宇宙戦争 |
2005年 スティーヴン・スピルバーグ(監) |
ニュージャージーで港湾労働者として働くレイ(クルーズ)には別れた妻との間に息子のロビー(チャットウィン)と娘レイチェル(ファニング)がおり、今日は子どもたちとの面会の日だった。しかしロビーは全くレイとはうち解けず、レイチェルは完全によその子になりきってしまっていた。そんな時に異変が起きた。突如現れた不気味な雷雲から市街に放たれた雷光。そしてその地面からは、禍々しい巨大な金属の固まりが出てきたのだ。問答無用で群がる人々をなぎ払うその機械を見て、パニックに陥る人々。レイは家長として二人の子供を守るために、二人を連れての果てしなき逃亡へと走る。 ウェルズ原作の同名小説の映画化作品。これは今から約50年前の1953年に公開されていたもののリメイクとされるが、より原作の方に近いのが特徴。 スピルバーグはデビュー当時からハリウッドの最先端を走っていたイメージがあったが、中でも最も評価されたのはSF作品で、スピルバーグの映画がハリウッドのSF映画を作り上げてきたと言っても良いほど。そのスピルバーグが珍しくも原作付き、しかもSF小説の中でも最初期にあたる本作をどう映画化してくれるのか。期待度は無茶苦茶高かった。 それで拝見。 うん。確かにこれは「宇宙戦争」だ。小学校の頃母に買ってもらった児童文学の中に入っていて、何度も何度も繰り返し読んだ「宇宙戦争」に違いない。主人公が格好悪くて、ひたすら逃げる一方というのも同じだ。そんな主人公をクルーズがやってるのも面白いところだ。 作品としては充分に及第点だし、画面の迫力は見事。大画面であのトライポッドが迫ってくるシーンなんて、どきどきした。 …まあ、問題点が多い映画だって事は認める。特に冒頭の「100万年も前から地球を監視〜云々」は絶対に無駄。特に原作のオチを知っている身としては、「だったらそれだけ監視していてウィルスの存在に気づかないほどの間抜けなのか?」と言うささやかなツッコミが心の中で入った。 しかし、私がここで書こうと思っているのはそう言うことではない(時にこんなレビューも書いてみたい)。 本作の演出の細やかさについて。それに本当に感心出来たから。 実際本作はトライポッドの迫力に押されてしまった感があるが、日常部分の細かな描写はこれまでのスピルバーグ映画の中でも抜きんでて優れた作品に仕上がった。 まず人物設定についてだが、ここにある家庭風景は大変現代的。離婚が割と当たり前になっていて、反抗期でもないのに子供は親から離れたがる。典型的とは言わないまでも、割とよく見かける親子関係。しかしもちろんそれぞれの家庭には家庭なりの人間関係が存在する。 特にこのレイの存在は大変面白い。冒頭部分では嫌と言うくらいに、立ち居振る舞いでその存在感が強調されていた。冒頭部分で分かるのは、レイというのは、中産階級か、それよりちょっと下(いわゆるプア・ホワイトとまではいかないレベル)。しかし、本人はそれを全く気にしている様子はない。自分中心に全ての物事を考えるが、機転が利き、度胸があるし、学はなくても頭の回転は良いため、彼を慕う人間は結構多い。そして子供達を愛すると言うことを頭では分かっているが、実際に子供を愛すると言うことを知らないでいる。と言ったところ。例えばそれは冒頭部分のコンテナを運ぶシーン、改造車を強引に乗り回すシーン、家に入って来たところで靴ひもが解けているのを全く頓着しないと言うところなどによく示されている。説明の言葉こそないものの、わずかな時間にこれだけ人物描写のシーンを入れるのは、大変興味深いところだ(ちょっとした嫌みにも思えるんだが)。そしてこれは深読みすれば、クルーズに対する評価とも取られる。仮に彼が昔のヒーロー性にしがみついていただけだったら、こんな感じの脇役しか仕事は回ってこなかった可能性だってあるんだぞ。という(深読みしすぎ?)。 家の描写ささくれだった金網で仕切られたほんの小さな裏庭を持つ(しかも全く手入れがされてない)レイの家に対し、別れた妻の家は全くの対照的。彼女の新居は隅々まで掃除されており、地下にはトレーニングマシーンが山ほど置いてある。娘のレイチェルは自然食品を食べ慣れてる。これって彼女の趣味ではなく、新しい夫の趣味だと思われるのだが、レイの家とは実に対照的。この描写で、レイの妻が全くレイとは違ったキャラに惹かれていた事が分かるだろう(子供の面会日にも、なるだけ関わり合いにならないように気をつけてる)。更に彼女の実家は、いかにもボストンの旧家と言った風情。おそらく彼女はレイのワイルドさに惹かれて結婚はしたものの、次第にそれが我慢出来なくなっていったのかも?などと色々考えられる。 それと後、レイの精神的成長がちゃんと描かれているのが本作の大きな特徴となっている。レイは最初、子供に対する愛が分かってない。ロビーにキャッチボールを強要するのも、それは要するに自分のマッチョさを子供に印象づけることが、愛だと思っていたから。それが様々な経験を経ることによって、自分だけの世界から、子供をちゃんと一つの人格として認めつつ、それを大人の責任として守る事を学んでいく。 …結局この作品は、画面のエフェクトではなく、レイの大人としての成長を描こうとしていたのではなかろうか?スピルバーグの目的とは、実はそんなところにこそあったのかもしれない。だからこそ本作には演技派を必要としたのだろう。クルーズは言うまでもないが、ダコダなんてほとんど叫んでるだけなのにちゃんと存在感を示していた。 結局、これからのSFに必要なのは、エフェクトではなく、人間だとしたのがスピルバーグの主張ではないか?敢えて古典を選んだ意図はそこにあったのかもしれない。 …特撮好きとして、特撮のことをほとんど語らずにレビューしてみたけど、どうかな? |
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