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スティーヴン・スピルバーグ
Steven Spielberg

Steven Spielberg
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鑑賞本数 合計点 平均点
書籍
評論
地球に落ちてきた男―スティーブン・スピルバーグ伝
はじめて書かれたスピルバーグの秘密
スピルバーグ
シネマの天才 スティーブン・スピルバーグ
スティーブン・スピルバーグ―人生の果実
スティーブン・スピルバーグ・ストーリー
スピルバーグ その世界と人生リチャード・シッケル
スピルバーグ―ハリウッド魔宮の伝説
スピルバーグ―宇宙と戦争の間
オードリーを愛した名監督たち―ウィリアム・ワイラーからスピルバーグまで(書籍)
2022 フェイブルマンズ 監督・製作・脚本
2021 ウエスト・サイド・ストーリー 監督・製作
OSLO/オスロ 製作総指揮
クリント・イーストウッド:シネマティック・レガシー 出演
2020
ジュラシック・ワールド サバイバル・キャンプア(1st~)
<A> <楽> 製作総指揮
アメージング・ストーリー
<A> <楽> 製作総指揮
2019 キャッツ 製作総指揮
メン・イン・ブラック:インターナショナル 製作総指揮
ようこそ映画音響の世界へ 出演
2018 レディ・プレイヤー1 監督・製作
ファースト・マン 製作総指揮
バンブルビー 製作総指揮
ファースト・マン 製作総指揮
ジュラシック・ワールド 炎の王国 製作総指揮
2017 ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 監督・製作
トランスフォーマー 最後の騎士王 製作総指揮
スピルバーグ! 出演

伝説の映画監督 -ハリウッドと第二次世界大戦-

<A> <楽> 出演
2016 BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント 監督・製作
オール・ザ・ウェイ JFKを継いだ男 製作総指揮
スピルバーグ! 出演
MIFUNE: THE LAST SAMURAI 出演
すばらしき映画音楽たち 出演
BULL/ブル 心を操る天才(1st~)
<A> <楽> 製作総指揮
2015 ブリッジ・オブ・スパイ 監督・製作
ジュラシック・ワールド 製作総指揮
バック・イン・タイム 出演
見えない訪問者 〜ザ・ウィスパーズ〜
<A> <楽> 製作総指揮
マイノリティ・リポート
<A> <楽> 製作総指揮
2014 マダム・マロリーと魔法のスパイス 製作
トランスフォーマー ロストエイジ 製作総指揮
エクスタント(1st~2nd)
<A> <楽> 製作総指揮
2013
アンダー・ザ・ドーム(1st~3rd)
<A> <楽> 製作総指揮
2012 リンカーン 監督・製作
メン・イン・ブラック3 製作総指揮
ザ・リバー ~ 呪いの川
<A> <楽> 製作総指揮
SMASH(1st~2nd)
<A> <楽> 製作総指揮
2011 戦火の馬 監督・製作
タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密 監督・製作
リアル・スティール 製作総指揮
フォーリング スカイズ(1st~5th)
<A> <楽> 製作総指揮
Terra Nova 〜未来創世記
<A> <楽> 製作総指揮
2010 トゥルー・グリット 製作総指揮
ヒア アフター 製作総指揮
ザ・パシフィック
<A> <楽> 製作総指揮
2009 トランスフォーマー リベンジ 製作総指揮
ラブリーボーン 製作総指揮
ユナイテッド・ステイツ・オブ・タラ(1st~3rd)
<A> <楽> 製作総指揮
2008 インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国 監督
イーグル・アイ 製作総指揮・原案
2007 トランスフォーマー 製作総指揮
2006 モンスターハウス 製作総指揮
硫黄島からの手紙 製作
父親たちの星条旗 製作
2005 ミュンヘン 監督・製作
宇宙戦争 監督
INTO THE WEST イントゥー・ザ・ウエスト 製作総指揮
レジェンド・オブ・ゾロ 製作総指揮
SAYURI 製作総指揮
ハリウッド恐竜スター図鑑 出演
2004 ターミナル 監督・製作
2003 ハリソン・フォードの'フォース' 出演
これがアクション映画だ! 出演
2002 キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン 監督
マイノリティ・リポート 監督
メン・イン・ブラック2 製作総指揮
CAPA in Love&War 出演
オースティン・パワーズ ゴールドメンバー 出演
TAKEN
<A> <楽> 製作総指揮
2001 A.I. 監督・製作・脚本
シュレック 製作総指揮
ジュラシック・パーク III 製作総指揮・原案
センパー・ファイ!海兵隊の誇りを胸に 製作総指揮
バンド・オブ・ブラザース
<A> <楽> 製作総指揮
wiki
2000 シューティング・ウォー トム・ハンクスが語る第2次世界大戦 製作総指揮
チキンラン 製作総指揮
ミート・ザ・ペアレンツ 製作総指揮
キャスト・アウェイ 製作総指揮
バガー・ヴァンスの伝説 製作総指揮
フリントストーン2/ビバ・ロック・ベガス 製作総指揮
1999 ホーンティング 製作総指揮
Wakko's Wish 製作総指揮
1998 プライベート・ライアン 監督・製作
ディープ・インパクト 製作総指揮
マスク・オブ・ゾロ 製作総指揮
インヴェイジョンUSA
<A> <楽> 製作総指揮
スティーブン・スピルバーグのトゥーンシルバニア(1st,2nd)
<A> <楽> 製作
1997 アミスタッド 監督・製作
ロスト・ワールド ジュラシック・パーク 監督
メン・イン・ブラック 製作総指揮
The Lost Children of Berlin 製作総指揮
1996 ツイスター 製作総指揮
ハイ・インシデント/警察ファイルJ
<A> <楽> 製作総指揮
Survivors of the Holocaust 製作総指揮
The Best of Roger Rabbit 製作総指揮
ユニヴァーサル・ストーリー 出演
1995 バルト 製作総指揮
キャスパー 製作総指揮
A Pinky & the Brain Christmas Special 製作総指揮
Tiny Toon Adventures: Night Ghoulery 製作総指揮
Animaniacs(3rd)
<A> <楽> 製作
Freakazoid! 製作
Pinky and the Brain(1st)
<A> <楽> 製作
1994 恐竜大行進 製作総指揮
フリントストーン 製作(Steven Spielrock名義)
I'm Mad 製作
Yakko's World: An Animaniacs Singalong 製作
Tiny Toons Spring Break 製作
ER 緊急救命室(1st)
<A> <楽> 製作
1993 シンドラーのリスト 監督・製作
ジュラシック・パーク 監督
シークエスト 製作総指揮
南北戦争前夜 製作総指揮
Family Dog
<A> <楽> 製作
SeaQuest DSV(1st~3rd)
<A> <楽> 製作総指揮
1992 Tiny Toon Adventures: How I Spent My Vacation 製作総指揮
Tiny Toon Adventures(3rd)
<A> <楽> 製作総指揮
The Plucky Duck Show
<A> <楽> 製作総指揮
1991 フック 監督
アメリカ物語2 ファイベル西へ行く 製作
ケープ・フィアー 製作総指揮(ノンクレジット)
A Brief History of Time 製作総指揮(ノンクレジット)
1990  製作総指揮
バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3 製作総指揮
ジョー、満月の島へ行く 製作総指揮
グレムリン2 新・種・誕・生 製作総指揮
アラクノフォビア 製作総指揮
Roller Coaster Rabbit 製作総指揮
Warner Bros. Celebration of Tradition, June 2, 1990 製作総指揮
1989 オールウェイズ 監督・製作
インディ・ジョーンズ 最後の聖戦 監督
晩秋 製作総指揮
バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2 製作総指揮
1988 ロジャー・ラビット 製作総指揮
リトルフットの大冒険/謎の恐竜大陸 製作総指揮
Tummy Trouble 製作
1987 太陽の帝国 監督・製作
太陽の帝国 序章〜チャイナ・オデッセイ〜 出演
ニューヨーク東8番街の奇跡 製作総指揮
インナースペース 製作総指揮
ハリーとヘンダスン一家 製作総指揮
タイム・リミットは午後3時 製作総指揮
1986 世にも不思議なアメージング・ストーリー 共同監督・製作総指揮
マネー・ピット 製作総指揮
アメリカ物語 製作総指揮
1985 カラー・パープル 監督・製作
ヤング・シャーロック ピラミッドの謎 製作総指揮
バック・トゥ・ザ・フューチャー 製作総指揮
グーニーズ 製作総指揮・原案
ファンダンゴ 製作総指揮
世にも不思議なアメージング・ストーリー(1st,2nd)
<A> <楽> 監督・製作総指揮・脚本
1984 インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 監督
グレムリン 製作総指揮
1983 トワイライトゾーン 超次元の体験 「第3話」監督・製作
1982 E.T. 監督・製作
666号室 出演
ポルターガイスト 製作・原案・脚本
1981 レイダース 失われた聖櫃 監督
Oh!ベルーシ絶体絶命 製作総指揮
1980 ユーズド・カー 製作総指揮
ブルース・ブラザース 出演
1979 1941 監督
1978 抱きしめたい 製作総指揮
1977 未知との遭遇 監督
1975 ジョーズ 監督
1974 続・激突 カージャック 監督
1973 死を呼ぶスキャンダル 監督
大空のエース/父の戦い子の戦い 原案
1971 激突 監督
刑事コロンボ 構想の死角 監督
ヘキサゴン 監督
1970
ドクター・ホイットマン
<A> <楽> 監督
1969
四次元への招待(1st)
<A> <楽> 監督
1947 12'18 オハイオで誕生

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フェイブルマンズ
2022米アカデミー作品賞、主演女優賞(ウィリアムズ)、助演男優賞(ハーシュ)、監督賞、脚本賞、作曲賞、美術賞
2022
英アカデミー脚本賞
2022ゴールデン・グローブ作品賞、
監督賞、女優賞(ウィリアムズ)、脚本賞、音楽賞
2022放送映画批評家協会若手俳優賞(ラベル)、
作品賞、主演女優賞(ウィリアムズ)、助演男優賞(ダノ、ハーシュ)、アンサンブル演技賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、美術賞、音楽賞
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クリスティ・マコスコ・クリーガー
スティーヴン・スピルバーグ
トニー・クシュナー
ジョシュ・マクラグレン
カルラ・ライジ(製)
スティーヴン・スピルバーグ
トニー・クシュナー(脚)
ミシェル・ウィリアムズ
ポール・ダノ
セス・ローゲン
ガブリエル・ラベル
ジーニー・バーリン
ジュリア・バターズ
ロビン・バートレット
キーリー・カーステン
ジャド・ハーシュ
デヴィッド・リンチ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 優秀な機械技師の父親ミッツィ・フェイブルマン(ダノ)の仕事の都合で引っ越しが多かったフェイブルマン一家。その息子であるサミー(バーリン)は、アリゾナで中学と高校時代を過ごし、そこで映画作りの面白さに目覚めた。仲間達と共に8ミリフィルムを回し、その才能を伸ばしていくのだが、高校も終わりに近づいた時、父の仕事で今度はカリフォルニアに引っ越すことになった。アリゾナでの楽しい生活から切り離された母ミッツィ(ウィリアムズ)はすっかり塞ぎ込み、サミーもユダヤ人としてイジメに遭い、学校に行く気も失せてしまう。

 映画が誕生して130年ほどになるが、その内50年近く、映画の歴史にして1/3以上を映画のトップランナーとして走り続けてきたスピルバーグ監督。大ヒット作品を作っても、決してそこで留まることなく、常に新しいジャンルの作品を作り続け、時代を従えてきた。
 これまで様々なジャンルの作品を作ってきたスピルバーグだが、いくつかまだやってこなかったジャンルがあった。その一つが自分自身の半生を描くという、自伝的な作品だった。
 自分自身について描く映画。これはいくつかの種類があって、本当に自分自身を振り返ったものもあるが、多くは誰か他の人物に自分自身を託する形で作る。そして一流監督となったら、一本くらいはこれを作る事で上がりというイメージもある。
 それをようやくそれを作る気になったという事だろう。スピルバーグは本作でこれまでの監督人生の一区切りを付けようとしたのだと思われる。

 では何を区切り付けたのか。
 予告を観た時点では、当初それは監督としての自分自身について描こうとしていたのだと思っていた。実際予告はそういう作り方をしていたし、実際その側面もあるだろう。
 しかし本作における映画作りのパートはそんなに多くない。映画作りよりもむしろ多感な高校時代の自分自身の心について語っている部分が多い。
 そしてその心の傷の多くは、家族によって作られたことも分かる。

 スピルバーグの分身であるサミー・フェイブルマンは高校時代に映画作りの楽しさを覚え、それを何よりも優先していたが、その映画作りの苦労の中で、家族との関わりが外せない。それは映画作りにはとてもお金がかかるという事実もあり、家の用事で映画作りが出来なくなることもありと言ったマイナスの部分もあるが、両親とも映画作りについては鷹揚に構えてくれて、好きな映像造りも出来た感謝もある。
 しかしその中で、カメラが捉えてしまった一瞬に、母の不貞を見つけてしまったショック。これはサミーにとって大きな心の傷を残してしまった。母はそれを隠していたが、カメラが告げる真実は残酷だった。
 その意味で映画作りと家族との関わりは大変複雑なものになってしまった。
 ウィキペディアで調べる限り、スピルバーグの両親は幼少時代に離婚していたのだが、それを敢えて高校時代に持って行ったのは、ちゃんと理由があるはずである。
 それは、幼少時の訳の分からない時に離婚されたことで、父と別れた母に対してずっとわだかまりを持ち続けていたからなのだろう。本作でサミーが母の本当の気持ちを聞かされて、それを理解出来たということが重要なのだ。

 むしろ本作の最も重要な部分は、そこにある。スピルバーグ自身は長い間両親の離婚について許せなかったが、二人には別れるべき理由があったし、心情を理解できたことで、やっと両親を許すことが出来たということになる。
 本作を通してスピルバーグが本当に作りたかったのは、自分自身の両親に対して抱くわだかまりが乗り越えられたという宣言に他ならない。だから映画作りの原点を描くのではなく、ありのままの家族を受け入れることができたことを語るのが本作の狙いだろう。

 とても個人的なものという印象はあるものの、これはアカデミー好みではないかと思う。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)にオスカーさらわれてしまったのが残念というか。こっちの方がオスカーに相応しい気もする。ひょっとして昨年オスカー捕った『コーダ あいのうた』(2021)と同じ部分があったから?

 又本作はラストにちょっとしたお遊びがあった。ハリウッドで働き始めたフェイブルマンがジョン・フォードと出会うシーンがあったが(実際スピルバーグはこの時代に出会ってるそうだ)、そのフォードを演じているのが何故かデヴィッド・リンチだった。事前に分かってなかったので、マジで映画館の中で吹き出した。たいして似てるわけでもないし、一目見りゃリンチだと分かるのに、なんでこの人?
 まあ笑えたから良し。
製作年 2022
製作会社
ジャンル
売り上げ
原作
書籍名 <A> <楽>
著者名 (検索) <A> <楽>
歴史地域
関連
キーワード
ウエスト・サイド・ストーリー
West Side Story
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スティーヴン・スピルバーグ
クリスティ・マコスコ・クリーガー
ケヴィン・マックコラム
リタ・モレノ
ダニエル・ルピ
アダム・ソムナー
トニー・クシュナー(製)
トニー・クシュナー(脚)
アンセル・エルゴート
レイチェル・ゼグラー
アリアナ・デボーズ
マイク・フェイスト
デヴィッド・アルヴァレス
リタ・モレノ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 再開発が進むニューヨークマンハッタンのウェストサイド。既に街が壊されつつある中、二つの少年達の不良グループが抗争を行っていた。先にアメリカに来ていたポーランド系アメリカ人を中心にしたジェット団と、近年の移民であるプエルトリコ系アメリカ人を中心にしたシャーク団は、日々怪我人を出しつつ抗争がエスカレートの一途を辿っていた。そんな中、ダンスホールでシャーク団リーダーのベルナルドの妹マリア(ゼグラー)と、ジェット団リーダーのリフの親友トニーが出会った。出会った瞬間に恋に落ちた二人は、自分たちの幸せのためにこの抗争を止めさせようと考えるのだが…

 ウィリアム・シェイクスピアの名作「ロミオとジュリエット」を現代アメリカに置き換えて上演されたミュージカル。そしてそれを映画化した『ウエスト・サイド物語』(1961)が公開され、50年以上が過ぎてしまった。
 そこで突然スピルバーグがこれを映画化するという。
 そこで思ったのは、はっきり言えば「なんで?」だった。スピルバーグと『ウエスト・サイド物語』の間にはほとんど関連が感じられない。スピルバーグがこのリメイクを作る意味がどこにあるのかと、考えてみるに、一番説得力ある考えは「作りたかったから」だろうな。
 それで「作りたかった」という欲求はおそらく、できる限りオリジナルをコピーした上で個性を出したいというものだっただろう。
 ナタリー・ウッドありきで作られたオリジナルでは出来なかったプエルトリコ系ののヒロインを、そして様々な民族の血統を持つアンセル・エルゴートを用いてキャラに説得力を持たせた。そして背景をきちんと描写することでこの抗争が起こっているのかの説得力を増させた。ほぼ台詞で説明も入れてる。
 その上でオリジナルをきちんとトレースすることで作り上げたのが本作となる。
 お陰でオリジナル版よりもずっとわかりやすい作品となった。

 ただ、良い作品には違いないのだが、だから何?と言えてしまうのが本作の問題点だろうな。元々が名作なのだから、それをリメイクする必然性というのを感じないままだった。
 更にオリジナル版は「今」を描こうとする姿勢があったのが、本作では50年代の物語そのものなので、見えるのはノスタルジーのみ。
 それなりに評価は出来るけど、これだったらオリジナル版観てれば済むだけの話。
 単にこれはスピルバーグがやりたかった企画だけだった気がしてならない。
製作年 2021
製作会社
ジャンル
売り上げ
原作
ロミオとジュリエット <A> <楽>
ウィリアム・シェイクスピア (検索) <A> <楽>
アーサー・ローレンツ (検索) <A> <楽>
歴史地域
関連
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
レディ・プレイヤー1 2018
2018米アカデミー視覚効果賞
<A> <楽>
ドナルド・デ・ライン
スティーヴン・スピルバーグ
クリスティ・マコスコ・クリーガー
ダン・ファラー
アダム・ソムナー
ダニエル・ルピ
クリス・デファリア
ブルース・バーマン(製)
ザック・ペン
アーネスト・クライン(脚)
タイ・シェリダン
オリヴィア・クック
ベン・メンデルソーン
T・J・ミラー
サイモン・ペッグ
ハナ・ジョン=カーメン
森崎ウィン
マーク・ライランス
リナ・ウェイス
フィリップ・チャオ
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
特撮事典
ゲームウォーズ <A> <楽>
アーネスト・クライン (検索) <A> <楽>
 2045年。世界中で貧富の差がますます拡大しており、多くの住民はスラムでの生活を余儀なくされていた。そんな彼らは現実から目を逸らせるため、「オアシス」という仮想現実の世界にのめり込んでいた。現在オアシス内ではオアシス創始者で今は故人のジェームズ・ハリデーが出したクエストで盛り上がっていた。それは3つのゲーム内に置かれた三つのイースターエッグを発見した者にハリデーの遺産が相続され、更にゲームマスターになれるという特典があった。世界中の誰もがそのイースターエッグを探していた。最初に第一の関門を突破したウェイド・ワッツ(シェリダン)は、一躍有名人となるのだが、それは彼の実生活を脅かすことともなってしまった…
 『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』と本作という相次いで2本の映画を投入し、そのどちらもヒットを取るという離れ業を行ったスピルバーグ。こんな事が出来るのは早撮りのこの人しかいないだろうけど、どっちもこれだけ質が高いというのが驚きである。
 元々企画は本作の方が先で、しかもスピルバーグ自身は乗り気ではなかったそうだが、本人のインタビューによれば、
「私の創造物が多量に画面に出すなら、それをきちんとコントロールしたい」とのことで、自らが監督に乗り出したのだとか。しかも本作の場合、多量の版権ものが登場するため、作品の制作よりも版権が下りるのを待つ時間の方が長かったらしく、なんとその空き時間を使って『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を作ってしまったというのだから驚きである。

 少なくとも本作に関して言うなら、
「よく企画が通った」と言うレベル。こんな夢のような作品が作れるようになるとは思ってもおらず、作品を観ている間、モブキャラ含めて知ってるキャラが出てないかと探すという楽しみが出来た。ソフトが発売されたら買って一々チェックしたいところである。

 とりあえずネットを巡って知った、本作に使われた映画を列挙してみよう(この中で初見の私が確認できたのは半分ちょっとくらいである)。

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)デロリアン
 『ジュラシック・パーク』(1993)ティラノサウルス
 『トランスフォーマー』(2007)オプティマスおよびバンブルビー
 『グーニーズ』(1985)ロトニー
 『アイアン・ジャイアント』(1999)アイアン・ジャイアント
 『シャイニング』(1980)双子とジャック
 『マッドマックス』(1979)インターセプター
 『スピード・レーサー』(2008)(「マッハGoGoGo」)マッハ号
 『キング・コング』(1933)キング・コング
 『ビートルジュース』(1988)ベテルギウス
 『ルーニー・テューンズ』マービン
 『バットマン』(1966)バットマン、キャットウーマン、デスストローク、バットモービル。
 『スーパーマン』(1978)ケントのメガネ。
 『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)ガンダルフ
 『スポーン』(1997)スポーン
 『エルム街の悪夢』(1984)フレディ
 『13日の金曜日』(1980)ジェイソン
 『AKIRA』(1988)金田のバイク
 『市民ケーン』(1941)薔薇のつぼみ
 『クリスティーン』(1983)プリマス・フューリー
 『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975)聖なる手榴弾
 『トランザム7000』(1977)ポンティアック・ファイヤーバード
 『エイリアン』(1979)『エイリアン2』(1986)チェストバスターとパルスライフル
 『砂の惑星』(1984)宇宙船
 『サイレント・ランニング』(1972)ヴァリー・フォージ号
 『スター・ウォーズ』(1977)R2−D2、ミレニアム・ファルコン号
 『スペースボール』(1987)イーグル5号
 『アルゴ探検隊の大冒険』(1963)骸骨戦士
 『チャイルド・プレイ』(1988)チャッキー
 『ロボコップ』(1987)ロボコップ
 『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー』(1984)バカルー・バンザイ
 『シンバッド七回目の航海』(1958)サイクロプス
 『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972)ガイガン
 『ゴジラ×メカゴジラ』(2002)三式機龍

 テレビから「ナイトライダー」キット、「特攻野郎Aチーム」GMCバン
 ゲームからソニック、ロックマン、「ストリートファイター」、ララ・クロフト、「オーバーウォッチ」「HALO」「Gears of War」「DOOM」「007 ゴールデンアイ」「マインクラフト」「スペースインベーダー」「モータルコンバット」「バイオショック」
 アニメから「機動戦士ガンダム」「カウボーイ・ビバップ」「デジモンアドベンチャー」「TMNT」
 他にも細かいところでいくつか
(私が観たところ『人類SOS!』(1962)のトリフィドらしきもの、『宇宙戦争』(2005)のトライポッド、『ウォー・ゲーム』(1983)の世界地図らしきものも確認したのだが、見間違いかも知れない)。ちなみに「ウルトラマン」も入る予定だったらしいが、丁度まさにタイと円谷の版権争いでややこしい事態にあったため、版権を降ろすことが出来なかったらしい。

 しかし、自慢じゃないが引用された映画はほとんどメジャー作品とはいえ、ほぼ全作カバー出来ている自分を褒めてやりたい。

 これだけの版権を取らねばならなかったというのだから、法的に考えても胃が痛くなるような状況で、しかも時間もまちまちになるため、相当時間がかかったことだろう。よくもまあこんなのを作る気になったものだと改めて感心する。

 さて、それで本作評となるが、同時進行していた『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』と比べると、残念ながら、幾分…大分出来は落ちてしまう。
 そりゃ大挙して知ってるキャラクターが出てくるので気持ち的には上がるし、隠しキャラ的な存在を目をこらして探すのも楽しい。特にやはりラスト近くの「俺はガンダムで行く」とアイアンジャイアントがサムズアップしながら溶岩に溶けていくシーンなんかは極端に心拍数が上がった感じはする。
 でもそれらを全てはぎ取ってみると、作品自体がとても薄っぺらいのだ。
 ここで使われているゲームシステムはとても自由度の高いものという設定ではあるものの、なんか古くさい。日本のアニメ
「ソード・アート・オンライン」「アクセル・ワールド」の方が洗練されてるし、なんで「自由自由」言ってる割には重力に縛られすぎてるんだ?
 
そもそもゲームシステムが語られてないので、何が出来て何が出来ないのか分からないと言う問題がある。特に死の概念があやふやすぎて、ゲーム内の命が失われる可能性がどれだけ重要なのか分からない(ゲームシステム的にあってはいけない一発BANのアイテムがあったかと思ったら、それを回避するアイテムが出てくるとか、正直「ふざけんな」というレベル)。

 最初のイースターエッグはこれまで4年間も見つかってなかったと言うが、あの程度の謎解きだったら数週間も必要ないぞ。そもそもまともにレースしてゴール不可能なレースという前提があって、「逆走が出来る」という可能性が示されたら、実装された当日にクリアされるのが当たり前だろう。真っ先にその可能性チャレンジする人がいないはずがない。

 現実とゲームを行き来するのは良いんだけど、オンラインとオフラインの話が切り離されているため、現実世界の側が普通のアクション作品にしか見えない。
 更に最後に「現実世界が大切だよ」というオチに持って行くのだが、これまでの過程で、何故現実が大切なのかほとんど説明されてないため、話が唐突すぎて戸惑う。
 周囲の人間が次々に殺されたりしてる主人公が最後に綺麗な彼女が出来て大金持ちにもなって、ハッピーな生活を送りながら、自分の価値観をゲームに強制させてるのを見てると、
こいつ人として最低だなと思えてくる

 …てなことで、
「どうにもはまりきれなかった」というのが正直な感想となる。

 ただこれは致し方ないところもあると思われる。
 本作は原作付きで、それを忠実になぞったらしいが、映像化するにあたり、情報量をかなり減らす必要があった。おそらく細かくゲームの仕様が書かれているはずの文章を全部説明できなかったのだろう。単純化されたために面白さは相当減じた。
 レディメイドのアクション風になったのも、万人受けするためだから仕方ないところ。そのために個性が死んでも、それはヒットさせる条件だろう。

 …と言う事を考えてみると、これだけ自由度の高い世界観の作品を作っていながら、監督自身は
相当ギチギチのタイトな作品作りを強いられたのではないかと思える
 自由度がない作品を無理矢理作らされていたために、その反動で作られた『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』が監督の思った通りにのびのび作られていたため、面白くなったのかもしれないな。
ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書
2017米アカデミー作品賞、主演女優賞(ストリープ)
2017ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ハンクス)、女優賞(ストリープ)、監督賞、脚本賞、音楽賞
2017放送映画批評家協会作品賞、主演男優賞(ハンクス)、主演女優賞(ストリープ)、アンサンブル演技賞、監督賞、脚本賞、編集賞、音楽賞
<A> <楽>
エイミー・パスカル
スティーヴン・スピルバーグ
クリスティ・マコスコ・クリーガー
ティム・ホワイト
トレヴァー・ホワイト
アダム・ソムナー
トム・カーノウスキー
ジョシュ・シンガー(製)
リズ・ハンナ
ジョシュ・シンガー(脚)
メリル・ストリープ
トム・ハンクス
サラ・ポールソン
ボブ・オデンカーク
トレイシー・レッツ
ブラッドリー・ウィットフォード
アリソン・ブリー
ブルース・グリーンウッド
マシュー・リス
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1971年。アメリカではヴェトナム戦争の敗戦色が濃くなり、徐々に撤退が開始されていた。そんな中、ニューヨーク・タイムズに、アメリカによるインドシナ介入の報告文書であるペンタゴン・ペーパーの一部が公開された。後塵を拝する形になったワシントン・ポストにもその在処についての情報が匿名で送られてきた。編集主幹のベン・ブラッドリー(ハンクス)はこの文書を公開したいと主張するが、社主のキャサリン・グラハム(ストリープ)は、政府要人との交流も深く、これによる影響を危惧する。
 2018年になって、本作と『レディ・プレイヤー1』と、立て続けにスピルバーグ監督作品が公開された。流石早撮りのスピルバーグだが、この質の作品を立て続けとは、とんでもない監督だと改めて実感した。
 実質完成に関しては本作の方が早く、公開も早かったが、実は企画そのものと製作開始は『レディ・プレイヤー1』の方が早く、撮影も開始されていたのだが、なんせ膨大な版権を抱え込んでしまったため、その許可を取るまでいくつものラインで撮影が出来なくなってしまい、撮影できない時間が結構な額出来てしまったため、その間に本作の撮影を進めていたという凄い話だった。

 どちらも大ヒットを取ったこの2作だが、概ねの意見だと『レディ・プレイヤー1』ばかりが話題になってる。たしかにいろんな作品のキャラが出てきて、観てるだけで楽しくなるのは確かだ。
 だが、あくまで私見だが、この二作を比べてみると、
本作の方が絶対面白い
 理由は三点。

 
一点目は本作が今の時代に作られる意味のあること
 本作が公開された時点でアメリカはポピュリストを大統領に抱いている。いわゆるサイレントマジョリティの代弁者であるポピュリストは大多数の人が隠している差別心や鬱屈した心情を代弁することによって絶大な支持を得る。アメリカにも何度かこういうポピュリズムの時代があったのだが、その最も過激な時代が現代だと言える。
 こんな時代、サイレントマジョリティは沈黙しなくなる。具体的には移民や社会的マイノリティに対する敵愾心を表面に出していくようになる(面白い話だが、鬱憤晴らしが出来る社会にあっては、社会的な不利益が国民全体に降りかかっても構わないと考える人がとても多い)。しかしこれまでのアメリカの歴史というのは全く逆の方向に進んできた。どんな人をも受け入れ、仲間にしていくことが出来るのがアメリカという国の強さだったはずなのだ。
 ポピュリズムはその強さを否定し、幅を失わせてしまう。
 報道においてもその通りで、権力者は正当な報道を嫌う。国際社会にあって、絶対的に素晴らしい政治というのは存在しない。それがどんな政治であっても必ず批判に晒される。マスコミというのはそう言う政治を監視することも存在意義なのだ。
 だがその報道によって政治が円滑に進まないことも多くなるので、権力者はメディアに対して様々な予防線を張る。時にそれは懐柔であったり、時に脅しであったり。
 本作にあってはキャサリンはポスト紙社主の妻として、歴代大統領家族との私的な交流があったことを何度も語っているし、政府筋は結婚報道からポスト紙を閉め出すという行いもしてる。
 時代が代わっても体質は変わってない。いや、今や権力者が名指しで「偏向報道」を非難する時代である。もっと酷くなってる。
 だからこそ本作が作られる意味があった。いろんなしがらみを捨て、真実を報道する姿勢を描いた本作は、まさに2017年というこの年だから作られる価値があった作品なのだ。

 
二点目。それはほぼ一点目と同じだが、スピルバーグ自身の思いが色濃く出ているということ
 映画制作についても報道と同じ危機に見舞われている。特にハリウッドにおける映画制作はかなりリベラリズムに彩られていた。マイノリティの社会的不利益をあらわにすることでドラマにしていたし、弱者の立場から社会にもの申すというのが映画作りの根底にあった。
 そしてその空気があったからこそ、スピルバーグはここまでの大監督になったという事実がある。
 今やスピルバーグをエンターテインメントだけで語る人はいないだろうが、エンターテインメントで実績を積んでから社会派的作品を次々に作っていったし、それでオスカーも多数得ている。
 スピルバーグにとって、それは賞が欲しいからやってるのではない。本当に作りたいテーマが社会派寄りだからである。
 スピルバーグはユダヤ系の家庭に生まれてきたし、そこで受けた差別を創作意欲に転換させたと言われている。そのためにどちらもユダヤ人を描いた『シンドラーのリスト』『ミュンヘン』と言った傑作が作られている。『アミスタッド』『ターミナル』などはアメリカ社会における自分のアイデンティティを作品に転換したものとして考えられるだろう。
 だからこのテーマは監督が一番作りたかったものだと考えられる。だから演出が生き生きしていて、冴えまくってる。
 本作を観てると、「俺は今本当に作りたいものを作ってるんだ!」と言って、スピルバーグが本当に楽しそうに作っているのが透けて見える。
 超一流の監督がのびのびと楽しそうに作ってるんだ。観ていてこれほど楽しい作品も無い。

 
三点目。本作は歴史をトレースした作品だが、この作品は、実際の歴史よりもこれまでの映画に描かれた歴史というものを大切にしてるから。
 本作はヴェトナム戦争に対するアンチテーゼがはっきり出ているが、これはこれまでたくさん作られてきたヴェトナム戦争を総括した諸作品を背後に持っていることを隠してない。一切戦争そのものを描かずとも、これを観てる人たちはこれまで映画でビジュアル的にヴェトナム戦争を経験してることを前提にしてるから、一切の描写は不必要となる。いわばこれは戦争場面を一切描かない戦争映画としても観られるのだ。あたかも『ジョニーは戦場へ行った』(1971)のように。
 勿論他にも多数の映画がモザイクのように挿入されている。はっきり分かるのは、あのラストシーンはそのまま『大統領の陰謀』(1976)のファースト・シーンにつながるが、会話の中で『JFK』(1991)につながったり、ケネディの宇宙開発に関する発言も『グレーテスト・アドベンチャー』(1979)ら、いくつかの映画を背景にすると分かってくる。中でもペンタゴン・ペーパーズに関わった最重要人物としてマクナマラの名前が多く出るが、それは『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』(2003)に詳しい。
 これまでどれだけ映画を観てきたかによって、本作の楽しみ方はぐっと増していく。私なんぞは本作を観ながら頭の片隅でいろんな映画の場面がちらついており、一気に数本の映画を観た気がしてきた。お陰でとても楽しかった。

 そんなこともあって、本作は
とてつもなく楽しい作品だった。言うまでもないが、それらはメリル・ストリープやトム・ハンクスらのしっかりした演技あってこそ。

 ここでも必要な時に必要な人員を集められるスピルバーグの凄さを感じさせてくれる。
ブリッジ・オブ・スパイ 2015
2015米アカデミー助演男優賞(ライランス)、作品賞、オリジナル脚本賞、音楽賞、音響賞、美術賞
2015英アカデミー助演男優賞(ライセンス)、作品賞、監督賞、脚本賞、作曲賞、撮影賞、プロダクションデザイン賞、編集賞、音響賞
2015
LA批評家協会助演男優賞(ライランス)
2015NY批評家協会助演男優賞(ライランス)
2015
ゴールデン・グローブ助演男優賞(ライランス)
<A> <楽>
スティーヴン・スピルバーグ
マーク・プラット
クリスティ・マコスコ・クリーガー
アダム・ソムナー
ダニエル・ルピ
ジェフ・スコール
ジョナサン・キング(製)
マット・シャルマン
イーサン・コーエン
ジョエル・コーエン
(脚)
トム・ハンクス
マーク・ライランス
エイミー・ライアン
アラン・アルダ
スコット・シェパード
セバスチャン・コッホ
オースティン・ストウェル
ウィル・ロジャース
ミハイル・ゴアヴォイ
ドメニク・ランバルドッツィ
ノア・シュナップ
イヴ・ヒューソン
ジリアン・レブリング
ピーター・マクロビー
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1957年冷戦下のアメリカ。ソ連のスパイであるルドルフ・アベル(ライランス)がFBIにより逮捕された。その弁護人として指名されたジェームズ・ドノヴァン(ハンクス)は、死刑確実と言われたこの裁判を、なんとか懲役刑にまで減刑させることに成功した。それから3年後の1960年。ソ連上空を諜報活動中だったパイロットが撃墜され、その身柄はソ連に拘束されてしまう。アメリカ政府は服役中のアベルを捕虜交換として交渉しようと考え、ジェームズにその交渉役を依頼する…
 冷戦下の1962年に実際に行われたグリーニッケ橋での捕虜交換を描いた作品で、スピルバーグとしては3年ぶりとなる監督作品。スピルバーグらしく作品としての演出はなかなか良く、緊迫感ありながら、どこか不思議な落ち着いた雰囲気を持った作品に仕上げることには成功していると思う。歴史上さほど大きな事ではなかったかもしれないが、冷戦下ではほんの些細なほころびが世界大戦になってしまうという緊張感が良く出ていた。

 ただ、本作は近年のスピルバーグの悪い部分がやたらと出た感じもある。いや、「悪い」と言うのはおかしいのだが、特にここ近年スピルバーグ映画にはいくつか特徴的と言えるものがある。

 
一つには、完全に一人の人物の視点で物語が展開していくと言う事。

 主人公となるに徹底的に密着し、その緊張感を観客に提供しているのが大きな特徴となっている。これが巧くいけば非常に緊張感のある物語を作ることが出来る。観客は主人公とどうかするため、限られた情報のみしか与えられず、もどかしい思いにさせられる。その分ライブ感覚で緊張感を得る事が出来る。
 ただ、私が見る限りでは、それが成功したのは2005年の『ミュンヘン』まで。
 以降のスピルバーグ映画でこれはあまり有効に活用されてない。俯瞰視点を減らすことによって情報がカットされ、物語が把握できないだけになってしまってる。観ている側が事前にある程度の物語若しくは史実が分かっていることを前提に作られているのかとも思うのだが、観る側に素養を求めるのは作り手側としては怠慢なのでは?と思えてしまう。
 本作の場合は、この出来事を知っている人が少ないと言う事もあってか、ちゃんと物語を追えるようには一応出来ているのだが、そのため主人公に説明義務を全部持たせてしまった。主人公だけは身の回りで起こっていることについてきちんと把握しており、そこから物語を薦めるために行動させているので、やっていることが一つ一つ納得いくのだが、その分主人公に“神の視点”を担わせることになり、ほぼスーパーマンのような人物になってしまった。そもそも人質交換なんて、ジェームズはそこに立ち会って見守るだけの役割のはずなのに、この映画では人質交換のために主体的に活動した人物にされてしまい、結果外交官達がした苦労を全部独り占めにしてしまった。
 そもそも主人公に密着して映画が展開すると言う事は、主人公が知らないことがあるから面白いのに、主人公が全てを把握しているので、折角の主人公密着視点がまるで活かされてないという困ったことになってしまった。方向性は違っているが、前作『リンカーン』共々一人視点で物語構築に失敗してしまってる。

 そして
もう一つが、敢えて目に付くところにブラフを含めて様々な情報を流しておく事が挙げられる。これも近年とみにスピルバーグ作品には顕著になっている。

 それは例えば『戦火の馬』おいて、馬を巡る人々の生活を敢えて描写させることであったり、『リンカーン』で周囲の人物達の政治信条を語らせることだったりする。基本的にそれらは本編の物語に関与しない。むしろ邪魔と言っても良いくらいだが、そう言ったものをわざと配置することで物語に幅を出そうとしているのだろうと思われる。
 これはおそらくスピルバーグが、作品を繰り返し観てもらうと言うことを前提で作っているからなのだろう。DVDで何度も観直すと、「ああこんなところでこんな事言ってる」とか言うことを思わせるように。だからそれらは基本的に劇場で観る限り雑音に過ぎないが、繰り返し観返すことによって、それが情報となって伝わることを期待している。
 本作の場合、それは明らかに「テレビの中の風景」と言う事になるだろう。この作品、特にあんまり重要じゃないシーンでは常に付けっぱなしのテレビが置かれてあって、そこには様々なニュースやら風景が映し出されてる。劇場ではほとんど把握できなかったけど、何度も観ればこの映像にもなんらかの意味を込めたのだろうとは思う。
 でも、それって結局一本の映画としては成り立ってないってことになるのではないか?この作品を何度も繰り返し観るような人は全世界の中でもそう多くはないだろう。そんな狭い人間をターゲットにしてるって事は、大多数の、一回のみ観るという人を置いてけぼりにしてるって事なのでは?

 歴史を切り取って見せてくれたという作品自体は満足できるのだが、その辺考えてしまうと、どうにも高い点数を差し上げようって気にはなれない。
リンカーン 2012
2012米アカデミー主演男優賞(デイ=ルイス)、美術賞、作品賞、助演男優賞(ジョーンズ)、助演女優賞(フィールド)、監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、衣装デザイン賞、音響賞、編集賞
2012英アカデミー主演男優賞(デイ=ルイス)、
作品賞、助演男優賞(ジョーンズ)、助演女優賞(フィールド)、脚色賞、作曲賞、撮影賞、プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞
2012全米批評家協会主演男優賞(デイ=ルイス)、脚本賞
2012NY批評家協会男優賞(デイ=ルイス)、助演女優賞(フィールド)、脚本賞
2012シカゴ映画批評家協会主演男優賞(デイ=ルイス)、脚色賞、
作品賞、撮影賞、監督賞、助演男優賞(ジョーンズ)
2012ゴールデン・グローブ男優賞(デイ=ルイス)、
作品賞、助演男優賞(ジョーンズ)、助演女優賞(フィールド)、監督賞、脚本賞、音楽賞
2012放送映画批評家協会主演男優賞(デイ=ルイス)、脚色賞、音楽賞、
作品賞、助演男優賞(ジョーンズ)、助演女優賞(フィールド)、アンサンブル演技賞、監督賞、撮影賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞
2012
サテライト作品賞、監督賞、主演男優賞(デイ=ルイス)、助演男優賞(ジョーンズ)、脚色賞

2012AFIベスト
2012オーウェン・グレーバーマンベスト1位

2012リサ・シュワルツバウムベスト2位
2012
ロジャー・エバートベスト3位
2013MTVムービー・アワード男優賞(デイ=ルイス)
<A> <楽>
スティーヴン・スピルバーグ
キャスリーン・ケネディ
ダニエル・ルピ
ジェフ・スコール
ジョナサン・キング(製)
トニー・クシュナー(脚)
ダニエル・デイ=ルイス
サリー・フィールド
デヴィッド・ストラザーン
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
ジェームズ・スペイダー
ハル・ホルブルック
トミー・リー・ジョーンズ
ジョン・ホークス
ジャッキー・アール・ヘイリー
ブルース・マッギル
ティム・ブレイク・ネルソン
ジョセフ・クロス
ジャレッド・ハリス
リー・ペイス
ピーター・マクロビー
ガリヴァー・マクグラス
グロリア・ルーベン
ジェレミー・ストロング
マイケル・スタールバーグ
ボリス・マクギヴァー
デヴィッド・コスタビル
スティーヴン・スピネラ
ウォルトン・ゴギンズ
デヴィッド・ウォーショフスキー
デヴィッド・オイェロウォ
コールマン・ドミンゴ
ルーカス・ハース
ビル・キャンプ
エリザベス・マーヴェル
バイロン・ジェニングス
ジュリー・ホワイト
グレインジャー・ハインズ
リチャード・トポル
ウェイン・デュヴァル
クリストファー・エヴァン・ウェルチ
S・エパサ・マーカーソン
クリストファー・ボイヤー
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
リンカーン <A> <楽>
ドリス・カーンズ・グッドウィン (検索) <A> <楽>
 南北戦争末期に入り、その中で大統領として二選を果たしたエイブラハム・リンカーン(デイ=ルイス)。彼は奴隷制度の撤廃を定めた合衆国憲法修正第13条の成立に向け、上院の承認を受けるために奔走していた。戦争のことについても家族との関係もぎくしゃくし、苦悩の絶えないリンカーンだが、あらゆる手を尽くして反対派議員の切り崩しに奔走していく。
スピルバーグ監督がかねてから暖めてきたというリンカーンの伝記をついに作り上げたという事で、『シンドラーのリスト』以来の期待作となった本作。今年のアカデミー賞は『アルゴ』(2012)にオスカーは取られてしまったが、多分これこそがオスカーの本命だろうと思って結構楽しみにしていた作品ではあり、公開を知ってから真っ先に観に行ってきた。
 それで一見。
 うーん。少なくとも
これがオスカーを取れなかった理由については理解できた
 まず、出てくるキャラに関しては素晴らしいと思う。出る度に賞を総なめにするデイ=ルイスに関しては申し分ない演技力。苦悩の中にあって、それでも希望を捨てない大統領の姿を見事に演じきっていたし、タデウス・スティーブンス役の助演のジョーンズの存在感も素晴らしいものがある
(この人は宇宙人ジョーンズなんてものをやるよりもこういうどっしりした役を演じる方が遙かに似合っている)。登場人物の一人一人がきちんとした演技力を見せているので、その意味においては素晴らしい作品であることは認めよう。
 ただ、問題として、
この作品を通してリンカーンが何をしたのか。この点がとても曖昧。結局リンカーンが何をしたかというと、類い希なるリーダーシップを発揮して奴隷制を廃止しようとしたのではなく、上院の選挙結果を優位に導こうと根回しをしただけに過ぎない。
 そういう意味ではとてもリアリティが高いのだが、
「だから何?」と言われればそれだけの話であり、リンカーンを主役にする必要性が低すぎないか?家族問題を挿入することでリンカーンの苦悩を描こうとするも、描き方が中途半端で、それが上手くいってるとも思えない。むしろジョーンズ演じるスティーーヴンスの方を主役にした方が物語としてはしっくりくるくらい(それでは映画にならないとも言えるが)
 政治的にリアリティある作品作ろうとすると、こういう面白味のない作品になるのだが、これはかつてスピルバーグが『アミスタッド』で通ってきた道だった。その反省が全然活かされてないように思うのだが、その辺エンターテナーとしてのスピルバーグの思いはどうなんだろう?
 それに、この描き方ではアカデミー賞の受けはあまり良くないだろう。
 奇しくもオスカーを得た『アルゴ』同様、本作は古き良き時代のアメリカの歴史を扱っている。だからこそアカデミーの受けは良いかと思われたのだが、本作のリアリティは、そんなノスタルジーを感じさせられないように作られている。
 ここで描かれるのは暴力あり買収ありの選挙のリアリティ。正しさを主張するためには積極的に汚れてやるという意志に溢れている。アメリカというのは建て前をとても大切にする国なので、実際はどうあれ、正しい行いをする人はクリーンで正々堂々であってほしいという思いがあるはず。
 そしてそんな
クリーンなイメージを持つ代表がリンカーンという人物だった。
 そんなリンカーンをこの作品では敢えて汚れ役として描いたのだから、受けが悪いのは当然だろう。言ってしまえば、
アメリカ人が見たくないものを無理やり見せられたようなものだから
 そして敢えて暗殺シーンも描かなかったのも、完結させられなかったような中途半端な気持ちにさせる。
 そんなことが分からないスピルバーグではないと思うのだが、その辺もどう考えてるんだろうな?もしこれがスピルバーグの意地で作られたのなら、これはプライベートフィルムとして考えた方が良いだろうな。少なくともエンターテイメントとしての作品ではない。いわば、ヴァーホーヴェンが『ショーガール』(1995)作った時、完全に見向きもされなかったように…
 ただ、史実としてのリアリティは大変高いので、歴史ものとして考えるならこれもありだろう。特にアメリカ人にとっては自国の歴史認識を改めるには良いとは思う。こういう汚れ役をひっくるめてこそ、本当のヒーローとは何か?と考えさせられるのだから。
 つまり、本作の特徴としては、エンターテインメントとして観るのではなく、裏を含めた歴史を学ぶために観るべき作品と言える。
戦火の馬 2011
2011米アカデミー作品賞、撮影賞、作曲賞、美術賞、音響賞
2011英アカデミー作曲賞、撮影賞、プロダクションデザイン賞、音響賞、特殊視覚効果賞
2011ゴールデン・グローブ作品賞、音楽賞
2011放送映画批評家協会撮影賞、作品賞、監督賞、編集賞、美術賞、音響賞、音楽賞
2011AFIトップ10
2011サテライト撮影賞
2011
タイム第5位
2011
ナショナル・ボード・オブ・レビュートップ10
2011ピーター・トラヴァース第10位
2011アメリカ製作者組合作品賞
2012キネマ旬報外国映画第7位

2012サターンアクション・アドベンチャー映画賞、音楽賞
<A> <楽>
スティーヴン・スピルバーグ
キャスリーン・ケネディ
フランク・マーシャル
レヴェル・ゲスト(製)
リー・ホール
リチャード・カーティス(脚)
ジェレミー・アーヴァイン
エミリー・ワトソン
デヴィッド・シューリス
ピーター・ミュラン
ニエル・アレストリュプ
トム・ヒドルストン
パトリック・ケネディ
デヴィッド・クロス ギュンター
ベネディクト・カンバーバッチ
セリーヌ・バッケンズ
トビー・ケベル
ロバート・エムズ
エディ・マーサン
ニコラス・ブロ
ライナー・ボック
ジェフ・ベル
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
戦火の馬 <A> <楽>
マイケル・モーパーゴ (検索) <A> <楽>
 イギリスの貧しい農夫テッド(ミュラン)によって高値で競り落とされたサラブレッドは息子のアルバート(アーヴィン)によってジョーイと名付けられ、逞しく育っていった。しかし戦争が始まると、ジョーイはイギリス軍へ売られてしまう。やがて、ニコルズ大尉(ヒドルストン)の馬としてフランスの前線へと送られたジョーイは、ついにドイツ軍との決戦の時を迎える…
 言うまでもなくスピルバーグは超一流監督である。この人が開発した技法は映画を進歩させ続けてきたし、たとえどれだけ金持ちになろうとも40年以上も映画の最前線で戦ってきた。その映画にかけるモチベーションだけでも感動ものなのだが、常に新しいものを求め続けてきたのもこの監督ならではだろう。
 そんなスピルバーグが最新作に選んだ作品は原作付き。しかも実話を元にした児童文学という。はてさてどんな作品が出来るやら…
 ところでスピルバーグが作った作品で傑作と言われるものを改めて考えてみると、それらは全てかなり特殊な作り方をしているが、一つ一貫していることに気づく。
 それは単純に言えば
「視点」というものをとても大切にしていると言う事である。かつて私は『ジョーズ』でその特殊視点について少し触れたが、それだけでなく、例えば『E.T.』では完全にE.T.の視点でカメラ移動させているし、『太陽の帝国』では一貫して子供視点だけで戦争を描いている。どの作品を観ても、そこにこの監督の特徴を感じることが出来るわけだ。だから本作もその意味で観るならば、監督らしさに溢れた作品とは言える。
 なんせ今回は視点が馬である。それこそ『太陽の帝国』の時に少年目線で見た戦争を、今度は馬の視点で見せようというのだから、その意気の高さは認められる。
 …でも、それが正解だったか?と言うと残念なことにその点で言えば失敗したとしか思えない。劇中でも言われていたことだが、主人公が犬ではなく馬にしたことで、執着心が失われ、ただ淡々と周りの状況を眺めているだけの存在に成り下がってしまい、細かい物語の一つ一つを深めることが出来なかったし、心情に踏み込ませることも出来なかった。
 例外は元の飼い主アルバートで、このキャラに関してはそれなりに時間取って心の交流まで描くことが出来たものの、それはこの映画の本質からは離れてしまい、結果としてありきたりな出来に落とし込む結果になった。
 本作の作り方であれば、馬の視点から人間を眺め、戦争がいかに馬鹿げているのか、人間の努力はどんなアホらしいことも叶えてしまうのか。その辺を掘り下げることも出来たはずなのだが、そこが中途半端になってしまっては駄目だろ。
 正直この作品に感動はいらん。ただその視点のユニークさで考えさせて欲しかった。

 …まあそうは言っても、さほど低く評価する気にもなれない。
 それなりに実話感動ものとしては物語は上手く機能してるし、演出の良さは相変わらずだから。だけど、スピルバーグに期待したものを回収できなかったのがもやもやが残るだけだ。
タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密 2011
2011米アカデミー作曲賞
2011
英アカデミー特殊視覚効果賞、アニメーション賞
2011ゴールデン・グローブアニメーション作品賞
2011放送映画批評家協会長編アニメ賞
2011HIHOはくさい映画第7位

2011アメリカ製作者組合アニメ作品賞
2012サターン監督賞、音楽賞、編集賞、美術賞、特殊効果賞、アニメ映画賞
<A> <楽>
スティーヴン・スピルバーグ
ピーター・ジャクソン
キャスリーン・ケネディ
ケン・カミンズ
ニック・ロドウェル
ステファーヌ・スペリ(製)
スティーヴン・モファット
エドガー・ライト
ジョー・コーニッシュ(脚)
ジェイミー・ベル
アンディ・サーキス
ダニエル・クレイグ
サイモン・ペッグ
ニック・フロスト
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
タンタンの冒険 <A> <楽>
エルジェ (検索) <A> <楽>
 少年探偵のタンタンはのみの市で古い帆船ユニコーン号の模型を見つけて購入する。ところが家に帰ると、タンタンをつけてきたサッカリンという男から、その模型を買い取らせてくれと言われる。ユニコーン号に何か秘密がある事を察知したタンタンは、サッカリンの申し出を断り、一人図書館でユニコーン号のことを調べるのだが…
 ベルギー(およびフランス)で大人気の絵本の映画化。元ネタとしては複数の作品(
「なぞのユニコーン号」「レッド・ラッカムの宝」「金のはさみのカニ」の3作)を一本にまとめたものとなる。
 
「タンタンの冒険」は確か幼少の頃何冊か読んだ気がするんだが(宇宙に行くやつ)、「少年探偵」というフレーズは江戸川乱歩の方を上に考えてしまうこともあってさほど思い入れがあるわけではない。
 それで拝見してみた結果だが、作品としては充分とはいえ、
普通すぎるいうか、古すぎるというか…
 アニメーションである以上、こんな普通の演出じゃなくてもっとぶっ飛んだのが観たかった感じ。
 アニメーションらしさとして、縦横無尽のカメラワークで、タンタンの背後から回って前方へと向かう、実写では出来ない演出などもある。でも残念ながら、CGアニメーションだと、どれだけ派手にしても
「こんなものか」という感じになってしまう。演出も含めて本当に「普通」としか思えない。残念ながら目新しさがない。
 演出が普通だと、どんな盛り上げようとしても、するっと物語が終わってしまい、なんとなく観てしまったという程度。

 当初の予定では第一作がスピルバーグ、第二作がピーター・ジャクソンが監督する予定だったそうだが、興行的に失敗作とされてしまった。
インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国 2008
2008英アカデミー視覚効果賞
2008ゴールデン・ラズベリー最低前編・リメイク・スピンオフ・続編賞
2008放送映画批評家協会アクション映画賞
2008MTVムービー・アワード現時点でのサマー・ムービー賞
2008CDV-Jマイベスト洋画3位
2008全米年間興行成績第3位
2008再生回数が多かった予告第2位
2009サターン作品賞、主演男優賞(フォード)、助演男優賞(ラブーフ)、監督賞
<A> <楽>
フランク・マーシャル
ジョージ・ルーカス
キャスリーン・ケネディ(製)

デヴィッド・コープ(脚)
ハリソン・フォード
シャイア・ラブーフ
レイ・ウィンスト
カレン・アレン
ケイト・ブランシェット
ジョン・ハート
ジム・ブロードベント
イゴール・ジジキン
アラン・デイル
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第4作
 1957年。ソ連の女諜報員スパルコ(ブランシェット)率いる一団が米軍基地を襲撃した。彼らの狙いは、宇宙の神秘を解き明かす力を秘めているという"クリスタル・スカル"。そのためにインディ(フォード)が捕らえられ、クリスタル・スカルの捜索を強要されていたのだった隙をみて脱出に成功したインディだが、考古学教授として赴任している大学で、マット(ラブーフ)という青年が現われ、母親から来たという一通の手紙をインディに手渡すのだった。そこには謎めいた文字と共に、マリオン(アレン)の署名が…
 19年ぶりに復活したスピルバーグ&ルーカス&フォードのトリオでのシリーズ最新作。ここに『レイダース 失われた聖櫃』のヒロインだったアレンを加えたという、ヒット必至の作品。他にも旬の役者ラブーフやブランシェットと言った売れキャラまで加わることで予測通りヒットをばく進。
 第1作目の『レイダース 失われた聖櫃』は良くも悪くも、それまで低迷していた冒険アクション大作に新しい命を吹き込んだ。それまでのロード・ムービー調の物語を、見所の連続にすることで、ジェットコースター・ムービーという新しいジャンルに変えてしまったのだ。オープニングからとにかく飛ばしまくり
(特に大岩が転がるシーンは様々なメディアでパクられた)、アクションの中にストーリーを組み込む方法がここで確立した。
 しかしこの方法は割と早い内にパターンとしては使い尽くされてしまい、特に近年の作品でここまでストレートな作品はなかなかお目にかかられなくなってきたのだが
(やれば、確実にこのシリーズのパクリと言われてしまうし)、唯一そのストレートさが許されるのが、結局本作だけということになる。
 本作にかけられる期待とは、結局その点にあったはずである。どれだけ
“ストレートなアクション大作が作られるか?”。その事を本当によく知っていたのがスピルバーグという人物。まさにこれこそ「インディだ!」という作品を、直球勝負で叩きつけてくれた。
 自慢じゃないけど、
私くらいにヒネた人間だと、これに似た物語展開が他の作品でやられたら、「けっ」とか言って蹴飛ばして終わりになるが、殊オリジナルである本作に限っては、そのストレートさを買う。まさにこれこそが観たかった新作なのだから。
 作りの単純さはともかくとして、本作はこれまでのシリーズの多くのオマージュに溢れている。1作目のヘビ、2作目『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』と、伝統的に続けられてきた動物の群れも、今回軍隊アリという形で復活したし、一段ずつ段階的に滝壺に叩きつけられるシーンなんて、これまでの総決算といった感じ。
 それと、久々に“生”の演技が観られた気分にさせられたのも嬉しいところ。なんでも本作のスピルバーグはデジタルではなく通常フィルムでの撮影にこだわったそうだが
(インタビューでルーカスが呆れてた)、それはやっぱりそのまま“生”の姿を取ることにこだわったためだろう。
 確かにフォードは老いたし、スタントマンも随分使われてる。だけど、ここで重要なのは、
「お、これはダブルだ」と思わせる演出(多分これはわざとだ)。CGの発達によって、今やダブルをダブルに思わせないようにする技術は進んだ。極端に言えば、顔を貼り付ければ良いだけの話だし、場合によっては役者が全く演じずにCGのみでアクションシーンを作ることさえも可能だ。
 そもそもその流れを作った張本人がスピルバーグでもあるのだが、敢えてここではローテクにこだわり、ダブルは顔を見せないようにしてアクションをこなし、それをそのまま撮影。
ダブルを使っていると言うことが、本物のアクションをやっているように見えるという皮肉な話になってしまった
 勿論CGはふんだんに使われているのだが、むしろそう言った生の演技を強調してるのが本作の面白いところだろう。
 キャラに関しては、まあ言うまでも無かろう。アレンは確かにヒロインというには薹が立ってるけど、『レイダース 失われた聖櫃』の思い入れがあれば充分観られるし、ソ連人姐さんやってたブランシェットがなんとも凛々しくて。つか、今回は誰よりもブランシェットを推したい。元々好きなキャラではあったが、改めて惚れ直した。
宇宙戦争 2005
2005米アカデミー視覚効果賞、音響効果賞、音響賞
2005ゴールデン・ラズベリー最低主演男優賞(クルーズ)
2005放送映画批評家協会若手女優賞(ファニング)
2005
文春きいちご賞3位
2005
全米BoxOfficeトップ4位
2006MTVムービー・アワード恐怖演技賞(ファニング)
2005
外国映画興収第2位
<A> <楽>
デヴィッド・コープ
ジョシュ・フリードマン(脚)
トム・クルーズ
ダコタ・ファニング
ティム・ロビンス
ジャスティン・チャットウィン
ミランダ・オットー
ダニエル・フランゼーゼ
ジーン・バリー
アン・ロビンソン
リック・ゴンザレス
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
特撮事典
宇宙戦争 <A> <楽>
H・G・ウェルズ (検索) <A> <楽>
 ニュージャージーで港湾労働者として働くレイ(クルーズ)には別れた妻との間に息子のロビー(チャットウィン)と娘レイチェル(ファニング)がおり、今日は子どもたちとの面会の日だった。しかしロビーは全くレイとはうち解けず、レイチェルは完全によその子になりきってしまっていた。そんな時に異変が起きた。突如現れた不気味な雷雲から市街に放たれた雷光。そしてその地面からは、禍々しい巨大な金属の固まりが出てきたのだ。問答無用で群がる人々をなぎ払うその機械を見て、パニックに陥る人々。レイは家長として二人の子供を守るために、二人を連れての果てしなき逃亡へと走る。
 ウェルズ原作の同名小説の映画化作品。これは今から約50年前の1953年に公開されていたもののリメイクとされるが、より原作の方に近いのが特徴。
 スピルバーグはデビュー当時からハリウッドの最先端を走っていたイメージがあったが、中でも最も評価されたのはSF作品で、スピルバーグの映画がハリウッドのSF映画を作り上げてきたと言っても良いほど。そのスピルバーグが珍しくも原作付き、しかもSF小説の中でも最初期にあたる本作をどう映画化してくれるのか。
 スピルバーグは元より原作が大好きで、いつか機会あれば映画化したいと思っていたらしいが、侵略ものの企画を出そうとするたびに、必ず途中で考えを変えてしまったという経緯がある。それは『未知との遭遇』(1977)然り、『E.T.』(1982)然りで、必ずそれは侵略にはならず、友好な宇宙人を描くことになってしまった。そのスピルバーグがついに趣旨を曲げずに映画化!
 期待度は無茶苦茶高かった。

 それで拝見。
 うん。確かにこれは
「宇宙戦争」だ。小学校の頃母に買ってもらった児童文学の中に入っていて、何度も何度も繰り返し読んだ「宇宙戦争」に違いない。主人公が格好悪くて、ひたすら逃げる一方というのも同じだ。そんな主人公をクルーズがやってるのも面白いところだ。
 作品としては充分に及第点だし、画面の迫力は見事。大画面であのトライポッドが迫ってくるシーンなんて、どきどきした。
 …まあ、問題点が多い映画だって事は認める。特に冒頭の
「100万年も前から地球を監視〜云々」は絶対に無駄。特に原作のオチを知っている身としては、「だったらそれだけ監視していてウィルスの存在に気づかないほどの間抜けなのか?」と言うささやかなツッコミが心の中で入ったし、当然だろう。
 しかし、私がここで書こうと思っているのはそう言うことではない

 本作の演出の細やかさについて。それに
素直に感心出来たから。
 実際本作はトライポッドの迫力に押されてしまった感があるが、日常部分の細かな描写はこれまでのスピルバーグ映画の中でも抜きんでて優れた作品に仕上がった。
 まず人物設定についてだが、ここにある家庭風景は大変現代的。離婚が割と当たり前になっていて、反抗期でもないのに子供は親から離れたがる。典型的とは言わないまでも、割とよく見かける親子関係。しかしもちろんそれぞれの家庭には家庭なりの人間関係が存在する。
 特にこのレイの存在は大変面白い。冒頭部分では嫌と言うくらいに、立ち居振る舞いでその存在感が強調されていた。冒頭部分で分かるのは、レイというのは、中産階級か、それよりちょっと下(いわゆるプア・ホワイトとまではいかないレベル)。しかし、本人はそれを全く気にしている様子はない。自分中心に全ての物事を考えるが、機転が利き、度胸があるし、学はなくても頭の回転は良いため、彼を慕う人間は結構多い。そして子供達を愛すると言うことを頭では分かっているが、実際に子供を愛すると言うことを知らないでいる。と言ったところ。例えばそれは冒頭部分のコンテナを運ぶシーン、改造車を強引に乗り回すシーン、家に入って来たところで靴ひもが解けているのを全く頓着しないと言うところなどによく示されている。説明の言葉こそないものの、わずかな時間にこれだけ人物描写のシーンを入れるのは、大変興味深いところだ
(ちょっとした嫌みにも思えるんだが)。そしてこれは深読みすれば、クルーズに対する評価とも取られる。仮に彼が昔のヒーロー性にしがみついていただけだったら、こんな感じの脇役しか仕事は回ってこなかった可能性だってあるんだぞ。という(深読みしすぎ?)
 家の描写ささくれだった金網で仕切られたほんの小さな裏庭を持つ(しかも全く手入れがされてない)レイの家に対し、別れた妻の家は全くの対照的。彼女の新居は隅々まで掃除されており、地下にはトレーニングマシーンが山ほど置いてある。娘のレイチェルは自然食品を食べ慣れてる。これって彼女の趣味ではなく、新しい夫の趣味だと思われるのだが、レイの家とは実に対照的。この描写で、レイの妻が全くレイとは違ったキャラに惹かれていた事が分かるだろう(子供の面会日にも、なるだけ関わり合いにならないように気をつけてる)。更に彼女の実家は、いかにもボストンの旧家と言った風情。おそらく彼女はレイのワイルドさに惹かれて結婚はしたものの、次第にそれが我慢出来なくなっていったのかも?などと色々考えられる。
 それと後、レイの精神的成長がちゃんと描かれているのが本作の大きな特徴となっている。レイは最初、子供に対する愛が分かってない。ロビーにキャッチボールを強要するのも、それは要するに自分のマッチョさを子供に印象づけることが、愛だと思っていたから。それが様々な経験を経ることによって、自分だけの世界から、子供をちゃんと一つの人格として認めつつ、それを大人の責任として守る事を学んでいく。
 …結局この作品は、画面のエフェクトではなく、レイの大人としての成長を描こうとしていたのではなかろうか?スピルバーグの目的とは、実はそんなところにこそあったのかもしれない。だからこそ本作には演技派を必要としたのだろう。クルーズは言うまでもないが、ダコダなんてほとんど叫んでるだけなのにちゃんと存在感を示していた。
 結局、これからのSFに必要なのは、エフェクトではなく、人間だとしたのがスピルバーグの主張ではないか?敢えて古典を選んだ意図はそこにあったのかもしれない。

 …特撮好きとして、
特撮のことをほとんど語らずにレビューしてみたけど、どうかな?
ミュンヘン 2005
2005米アカデミー作品賞、監督賞(スピルバーグ)、脚色賞、作曲賞、編集賞
2005ゴールデン・グローブ監督賞(スピルバーグ)
2005放送映画批評か協会作品賞、監督賞(スピルバーグ)
2005ナショナル・ボード・オブ・レビュー作品賞
2005ロジャー・エバートベスト第3位
2005ピーター・トラヴァースベスト第4位

2005
全米監督組合長編映画部門
2005AFIベスト
<A> <楽>
トニー・クシュナー
エリック・ロス(脚)
エリック・バナ
ダニエル・クレイグ
キアラン・ハインズ
マチュー・カソヴィッツ
ハンス・ジシュラー
ジェフリー・ラッシュ
アイェレット・ゾラー
ギラ・アルマゴール
ミシェル・ロンズデール
マチュー・アマルリック
モーリッツ・ブライブトロイ
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
メーレト・ベッカー
イヴァン・アタル
マリ=ジョゼ・クローズ
アミ・ワインバーグ
リン・コーエン
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
標的は11人 <A> <楽>
ジョージ・ジョナス (検索) <A> <楽>
 1972年のミュンヘンオリンピックで選手村のイスラエル選手11人がパレスティナゲリラ“ブラック・セプテンバー”により全員殺害されるという事件が起きた。イスラエル政府は非公式に報復を決定し、情報機関であるモサドからアヴナー(バナ)を選び出し、ヨーロッパにいる“ブラック・セプテンバー”メンバーを殺害するように命令する。彼に与えられた豊富な資金と、車両担当のスティーヴ(クレイグ)、事後処理係のカール(ハインズ)、爆弾製作のロバート(カソヴィッツ)、文書偽造のハンス(ジシュラー)という四人の仲間達。アヴナーは出産を間近に控えた妻に事情を話すことも出来ないまま、“ブラック・セプテンバー”メンバーを探し、次々に血祭りに上げていく…
 スピルバーグはエンターテインメント作家として主に知られるが、彼は既に二度の監督賞オスカーを得ていて、それぞれ『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』はエンターテインメントとは多少違ったベクトルにある作品だった。スピルバーグ監督自身、エンターテインメントを造る自分と、そうではなく、メッセージ性を強く持った作品を同時に作ることで、自分自身のバランスを取っているのだろう。スピルバーグ自身は「これを撮るためにエンターテインメントを撮ってるのだ」とは言ってない。そのどちらも彼にとっては大切なのだろうから。
 それで本作は実話をベースに、ユダヤ人のアイデンティティを描いた作品になっているのだが、本作でとても興味深い一つのキー・ワードがある。
“home”というのがそれ。この言葉は本当に良く出てくる。会話の中で、あるいは心の中で…
 homeとはなんであるか?それは二つの意味にとらえることが出来るだろう。一つには文字通り自分を待つ家族のいる
“家庭”の事。本作はかなり長い時間をその家庭を描くことに費やしている。そこには新しい命があり、どんなに自分がボロボロになっても受け入れ、癒してくれる存在がある。そして、その家庭が壊されることをテレビは伝えてくる。その辺を克明に描くことで、より“home”という意味を印象づけてくれる。
 そしてもう一方のホームとは、
“国家”の事。特に国家という言葉の重さをイスラエル人ほどよく知っている国民はない。ユダヤ人は長い間自分の国家を持たず、流浪の民の状態だった。そしてとうとう念願の国“イスラエル共和国”を作り上げる。しかしそれはパレスティナ人が住んでいる地域に、いわば強引に作り上げた国家のため、当然様々なひずみが生じていった。四次に渡る(見方によっては三次で終わっているという考え方もあるし、現在もなお継続中という見方もあるが)中東戦争がそのひずみから生まれたのだし、自分たちが国家を持つことで、パレスティナ難民という、新たに国家を失った民を作り出してもいた。しかし、そうまでしても、自分たちの作り上げた国に誇りを持ち、“国家”をホームと呼ぶ事を何よりも誇りにしている。それがユダヤ人というものだ。
 日本でも、この二つの言葉にどちらも“家”という言葉が入っているのはなかなか皮肉っぽい。
 この二つのhomeに必要なものは何だろうか?
 一つには、それは
作り上げねばならないこと。そして作ってしまった以上は維持しなければならないこと。アヴナーはこの二つのhomeを天秤にかけねばならなかった。家族の維持を考えるのならば、国家とは離れなければならない。一方、国家の維持を図るならば、家族がバラバラになってしまう…
 日本人だったら多くの人間はこの問いに対して簡単に
「家庭を取る」と言ってしまうだろう。しかしアヴナーは国家の方を取る。いや、彼にとっては国家を取らねばならないのだ。何故ならここで国家を取ることによって、実は彼の家はようやく成立するのだから。
 劇中、本人は一切登場してないのに、アヴナーの父のことが何度も話される。これはアヴナーにとってアキレスのかかとのようなもの。この父の存在はなかなかに曖昧。一方では国家の英雄という人もいれば、裏切り者と言う人もいる。彼が何をしたのかははっきり描かれてこそいないが、これは明らかに政府による脅迫であり、もしアヴナーがこの申し出を断るならば、父は裏切り者にされ、なおかつ自分自身も恥を受ける。それは過去、父と母が築いてきた家庭を壊すことになり、国家から今の家族も否定されることになってしまう。皮肉な話だが、アヴナーが政府の申し入れを受けたのは、“家庭”を作り上げるためだったのだ。おそらく“家庭”としてのhomeを守ることはユダヤ人的感覚からすれば当然のことだったのだろう。
 しかし国家としてのhomeを受け入れることによって、アヴナーは現実の妻と娘の家庭を危機に陥れてしまった。報復を続ければ続けるほど自分のみならず家庭をも危険に巻き込んでいく…国家としてのhomeと家庭としてのhomeのどちらをも守るために、アヴナーが取った方法は、国外脱出しかなかった。
家庭を守るために家庭を捨て、国家を守った結果が国家を捨てる羽目に陥る…こうならざるを得なかった事が皮肉であり、彼の悲しみだった。
 そしてフランスにいるアヴナーの前に現れた“パパ”の“家庭”は、彼に一つの答えを与えてもくれている。国家と家庭を分けて考えることの出来ないアヴナーに対し、“パパ”は国家は国家、家庭は家庭と分けて考えるように。と彼に示唆している。それを理解しつつも、やはり同じ生き方しかできなかったアヴナー。彼の性格はひたすら一途であり、だからこそ何とも皮肉が過ぎる構成となってる。
 その辺を極めて皮肉に描きつつ、一級のエンターテインメントに仕上げたのは、
さすがスピルバーグ!としか言いようのない見事な出来だった。アメリカで生まれつつ、ユダヤ人としてのアイデンティティを持つスピルバーグだからこそ、これを完全に理解し、これを皮肉に描くことが出来たのだろう。間違いなく本作はスピルバーグ以外には作り上げることが出来ない作品だ。特にアクションシーンがさほど多い訳ではなく、ほとんどのアクション部分は圧倒的な暴力。物語のメインは準備ばかりが描かれている。そんな作品をエンターテインメントに仕上げられるのは、観客の望むことをよく知っているスピルバーグだからこそだ。
 日本に住む私たちには知識としてそれが分かっていても、それを本当に自分のものとして受け取ることは出来ない。ただ、皮肉な哀しみのみが伝わってくる。
 細かいことだが、本作でもう一つ面白い所があった。
 イスラエルという国家はユダヤ人国家だが、中心となって国を作ってきたのはドイツ系ユダヤ人(金を出したのはアメリカ系ユダヤ人とも言われてる)。一方、パレスティナに残ってひたすら国が出来ることを待っていた、そして実際に中東戦争を戦い抜いたのは彼らパレスティナ系ユダヤ人の方だった。そんな彼らは、同じ民族でありながらドイツ系ユダヤ人に対し含む所が大きいと聞いたことがある。アヴナーに対して「領収書を取れ」と厳命する役人の言葉はそれを裏付けてくれたし、監督のスピルバーグ自身がアメリカ系ユダヤ人である。そのスピルバーグが考えるユダヤ社会というのがこういうものだと考えてみれば、一緒くたに「ユダヤ人」と言ってしまっても、世界中にユダヤ人がいて、それぞれの国で違ったアイデンティティを持っていることを改めて考えさせてくれる。
 資料として観る機会があるのならば、是非ドキュメンタリーの『ブラック・セプテンバー』(1999)を観ることをお薦めする。これを観ていると、オープニング部分のミュンヘンオリンピックでの事件の理解がより深まってくれることだろう。
ターミナル 2004
2005外国映画興収第5位
<A> <楽>
ローリー・マクドナルド
ウォルター・F・パークス
スティーヴン・スピルバーグ
ジェイソン・ホッフス
アンドリュー・ニコル
パトリシア・ウィッチャー(製)
サーシャ・ガヴァシ
ジェフ・ナサンソン(脚)
トム・ハンクス
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
スタンリー・トゥッチ
チー・マクブライド
ディエゴ・ルナ
バリー・シャバカ・ヘンリー
ゾーイ・サルダナ
クマール・パラーナ
エディ・ジョーンズ
マイケル・ヌーリー
ジュード・チコレッラ
ギレルモ・ディアズ
ヴァレラ・ニコラエフ
コリー・レイノルズ
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 NYのJFK国際空港。東ヨーロッパのクラコウジアという小国から来たビクター・ナボルスキー(ハンクス)。だが、彼が空にいる間に祖国でクラウコウジアでクーデターが発生してしまい、新政権とアメリカの国交が消えてしまった。パスポートが無効となった彼は、アメリカへの入国を拒否される。しかも情勢が安定するまでは帰国することもできず、空港内に完全に足止めされてしまうのだったが…
 私生活でも親友というスピルバーグとハンクスだが、この二人は相性が良く、これで3回目の映画化作品となる(他にもテレビシリーズでも顔合わせしており、家族ぐるみのつきあいもしているらしいが)。
 最初に、多分誰も書かないと思うので、
変な蘊蓄を垂れ流させていただく
 原題である
『TERMINAL』という言葉は通常日本では「駅」という訳がされるが、これは実際は「終着駅」というのが正しい(死に向かい行く者に対する介護をターミナル・ケアというのもこれが語源)。電車であれ、飛行機であれ、ここが最終目的地となっていく訳だ。これには実はちゃんとした訳がある。terminalの語源はローマ神話の神の名前“テルミヌス”から来ている。このテルミヌスというのは、元々カピトリーノの丘に住んでいた古い神だったのだが、その後ローマがギリシアの影響を受け、外来の神オリュンポス十二神を受け入れる事になった。その際カピトリーノの丘の神々はそれによって丘を追い出されてしまったのだが、ただ一柱、テルミヌスだけが最後の最後まで抵抗したという。この故事に倣い、テルミヌスは新しい役割を与えられることになる。「境界の神」である。つまり、最後の最後まであきらめずに国を守るというローマ市の守護神となったのだ。
 …長々こんなくだらないことを書いたのは、つまりこの映画におけるJFK空港とは、ナボルスキーにとって、まさにテルミヌスとなったからに他ならない。彼はこの神に阻まれてアメリカへ入ることが出来なかった。と言う具合に見る解釈が出来ると言うこと。そんなことはスピルバーグ自身も考えてなかったかも知れないけど、その点が大変気に入った。
独りよがりな楽しみかも知れないけど、これが私の映画の見方の楽しみの一つなのは間違いない
 さて、それで本編について書かせていただくが、
正直に感心できた部分が大変に多い
 スピルバーグはそもそもSF映画の監督として見られることが多いけど、実際、それは
「これまで誰も観たことがないものを作ってやろう」という意気込みのようなものがあったからだろう。しかし、実際彼が本当に「これまで観たことのない」ものを作ったとして、その後にどんどんそれを踏み台にして同じ表現での映画が作られてきていた。現在映画作りで主流になっているCGだってメジャー作品として投入したのはスピルバーグからだ。
 そのスピルバーグが今回全くこれまでとは違うものを作ってしまった。彼が今回用意したのは空港そのもののセット。ラストを除き、ほとんど全てがこの空港内で物語は展開していく。その意味では本作は閉じた映画だと言っても良い。この中でハンクス演じるナボルスキーは友人が出来、恋人が出来る。その中でCGが使われているような部分は全然ない。勿論そりゃ仕上げのエフェクトなんかには使われているんだろうけど、ここには生の演技こそが中心となっていく。特にこのセットは凄い。
ある場面でカメラが360度ぐるっと回るシーンがあるのだが、それはこのセットがどれだけ完璧に作られているかがよく分かるところだ。
 主人公は勿論ナボルスキーなのだが、この閉じた空間こそが実は主人公だと言っても良い。ここに存在する空間の中で様々な人間関係が形作られ、場合によってはそこで別れも生じる。それら全てを包み込み、空間に意味が持たせられる。これだけ巨大なセットには相当な金がかけられたのだが、それが見事に機能していた。それだけでなんか凄い映画を見せられた気分にさせられた。
スピルバーグ、良い金の使い方したな。感心するよ
 その空間が主人公だとしても、勿論中心となるのは人間である。その意味でもハンクスを中心とした役者陣が見事に機能していた。ハンクスの魅力は多々あるけど、何より素晴らしいのは、会話や立ち居振る舞いの間がもの凄く良い。特にこの作品は思ったより言葉が少なく抑えられている。会話ではなく、その間合いと雰囲気できちんと自分のみならず、相手となる人物を映えさせることに主眼が置かれているためだろう。
 ナボルスキーは最初英語が分からないので、動作や表情で相手に意思を伝えようとしてる。やがて徐々に英語に慣れ、コミュニケーションは会話中心となっていくが、実際のコミュニケーションに言葉を用いてること(少なくとも彼にプラスに働いた事柄に関しては)はほとんど無かった。彼が他の人達とコミュニケーションを取ったのは、その大部分が言葉ではなく行動によっていた事に気づくだろう。
 勿論ハンクスだけじゃない。その周りの人間達も魅力的だ。最初冷たくナボルスキーを扱っていた空間が、彼の行動によってどんどん暖かくなっていく。主人公は空間なのだが、その空間を形作る人間を描くことで、初めて空間の変化を作ることが出来るのだから。中でもあのインド人グプタ(パラーナ)の魅力は凄かった。コンプレックスのためか、あるいは後ろめたさのためか、人を拒絶する性格をしていたが、それがどんどんナボルスキーに対して優しくなっていき、やがて彼のために自分の生き方をも捧げていく。見事な演技だった。このターミナルの雰囲気そのものを良く表した人物だった。それだけじゃなく、ここに出てくる人物は皆、決して完全な悪人としては描かれていない。警備部の人間でさえ、しっかり良い意味での見せ場が作られていた。唯一アメリアとの恋愛が上手くいかなかったのが心残りではあるのだが、その人間模様も又、空間を主人公とした結果なのかな?
 これは実は大変オーソドックスな作品に見えつつ、実は映画というもの根本を問いかけた作品なのだ。映画は演出と人間によってなされる。セットと、人間同士の間でここまでのものを作った事に素直に感心する。
 おおむねこれらはプラス方向だが、マイナス方向で言えば、ゼタ・ジョーンズ演じるアメリアとの関係がちょっと切なすぎる感じがしたのと、やっぱり
相変わらずの字幕の悪さ。最初に字幕の名前見ただけで、“やばいだろうな”と思ってたけど、本当にそうなってしまった。「スッチー」はやめい!なんせまあ、字幕だけで点数を減らせてくれる翻訳者だもんなあ。今回も健在だったか。
 ちなみにここに登場するクラコウジアという国は架空の国だが、訛りはブルガリアをベースにしている。これはハンクスの義父の訛りを参考にしたものだとか。
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン 2002
2002米アカデミー助演男優賞(ウォーケン)、作曲賞
2002英アカデミー助演男優賞(ウォーケン)、脚色賞、作曲賞、衣装デザイン賞
2002全米批評家協会助演男優賞(ウォーケン)
2002ゴールデン・グローブ男優賞(ディカプリオ)
2002アメリカ映画俳優組合助演男優賞(ウォーケン)
2002PEOPLEベスト

2003MTVムービー・アワード男優賞(ディカプリオ)
<A> <楽>
ジェフ・ナサンソン(脚)
レオナルド・ディカプリオ
トム・ハンクス
クリストファー・ウォーケン
マーティン・シーン
ナタリー・バイ
エイミー・アダムス
ジェニファー・ガーナー
フランク・ジョン・ヒューズ
ブライアン・ホウ
ジェームズ・ブローリン
スティーヴ・イースティン
エリザベス・バンクス
エレン・ポンピオ
ナンシー・レネハン
リリアン・ショーヴァン
エイミー・アッカー
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
華麗なる騙しのテクニック 世界No.1の詐欺師が教える <A> <楽>
フランク・W・アバグネイル (検索) <A> <楽>
 1963年。両親の離婚のショックから家を飛び出した16歳のフランク(ディカプリオ)は、あっという間に金に困り、生きるために小切手詐欺を思いつく。だが偽造小切手は怪しまれやすいため、パイロットの制服を手に入れ、人々をあざむきつつ、世界中を旅してそこで小切手を次々に切っていった。大規模な小切手詐欺に、ついにFBIが動き出し、ベテラン捜査官のカール=ハンラティ(ハンクス)がその調査に当たったが、なかなか尻尾を掴ませない犯人に苛立つ。その間にもフランクは一目惚れした看護婦のブレンダ(アダムス)のために、今度は小児科医に、そして彼女の父(シーン)が検事だと知ると、今度は弁護士になりすまし次々に職業を変えていた。
 実在の天才詐欺師フランク・W・アバグネイルの自伝を元に、ディカプリオを起用して作り上げた作品。
 ここでディカプリオを主役にしたのは、物語の方向性を見事に掴んだように思える。かつて
『タイタニック』で一世を風靡したディカプリオだが、この人の魅力を一言で言ってしまえば、「不安定さ」と言うことになるだろうか。この部分を見定められないと、映画は大コケしてしまいがち(事実『タイタニック』以降のディカプリオ作品に碌なのが無かったのは、その不安定さを上手く表現できなかったからだと思われる)
 ハリウッドの映画では昔から主役男優には安定性を求める傾向が強いのだが、時折それには当てはまらない不安定な演技をする人が出てきて、それが突如として大ブレイクすることがある。典型的例で言えば
『エデンの東』のジェームズ=ディーンになるだろうけど、それに負けず劣らず不安定さをしっかり演技できる近代の俳優だと、やはりディカプリオと言う事になるだろう。
 主役は実在の人物だが、ストーリーは同じでも、作り方は色々考えられる。ふてぶてしい人物を主役にして、いかにも鉄面皮な詐欺師とすることも出来ただろうが、ディカプリオのような不安定な人物を主役にすると、やってることと本人の性格に大きなギャップを演出することが出来るようになる。勿論かなり難しい演技指導が必要になるのだが、その辺は流石にスピルバーグ。見事にその辺を簡潔な演出のみで見せつけてくれた。

 フランクの不安定さは両親の離婚によるもの。彼は家族というものに非常に大きな理想をもっていて、理想的な家庭を夢みていたはずなのだが、それが最初に崩されてしまった。それが彼の精神に与えた影響は大きい。「理想的な家族」を作ることが彼の最終的な命題になるが、一方学も技術もない自分にはその資格がない。と言うアンビバレンツな感情に悩まされることになってしまった。
 普通の人物がこのような状態に陥った場合、今からでも出来る。と奮起して自分を磨くか、あるいは最初から自分には縁がないものと諦めてしまう。しかし彼の場合、人を騙すことによってそれを手に入れられる。と思いこんだところが面白いところ。善悪を超越し、自分の理想のために邁進するため、人を陥れることや偽ることに関しては、全く躊躇がない。彼は彼自身の理想のために、自分を磨くためにこそ詐欺を働いているので、これに関してはどんな職にあっても、自信たっぷりに大胆に行動する。一方、本当にその理想的な家族が出来ようとしたとき、彼は非常に不安定になってしまう。「家族」というキー・ワードによって、フランクは自信満々であることも、シャイになることもある。その部分のギャップの魅力を引き出すことが出来た時点で本作は良作になり得た。その意味でディカプリオは予想通りの演技を見事に披露してくれたわけだ。
 一見軽めの作品ではあったが、人間の心理を行動のみで描写できるか?と言う点でスピルバーグにとってもかなり賭の要素の強い作品だったのかも知れない。一方では安定した演技でそれを支えたハンクスの巧さも光る。
 
ここまで極端にキャラ性に依存した作品は最近では結構珍しいのではないだろうか?主役がディカプリオでなかったら、全く別な物語になっていただろうから。
マイノリティ・リポート 2002
2002米アカデミー音響効果賞
2002英アカデミー特殊視覚効果賞
2002ヨーロッパ映画インターナショナル作品賞(スピルバーグ)
2002タイムベスト第5位
2002PEOPLEベスト
2002オンライン批評家協会助演女優賞(モートン)
2002
オンライン・ムービー・アワード第6位
2003MTVムービー・アワードアクション・シーン賞
<A> <楽>
ジョン・コーエン
スコット・フランク(脚)
トム・クルーズ
コリン・ファレル
サマンサ・モートン
マックス・フォン・シドー
ロイス・スミス
ピーター・ストーメア
ティム・ブレイク・ネルソン
スティーヴ・ハリス
キャスリン・モリス
マイク・バインダー
ダニエル・ロンドン
ドミニク・スコット・ケイ
ニール・マクドノー
ジェシカ・キャプショー
パトリック・キルパトリック
ジェシカ・ハーパー
アシュレイ・クロウ
アリー・グロス
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
マイノリティ・リポート <A> <楽>
フィリップ・K・ディック (検索) <A> <楽>
 2054年、政府は度重なる凶悪犯罪を防ぐ策として、ある画期的な方法を採用し、大きな成果をあげていた。それは、“プリコグ”と呼ばれる3人の予知能力者によって未来に起こる犯罪を事前に察知し、事件が実際に起きる前に犯人となる人物を捕まえてしまうというもの。ジョン=アンダートン(クルーズ)はその犯罪予防局のチーフとして活躍していた。しかし、ある日、ジョンは自分が36時間以内に見ず知らずの他人を殺害すると予知されたことを知る。一転して追われる立場になったジョンは、自らの容疑を晴らそうと奔走するのだが…
 この冬一番の期待作品だった。最近とみに演技力が増してきたクルーズと、SFだったらこの人!のスピルバーグが組んだのだ(
『A.I.』は思い切り期待はずれだったけど)。期待しないわけにはいかない。オープニングを観て、クルーズの髪型が『ブレードランナー』(1982)のハリソン=フォードに似てると何となく思ってから、ますます期待は増した。
 それで本編は、行き継ぐ暇のないアクションの連続と、きっちり計算された複線の張り方や意外なストーリーの落とし穴など、色々工夫がされているし、近未来的な小道具もほどよく配置されて未来的な描写も巧い。大きく観れば決して悪い作品じゃない。
 しかし、私が期待していたのは
こんなものじゃなかった
 未来予知という設定ならば、不確定の未来に対する“ゆらぎ”のようなものを主題にするのか、それともこのシステムの危険性と安定性とを巡って政治的な駆け引き、場合によっては国全体を巻き込んだ論争なり武力行使なりに持っていってくれるもんだと思ってたのに、そう言うのが全くなく、結局ジョンの個人的な事柄に終始してしまった。
 このような作りは本来、予算がないからどうしても個人的な事柄に持っていかなければ、映画自体が作れないと言うB級作品と同じやり方だ。ただ、それならそれで“自分とは何者か?”という哲学的な方向に持っていった『ブレードランナー』みたいな方向性だってあったんだけど
(奇しくも両方ともディックが原作だ)。それにも触れることなく終わってしまった。なんせこの主人公は「ひょっとしたら自分が殺人者となるのでは?」という恐れを微塵も持っていない。絶対に俺は正しい!という論理だけで動き回る。ヒーローものとして考えるならそれもありなんだろうけど、本作の狙いはそもそもそうじゃないだろ?
 これだけの金とネーム・バリューを持っていたなら、もっと派手に、国そのものを挙げての話にして然りだったんだけどね。SF的な小道具をはぎ取ってみたら、単なる警察ものの映画でしかない。魅力的な存在として用いられるべきプリコグだって、人である必然性が感じられないと言う根本的な問題があるし
(ちょっとだけ脚本を直せば人でなくして、コンピュータでも無機物でもなんでも構わないんだよね。それに僅か3人でアメリカの犯罪を全て予知出来るものなのか?)。プリコグを人として描く以上、その人としての存在価値をもっと突っ込むべきだったんじゃなかったか?
 それに、あんなに簡単に犯罪予防局がラストで取りつぶされてしまい、それに満足してるってのも変。結果として犯罪はますます増えていくんだろ?大体ジョンは
実際に人一人殺してるはずなんだけど、その事はどうなったの?
 未来の描写は良かったんだが、物語が付いていかなかった。

 偶然だが、この映画を見た丁度同じ日の夜、先日レンタルしてきたラングの
『メトロポリス』を観る。1927年に作られた作品なんだけど、遙かにこっちの方が面白く感じたというのもねえ。80年という時代に映画は一体どれだけ進歩したというのだ?
A.I. 2001
2001米アカデミー作曲賞、視覚効果賞
2001英アカデミー特殊視覚効果賞
2001日本アカデミー外国作品賞
2001ゴールデン・グローブ助演男優賞(ロウ)、監督賞(スピルバーグ)、音楽賞
2001放送映画批評家協会音楽賞、若手俳優賞(オスメント)
2001毎日映画コンクール外国映画ファン賞、宣伝優秀賞
2001
オンライン・ムービー・アワード第9位
<A> <楽>
イアン・ワトソン
スティーヴン・スピルバーグ(脚)
ハーレイ・ジョエル・オスメント
フランシス・オコナー
ジュード・ロウ
サム・ロバーズ
ブレンダン・グリーソン
ジェイク・トーマス
ウィリアム・ハート
デイヴィー・チェイス
エイドリアン・グレニアー
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
スーパートイズ <A> <楽>
ブライアン・W・オールディス (検索) <A> <楽>
 地球温暖化により水面上昇したアメリカ。ここではロボットが非常に重要な存在となっていた。その中で画期的な技術を用いて作られた一人の少年型ロボットのデイヴィッド(オスメント)、彼は「愛」をプログラミングされた最初のロボットだった。子供として母親に愛されたい。その感情を持って生まれたデイヴィッドは子供を失った両親に引き取られる。しかし、最新の医療技術を用い、生き返ってしまった本当の息子との軋轢が生じ、ついには両親により投棄されてしまう。母親がかつて話してくれた「ピノキオ」の童話で、ピノキオがなったように人間になりたい。そうすれば愛してもらえるはずだ。その想いで旅立つ。
 元々これは今は故人のスタンリー・キューブリックが
「スーパートイズ」と言う短編小説を映像化しようとしたものだが、構想段階で亡くなってしまった。四年ほど前だったか、キューブリックの作品としてアナウンスがあり、製作も進められているとは聞いていた。キューブリックは極端な秘密主義で映画を作るため、一体どの程度作られているのか、あるいは本当にそのタイトル通りのものなのか、全く分からない所に特徴があるのだが。実際、遺作となった映画は二年前の『アイズ ワイド シャット』(1999)だった。一体A.I.はどうなったの?とか思っていたら、それがなんとよりにもよってスピルバーグに!
 最初その話を聞いたとき、何で?と言う疑問が浮かび、更にスピルバーグは忙しすぎるから、大分遅くなるだろう。と言うニュースも聞いていた。
 それが、ニュース聞いて一年もしないうちに公開が決まり、唖然とした。
 このところスピルバーグの作品は失敗続きなので、ちょっと期待薄。でもキューブリックの大ファンではあるし、押さえておくべき作品であることは確かなので、期待半分、失望覚悟で観に行く。
 う〜む。何と言えばいいか。キューブリックらしさ(『時計仕掛けのオレンジ』に多くのインスパイアを受けているのは分かる)と、スピルバーグらしさとが混在した作品なのだが…キューブリックらしい緻密さに欠け、スピルバーグらしいベタベタした愛情を主眼に置いたあたり、
やはり間違うことなくスピルバーグ作品なのだろう
 主人公デイヴィッドを演じる少年ハーレイの演技は特筆すべきものがある。表情の変化が実に多彩で、機械と人間の半分という難しい役所をしっかりこなしていた(「シックス・センス」観た時、ただ者ではないとは思っていたが)。同じロボット役のベテランのジュード・ロウと較べても引けを取らないどころか、完全に食ってしまっている。
 映画の最後の方で私の周りからすすり泣きの声が聞こえてきたので、
多分そう言う映画なのだろう。
 ラストシーンの意外さとか、ディヴィッドのひたむきさとか、観るべき部分は確かにある。
精神的に没入できれば良作。出来なければ普通の作品。と言うことになるか。
 だが改めて思うに、確信はないが、キューブリックが作ろうとした作品は、精神的に没入させないように作られた、感情的に突き放した作品だったのではないだろうか?それをスピルバーグは自分の作り方で作ってしまったため、ややちぐはぐな印象を持たせる作品となったのかも。
 少なくともパートパートを観る限り決して悪い作品ではない。CGもオスメントの演技も実に素晴らしいのだ。だけどトータルとなると全然面白いと思えない。ある意味キューブリックになりきれず、スピルバーグ作品とも言えない。称するのに難しい作品ではある。
プライベート・ライアン 1998
1998米アカデミー監督賞(スピルバーグ)、撮影賞、音響効果賞、音響賞、編集賞、作品賞、主演男優賞(ハンクス)、脚本賞、音楽賞、美術賞、メイクアップ賞
1998英アカデミー音響賞、特殊視覚効果賞、作品賞、主演男優賞(ハンクス)、監督賞(スピルバーグ)、作曲賞、撮影賞
1998日本アカデミー外国映画賞
1998NY批評家協会作品賞
1998LA批評家協会作品賞、監督賞(スピルバーグ)、撮影賞
1998ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞(スピルバーグ)、男優賞(ハンクス)、脚本賞、音楽賞
1998ヨーロッパ映画インターナショナル作品賞(スピルバーグ)
1998放送映画批評家協会作品賞、監督賞(スピルバーグ)、作曲賞
1998
キネマ旬報外国映画2位
1998毎日映画コンクール優秀宣伝賞

1999MTVムービー・アワード作品賞、男優賞(ハンクス)、アクション・シーン賞(ノルマンディ上陸シーン)
<A> <楽>
ロバート・ロダット
フランク・ダラボン(脚)
トム・ハンクス
トム・サイズモア
エドワード・バーンズ
バリー・ペッパー
アダム・ゴールドバーグ
ヴィン・ディーゼル
ジョヴァンニ・リビシ
ジェレミー・デイヴィス
テッド・ダンソン
デニス・ファリナ
ポール・ジアマッティ
デイル・ダイ
マット・デイモン
ハリソン・ヤング
シェーン・ジョンソン
リーランド・オーサー
マクシミリアン・マーティーニ
ネイサン・フィリオン
ディラン・ブルーノ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 米英連合軍はノルマンディのオマハビーチに多大な損害を受けつつも上陸を成功させた。そんな戦いの渦中にいたミラー大尉(ハンクス)に、軍の最高首脳から「先行してドイツ側に降下した落下傘部隊所属のジェームズ・ライアン2等兵(デイモン)を探し出し、故郷の母親の元へ帰国させよ」という命令が下るのだった。ミラーは古参軍曹のホーバス、2等兵のライベン、カパーゾ、メリッシュ、狙撃手ジャクソン、衛生兵のクエイド、ドイツ語が話せるだけで実践経験無しのアパムを選び、落下傘の誤降下で行方の知れないライアンを敵地の前線へと探しに向かう…
 一つ、これには大変悔しい思いがある。
 それは
これだけの作品を劇場で観なかったことを悔やむという一事に尽きるわけだが、これほど劇場で観なかったことを悔やんだ作品もない。たまたま引っ越しとかのバタバタもあったのだが、当時は古い作品を観ることばかりに意識が行っていたというのも大きな理由(事実この公開中にも数本の、主にモノクロ映画を観ていた)。それらも又、私にとっては大切な作品だったのは違いないけど、やはりこれは劇場で観ておくべき作品だった。後でビデオで冒頭を観た瞬間、思わず「まずった!」と声を漏らしてしまった。
 事実冒頭のノルマンディ上陸作戦の風景に
打ちのめされた。映画でここまでやるか?ここまで徹底して汚らしく、そしてむごたらしく、“華々しいノルマンディ上陸作戦”を描いた作品はこれまでなかった。これと較べると、かつて凄いと思った『史上最大の作戦』(1962)でさえ、まだおとなしく見えてしまった。しかも本作で戦場上シーンは、決して戦意高揚ではなく、完全に反戦の方向を向いている。かつて『シンドラーのリスト』(1993)によって、頭で考えさせられる戦争の悲惨さというものをむしろ直接目にたたき込むことをこれは目的としていたのかもしれない。
 一方では、スピルバーグはこれを
挑戦として描いていたとも思える。監督は常に映像的に先駆的存在として走っていたが、本作ではCGを“あり得ないものを作り出す”技術としてではなく、“本来表現が難しいものをよりリアリティを出すため”の技術として用いている。CGにはそういう使い方もあるのだ。ということを直接ぶつけようとしているかのように思える。
 腕を吹っ飛ばしたり、落ちた内臓をかき集めたりと、凄惨な風景は、戦争であるからこそ描写可能であり、CGだからこそ出来るものとして捉えてる。このチャレンジャブルな姿勢こそがこの監督の魅力だ。
 この作品を語る人は、大抵最初の15分のことばかり語ることが多いようだが
(実際監督が本当に描きたいものはそこに詰まってるんだろうとは私自身も思う)、本作の主題はその後の、ライアンを捜してさまよう主人公達の姿にこそある。
 そしてこの作品のテーマというのもおもしろい。名もない一人の二等卒を連れ戻すという、それだけの目的のために海兵隊の精鋭数名が死線をくぐり抜けなければならないという…
これほど阿呆らしいシチュエーションをよくみっけたもんだ。事実、この作品は、その“阿呆らしさ”こそが主題なのだ。よく言われる「戦争とはこういうもの」という考えを、「戦争とは、阿呆らしいものだ」というブラックジョークを目に焼き付けようとするかのように。
 実際、設定において馬鹿馬鹿しいばかりでなく、直接ここではライアンの捜索隊のメンバーにそれを言わせている。しかしそれを命令としてきっちりこなさねばならないと言うところのやるせなさも感じさせてくれてる。逆に言えば、そんな馬鹿馬鹿しい事を命令として黙々としてこなそうとするハンクス演じる
ミラー大尉こそが一番の馬鹿者なのかもしれない。
 一種のジョークに近い命令。しかし同時にそれは命をかけた任務でもある。彼らはドイツ領内で孤軍奮闘で自分たちの生き残る道を模索しなければならなかった。
 最前線の更に向こうにある戦場。逆転の発想で考えるなら、彼らのやっていることは後方任務だ。事実、彼らの行く先々にあるのは、血湧き肉躍るような戦闘でもなければ、彼らの来訪を心から歓迎しているフランス人達でもなかった。逆に彼らを待っていた風景の大部分は牧歌的な平原ばかり。
 私がこの作品で心に残るのは、実は最初の上陸作戦のシーンではない。
彼らが見渡す限り誰もいない平原を黙々と歩いている、それだけのシーンだった。
 これがいわゆる
モンタージュ技法の役割を果たしているのは事実で、戦争中になんとのどかな。と思わせてくれたものだが、だからこそ強烈な印象を与えたのだろう。実に印象的なショットだった。
 実際の戦争というのは、その作戦の大部分は実は待機任務となる。一方、映画というのは時間の制約を受けるため、どうしても派手な戦闘を中心に描きたいものだが、本作の画期的な部分は、その戦闘シーンを徹底的にリアリティを増して描く代わり、オープニングとラストのほとんど2カ所のみにとどめたという点にあるだろう。お陰で戦闘時以外の時間がたっぷり取ることが出来、その中で戦争のばかばかしさを語ったり、あるいは自分自身の内面に入り込んで、様々なことを考えている描写を入れることが出来た。
 主にオープニングの映像と、ラストの空しさで語られることが多い作品だが、実際はその間にある、一見冗長な物語にこそこの作品の主題を見ることが出来る。

 ただ、本作はそのジョーク部分が批評されることは少ない。語られるのはノルマンディ上陸とか、ラストの攻防戦ばかりで、戦争の虚しさを描いている話なのに、
到底そうは見えない所は失敗したような気も…

 本作は監督賞を受賞したものの、肝心の作品賞は
『恋におちたシェイクスピア』に取られてしまい、予定されていたアカデミー後の取材(スピルバーグが取材をOKしたのは18年ぶり)はキャンセルしてしまった。

 本作は“リアリティ”というのにとことんこだわった作品だが、それは本編より、様々な裏話でよく分かる。例えばオープニングのノルマンディ上陸に用いられた揚陸艇“ヒギンズ・ボート”は実物を借り受けて使用したと言うことだし、メインキャストは全員本当に10日間の軍事訓練を受けている(これを担当したのは退役海兵隊員のデイル=ダイ大尉で、10日間軍事訓練を受けるが、80キロの装備で雨の中を10キロメートル行軍させたり、睡眠は3時間の仮眠のみと言う過酷なスケジュールで、4日目に出演者の大半は出演を拒否したという)。
 ハンクスはこの時を述懐し、
「あまりにもみにくい体験をしたせいで、皆が片意地を張ってしまった。疲れ果て、家に帰りたいと思っても前進するしかない。あの日、ノルマンディに上陸した兵士の多くが置かれた状況を、ダイは悪役の汚名をかぶることで実感させてくれたんだ」と語っている。
 ハンクスにとってもよほどの体験だったようだが、この人は実地で得た体験や知識を無駄にしない人で、後に
『バンド・オブ・ブラザーズ』を製作しているのも特筆すべきだろう。
アミスタッド 1997
1997米アカデミー助演男優賞(ホプキンス)、撮影賞、音楽賞、衣装デザイン賞
1997ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(フンスー)、助演男優賞(ホプキンス)、監督賞(スピルバーグ)
1997放送映画批評家協会助演男優賞(ホプキンス)、作品賞
1998ヨーロッパ映画世界的功績賞(スカルスガルド)
<A> <楽>
デヴィッド・フランゾーニ(脚)
マシュー・マコノヒー
アンソニー・ホプキンス
ジャイモン・フンスー
モーガン・フリーマン
デヴィッド・ペイマー
ピート・ポスルスウェイト
ステラン・スカルスガルド
ナイジェル・ホーソーン
アンナ・パキン
キウェテル・イジョフォー
ジェレミー・ノーサム
ザンダー・バークレイ
ラザーク・アドティ
アラン・リッチ
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 奴隷船アミスタッド号でアメリカに運ばれている奴隷達が反乱を起こした。そのリーダーであるシンケ(ハンスウ)は2ヶ月にわたりアミスタッド号を支配したが、到着したコネティカット州で捕らえられて投獄されてしまう。そこで裁判が始まるのだが、スペイン船籍であるアミスタッド号の「積み荷」の返還を求めるスペイン女王(アンナ・パキン)、自分たちが買った奴隷に対する所有権を主張する奴隷商人のルイズとモンテス、船を拿捕したことに対する謝礼としての所有権を主張するアメリカ人将校など、さまざまな横槍が入り、裁判は中断してしまった。そんな中で彼らを救おうとするものたちも現れ、裁判は大きな流れになっていく。
 ユダヤ人のアイデンティティを描いた『シンドラーのリスト』で見事オスカーを射止めたスピルバーグが、今度はアメリカの奴隷制度の廃止の一つのきっかけを掴んだアミスタッド号の反乱を題材にとって作り上げた法廷映画。スピルバーグが作り上げた
ドリームワークスの第1回作品でもある。
 スピルバーグ映画の特徴の一つとして、異文化の接触というものがあると思われる。それは例えば『シンドラーのリスト』ではユダヤ人とドイツ人の、『1941』ではアメリカ人と日本人、『ミュンヘン』ではユダヤ人とアラブ人など。これは何も歴史だけじゃなく、これが拡大すると地球人と異星人との接触として『未知との遭遇』『E.T.』『宇宙戦争』と言った具合で作られる。ただ、ここで面白いのは、その多くの作品では、国や星を
外側から見ている作品がかなり多いと言う事。敢えて主人公を国の中の人ではなく外国人の方に持っていき、その目から国なり星なりの文化をストレンジャーとして眺めている作品が結構多い。心理学的に言うなら、アメリカ生まれではあってもユダヤ人としてのアイデンティティを強く持つスピルバーグが、アメリカという国で、外国人として生きてきたことが作品に現れているとも見られるだろうが、この人の場合、そういう特殊な感性を持つために、見慣れた光景の中に新鮮な発見を見つけることが出来る人だったのではないだろうか。日常性の中に映画のネタを見いだすことに秀でた人であったわけだ。

 そんなスピルバーグがここで題材に取ったのは奴隷制の時代。これは最早日常と化した肌の色の違いが、どのようにしてこの国に根付いたのか。という事を描きたかったからではなかったかと思うが、これもアメリカの中にいる人ではなく、奴隷の目でアメリカを見ているのが特徴。
 アメリカは移民の国であり、多くの国々によって、一種の代理戦争のような小規模な争いを繰り返すことで、一つにまとまっていった国である。そんなアメリカでも、つい近年に至るまでなかなか根付かなかったのがユダヤ人問題とアフリカ系住民の問題。かつて
『紳士同盟』で描かれたように、陰に日向にユダヤ人問題は登場する。かつてスピルバーグは、だからこそ『シンドラーのリスト』を作ったとも言えるのだが、その同一線上にアフリカ系問題を持っていき、アメリカの側面を描こうとしたのかもしれない。

 ただ、その意気は買うが、物語としてどうかというと、
ちょっと外し気味だったかな?ユダヤ人問題ほど強く意識していなかったのか、あるいはまとめきれなかったのか。話はちょっと間延び気味だったし、先に制作した『カラー・パープル』同様、カタルシスが足りず、盛り上げきれなかったのがちょっと残念なところだった。そもそも普通の法廷劇にあるどんでん返しの構造がほとんど取られてないため、全てが淡々と過ぎ去ってしまうので、少々疲れる。
ロスト・ワールド ジュラシック・パーク 1997
1997米アカデミー視覚効果賞
1997ゴールデン・ラズベリー最低脚本賞、最低リメイク・続編賞、最低非人道・公共破壊貢献賞
1997毎日映画コンクール優秀宣伝賞
1998MTVムービー・アワードアクション・シーン賞(T−REXのサンディエゴ襲撃シーン)
<A> <楽>
デヴィッド・コープ(脚)
ジェフ・ゴールドブラム
リチャード・アッテンボロー
ジュリアン・ムーア
ピート・ポスルスウェイト
ヴィンス・ヴォーン
アーリス・ハワード
リチャード・シフ
ヴァネッサ・リー・チェスター
ピーター・ストーメア
ジョセフ・マッゼロ
アリアナ・リチャーズ
ハーヴェイ・ジェイソン
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第2作
特撮事典
ロスト・ワールド ジュラシック・パーク <A> <楽>
マイケル・クライトン (検索) <A> <楽>
 ジュラシック・パークでの悲劇から4年。インジェン社会長ハモンド(アッテンボロー)に呼び出された、前回の事件での生存者イアン(ゴールドブラム)は、もう一つの恐竜生息地があることを明かされた。そこでは人知れず恐竜たちが生き延びて繁殖しているという。その調査を依頼されたイアンだが、実はそこには恋人のサラがいるという事実を突きつけられ、嫌々ながら再び恐竜の生息地へと向かう…
 トム・クライトン原作をスピルバーグが作り上げた
『ジュラシック・パーク』の正統的な続編。一作目は色々言われているものの、映画の作りを根本から変えてしまうほどの大作だったので、それに敵うほどのものは作れないだろう。それに実は先に原作の方を読んでおり、これは「ジュラシック・パーク」ほどのカタルシスも得られないだろう。ということでスルーしており、確かテレビでやったから。と言うだけで観たわけだが…
 強いて言えば、正統的な続編として
無難にまとめたか?と言った感じ。
 それじゃ正統的な続編って何だ?と言う話になるのだが、
だいたいより派手に、人間的な物語性は低くとパターンは決まっている。ましてや本作は人間ドラマを観る作品じゃない。恐竜が暴れまくっていればそれで満足できる作品なのだから、そう割り切りさえすればこれで十分な作品だろう。
 限定された空間から飛び出て、町中で恐竜が存分に暴れ回る。これだけでも相当なカタルシスは得られる。怪獣であれ恐竜であれ、その存在には対象物が必要であり、それが見慣れているものであれば、更に楽しさは増す。恐竜が町中で暴れる。主題を偉大なる先達に倣って『ロスト・ワールド』
(描写的には『キング・コング』(1933)とか『怪獣ゴルゴ』(1959)まで入ってる感じだが)としたのは伊達じゃないってことか。

 …そこまではまあ良い。だけど、本作には大きな問題があった。
 やっぱり今の時代の街中だと、恐竜の巨大感が今一つに感じられてしまった。実際あれだけ無人島では迫力があったはずの恐竜が、一旦街に出てしまった途端に個性が無くなってしまう。
 先ほど言ったことと矛盾するようだが、普通これは見栄えがするのだが、その分今までに散々使われてきたのが問題。巨大トラックやエイリアンなどで手を変え品を変えて出され続けてきたため、描写自体が見慣れたものになってしまったようだ。そのため恐竜ならではと言う個性が急激に薄れる。結局最後はチェイスシーンだけで終わってしまい、終わり方もやや中途半端な感じ。恐竜の描写が悪くないだけに、ありきたりな出来になったのがかなり残念。
 残念ながら、これだけでは『ジュラシック・パーク』自体を駄目にしてしまった感じがある。派手なだけで、映像に色気が無さすぎた。それに前作ではティラノサウルスよりもヴェロキラプトルの方が怖い。と言う面白い発想に持っていったのに、ここでは単にでっかいティラノサウルスが暴れて終わりなのも、ひねりがなさ過ぎ。小説版は結構読める作りだったのに、映像化すると陳腐化するものだな。
 丁度同時期に
『GODZILLA ゴジラ』(1998)があったのもマイナス点だったかも?。あれは「ゴジラ」のリメイクとしては最低の部類だったけど、ぶっ飛び方だけは本作の上行ってたので、あれの後で本作観てしまうと、更にこぢんまりした印象を与える。
 単に派手なだけじゃなく、これならでは。と言う映像を見せてほしかった。特に曲がりなりにも作ってるのがスピルバーグなんだから、それくらいはやってほしかったもんだ。
 スピルバーグはなんでこんな安易な続編に走った?金のためか?
シンドラーのリスト 1993
1993米アカデミー作品賞、監督賞(スピルバーグ)、脚色賞、撮影賞、作曲賞、美術装置賞、編集賞、主演男優賞(ニーソン)、助演男優賞(ファインズ)、衣装デザイン賞、メイクアップ賞、録音賞
1993英アカデミー作品賞、助演男優賞(ファインズ、キングズレー)、監督賞(スピルバーグ)、脚色賞、作曲賞、撮影賞、編集賞、主演男優賞(ニーソン)
1993全米批評家協会作品賞、助演男優賞(ファインズ)、監督賞(スピルバーグ)、撮影賞
1993NY批評家協会作品賞、助演男優賞、撮影賞
1993LA批評家協会作品賞、撮影賞、美術賞
1993ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞(スピルバーグ)、脚本賞、男優賞(ニーソン)、助演男優賞(ファインズ)、音楽賞
1993シカゴ映画批評家協会ベスト、監督賞、主演男優賞(ニーソン)、助演男優賞(ファインズ)、脚本賞
1994MTVムービー・アワード作品賞、ブレイクスルー演技賞(ファインズ)
1994日本アカデミー外国作品賞
1994
キネマ旬報外国映画第6位
1994毎日映画コンクール外国映画ファン賞、優秀宣伝賞
1994報知映画海外作品賞
2004アメリカ国立フィルム登録簿新規登録
<A> <楽>
スティーヴン・ザイリアン(脚)
リーアム・ニーソン
ベン・キングズレー
レイフ・ファインズ
キャロライン・グッドオール
ジョナサン・サガール
エンベス・デイヴィッツ
マルゴーシュ・ガベル
シュムリク・レヴィ
アンジェイ・セヴェリン
フリードリッヒ・フォン・サン
ノーバート・ウェイサー
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シンドラーズ・リスト <A> <楽>
トマス・キニーリー (検索) <A> <楽>
 1939年。ドイツ軍がポーランド南部の都市クラクフに侵攻したのを聞きつけたドイツ人実業家のオスカー=シンドラー(ニーソン)は、一旗揚げようとやって来た。巧みに軍幹部たちに取り入り、ユダヤ人の所有していた工場を払い下げてもらう。そこを軍用琺瑯容器工場としたシンドラーは安い賃金で積極的にユダヤ人達を雇う事によって多くの利益を上げていった。しかし、1943年2月になりクラクフのゲットーが解体され、ユダヤ人たちはプワシュフ収容所に送られることになった。それまでユダヤ人達を単なる労働力としか考えていなかったシンドラーだったが、そこで引き立てられるユダヤ人達の悲惨な状況を目にしてから、彼の中で何かが変わっていった…
 キリーニーによる実在の人物オスカー=シンドラーの伝記をまとめた同名の小説の映画化。
 この作品の監督はスティーヴン=スピルバーグ。彼は監督としては一流と目されていたが、それまでどれほどヒットしたとしても所詮SF屋という目でしか見られなかった。確かにこれ以前にも『カラー・パープル』『太陽の帝国』と言った作品を監督はしていたが、彼の作ったSF作品ほどに話題にはならず、所詮賞狙いの手すさびと思われていたのは事実。
 しかし、いくら言われようとも、スピルバーグは娯楽大作を作る一方、コツコツと社会派作品を作り続けてきた。それだけでも賞賛に値する監督だが、本作において、ようやく監督は、本当の一流監督として世間を認めさせることが出来た(ちなみにモノクロ映画がオスカーを得たのは
『アパートの鍵貸します』以来というので、30年ぶり)。
 それほどまでのインパクトを持つ作品だが、
映画史においてもこれは非常に大きな重要性を持っていることに気づく
 実際、この作品はテーマも重く、更に描写に逃げがない。全てを真っ正面から捉え、克明にフィルムに収めているのだが、どうしたらこの重い作品を一人よがりなものにせずに、より多くの人に観てもらうために様々な工夫に満ちている。
 そもそも監督は実質的に世に認められた『激突』以来映像については様々なチャレンジをしてきた。実際監督がヒット作を作るたびに、以降の映画の手法が変わっていったと言えるくらい。パイオニア精神に溢れると言うか、
「どうだ。これを観てみろ!」と映像を突きつけてる感じがするのだが(その挑戦者ぶりが彼を一流と認めさせられなかったのも事実なのだが)、この作品に関しては、一見それが感じられない。むしろ何で今の時代にモノクロ?と言う印象しか受けないのは確か。
 しかし、本作は
モノクロだからこその強みというものをはっきりと打ち出す結果となった。
 
モノトーンの映像というのは色彩的に落ち着いているため、物語そのものも落ち着いた雰囲気を演出しやすい。特にシリアスな物語であるほど、画面そのものにはあまり起伏を持たせない方が良いと言うのが一つ。
 もう一つは第二次世界大戦の時点では既に映画は誕生していたため、記録映像で我々は現在でもその当時の映像を観ることが出来ると言う点も挙げておくべきだろう。記録映像だから狙って撮ったものではない分、映像そのものの質はあまり高くない。粗い粒子が画面を飛び交うし、カメラも次々にパンし、たいへん観にくい…が、
その映像に我々は慣れているという事実がある
 つまり、これが第二次世界大戦を撮っていると言う前提であれば、粒子が粗いモノクロ映像だと、
逆に凄くリアルに感じるという事実である。我々の目の錯覚を上手く利用出来たと言うわけだ。
 その端的なものが劇中意味ありげに登場する赤い少女の描写。彼女は言葉を発することもなく、十把一絡げであっけなく殺されてしまうが、死ぬ時も尚モノトーンの中で赤い色を際だたせていた。十把一絡げのあっけない死。しかしそれが実はシンドラーの心にどれだけ強い印象を与えたかと言うことを映画でははっきりと示していた。事実、あの名もない少女の死こそがシンドラーに一歩踏み出させる事を促していたのだから。
 カメラアングルによる対話の緊張感もある。喋っている人間はあまり登場させず、むしろカメラを不思議な位置に置くことで、不安を感じさせたり、あるいは逆に意志を感じさせたりもしている。
 物語の質の高さはもちろんのこと、新機軸の撮影方法も取り入れられ、一種のエポック・メイキングな作品として評価されるべき作品だとも言えよう。
 それと最も重要なことはもう一つある。
 このテーマの作品にこれだけの金をかけるのは、
世界広しといえども、スピルバーグ以外にはいない。と言うこと。実際「金でオスカーを買うつもりか?」などと口さが無い人間は悪口を言っていたもんだが(実はかく言うこの私も当時そうだったんだが)、ユダヤ人という民族性と、本当に“これを作りたいんだ!”という主張を持って、これまでの自分が得たテクニックを存分に用いつつ、更に画期的な要素までぶち込んでくれた本作については、文句を言えなくなる。スピルバーグにしかできないというのは、こういう事も含めて言える
 ところで、本作には裏話としても大きな技術革新が使われている。本作はポーランドで撮影だったが、ジュラシック・パークの編集作業が残っていたスピルバーグはインターネットを用いてポーランドで編集を行ったと言う。色々な意味でエポックメイキングな作品だった。
ジュラシック・パーク 1993
1993米アカデミー特殊視覚効果賞、音響効果編集賞、録音賞
1993英アカデミー特殊視覚効果賞
1993日本アカデミー外国作品賞
1993ブルー・リボン外国作品賞
1993毎日映画コンクール外国映画ファン賞
1994MTVムービー・アワード作品賞、アクション・シーン賞(T−REXによるジープ襲撃シーン)、悪役賞(T−REX)
<A> <楽>
マイケル・クライトン
デヴィッド・コープ(脚)
リチャード・アッテンボロー
サム・ニール
ローラ・ダーン
ジェフ・ゴールドブラム
アリアナ・リチャーズ
ジョセフ・マッゼロ
マーティン・フェレロ
ボブ・ペック
ウェイン・ナイ
サミュエル・L・ジャクソン
B・D・ウォン
ジェリー・モーレン
ミゲル・サンドヴァル
キャメロン・ソア
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第1作
ジュラシック・パーク <A> <楽>
マイケル・クライトン (検索) <A> <楽>
 アリゾナの砂漠で恐竜の化石の発掘調査をしていた生物学者のアラン・グラント博士(ニール)と古代植物学者のエリー・サトラー博士(ダーン)の元に突然やってきたハモンド財団の創立者で大富豪のジョン・ハモンド(アッテンボロー)は、3年間の資金援助を条件にコスタリカ沖の孤島へ視察に来るよう彼らに依頼するのだった。現在の調査資金もままならないため、その申し出を受ける二人。彼らを入れ、数学者のイアン・マルカム博士(ゴールドブラム)とハモンド氏の2人の孫、レックス(リチャーズ)とティム(マゼロ)達は島に到着する。彼らの眼前に現れたのは、何と本物の恐竜の群が…
 ベストセラー作家であり、映画のヒットメーカーでもあるマイケル=クライトン原作の同名小説の映画化作品(内容的には同じくクライトンが脚本を書いた『ウエストワールド』(1973)を恐竜に置き換えたような作品)。
 当時原作の方は読んでおらず、話題性だけで観に行った作品だったが、自分の中では大当たりだった。
 事前情報としてはスチール写真とほんの僅かの紹介だけであったが、観に行って驚いた。ここまでコンピュータの技術って進んでいたんだ。あの恐竜の描写には正直衝撃を受けた。
 これまでも恐竜を題材とした映画はいくつも作られてきた(『ロスト・ワールド』(1925)という映画最初期の作品もあるし、『キング・コング』(1933)だって恐竜は出てくる)。
 現代に存在しない、いわば命を持たぬ造形物ををいかにして自然に動かすか(命を与えるかと言い直しても良い)、これは映画の歴史そのものと言っても良い。
 例えば『キング・コング』に見られるように、着ぐるみで再現するものがある。ハリウッドではさほどメジャーとは言えないけど、日本の特撮界ではこれが一番相性が良かった。これだと人間が中に入っているので、非常にスムーズに動かせるのだが、人間の体型に着ぐるみを合わせねばならないため、形と動きは制限される。
 着ぐるみと同時によく用いられるのがマリオネット様式。ピアノ線などの吊りを用いることで人間の体型でないものも動かせるようになる。日本ではキングギドラなど、着ぐるみと併用される場合もある。
 あまりメジャーではないが、マペット方式というのもある。ミニチュアの中に手を入れて、動かす方法で、熟練すると人形の表情まで見事に作ることだって出来るが、操作が大変難しいらしく、これで成功した作品は『ダーククリスタル』(1982)』くらいしか私は知らない。
 対してハリウッドで一番メジャーとなったのがコマ撮りのアニメーション。一コマ一コマ恐竜のミニチュアを動かしてみせる方式で、映画黎明期にオブライエンにより既に確立され、それをダイナメーションという形で成功させたのがハリーハウゼン。以降コマ撮りアニメーションと実写の合成がハリウッドの中心となっていく。この中で数々の傑作も生まれ、数々の迷作も登場したが、手作りで、楽しんで作ってるとしか思えないようなこだわりがとても嬉しかった
(特撮好きな人間は大抵その手作りさに惹かれるらしい)
 ただ、映画も進歩していく。コンピュータの導入に従い、CGが徐々に映画の中に入り込むようになってきた。これまでも『トロン』(1982)を初めとしてCG中心の作品が作られたこともあるが、CGは現実の風景を補完するものとして(あるいはセットの一部として)用いられる位が関の山。映画は基本的にアナログで作られていた。
 だが、それまでのアナログを中心に、それを補完する形でディジタルがあるのではなく、ディジタルを中心とし、
逆にそれを補完する形でアナログが用いられる、その転換点が本作となった。確かにこの作品を改めて観ると、CGの使い方がまだ練れてない部分があったり、恐竜の重量感が足りないとかもあったが(この表現がとても難しい)、劇場で観た時はオープニングの衝撃がそれらを全て吹き飛ばしてしまった。
 正直、ここまでなめらかに動く恐竜が目の前に出されたとあっては、映画そのものが変わっていくことを認めざるを得なかった。
 …その結果、確かに映画は変わった。これまでスタントがやっていた演技もCGを用いることによって、今まで以上に派手なシーンが作られるようになったし、現実にはあり得ないような絵を見せることも可能となった。怪獣においては言うに及ばず…それは進歩と言えば進歩だ。更に恐らくこれは不可逆的なことで、これからどんどん進歩していくのだろう。ただ、
ちょっとだけ呟かせていただくと、そこが寂しい所でもあるが…

 …くだらん蘊蓄ばかり長々と書いてしまったが、そろそろ本題に移ることにしよう。
 そう言うことで、本作は“あり得ないものの描写”にCGを前面に持ってきて大成功を収めた初めての作品。常にトップで走り続けたスピルバーグの面目躍如だろう。
 70年代から80年代を通して常にトップランナーであったスピルバーグだったが、彼のチャレンジ精神は未だに健在で、しかもちゃんとそれを一般に受け入れられるように作ることが出来るのは、やはりこの人がただ者じゃない証だろう。まだまだアラの多いCGも、こういう使い方をすれば、目立たずに素直に観ることが出来るんだから、監督はその辺もしっかり考えてやったに違いない。90年代もやっぱりトップを走っていくんだろうと思わせられたものだ。

 しかし、果たしてこれらが全てスピルバーグ監督のコントロールの元にあったのか?そう考えてみると、ちょっと違っているようにも思える。
 映画というのは色々な過程を経て作られるものであり、画面の効果を見せつけるだけの作品というのも確かに方向性としてはあるのだが、良質の映画というのは、一番大切なのは物語であることから外れることはない。画面の派手な演出も、キャラクターも、ストーリーによってしっかり管理されてこそ映えるのであり、そのストーリーにあった演出があってこそ意味がある。少なくとも色々言われてはいても、スピルバーグ監督はその事を本当によく分かった監督だと思ってる。
 しかるに、本作で物語というものを考えてみると…
 あれれ?
思い出せるのが少ない。派手さに押されてしまったようだ。恐竜の登場シーンなんかはヒッチコックを意識したような良い演出ではあったのだが、恐竜という存在感そのものに押されてしまった感じ。
 その後、クライトンの原作を読んでみて、私なりに感じたことは、これは一方的に人間がモンスターによって追われる作品ではなく、むしろファースト・コンタクトを題材にした作品に近いと思えること
(偉大なる先達である『キング・コング』『フランケンシュタイン』(1931)と方向性は一致してる)。絶滅していた恐竜にとって、人間とは自分たちを生き返らせてくれた恩人ではなく、むしろ安らかな眠りについていた自分たちを、モンスターとして甦らせてしまった、苦痛を与える存在に過ぎない。
 その中で人間がどう謙虚に、恐竜との共存の道を模索するか。ここに一つの中心が無ければならなかったのではないか?そして、甦らせてしまい、暴走した恐竜に対し、人間の責任というものを突きつけねばならなかったはずなのである。
 その部分は確かに登場人物の言葉の端々から窺うことも出来るのだが、全て細切れであり、動く恐竜のインパクトに押しつぶされてしまっていた。
 画面を存分に見せつつ、そう言う細かな配慮がもう少し欲しかったな。だったら紛れもない傑作になったものを。

 又、本作の特徴的な問題として、最終的な悪役?がティラノサウルスではなくヴェロキラプトルにしたところだろうか。巨大な恐竜ではなく、小回りが利いて群体で襲うキャラの方が実際に怖いのだが、それを上手いこと使っていたし、何よりそれを人間が撃退不可能としたのも大きい。このパターンは常に人間側にヒーローを設置するものだが、本作では頑なにそれを拒み、恐竜同士の争いで決着を付けてしまった。

 本作はハワイで撮影されたが、台風でセットが全滅してしまったこともあった。並行していた『シンドラーのリスト』の制作の遅れもあって、この当時のスピルバーグは相当苦労していたらしい。「何度も夜中に電話がかかって、何か面白い話をしてくれと頼まれた」とは前作『フック』で主演したロビン・ウィリアムズの言葉。
フック 1991
1991米アカデミー主題歌賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞、視覚効果賞、特殊視覚効果賞
1991ゴールデン・グローブ男優賞(ホフマン)
1991ゴールデン・ラズベリー ワースト助演女優賞(ロバーツ)
<A> <楽>
キャスリーン・ケネディ
フランク・マーシャル
ジェラルド・R・モーレン
ジム・V・ハート(製)
ジム・V・ハート
マライア・スコッチ・マルモ(脚)
ロビン・ウィリアムズ
ダスティン・ホフマン
ジュリア・ロバーツ
ボブ・ホスキンス
マギー・スミス
キャロライン・グッドオール
チャーリー・コースモー
アンバー・スコット
ダンテ・バスコ
ジェームズ・マディオ
ルシャン・ハモンド
イサイア・ロビンソン
フィル・コリンズ
デヴィッド・クロスビー
グレン・クローズ
グウィネス・パルトロー
ロバーツ・ブロッサム
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ピーターパンとウェンディ <A> <楽>
ジェームズ・バリー (検索) <A> <楽>
 40才になるピーター・バニング(ウィリアムズ)は、猛烈仕事人間で妻や子供達からは総スカン。そんな一家が妻の祖母ウェンディの所に里帰りした晩、子供達が何者かに誘拐されてしまう。途方に暮れていた彼の前に突然、妖精が現れる。ティンカーベルと名乗った彼女(ロバーツ)が言うには、彼が実はピーター・パンであり、再び子ども狩りを始めたフック船長(ホフマン)の悪行を阻止するため、ネバー・ランドに戻らねばならないことを告げるのだった。ピーター・パンとしての能力も記憶も無くしていたピーターだったが、子供達を救う為に、そしてフックとの決着を付けるために再びネバー・ランドへと向かうのだった。
 これはロビン・ウィリアムズの独壇場だ。ってより、この人以外に考えつかないよ。設定読んだ瞬間にそう思った。何せピーターパンを中年がやるんだよ。こんな役にぴったりの役って言ったら、この人しか思いつかないし、ロビン・ウィリアムズが演る事を前提に考えていたとしか思えない。あのダスティン=ホフマンがフック役って言うのもなかなか気に入った。
 魅力あるスタッフ&キャストで、期待できそうな感じはあったのだが、ちょっと細かい点が気になってしまい、劇場で観るべき作品からは外しておいた。
 これが本当に細かいのだが、オリジナルの
「ピーターパンとウェンディ」のラストは、人間の世界に戻ったウェンディは成長することを選択し、そうして大人になって再会したピーターパンは彼女の娘を連れていく。そして物語の結びは、「ウェンディはだんだん小さくなっていきました。だってこのお話は本当に昔のお話ですから」(何せ読んだのが小学生の時だったので、記憶の欠損があると思うけど)。そのものは描かれていないにせよ、ウェンディの死が暗示されていて、そこが悲しくもあり、又良い結びにもなっていた。それがまだ生きていると、子供の頃に感じた余韻が台無しになってしまう。しかもティンカーベルは明らかに原作では死んでしまってるんだけど…それが気になってしまい、そこで引いてしまって劇場にわざわざ足を運ぶ気を無くした。
 結局テレビ放映を待って拝見。既に良い年齢のウィリアムズが走る、飛ぶ、回転する、泳ぐ…どことなくゲームを思わせる、体を張った演技は結構目を見張らせられた。あんまり複雑に考えずに観る分なら全く問題無しで、楽しい作品。
 とは言え、ウィリアムズ、この作品では今ひとつ魅力を出し切れずに終わった感じもある。ロバーツもティンカー・ベル演るには違和感出まくりで、豪華ゲストの登用もそのまま流されて終わってしまった。嫌いな作品じゃないけど、どうもこぢんまりした印象にしかならない。
 そう言えばスピルバーグ、
『E.T.』(1982)の時もそう感じたけど、ピーターパンに凄いあこがれがあるんだろうか?空を自由に飛びたいと言う思い、いつまでも子供のままの純粋なままでいたいと言う思いが彼に傑作を作らせていたとするなら、ピーターパンこそが現代最大の童話と言うことになるのかも知れない。だって、スピルバーグの映画を観て大きくなった人って多いしね(あの『ハリー・ポッター』(2001)も随分これの影響を受けてるみたい)
オールウェイズ 1989
<A> <楽>
スティーヴン・スピルバーグ
フランク・マーシャル
キャスリーン・ケネディ(製)
ジェリー・ベルソン(脚)
リチャード・ドレイファス
ホリー・ハンター
ジョン・グッドマン
ブラッド・ジョンソン
オードリー・ヘプバーン
ロバーツ・ブロッサム
キース・デヴィッド
デイル・ダイ
マージ・ヘルゲンバーガー
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ダルトン・トランボ (検索) <A> <楽>
 無茶な飛行でいつも恋人のドリンダ(ハンター)から心配されている森林火災消火隊員ピート(ドレイファス)は、ある日火が付いた仲間の飛行機を助けようとして逆に自分の飛行機が爆発してしまう。天国に付いたピートは天使のハップ(ヘプバーン)という天使と出会う。ハップからやり残したことがあるので、現世に戻ってパイロットに彼の霊感を与えるように言われたピートは養成学校の生徒テッド(ジョンソン)の守護霊となるのだが、その養成校にドリンダが入学してくる…
 かつて
『オズの魔法使』のヴィクター・フレミング監督がダルトン・トランボと組んで製作された日本未公開映画『A Guy Named Joe(ジョーと呼ばれた男)』のリメイク作。
 一種の偏見なのだが、ハリウッド製の作品で天使が出てくる作品の
大半はクズ。そりゃいくつかは面白いのもあるけど『天国から来たチャンピオン』とか)、大体は碌でもないものに仕上がってしまう。天使という超自然の存在の使い方が上手くいかず、物語がもの凄く陳腐になってしまうものばかり。
 で、スピルバーグが作った本作も、やっぱりそのジンクスからは逃れられず。そりゃ本作はヘップバーンの遺作でもあるし、しっかりコントラストが付いた天国や飛行機の描写はとても良いものなのだが、肝心の物語でやっていることは、ちょっとしたスリルが付いたロマコメ。実際の話スピルバーグには向かないタイプの話だし、物語も都合良く進みすぎる大甘な作品に仕上がってしまった。考えてみると、スピルバーグが明確にロマコメやったのは本作が唯一なのではないかな?
 先の『世にも不思議なアメージング・ストーリー』のスピルバーグパートを観ても分かるが、スピルバーグはかなり飛行機に対する思いが強いらしく、その意味では観るべき部分はあるのだが、肝心の物語が全然合わないので、正直げんなり。
 もう少しメリハリが付いていればそれなりに観られるのだけど。キャラもドレイファスが無理してぶっ飛んでることが見え見えなので、観ていて痛々しいのがネックになり、素直に楽しめないで終わってしまった。
インディ・ジョーンズ 最後の聖戦 1989
1989米アカデミー音響効果編集賞、作曲賞、録音賞
1989英アカデミー助演男優賞(コネリー)
1989ゴールデン・グローブ助演男優賞(コネリー)
<A> <楽>
ロバート・ワッツ
ジョージ・ルーカス
フランク・マーシャル(製)
ジェフリー・ボーム(脚)
ハリソン・フォード
ショーン・コネリー
デンホルム・エリオット
アリソン・ドゥーディ
ジョン・リス=デイヴィス
ジュリアン・グローヴァー
リヴァー・フェニックス
マイケル・バーン
ケヴォルク・マリキャン
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第3作
 珍しくも大学で考古学について学生に講義していたインディ(フォード)は同じ考古学者の父ヘンリー(コネリー)が行方不明になったことを聞かされる。いつも自分の前に立ちはだかる父の姿を思い出し、複雑な気持ちを持ちながらも父を捜すためにヴェニスへと飛ぶ。父の探していたキリストの聖杯を巡り、ナチスの暗躍を知ったインディは…
 大ヒットシリーズ第3弾。本作に関しては、全2作より年代が遅く設定されていて、その分ハリソン=フォードもちょっと老けた感じ
(元々ルーカスの構想だと、作るたびに年代を若くしようと思っていたらしいのだが…)。しかし彼の周りにいるのがショーン・コネリー、デンホルム・エリオットというご老体(失礼!)ばかりなので、結果的に全てのアクションを一人で担うことになってしまった
 今回は都市と砂漠が舞台で、前2作のようなジェットコースター・ムービーにはならなかったのは少々残念だったが、それとも、それが狙いだったのかな?コネリー、エリオット共に味のある演技を見せてくれるので、映画としての質は結構高かったようには思う。
 それにしても「父」として出てくるコネリーの存在感は特筆すべき出来。完全にフォードを食いまくってたし、悪女役のドゥーディとの駆け引きも、彼あってこそ映えたものになっていた。飛行機で機銃を撃ちまくって、尾翼撃ち抜いたときのあの複雑な表情はまさしくベスト・ショット
(監督のスピルバーグに対し、コネリーは様々なアイディアを提供したため、大幅に登場数が多くなったとか)。とっても可愛く思える。それとやはり最初に少ししか登場しないけど、リヴァー・フェニックスの存在も大きい。『スタンド・バイ・ミー』(1986)とは打って変わった大人の演技で、既に大物の風格を兼ね揃えていた。この作品によって、明日の映画界を背負って立つ俳優と思っていただけに…
 そう言えばこの手の作品には珍しく、これはヒロイン不在の映画なんだな。あんまり簡単に結ばれるから、おかしいとは思ったんだ。
太陽の帝国 1987
1987米アカデミー撮影賞、作曲賞、美術監督賞、美術装置賞、衣装デザイン賞、編集賞、録音賞
1987ゴールデン・グローブ作品賞、音楽賞

1988英アカデミー作曲賞、撮影賞、音響賞、脚色賞
<A> <楽>
スティーヴン・スピルバーグ
キャスリーン・ケネディ
フランク・マーシャル
ロバート・シャピロ(製)
トム・ストッパード(脚)
クリスチャン・ベイル
ジョン・マルコヴィッチ
ミランダ・リチャードソン
ナイジェル・ヘイヴァース
ジョー・パントリアーノ
ベン・スティラー
伊武雅刀
ガッツ石松
山田隆夫
物語 人物 演出 設定 思い入れ
太陽の帝国 <A> <楽>
J・G・バラード (検索) <A> <楽>
 太平洋戦争中、引き揚げ者の中にいた少年(ベール)は母とはぐれ、日本軍の手に落ちる。そこで収容所に入れられるが、そこでの生活はあまりに過酷だった。少年の目を通し、戦争の狂気と心の荒廃を描き出した作品。
 J=G=バラード原作の自伝的小説をスピルバーグ監督が映画化。
 スピルバーグ、
そんなにオスカーが欲しいか?映画を観終えた時、そう口から漏れた。まさにアカデミー賞への執念があふれた作品である。青年になろうとしている少年の肉体を通し、大人の汚さや影から逃げようにも逃げられない。と言う微妙な心理を描こうとしたようだが、私が見る限り、たとえ目的がはっきりしていても、出来自体がどうしようもない。結局まだまだ力量不足。だった。
 日本軍の描き方の下手さは仕方ないにせよ、主人公の少年が何かとても不自然な成長の仕方をしてるのがどうにもやりきれない。
 結果的にに冗長さばかりが目立ち、外面的に打ちのめされた感覚が全然出ていない。もうちょっと描き方を変えれば…
 あと、難を言えば、おそらくここに登場する少年はスピルバーグ自身の投影なのだと思われる。それを演じたベールは上手いかも知れないけど、感情移入できなかったのも大きい。

 …前にこんな事を書いていたのだが、今や
クリスチャン・ベールと言えば、押しも押されもしない大スター。時代は移っていくものだなあ。

 …ところで、このレビューを書いてから結構時間が経過したが、その間に色々知ったことも多く、その目で観たところ、結構評価は変わってきた。本作はアメリカ人とは違ったイギリス人少年の目を通しているというのは面白い視点で、決して日本を完璧に批判している訳ではない。
世にも不思議なアメージング・ストーリー 1986
<A> <楽>
メノ・メイエス
アール・ポメランツ
ミック・ギャリス
トム・マクローリン
ボブ・ゲイル(脚)
ケヴィン・コスナー
キーファー・サザーランド
トム・ハリソン
ブロンソン・ピンチョット
ブライオン・ジェームズ
クリストファー・ロイド
メアリー・スチュアート・マスターソン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 三つの物語からなるオムニバス映画。「最後のミッション」:第二次大戦中、車輪を失った連合国爆撃機の帰還の話。「パパはミイラ」病院から子供が生まれそうとの連絡を受けた役者がミイラのメイクのまま病院に向かう顛末を描く。「真夜中の呪文」学生が陰湿な教授に呪いをかけようとする物語。
 スピルバーグが往年の
「ミステリーゾーン」(これ自体『トワイライト・ゾーン』として映画化済み)を目指して作ったテレビシリーズで、内容的にもテレビっぽい構成だけど、金がかかってる分、見応えはある。
 1話目の
「最後のミッション」は後に良質の戦争映画を作る事になるスピルバーグ監督の実力を発揮した作品で、爆撃機の狭いコックピットの中、絶望に駆られる人間模様が良い。物語としては『メンフィス・ベル』っぽいが、最後はきちんとファンタジックにまとめている。
 2話目の
「パパがミイラ」は、一見ホラーのようなコメディ。ミイラ男ものと言うよりむしろ『フランケンシュタインの花嫁』のオマージュが溢れた作品で、ミイラメイクのまま焦りまくる男の姿が微笑ましい。尚、これはオチの部分が完全なダジャレで、「Mummy is Daddy?」(パパがママ?)と言うアメリカン・ジョーク…
 3話目の
「真夜中の呪文」もギャグとしてはシャレにならないけど、ホラー的素材をコメディに仕上げるゼメキスらしい作品。
 いずれにせよ、ビデオで観る分にはかなり楽しいし、一本一本は短いながら、製作者側が楽しんで作ってる事が分かるので、くつろいで観るのが正しい観方。
カラーパープル 1985
1985米アカデミー作品賞、主演女優賞(ゴールドバーグ)、助演女優賞(エイヴリー)、脚色賞、撮影賞、作曲賞、歌曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞
1985ゴールデン・グローブ女優賞(ゴールドバーグ)
1986英アカデミー脚色賞
1986ブルーリボン外国作品賞
1986
キネマ旬報外国映画第6位
<A> <楽>
スティーヴン・スピルバーグ
キャスリーン・ケネディ
クインシー・ジョーンズ
フランク・マーシャル
ジョン・ピーターズ
ピーター・グーバー(製)

メノ・メイエス(脚)
ウーピー・ゴールドバーグ
マーガレット・エイヴリー
ダニー・グローヴァー
オプラ・ウィンフリー
アドルフ・シーザー
ウィラード・ピュー
アコスア・バシア
デスレタ・ジャクソン
レイ・ドーン・チョン
ダナ・アイヴィ
ラリー・フィッシュバーン
カール・アンダーソン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
カラーパープル <A> <楽>
アリス・ウォーカー (検索) <A> <楽>
 20世紀初頭の南部ジョージアの小さな町で家族や同じアフリカ系の住民からも虐待を受け続けてきた一人の女性セリー( ゴールドバーグ)が、その忍耐の人生の中で出来た共や、アフリカに渡った妹の生き方を学んでいく。40年にわたる一人の女性の物語。
 
アリス=ウォーカーのピューリッツァ賞受賞小説の映画化。スピルバーグ監督の初シリアス作品として話題となり、1986年全米興行成績6位。又本作がウーピー・ゴールドバーグのデビュー作だが(ゴールドバーグはスタンダップコメディでETのパロディをやっており、それでスピルバーグの目に留まった)アカデミー主演女優賞にノミネートという快挙を成し遂げた。
 娯楽映画の大家として知られるスピルバーグは、これまでに数多くのシリアスドラマも作っているが、本作は第一作目となる。
 ただ、スピルバーグの場合、『シンドラーのリスト』作るまでの数作はけなされ放題。それこそ
「娯楽作を作ってやるから俺の作りたいもの作らせろ」と製作者を脅迫しているのではないか?などと陰口まで叩かれる始末だった(事実アカデミーはノミネートまではいくもののことごとくオスカーを逃してしまった)。娯楽大作で有名になった監督が転身するのは本当に大変なことだと思える出来事である。ただし、少なくともスピルバーグはそれから逃げなかった。それだけでも凄いことだろう(このパターンで成功した人は決して多くない。大抵はそう言う監督は製作者になって他の監督に作らせるようになるのだし、事実スピルバーグもその方法を使って何作も作っているのだが)
 実際の話を言えば、本作は決して悪い作品じゃない。長い女性の半生を通して苦難と自立がしっかり描かれているし、アメリカン・ドリームに対するアンチ・テーゼも見られる
(これが移民の子孫であるスピルバーグのアイデンティティだろう)。何よりキャラ立ちがしっかりしているのが一番。ゴールドバーグは初主演作というのに堂々たるものだ。実際単体の映画としてみる限りは本作はかなりの水準だと言えるだろう。
 ただ、一つ問題があるとすれば、
本作の演出がもっさりしすぎていたと言う点に尽きる。
 こればかりはご愁傷様と言うしかないのだが、そもそもスピルバーグ作品の最大の魅力は際だった演出力にあり、しかもその演出がとても切れ味の良い軽快さが信条だった。それが本作に関しては演出を重厚にしようとしたため、とてもスピルバーグ作品のように思えなかったのが致命的。もし例えばだが、
本作がベルトルッチかアッテンボローあたりが同じように作ったのだったら「こんなものだ」と受け入れられただろうけど、それをスピルバーグが作ったという事が「らしくない」とされてしまったのではないだろうか。事実私自身も当初本作に期待していたのはそれだったから、完全に肩すかしを食ってしまった気分だったし。
 娯楽で有名になってしまった監督ってのは、それはそれで苦悩があるんだろうね。
 本作の場合、スピルバーグ作品という事を念頭から消して観る必要があるだろう。
それにスピルバーグ自身もその方が喜ぶ気がする

 尚、この年、スピルバーグは製作では『グーニーズ』(1985)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、TVでは「アメージングストーリー」と、娯楽作ばかりだったが、これが監督のバランス感覚という奴だろう。

 原作者のウォーカーはは白人に監督させることを最初は拒否したというが、本作に楽曲を提供しているクインシー=ジョーンズが説得に当たり、その映画化権を買うことが出来たのだという。
インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 1984
1984米アカデミー視覚効果賞、作曲賞
1984英アカデミー特殊視覚効果賞、撮影賞
<A> <楽>
ロバート・ワッツ
ジョージ・ルーカス
フランク・マーシャル(製)
ウィラード・ハイク
グロリア・カッツ(脚)
ハリソン・フォード
ケイト・キャプショー
キー・ホイ・クァン
ロイ・チャオ
アムリッシュ・プリ
フィリップ・ストーン
ロシャン・セス
リック・ヤン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第2作
 考古学者にして冒険家のインディアナ・ジョーンズ(フォード)。中国の奥地で発見したヌルハチの骨をめぐり、上海のギャングとの派手なやりとりの後、行きがかりでつれてこられたダンサーのウィリー(キャプショー)、相棒の少年ショート・ラウンド(クアン)を引き連れてインドの山奥にたどり着く。かつて緑豊かなこの土地が荒れ果ててしまったのは、村の御神体と、男達が謎の邪教集団に連れ去られたと言うことを聞かされた彼らは御神体サンカラ・ストーンと連れ去られた村人を救うために敵地に乗り込んでいくが…
 
1984年全米興行成績2位。大ヒットシリーズの第2弾。実は私はこちらの方を先に劇場で観て、その後前作の『レイダース』(1981)をテレビで観たので、どうしてもこちらの派手さの方が印象に残っている。続編の常でより派手に、そしてあまり深刻にならない話に仕上がっていて、娯楽作品の続編としては結構良い出来だと思う。見応えもあった。『レイダース』とは異なり、歴史とは関わらないが、その分純粋なアクション作として楽しめる。ジェットコースタームービーとは本作のためにあるような言葉だ。物語そのものは完全な1作目のリメイクっぽくなってしまったが、より派手に、より危機の連続で、シリーズものの宿命というものを感じさせられてしまう『レイダース』を観ていると分かるジョークも結構多い)
 ところでこの作品の目的は一つの石を敵から奪うことなのだが、この石はリンガと呼ばれるものである。それでそのリンガ、日本語に訳すると男根。下世話に言えば、シヴァ神の一物と言うことになる。
 つまりインディアナ・ジョーンズと敵の首領が争ってリンガを奪おうとしたのを見せられるのは複雑な思いが…なるほど。だから
もみ合ううちに高温を発する訳か。石も興奮するんだね。
 …まことに済まん。
トワイライトゾーン超次元の体験 1983
1984アボリアッツ・ファンタスティック映画祭
<A> <楽>
スティーヴン・スピルバーグ
ジョン・ランディス
ジョン・デイヴィソン
ジョージ・フォルシー・Jr
マイケル・フィネル
キャスリーン・ケネディ
フランク・マーシャル(製)

ジョン・ランディス
ジョージ・C・ジョンソン
リチャード・マシスン
ジョシュ・ローガン(脚)
ダン・エイクロイド
アルバート・ブルックス
ヴィク・モロー
スキャットマン・クローザース
キャスリーン・クインラン
ジョン・リスゴー
ドナ・ディクソン
プリシラ・ポインター
アル・レオン
ケヴィン・マッカーシー
ディック・ミラー
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 かつてのTVシリーズ『トワイライト・ゾーン』を愛好した監督達が集まって製作したオムニバス作品。
 
第1話。アメリカのバーでくだを巻いていた人種差別者のビル(モロー)が時空を越え、差別される側に立つ姿を描く(監督:ランディス)。
 
第2話。サニーヴェイル老人ホームで突然全員が少年に戻ってしまった顛末を描く(監督:スピルバーグ)。
 
第3話。元教師で、旅に出たヘレン(クインラン)が知り合った一人の少年アンソニー(ライト)の家での恐怖体験を描く(監督:ダンテ)
 
第4話。飛行機に乗る羽目になった飛行機恐怖症のヴァレンタイン(リスゴー)が翼に発見したのは…(監督:ミラー)
 1959年から1965年にかけて放映された昔懐かしの人気シリーズ
(邦題は『ミステリー・ゾーン』)を観て育った監督達が一堂に会して作り上げたオムニバス作品。特にスピルバーグはいたくこの作品を気に入っていたらしく、その中心となって呼びかけを行い、更にその後自身の立ち上げによって『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(1986)を作り上げている。
 こういったオムニバス作品というのは個々の作品で監督の個性が出るから楽しい。特に本作の場合、要するに“怪奇現象であれば何でも良い”というコンセプトだから、作りたいように作っているのが大変心地よい。
 1話目は極めてブラックなジョークを得意とするランディス監督らしいブラックユーモアに仕上がってるし
(って言うか、時代によってはシャレのレベルを逸脱してるような気もするが)、2作目は、これまでSF監督という烙印を押され続けていた(いや、これもSFには違いないけど)スピルバーグの意地が見えてるようだ。3話目のダンテ監督も、らしいと言えばらしいな。翌年の製作となる『グレムリン』(1984)の片鱗が窺える…これもシャレになってないため、あんまり笑える作品じゃないのがちょっと残念。しかし、本作で一番力が入っていて、この短い時間と限定された空間でミラー監督の力量を発揮したのが第4話。純粋なホラー映画に近いものを、緊張感を絡めて巧く描いていた。プロローグがエピローグへとつながっていくのもなかなか味わい深い(実はミラー監督はこれまで『マッド・マックス』(1979)二本しか映画を撮っておらず、最もキャリアが少ないのだが)
 ただ、一言言いたくなるのは、オリジナル・シリーズの持っていた、それぞれ趣向を凝らして、最後に「あっ」と言わせようとしていた部分が感じられなかったのがちょっと寂しい。その点がマイナス。
 気楽に観るにはちょっとばかり重いものが多いけど、楽しめるのは確か。
 ところでスピルバーグ監督は確かに一流監督だが、“呪いの監督”というありがたくない風評もいただいている。何故か監督の関わった映画では、そのキャストがよく死んでしまうと言うのだ。例を挙げると、『ジョーズ』(1975)のロバート=ショウ、『1941』(1979)のジョン=ベルーシ、『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(1989)のリヴァー=フェニックス、
『オールウェイズ』(1989)のオードリー=ヘップバーンなどなど。『ポルターガイスト』(1982)に至ってはドミニク=ダン、ジュリアン=ベック、ヘザー=オルーク、ウィル=サンプソンの四人が亡くなってる。本作でも第1話目の撮影中にヘリコプターが墜落し、主演のヴィク=モローが死んでしまうと言うハプニングに見舞われている。勿論言いがかりなんだが…こりゃ言い過ぎたか?
E.T. 1982
1982米アカデミー作曲賞、視覚効果賞、音響賞、音響効果編集賞、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、編集賞
1982英アカデミー作曲賞、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞
1982全米批評家協会監督賞
1982
LA批評家協会作品賞、監督賞
1982ゴールデン・グローブ作品賞、音楽賞
1982ブルーリボン外国作品賞
1982キネマ旬報外国映画1位

1994アメリカ国立フィルム登録簿登録
<A> <楽>
メリッサ・マシスン(脚)
ディー・ウォーレス
ヘンリー・トーマス
ロバート・マクノートン
ドリュー・バリモア
ピーター・コヨーテ
K・C・マーテル
ショーン・フライ
トム・ハウエル
エリカ・エレニアック
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 遥か宇宙の彼方から宇宙船に乗り、地球探査にやってきた地球外の知的生物たち。だがそれを嗅ぎつけた地球の捜査隊から逃れるため、宇宙船は姿を消してしまう。ひょんなことから宇宙船に乗り遅れてしまった彼らの一人と10才のエリオット少年(トーマス)とが出会った。エリオットは彼を自分の部屋に受け入れ、兄妹と共に彼を宇宙へ帰そうと夢見る。一方、地球に残った“彼”の事を嗅ぎつけた捜査隊も又、エリオットの家に行き着くのだが…
 宇宙人(Extra Terrestrial)と少年たちの友情を描いた、ファーストコンタクトものを扱った作品で、公開後1ヶ月で1億ドルを超える配給収入をたたき出し、SF作品としては空前のヒットを記録した
(当然ながら1982年全米興行成績は1位である)。自転車が空を飛ぶシーンは、以降の作品にやたらとパクられているので、映画史においても重要な位置づけを持つ作品である。
 ところが自分でも意外なのだが、この作品、劇場はおろかビデオ、テレビでも今まで観ていなかった。これだけの超有名作品だけに、それなりに整ったところで観たいと言う思いもあったし、
どうせ大したこと無かろう。と言う思いも多少はあった。そう言う意味で20周年記念特別版は本当にタイミング良かった。これでやっと観ることが出来たよ。
 それで拝見。
 
実に巧みな作品というのが正直な感想。スピルバーグは本当にカメラワークだけでメッセージ性を出すことが出来る。そう言う意味では彼は本当に映画を撮るため、監督になるために生まれてきたんじゃないかとさえ思う。職人芸を越えて、名人芸と言ってさえ良い。
 ストーリーについて、はあまり言うべき必要性を感じない。一言だけ言わせてもらえば、これはスピルバーグの
確信犯的な作品。かなり巧妙に狙ってるぞ。
 まあ、とりあえず音楽やストーリーを剥ぎ取って、カメラワークとプロットだけでこの作品を見てみたい。するとサブリミナル的なものを含め、本当に様々なメッセージが込められていることに気付く。
 カメラ・ワークだけで見ると、最初から最後までに、撮り方が随分変化している。
最初の部分のカメラ・ワークは極めて限定される、しかもホラー映画を思わせる、下から見上げる形での(あるいは地面を這う形での)のみの描写。それがエリオットの家庭を描くところで視野が多少広がる。この辺りから急にカメラ・ワークの自由度が高くなるのだが、それでもまだ足りず。そしてエリオットの家宅調査で見下げる視点が急に増え始め、そして最後にラストの町を縦横に駆けめぐる辺りのカメラ・ワークの自由度で最高潮となる。ここではカメラのテクニックは見事に全開状態。
 これは、視点と言うのが非常に大切にされているため。冒頭での極めて限定された視点はまさにE.T.自身による視点に他ならない。あの身長の低さと、状況のわからなさで、カメラ・ワークは自然と低く、限られた目線でのみ移動する。そこでE.T.自身の不安な感情を示すようにホラーっぽく作られるのも巧い。その後、エリオットの家が出ることによって、視点が今度は子供の視点に移る。身長こそE.T.と変わらないものの、勝手知ったる町の中にあって、彼の目は様々なものを有効に捉えるようになる。これでようやく普通に近い視点の撮り方になるのだが、身長が低い分、大人は常に見上げるように
(場合によっては顔が見えないものとして)撮られている。そしてE.T.の死?を境に視点は大人(これはエリオットの母なのかも知れないけど、やっぱりコヨーテのものだろう)に変化している。ここにおいて本当の意味で普通のカメラ・ワークが出来るようになった。そしてラスト、今度は大人の視点を更に大きく飛び越え、宇宙から来た円盤からの視点。つまり上空からの、平面的な広がりから一気に立体的な広がりへと移行する。その視点変化はひたすら見事(ただ、いくつもの例外があることは認めるし、この考え自体が間違っている可能性もある)。複数の背後の視線を感じるカメラ・ワークなんて、普通考えつきもしない。母メアリーが妹のガーティに読み聞かせる「ピーター・パン」の話。ガーティが兄のマイケルに言う台詞「子供にしか見えないのよ」。その後、キーズがエリオットに「10歳の頃から待ってた」と言う台詞。それが視点の変化を表しているかのようで興味深い。
 E.T.自身の目からE.T.を見つめる→子供の目でE.T.を見る→大人の目でE.T.を見る→最後に宇宙船からの視点によってクライマックスを迎える。と言う四段階の視点変化は、まさしく物語そのものの移行過程でもある。ホラー映画っぽさから、子供の夢とひたむきさへ、そして死を物理的なものとして見つめる大人の視線へと…そして最後。
それら全てを超えて物語はファンタジックに展開する。ここにおいてカメラ・ワークは全ての視点を超えてカメラでしか実現し得ない場所で縦横無尽に撮影されることになる。抑えに抑えた後で一気に来る解放感。これは本当の快感である。
 結局、この作品の本当の良さ、そして巧さは、途中まで巧妙にわざと不自由なカメラ・ワークで撮っていた点にあると言っても良い。勿論解放感を盛り上げるジョン=ウィリアムズの音楽の素晴らしさもあってのことだが、局で一番盛り上がるところをぴったり合わせたのは名人芸だね。
 そう言えば、この作品で主演のヘンリー=トーマスが「名子役」と公開当時は言われたものだが、今になって観てみると、妹役のドリュー=バリモアの方が上手く見えてしまう。多分、
あれから20年経って、どっちが役者として有名になったかと言う結果が明らかになったからだろうけど(笑)
 雑学をいくつか。
 撮影は徹底した秘密主義で行われ、マスコミには
『ボーイズ・ライフ』という仮題を発表し、いかにもSFではないものを作っていると思わせていた。又公開後も絶対にマスコミにはE.T.のスチールを出さないようにと念を押したという(後者は不可能だったが)。
 E.T.が常に細かく手を振るわせているのは、初めてE.T.の手の演技を行ったキャプリス=ロースが緊張のあまりに手の震えが止まらなかったのを見たスピルバーグが気に入って、そのまま採用した。
 本作の脚本を書いたメリッサ・マシソンは翌年ハリソン・フォードと結婚するが、本作でもカップルでカメオ出演。ただし、その場面はカットされてしまったとのこと。
 本作でE.T.がキャンディを食べるシーンのお陰でキャンディの売り上げが増加したため(マーブルを提供したリース社はこの年売り上げが65%も伸び、最初に交渉してはねのけられたM&Mの売り上げは驚異的に落ち込んだとも言う)、以降プロダクト・プレイスメント(画面に商品や会社のロゴを映して宣伝を行う)が積極的に用いられるようになったという。
 世界各国で絶賛された本作だが、唯一スウェーデンでは上映禁止とされてしまった。なんでもこれは両親が子供を巡って敵対しているからだという。
レイダース 失われた聖櫃 1981
1981米アカデミー美術監督・装置賞、視覚効果賞、音響賞、編集賞、特別業績賞、作品賞、監督賞、撮影賞、作曲賞
1981英アカデミープロダクションデザイン賞、作品賞、助演男優賞(エリオット)、作曲賞、撮影賞
1999アメリカ国立フィルム登録簿登録
<A> <楽>
フランク・マーシャル
ジョージ・ルーカス
ハワード・カザンジャン(製)

ローレンス・カスダン(脚)
ハリソン・フォード
カレン・アレン
ウォルフ・カーラー
ポール・フリーマン
ロナルド・レイシー
ジョン・リス=デイヴィス
デンホルム・エリオット
アルフレッド・モリナ
アンソニー・ヒギンズ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第1作
 考古学者のインディアナ・ジョーンズ(フォード)は依頼を受け、神秘的な力を宿していると言うモーセの十戒の破片を納めた聖櫃探索に向かう。だが、同時にその聖櫃はナチスも狙っていたのだ。シナイ半島で、聖櫃をめぐる冒険活劇が始まった。
 スピルバーグとルーカスが手を組んで作り上げた痛快娯楽大作。往年のアクション作品
『ガンガ・ディン』を元にしたものだが、“ジェットコースター・ムービー”と銘打たれるだけに、とにかく飽きさせずに連続活劇を最初から最後まで貫いており、実際出来としても実に素晴らしい。
 ストーリーは単純を極めるが、その分流れが実に良く仕上がっている。ラストも洒落てて、古典的な作り方ながら、アクション作品の新境地を拓いた作品。音楽も一度聴いたら忘れられない出色の出来で、
これ程手堅く、ヒットを前提に作られ、しかもちゃんとヒットさせた事実が凄い。勿論1981年全米興行成績は堂々の1位。アクションものにはあまりいい顔をしないアカデミーも、この年だけは大盤振る舞いしてくれた。
 観客を飽きさせないためにはどうすればいいのか、その事を知り抜いているスピルバーグだけの事はある。特に最初の10分のほとんどクライマックスシーンだけで構成されている冒頭は、本編よりも引用が多いくらい。オープニングの掴みは最高で、これで一気に魂を持って行かれてしまう。
 そもそも本作の企画の始まりは、『スター・ウォーズ』(1977)が公開される時、一体どうなるか全く分からないルーカスが怖くなってハワイに逃げてしまったと言うところから始まった。その時に陣中見舞いにスピルバーグがやってきて、その時に話した映画談義からだという。二人とも、今度は子供の頃に夢中になった連続活劇を作ってみたいという夢を持っていたが、二人の思いには微妙にずれがあった。「007」みたいなものを作りたいと思っていたスピルバーグと、
「ソロモン王の秘宝」のリメイクをしてみたい。というルーカス。その二人のアイディアが合体して出来た企画が本作だったという。
 ただ、その撮影にはとんでもない苦労があったらしい。まず主演として候補に挙がっていた当時人気TVシリーズ
「私立探偵マグナム」のトム・セレックが出演を辞退(代役としてハリソンに白羽の矢が立ったのは奇しくも『スター・ウォーズ』の時と全く同じ)。砂漠でのロケに病気や撮影機材の故障が相次ぎ、撮影は困難を極めた。端的にそれを示したのはフォードが完全武装で向かってくる敵を拳銃一発で倒してしまったシーンだろう。あの時はフォードが腹をこわして動けないからと言う理由で撮られたそうだが、それが映画史に残る名シーンとなってしまった。他にも途中に出てくる蛇も調達にはえらく難儀したらしい。更に撮影が終わった後、大部分は逃げてしまって業者からえらくふんだくられたとか。
 映画撮影にはトラブルが付き物だとは言うが、そのトラブルを超え、更に面白いものにできた。
なんだかんだ言ってもスピルバーグが本物の映画監督であることの証明だろう。
1941 1979
1979米アカデミー撮影賞、視覚効果賞、音響賞
<A> <楽>
バズ・フェイトシャンズ
ジャネット・ヒーリー
マイケル・カーン
ジョン・ミリアス(製)

ロバート・ゼメキス
ボブ・ゲイル
ジョン・ミリアス(脚)
ダン・エイクロイド
ネッド・ビーティ
ジョン・ベルーシ
三船敏郎
クリストファー・リー
トリート・ウィリアムズ
ナンシー・アレン
ロバート・スタック
ティム・マシスン
ウォーレン・オーツ
ボビー・ディ・シッコ
マーレイ・ハミルトン
ロレイン・ゲイリー
スリム・ピケンズ
ジョン・キャンディ
ミッキー・ローク
ディック・ミラー
ジョセフ・P・フラハティ
ルシル・ベンソン
エリシャ・クック・Jr
ダイアン・ケイ
ペリー・ラング
パティ・ルポーン
J・パトリック・マクナマラ
フランク・マクレー
スティーヴン・モンド
エディ・ディーゼン
ウェンディ・ジョー・スパーバー
ライオネル・スタンダー
ダブ・テイラー
サミュエル・フラー
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 真珠湾攻撃直後。日本の潜水艦がアメリカ西海岸を襲う。ただし、田舎町をハリウッドと勘違いした事で町はてんやわんやの大騒ぎに…
 公開当時、私は小学生。住んでいたのが田舎だったので情報もなかなか入らず、ただ“あの”スピルバーグ作品!と言うことで、どれだけ面白いのかと子供心に色々考えていた。
 やがて時が流れ、ビデオという文明の利器が手に入った時代のレンタル2泊3日500円の時代(更に言うと貧乏学生だった時代)になって、やっとビデオをレンタルして観た。
 
監督はスピルバーグ、原作がジョン・ミリアス、脚本がロバート・ゼメキス。更にキャストはジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド、三船敏郎と言った蒼々たる面々が一堂に会した(ついでに言えば、出たがり監督のジョン・ランディスまで出てるのだとか)感動的な作品のはずじゃなかったのか?
 
なんでこんなに面白くないんだ?最初に観たときは真面目に私の感性がおかしいのではないかとさえ思ってしまった。
 エキセントリックなキャラクターが騒ぎ立てるだけで、ギャグは上滑りしてるし、ストーリーなど殆ど無いに等しい。根本的に笑えない映画に仕上がってしまった。笑うはずの映画を観てて悲しくなってしまったよ。
 これ、感性が合う人もいるんだろうけど、とてもじゃないが私には耐えられない。どたばたコメディのはずが、どたばただけして終わった感じ。
 一言で言えば、金の無駄遣い。それ以上に何も言えない。唯一の救いはベルーシがとにかく狂ったキャラを嬉々として演じている所かな?『アニマル・ハウス』(1978)以上の強烈な印象があった。
 ところで間抜けな潜水艦の艦長をやってる三船敏郎だが、実はその前にルーカスから
『スター・ウォーズ』(1977)のオファーが来ていたはず(オビ・ワン役で)。それを蹴っておいてなんでこんなのに出たのだろう?勝手な推測だが、『スター・ウォーズ』を最初胡散臭い作品と思っていたのに、思いもかけず大ヒットしてしまったから、焦ってスピルバーグのオファーに乗ってしまったのかな?
未知との遭遇 1977
1977米アカデミー撮影賞、特別業績賞、助演女優賞(ディロン)、監督賞、作曲賞、美術監督・装置賞、特殊効果賞、音響賞、編集賞
1978英アカデミープロダクションデザイン賞、作品賞、助演男優賞(トリュフォー)、監督賞、脚本賞、作曲賞、撮影賞
1978キネマ旬報外国映画第4位
<A> <楽>
ジュリア・フィリップス
マイケル・フィリップス(製)
スティーヴン・スピルバーグ(脚)
リチャード・ドレイファス
フランソワ・トリュフォー
テリー・ガー
メリンダ・ディロン
ボブ・バラバン
ケリー・ギャフィ
ランス・ヘンリクセン
ロバーツ・ブロッサム
カール・ウェザース
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ある夜を境としてアメリカ各地で不思議な報告が相次ぐ−−砂漠で第二時世界大戦で使用されたとおぼしき“新品の”戦闘機が発見され、インディアナポリスの交信センターでは数多くの飛行物体がスクリーンに映し出される。そしてその夜、インディアナ州の一軒屋から一人の少年が姿を消した。たまたま少年と同じ町内に住んでいた電気技師のロイ(ドレイファス)は少年の母ジリアンと共に少年を探すのだが、捜索中にまばゆいばかりの光と出会うのだった。結局少年は見つからなかったのだが、ロイとジリアンは不思議な夢をみるようになる。一方、発見された戦闘機の調査に当たっていたラコーム博士(トリュフォー)はこれが異星人の仕業によるものでは。と推測するが、突然政府の調査中止命令が出てしまう…
 スピルバーグが子供の頃夢に描いていたという物語の映画化で
1977年全米興行収入2位。この1977年と言うのは映画界にあって大変重要な年であった。
 この年、二つの映画の登場によって、以降の映画の作り方が全く違ってしまったと言われる。
 その一つは本作であり、もう一作がスピルバーグ監督の盟友と言われるルーカス監督による『スター・ウォーズ』
 SF映画は長らく不遇のままで、それまでまともな映画とは観られなかった傾向があった。確かに1968年には『2001年宇宙の旅』(1968)『猿の惑星』(1968)と言った傑作も出ているとしても、これを作って売れると言う確信が持てず、SFは相変わらず低予算で作るもの、他の映画の添えものに過ぎなかった。
 その状況に本当の意味で風穴をあけたのがこの年だったと言えるし、本作こそがチャレンジャーとしてのスピルバーグ監督の偉大な功績と言えよう。
『スター・ウォーズ』と本作がこの年の興業成績でワンツーフィニッシュを飾ることによって、ようやくハリウッドも「SFは売れる」と言うことに気づいたのだ。そしてこれまでのニュー・シネマ流行りで低迷していた映画界に大きな喝を入れることにもなり、現代に至る映画の定礎を築いた作品とも言えよう。それに『スター・ウォーズ』共々、映画にデジタル技術を持ち込むきっかけにもなった。
 宇宙人とのコンタクトが決して侵略ではなく友好的なファースト・コンタクトとなっているのも本作のユニークな点で、これまでSFと言えばインベーダーという図式が見事に覆されている。その意味で多分にニューシネマの影響(ラヴ&ピースね)を受けてもいると思われるのだが
(あと当然、これは宗教的なリスペクトも多いが)、それ故に転換点としてはぴったりな作品だっただろう。そう言えば、同じくニューシネマからの転換点と言われている『サタデー・ナイト・フィーバー』も同年だった。やっぱりこの年は大きな意味を持っていたのだろう。そう言う意味では本作はかなり特異的な位置にある作品で、この時代だからこそ、これが出来たと言える作品なのだろう。それに、ハリウッドの中では特に伝統的、つまり保守的な作りで有名なお陰でニュー・シネマのお陰で営業成績低下に悩むコロムビアにとっても本作は救世主ともなった。
 私に関して言えば、この作品の初見は小学生の時のテレビだったと記憶するのだが、その時は正直あんまり面白いと思えなかった。だってテレビアニメとか特撮だったら、宇宙からやって来る悪い敵とばしばしやり合うから面白いのであり、単にファースト・コンタクトだけで終わってしまってはなあ。と言うのが正直な感想だったのだが、後にリバイバル上映で完全版を劇場で観ることが出来た時、
考えは180度転換
 これは素晴らしい。物語の盛り上げ方の巧さは確かにある。不安が交錯する異星人とのコンタクトが最後のマザーシップの出現によるクライマックスまで丁寧に描かれているし、音楽でコンタクトを取るという方法も斬新。はっきり言ってこれまで全くの勘違いをしていたと言うことを思い知らされる。そしてその異常な状態の中にあって、一人の男の心の成長を描くことこそが本作の本当の主題ではなかっただろうか?
 スピルバーグの視点の正しさに改めて感心させられた。このテーマに敢えて直球で挑んだスピルバーグは意気もあり、時代を見据える確かな目も持っていたという事実に改めて気付かせてくれた。本作は確かにこれまでにはなかったタイプの作品であると共に、これ一作しか作れない、いわば一発ネタの作品。それをこれ以上ないタイミングで投入できたのだから。
 尚、本作には宇宙人とのコンタクトを主導するラコーム博士役にフランソワ=トリュフォーが登場しているが、これは『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973)を観ていたスピルバーグの指名によるものだとか。
 又本作は世界最大の屋内セットでも知られる。スタジオでは間に合わないため、アラバマ州モビールの飛行船格納庫に長さ137m、幅76m、高さ27mのUFO着陸地点のセットが組まれる。
ジョーズ 1975
1975米アカデミー作曲賞(ジョン=ウィリアムズ)、音響賞、編集賞、作品賞
1975
英アカデミー作曲賞、作品賞、主演男優賞(ドレイファス)、監督賞、脚本賞
1975ゴールデン・グローブ音楽賞(ウィリアムズ)
<A> <楽>
ピーター・ベンチリー
カール・ゴットリーブ(脚)
ロイ・シャイダー
ロバート・ショウ
リチャード・ドレイファス
ロレイン・ゲイリー
カール・ゴットリーブ
マーレイ・ハミルトン
ジェフリー・クレイマー
スーザン・バックリーニ
ジョナサン・フィレイ
クリス・レベロ
ジェイ・メロ
テッド・グロスマン
ピーター・ベンチリー
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ジョーズ 顎 <A> <楽>
ピーター・ベンチリー (検索) <A> <楽>
 平和な海水浴場アミティの沖で女性と子供の死亡事件が起きる。警察署長マーティン・ブロディ(シャイダー)はサメの仕業だと主張し海岸の閉鎖を提言するが、ボーン市長は観光収入の減少を恐れて取り合わない。そんな中沖合で体長4メートルのサメが捕獲され一件落着したように見えたが、街に生物調査にきていた海洋学者マット・フーパー(ドレイファス)は疑問を感じていた。そして海開きの日とうとう最悪の事態が発生してしまう。ブロディとフーパー、そして鮫ハンターのクイント(ショウ)は、怪物サメを仕留めるべく大海原へ出発するのだが…
 『続・激突 カージャック』に続くスピルバーグの劇場用映画第2作。
1億3000万ドルの興行収入を上げ、映画史上初のブロックバスター作品となった。又、ファーストフードチェーンとのタイ・アップや、積極的なCM活動によって、興行収入以外からの収益も莫大なものとなる(プロデューサーであるザナックの商才がよく分かる点である)。又、印象的なスコア作り上げたジョン・ウィリアムズも実力発揮していた。
 ヒッチコックを意識して本作は作られたと言われるが、スピルバーグはこの映画で数々の画期的な要素を映画に取り入れた。仮にこれを
「怪獣パニック映画」に限定して見ても、その画期的要素は際だっている。
 そしてこの作品を画期的ならしめているのは、私はそれを
「視線」にこそあると思っている。
 この映画が作られるまで、怪獣パニック映画は作られていたが、それらの大部分の敵は巨大な生物だった。当然それに対峙する人間は怪獣を見上げる形を取る。これが普通だったわけだ。
 一方、本作品のキャラクターの視点を見ると、終始下を向いていることが分かる。巨大な生物を見下げる。ある意味今視点は矛盾だったのだが、それが本当に見事だった。
 考えてみると、
誰しも「怖い」と思う体験は下を向いている時に多い。蛇に飛び退いたり、犬に追いかけられたりする体験というのは抜きがたい恐ろしい記憶になるし、高所恐怖というのも、下を見るがために、つまり下を向いているからこそ、怖い。
 逆に見上げて怖い。と言うのはさほど日常では多くない。雹が降るとか、建物が崩れるとか、崖崩れが起きるとか…
 この二つの視線を対比してみると、見上げるタイプの恐怖というのは、
天災に関わり、多数の人間の恐怖を共有することになる。つまりパニック映画となるのだが(『ゴジラ』(1954)が天災を意味するとはこういう訳だ)、見下げるタイプの恐怖というのは、更に個人的な、限定的なものになる。
 そのどちらも違った形の恐怖があるわけだが、それまで見下げるタイプの恐怖映画は作られていなかった。見下げるよりは見上げる方が迫力があったからだと思うが、何より見下げる形でパニック映画が撮られるとは思っても見なかったのではないだろうか?
 そう言う意味でこの映画、実に画期的だったわけだ。見下げる形でしっかりパニック映画が出来る。それどころか、この視線にこそ、根元的な恐怖が潜んでいたのだ。
 以降、このことに気付いた映画人達はこぞってこの
「下を向いて」のパニック映画を量産することになる…

 更にもう一つ。カメラ・ワークが面白い。特にこの作品、下からあおる形でキャラクターの表情を映し取っている。キャラクターが下を向いているから当然これがカメラにとっては「正面」になるのだが、これが奇妙な効果を生んだ。
恐慌に陥ったキャラクタが画面に向かって「落ちて」来る!
 なかんづくこの作品は
「怪獣パニック映画というのは怪獣ではなく、人間を観る方が怖い」ことを教えてくれたわけだ。以降、良質のホラー映画や怪獣映画はこの視点が上手く撮られるようになった。

 こういう作品にはあっという間に自己同化が起こってしまう私は、ビデオでさえ酔いかけた。
もし初見が劇場だったら、マジ吐いてたかもしれない。

 ところでストーリーの方に目を向けてみると、基本を押さえた作り
(って言うより、この作品こそが「基本」になってるわけだけど)であるが、なんと言っても鬼気迫る演技を魅せたロバート=ショウだろう。『白鯨』(1956)のエイハブ船長を思わせる狂気を見せる彼の役回りは、物語に異様な説得力と、そして本当のパニックとは何であるかを教えているようだ。怖さとは結局人間を見ることにこそある。そもそも本作において唯一のスター俳優として登場したにしては扱いが酷いような気がするが、見事にそれを演じきり、役者魂を見せてくれた。

 尚、この映画は映画史に残る名プロデューサー、ダリル・F・ザナックの息子、リチャード=ザナックにより製作されるが、かれはそもそもディック=リチャーズに監督依頼を出していたが断られてしまい、『マッカーサー』(1977)の監督を渋るスピルバーグにやらせたという逸話もある(尚、『マッカーサー』はジョセフ=サージェント監督により完成)。本作は予算及び制作日数を大幅にオーバーし、再三撮影中止命令を受けつつもなんとか完成に持ち込んだ作品でもあった。尚、彼の手がけた本作と『スティング』(1973)の2作品により、父の全生涯に製作した全作品を超える収益を得たという。
 又、本作は最初のメディアミックス成功作品としても知られている。宣伝のためファースト・フードのドリンクカップにジョーズの絵柄を付けたり、TVや雑誌と言った各メディアを総動員してキャンペーンを張り、それで実質的に各業界に莫大な利益をもたらした。今では当たり前になっている方法ではあるが、その嚆矢として記憶に留めておくべき作品だろう。
続・激突 カージャック 1974
1974カンヌ国際映画祭脚本賞、パルム・ドール
<A> <楽>
ハル・バーウッド
マシュー・ロビンス(脚)
ゴールディ・ホーン
ウィリアム・アザートン
ベン・ジョンソン
マイケル・サックス
グレゴリー・ウォルコット
スティーヴ・カナリー
ルイーズ・ラサム
ハリソン・ザナック
A・L・キャンプ
ジェシー・リー・フルトン
テッド・グロスマン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 テキサス州立刑務所で服役中のクロービス=ポプリン(アザートン)は妻ルージーン(ホーン)から二人の息子が裁判所命令で養子にだされてしまうという事を聞かされる。自分で育てたいというルージーンの涙にクロービスは脱獄を敢行。息子のいるシュガーランドめざし、一路ハイウェイをひた走る。その途中でパトロール中の警官マックスウェル=スライド巡査(サックス)に呼び止められた二人は逆にパトカーを強奪し、マックスウェルを人質に取って再びハイウェイを疾走するのだった。二人の行動はマスコミを刺激し、やがてパトカーの周りには黒山の人だかりが出来るようになってしまう。彼らを待つ結末とは…
 1969年に実際に起こったという事件を元に、デビューとなるスピルバーグ監督がまとめ上げた劇場用長編作
『激突』はTV用だったため、実質的には本作が劇場デビュー作となる)
 邦題に『続』と付くので、てっきり『激突』のリメイクか、あるいはカー・アクション作品だろうと高をくくって観始めて驚いた。
 『激突』とは全く違ってるし、何よりもこれは無茶苦茶面白い。これを「続」と付けたのは絶対失敗。後年の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994)に通じるものがあるが、こっちの方が私には遙かに面白く感じた。
 当時既に衰退し始めたニューシネマの良さと、先の『激突』で培ったキレのある演出、そしてこれまで無かったタイプのストーリー運びを押し出し、紛れもない、
アメリカ映画史に残る作品だと言いたい
 本作は実話を元にしているとはいえ、題材の取り方が面白く、それに合わせたキャラの演出方法が際だっている。今でこそ有名になったが、当時は定義づけがまだ出来てなかったストックホルムシンドロームの演出までしっかりなされていたのが凄い(
ストックホルムシンドロームとは、孤立状態に陥った際、人質が犯人を好きになってしまうと言う現象で、心理学的に言えば、生存確率を上げるため、無意識に起こってしまう人間の生理的な反応。調べてみたら、ストックホルムシンドロームとは、この映画が上映される一年前にスウェーデンのストックホルムで起こった事件が元だそうだ。その事を知っていたんだろうか?)。最初怯えるだけだったマックスウェル巡査が、やがて自分を人質に取ってる二人を心から祝福しているのが物語の過程を通じて描かれているのが巧い。対する主人公ホーンも最初おたおたするだけの役なのに、だんだんふてぶてしさを感じさせられるようになり、最後は本当に母親の顔をしてる。複雑な役を巧くこなしていたよ。
 それと、本作はニューシネマの雰囲気を大切にするだけじゃなく、カメラアングルも凝りまくり。まだ若い時代のスピルバーグだからこその野心的なアングルだった。車のボンネットとルームミラーで二つの場面を同時に映すあたりの描写は思わず「見事」と声を漏らすほど。
 それにしても返す返す
残念なのはこの邦題。これではカー・アクションを期待してしまうんだが、内容はそんな言葉ではくくれないほど複雑なものなんだから。正直、この邦題を考え出した人は反省して欲しい。
激突 1971
<A> <楽>
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
激突! <A> <楽>
リチャード・マシスン (検索) <A> <楽>
激突
<A> <楽>
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ジョージ・エクスタイン(製)
リチャード・マシスン(脚)
デニス・ウィーヴァー
キャリー・ロフティン
エディ・ファイアストーン
ルー・フリッゼル
ルシル・ベンソン
ジャクリーン・スコット
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 平凡なセールスマン(ウィーヴァー)がハイウェイで出会った一台のタンクローリー。まるで男の進路妨害をするかのような走りに、何とかそれを追い抜くことが出来たのだが、何とそのタンクローリーは今度は逆に男の車を追いかけてくるのだった。逃げても逃げても付いてくるタンクローリーに対し、ついに男は戦いを決意する。
 これが公開されたときから既に30年。この時以来スピルバーグほど毀誉褒貶の激しい監督はいない。だが、彼がハリウッドを、ひいては映画界を今まで引っ張ってきたと言うのは紛れもない事実。
 そしてそのスピルバーグの記念すべき劇場第一作目作品が本作。元々ABCテレビのムービー・オブ・ザ・ウィークという番組でテレビムービーとして公開されたこの作品が映画界に与えた影響は大きく、後に映画用に編集し直されて劇場公開されたほど。彼の名前を華々しく輝かせることになった。
 この映画はもの凄い早撮りで作られ、予算的にもチープ。ストーリーそのものも、ただ意味もなくタンクローリーに追い回されるだけと言う極めて単純なもの。
 こんなものが何で受けたのか?
 これは映画の本質そのものに関わる問題ではないかと私は思う。最初は映画というものは、記録用として使用されていたが、すぐに脚本が出来、出演者は演技をするようになった。映画は現実を映し出す鏡から、幻想世界を映し出す機能を持ち始めたのだ。以降映画を観るという行為は、その上映の間、自分がその作品の中に入り込み、その中で主人公と自らを同一化し、その間は夢心地となるために作られた。まさに快楽装置として映画は存在する(これは受け売りの気があるが私の持論)
 つまり、映画の面白さは、映画上映の間、主人公と自分自身が同一化出来るかどうか。そこに懸かっている。どれほどセットがチープでも、ありそうもない話であっても、ただ一点、それが出来さえすれば、映画はとてつもなく面白いものとなる。
 で、この作品ほど、その一点のみを突き詰めた作品は珍しい。そこにはリアリティなどいらぬ。ただ、純然たる恐怖と、そして本当にある“かもしれない”出来事を見せつける。車という閉鎖空間、そして“何か”に追いかけられると言う恐怖。これは多くの人が見知った出来事だ。世界共通の「悪夢」とは、“何か得体の知れぬものに追いかけられる”。と言うものなのだから。
 後、この作品を成功させた要因としては車を上手く用いた事だろう。車というのは一種の閉鎖空間だから、恐怖を倍加させやすく、そこにスピードが加わるため、スリルはますます増す。更に巨大タンクローリーの乗務員は最後まで姿を見せない。もしどこかで姿を現していたら、きっとここまでの恐怖心は出せなかっただろう(イッちまった人間が出てきたら、心理ドラマになってしまう。ストーリーの純粋さに水を指す)。訳の分からない、無機的なタンクローリーが意味もなく追ってくる。恐怖というのは日常性にいくらでも潜んでるんだ。そう思わせることが出来たのが最大の勝因。最後に転落する時、断末魔の叫びまであげてる(尚、この音源は『大アマゾンの半魚人』だったのだとか)。たった一人に焦点を当てることによって、より感情移入をさせやすくしたのも良し!
 最近のふんだんに金を用いた監督作品に較べ、どれ程本作がソリッドな魅力を与えてくれることか。

 ちなみに、本作はプロットを聞き及んだスピルバーグ自身が是非とも自分を監督に!とプロデューサに申し出たそうだが、その際、『刑事コロンボ 構想の死角』が大きな決め手になったのだという。尚、この作品、ジェームズ・ファーゴが助監督として参加している。
製作年 1971
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刑事コロンボ 構想の死角
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ピーター・フォーク
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マーティン・ミルナー
ローズマリー・フォーサイス
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ケン・フランクリン(キャシディ)とジム・フェリス(ミルナー)は人気推理小説シリーズの共同作家で、これまで数々のヒット作を生み出してきたが、実際は小説を書くのはフェリスの担当で、フランクリンは対外交渉ばかりを行ってきた。しかしフェリスがシリーズを終わらせると宣言したため、高額の借金を持つフランクリンは高額の保険をかけているフェリスを殺して保険金を得ようとするが…
 今回のトリックはキャシディ扮する作家のフランクリンが共同作家の片割れを自分の別荘に呼び出し、あたかもオフィスから電話をかけてるように偽装し、その電話中に射殺するというもの。その後しばらくしてたまたまそれを知った別荘近くの食料品店の女性も殺してしまう。それに対しコロンボは最初の殺人と二つめの殺人が同じ場所で行われていることを推測。徐々にフランクリンを追いつめていく。
 これが実質3本目の作品となるが、シリーズとして開始されたのは本作から。そして栄えある第1作の監督に選ばれたのは、当時無名の若手監督だったスティーヴン=スピルバーグ。この作品をシリーズとしてきちんと位置づけることに成功させ、更に直後に撮影した『激突』で大ヒットを撮った訳だから、やはりその非凡さは特筆すべき事なのだろう(『激突』の監督に選ばれたのも、本作あってのこと)。物語そのものはかなりベタな作りであるけど、ベタだからこそ、キャラの描写が大切であることをしっかり踏まえていた作品でもあった。特に小説にも、ましてや犯罪にも才能がなかったキャシディの最後の台詞「一つめも私のアイディアだ」と言わせるところは「見事」と言いたくなる。追いつめられた男を描くというのは次の『激突』へとそのままつながっていくようで大変興味深い…ちなみにスピルバーグを監督にした理由は、これまでTVシリーズの平均年齢が上がっていることで、若い血を入れようと考えていたプロデューサが、たまたまスタジオをぶらついていスピルバーグを引っ張ってきたからだったとか(実は本作の製作に当たる平均年齢は30代で、当時では画期的だった)。テレビシリーズだけにこう言うのもありか。
 そしてもう一人、本作の脚本を書いたのは スティーヴン・ボチコー。この人は日本ではあまり知られてないが、アメリカのテレビシリーズで数々の傑作脚本を手がける事になり、エミー賞の常連となる人物。ボチコーのデビュー作も本作だったりする。
 そうそう。本作のもう一つの見所。コロンボが「得意料理」と称してオムレツを作ってるシーンあり(実際には卵を混ぜ合わせるところまでだが)。
製作年 1971
製作会社
ジャンル
売り上げ
原作
刑事コロンボ 構想の死角 <A> <楽>
スティーヴン・ボチコ (検索) <A> <楽>
歴史地域
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