<amazon> <楽天> |
2004年 アレックス・プロヤス(監) |
2035年シカゴ。巨大産業会社USRのロボット工学博士ラニング(クロムウェル)から事故の連絡を受け、シカゴ市警のデル・スプーナー刑事(スミス)が現場に向かうが、党の博士はすでに殺されていた。USRの主任ロボット心理学者スーザン=カルヴィン博士(ブリジット・モイナハン)と共に犯人探しを開始したところ、何と博士を殺したのはロボットであることが発覚した。しかしその動機も、人間を殺してはいけないと言うロボット三原則を何故無視できたのかも分からず。デルはスーザンにサニーの調査を依頼するのだが、今度はデルが突然ロボットの群れに襲われてしまう… ロボット小説の先駆者で有名な“ロボット三原則”の提唱者であるアイザック=アシモフによる有名な「私はロボット」の映画化作。元は短編集で、ロボット三原則を元にした推理小説と言った感じ。 正直この作品は予告観る限りでは失敗だと思ってた。特に推理ものの短編を膨らませるには限界があり、アクションでお茶を濁して終わりだろうし、予告編を観る限り、ロボットが妙に気持ち悪く、魅力に欠ける。その予告で『イノセンス』(2004)らしき映像があって、監督を見たら、なんとプロヤス監督。かつて『ダークシティ』(1998)で完全に『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984) まあ、その程度で終わりだろう。と言う認識で、当然劇場はスルー。テレビ放映を待って拝見。 ところが案に反し、かなり面白い物語に仕上がっていていた。 前述した通り、本作は推理部分よりもアクション部分に主体を置いた作品で、アクション部分は質的には高いものの、無表情なロボットの顔以外には今ひとつ特徴無し。 ただ一方、その分物語は実に良く作りこまれていた。何よりもキャラクタ描写が上手い。 何よりスプナーの心理描写が良い。 彼はロボットを毛嫌いしているが、その理由は複雑。彼はかつて事故を起こした際、ロボットによって助けられたのだが、その助けられたと言う事実が実は彼を苦しめている。それはロボットは生き残る可能性を見定めたら、迷わず可能性の高い方を助ける。だが娘が死んでしまったデルは、何故自分より娘を助けなかったのか。そのことを責める。彼の目には、あらゆるロボットは同じ存在にしか見えなかったのだ。 だが彼自身が本当にトラウマにしていたのは、ロボットに対する憎しみなどではない。彼が本当に後悔していたのは自分が何も出来なかった。と言う事実だったから。 だから本作はデルが現実を受け入れていく心の成長が描かれていく。彼がサニーを受け入れたと言うことは、自分自身をも受け入れたと言うことに他ならず。デルの左手はロボットだが、それについても当初はまるで左手を憎んでいるかのような描写があったのに、その左手をだんだん頼みにするようにもなってる。 一見派手に見えるが、実際はその辺がとても丁寧に描かれているので好感度高い。単なるアクションにはしないという監督の意志が見られるようだ。 設定面ではロボット三原則があまりにも簡単に破られているのがちょっとネックではあり。もうちょっとこの縛りははっきりして欲しかった。 そう言う意味で大変面白い作品だったのだが、このレビュー書いている内に『アミテージ・ザ・サード』(1996)というアニメ作品を思い出してしまった。丁寧さにおいても、描写においても本作の方が高いのだが…実は物語はそのままトレースだったような気も… |
ヴィキ | → | |||
【う゛ぃき】 | ||||
|
サニー | → | ||||||
【さにー】 | |||||||
|
デル | → | |||
【でる】 | ||||
|
USR | → | |||
【ゆー-えす-あーる】 | ||||
|
ラニング | → | |||
【らにんぐ】 | ||||
|
ロボット三原則 | → | |||
【ろぼっと-さん-げんそく】 | ||||
|