父を亡くし、母陽子とふたり暮らしをしている小学生金田正太郎は、ある日街に巨大ロボットが現れ、破壊の限りを尽くしている光景を目の当たりにする。驚く正太郎の前に綾部という老人が現れ、正太郎の祖父と父が研究していたロボット“鉄人28号"の操縦を任せられる。訓練の暇もなく、再び現れた破壊ロボット“ブラックオックス”に立ち向かうこととなる正太郎と鉄人…
横山光輝によって創造され、以降度重なる映像化がなされている“鉄人28号”。日本では映像化の大部分はアニメーションによってなされているが、これが日本のアニメーション技術に多大な貢献をもたらしたのは言うに及ばない。
そんな鉄人が、CG技術を駆使して現代によみがえる。
と言うことで、鳴り物入りで製作発表された本作だったが、出来上がった作品はどう観ても…という出来。
これを簡単に「金の無駄遣い」とか、「屑」とか、「駄作」とか、「馬鹿作品」とか、「恥さらし」とか言ってしまうのは簡単だけど、それじゃレビューにならないので、何故本作がこんなにダメになってしまったのかを考えてみたい。
一つには、本作には歴史的観点が見事なほどに抜けているということ。SFに歴史は不必要だと思っていたら、それは大きな間違い。特に現代を舞台とするSFであるなら、その真実性を増させるためにも、バックボーンをしっかり持たさねばならない。ここでは、“何故鉄人が作られなければならなかったのか”。その事をはっきりさせる必要があった。これがオリジナルだったら、大戦というのがその歴史付けにはぴったりなのだが、本作の場合は舞台を現代に持ってきてしまったため、新たに鉄人の存在の必然性を語らねばならなかったはずなのだが、それを抜かしてしまった“何故鉄人が必要なのか”それが分からない状態であるため、鉄人の存在感がとにかく軽い。
第二に、CG合成のいい加減さも挙げられる。CGは現実世界とアニメーションをつなぐことに成功したが、その目的は本来現実に近づけようと言う努力が重要なはず。ところが本作の場合はCGがセルアニメーションに毛の生えた程度で構わないという割り切りで作られていて、鉄人やブラックオックスが街から浮き上がりすぎているし、重量感も一切なし。鉄人とブラックオックスの絵を書いた旗を振り合って、それを“戦い”と見立てているようなもんだ。
第三にキャラ描写。これは色々工夫の跡がしのばせるのだが、それらが見事に失敗に終わってる。何より現代を舞台としてるのに半ズボンはないよなあ…正太郎に半ズボン穿かせないと怒る人がいるのは分かるけど、この格好じゃいじめられっ子にしか見えない。主人公にこれほど魅力の感じられない作品も珍しい。さらに戦いのフィードバックで鉄人のダメージが与えられるシーンは、ほとんど暗黒舞踏状態。笑わせたいのだろうか?
総じて言えば、本作はあらゆる意味でオリジナル版を現代に持ってくることに失敗した作品と言うことだ。設定状態で困難なのは分かるけど、それを必然性に持ってこられなかったことが敗因だ。 |