ミミック |
1997年 ギレルモ・デル・トロ(監) |
近未来のニューヨーク。ストリックラー病と呼ばれる死の伝染病が蔓延していた。昆虫学者スーザン(ソルヴィーノ)は、病原菌がある種の虫によって介在されることに着目し、その虫のみを殺す新種の虫を遺伝子操作によって生み出すことに成功した。「ユダの血統」と名付けられたこの新生物の威力はすばらしく、瞬く間にストリックラー病は根絶させられた。さらに「ユダの血統」には自殺遺伝子が組み込まれており、ストリックラー病の根絶とともに全部死んでしまったはずだった。しかし3年後、ニューヨーク地下で行方不明が続発。生き帰った人間の証言から、それは「ユダの血統」によるものと推測された… 最近のハリウッドは外国人監督の躍進が目立つが、その中で最も躍進しているのはラテンアメリカ出身の監督たちであろう。その中でも独特の映像表現を確立しているデル・トロ監督の名を一躍有名にさせたのが本作。 話そのものはまったく語ることがないほどの典型的B級SFサスペンスで、地上波の映画放映ではいかにも喜ばれそうな素材としか言いようがないのだが、映像表現は実にすばらしい。モンスターの見せ方や緊張感の演出もそうだが、それらは光の使い方がとても巧いことから来ている。地下の世界が舞台だけに、全面にわたって暗い画面がメインなのだが、その中でキャラをぶれることなく見せ、闇の中から飛びかかってくるモンスターに当てられる一瞬の光でしっかりメリハリがついてる。中でもタイトルデザインは秀逸。これは『セブン』(1995)で名を博したカイル=クーパーによるものとのこと。道理でオープニングシーンが良く似ている。 ただ、いくら演出が良いとは言っても、物語の設定があまりにもありきたりで、既知感ありまくりの物語展開。終わり方も不自然なまま。燃焼不良。それに丁度同じ時期に『レリック』もやっており、物語展開がありきたり。 ちょっと残念な感じかな? |
スーザン | → | |||
【すーざん】 | ||||
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ストリックラー病 | → | |||
【すとりっくらー-びょう】 | ||||
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ピーター | → | |||
【ぴーたー】 | ||||
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マニー | → | |||
【まにー】 | ||||
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ユダの血統 | → | |||
【ゆだ-の-けっとう】 | ||||
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2006年 ギレルモ・デル・トロ(監) |
1944年。内戦終結後のスペイン。内戦で父を亡くした少女オフェリア(バケロ)は、ビダル将軍(ロペス)と再婚した臨月の母カルメン(ヒル)と共に、ビダルがゲリラ掃討に当たっている山間部にやってきた。冷酷な義父にどうしても馴染めないオフェリアは家から逃げて近くにある遺跡を探検するのだが、そこで<牧神>パンと出会う。パンはオフェリアこそが地下の魔法王国の王女モアナであると言うのだった。その事を証するために三つの試練に挑むオフェリアだが… フランコ政権誕生時のスペインを舞台としたダーク・ファンタジー作品。こういう暗〜い感じのファンタジーはツボ。予告を観た途端、これは絶対劇場で観るべき作品と確信し、ちょっと遠出して拝見。 結果は予想通り。思い切り好みの作品で、存分にデル・トロ監督の作り出した幻想世界を堪能させて頂いた。現実にちゃんと立脚してファンタジーを作ると言う作りは実に素晴らしい。 本作は一応ファンタジーと銘打ってあり、実際妖精も出てくるし、パンとかペイルマンとかのモンスターも登場してくるが、見た目だけの作品ではない事も事実。 本作の主人公オフェリアは確かに様々な超自然的なものを見ているのだが、それは彼女だけが見える世界である。という点が大きな問題。これはひょっとしたらオフィリアの生み出した空想…あるいは妄想なのかもしれない。という含みが持たせられている。 事実人間の脳というのは上手くできたもので、あまりに辛い現実に直面した時、想像の中で逃げ込む先を作ってしまう事がある。これを映画にしたものも結構あり、近年でもギリアム監督の『ローズ・イン・タイドランド』(2005)なんて作品もあるし、原作ではあるが『ハンニバル』(2001)のレクター博士もそう言う世界を脳内に作り出していたと言う事が書かれている(まあ、こういう想像力は私自身にも多分にある訳だが)。 オフィリアにとって現実はそれほどまでに逃げたい存在だったのかも知れない。だからこそ彼女は空想の物語を作り出した。こういう見方も確かに可能。 ただ一方、この作品ではもう一つ考えさせられもする。 人が生きていて、最後に「幸せだった」と思える瞬間があり、その瞬間にもし死ぬ事が出来るなら、それはとても幸せな事なのではないだろうか。と言う事。 オフェリアがやっていた事は本当に想像の中だったのかもしれない。だけど彼女は彼女なりに非常に困難な任務を遂行し、自分の身を犠牲にして赤ん坊を守り、そして魔法王国の王女モアナとして魔法王国に帰還している。たとえこれが彼女の脳内の出来事だったとしても、彼女は辛い現実の中で本当に大切なものを手に入れ、満足して逝ったのだ。事実彼女の遂行した試練というのは本当に脳内で考えたにしては厳しすぎる。単なる想像の産物であればもっと簡単なものでも良かったはずなのだから。しかも彼女は試練に失敗したとさえ思いこみもする。その中、死の間際に自分のしてきた事が間違ってなかった。と言う事を知らされ、最高の幸せを得ている。 同じスペインで製作された『汚れなき悪戯』(1955)のマルセリーノが死んでしまったのは悲劇と取られる向きもあるが、これと同じように考える事も出来るだろう(デル・トロ監督はメキシコ人だが)。カトリック国であるスペインの特徴なんだろうか? 人にとって幸せって何だろうね?小さい頃に死んだ子供も本当に不幸なんだろうか?そんな事を改めて考えさせられる作品でもあった。 |
オフェリア | → | |||
【おふぇりあ】 | ||||
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カルメン | → | |||
【かるめん】 | ||||
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パン | → | |||
【ぱん】 | ||||
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ビダル | → | |||
【びだる】 | ||||
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ペイルマン | → | |||
【ぺいるまん】 | ||||
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マンドレイク | → | |||
【まんどれいく】 | ||||
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道を探す本 | → | |||
【みち-を-さがす-ほん】 | ||||
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【もあな】 | ||||
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2017年 ギレルモ・デル・トロ(監) |
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イライザ | → | |||
【いらいざ】 | ||||
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航空宇宙センター | → | |||
【こうくう-うちゅう-せんたー】 | ||||
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ジャイルズ | → | |||
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ゼルダ | → | |||
【ぜるだ】 | ||||
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ホイト | → | |||
【ほいと】 | ||||
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ロバート | → | |||
【ろばーと】 | ||||
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