。平時においても戦車が道を走っているのを見て、頼もしく思えるようにならなければ駄目。
 仮に日本の戦車はどこに置けば最も絵になるか。それは「踏み切り」だと言っている。これは「ちゃんと道路法規を守ってます」ということのシンボルなのだとか。
 だからこそ、今こそ日本人に合ったデザインの兵器が必要。
・かっこいいものには根拠がある
 フィクションの中で成立するかっこよさは、実は根拠がある。それは最も洗練された現実の武器をモデルにしているから。
 押井は日本の戦車でも74式を「悪くない」と称し、何故映画に出すのが90式ばかりなのか。と憤慨してる。何故90式が嫌いかというと、市街戦を想定するとオーバースペックで、移動トーチカとして考えると、あの程度じゃ意味がない。何より姿がモロにレオパルド2だから(でも『パトレイバー2』に出したのは90式)。
 それで日本に最も合った戦車とは何かと考えると、メルカバではないか?
 今まで撃った銃の撃ちやすさから考えると、日本人にあったのはK2
参考:74式90式戦車メルカバ

第四章 押井的次期戦闘機導入計画?

・妄想Fighter-X
 自衛隊に導入計画がある次期戦闘機F-Xについて。現用機だったF-4EJ改(アメリカのF-4E戦闘機を日本向けにリファインしたもので1966年に主力機となった)の後継機として導入するのか、それとも洋上攻撃、つまりF-2(日米共同開発による戦闘支援機)の補完にするのか、F-15J(アメリカのF-15を三菱重工がライセンス製造している)とニューオールドミックスにしたいのか、その辺が分からない。
参考:F-4EJF-15JF-2

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