暗殺者のメロディ 1972 |
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ニコラス・モスレー(脚)
アラン・ドロン
リチャード・バートン
ロミー・シュナイダー
ヴァレンティナ・コルテーゼ
ジャン・ドザイー |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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かつてソヴィエトの思想的指導者でありながら、スターリンによって追放を受け、逃亡生活を送っていた革命家トロツキー(バートン)。メキシコ政府に保護されながらも、絶え間ないスパイと暗殺者に怯える日々を送っていたトロツキーの元に、カナダ人貿易商を名乗るフランク・ジャクソン(ドロン)が現れた。トロツキーに憧れ、その生き様を本にしたいというフランクを、最初警戒していたが、そんな中でも度々襲撃事件が起こり…
1940年に亡命先のメキシコで殺害されたソ連革命家レフ・トロツキー暗殺を映画化した作品。
トロツキーと言う名を最初に目にしたのは確か中学生。学校の図書館で手に取ったオーウェルの「動物農場」の後書きだったと記憶している。当時でもスターリンの名前くらいは知っていたが、この不思議な名前はちょっと記憶に残り、その後歴史の教科書などでも目にすることがあった。その後、日本の漫画「虹色のトロツキー」を読んで、ある種時代に飲み込まれた悲劇の人物として知るに至った。ちなみに「虹色のトロツキー」は、暗殺されたはずのトロツキーが実は生きて満州に来ている?という物語であり、チンギス・ハーンの判官伝説や近年の織田信長の漫画などにも通じるIFものとして結構楽しく読ませていただいた。
そんなトロツキーがどのように殺されたかを描いた作品が本作となるが、本作には際だった特徴がある。
それは単純に言えば、アラン・ドロンという役者を最大限巧く使えた作品ということである。
特に際だった有名人を殺すと言う場合、殺し屋の方に様々なドラマが用意されなければならない。時にそれはサイコパスであったり、時にそれは家族を人質に取られ(実際の暗殺者もそうだったらしい)、時に思想信条によるもの。はたまた個人的な恨みによって。色々理屈を付けることが出来るのだが、本作において、ドロン演じるフランク・ジャクソン本名ラモン・メルカデルが何を考えていたのか、最後までよく分からないように作られている。これは理屈付けを失敗したためではなく、敢えてそれを不確かなものにして、ドロンの表情や立ち居振る舞いを観させて、観ている側にそれを推測させるように作られているのだ。
つまり演出と役者の力量に負うところが大きく、そこを観ている側がどう受け止めるかによって本作の評価は変わっていくだろう。本作は起承転結がはっきりせず、暗殺者が何を考えているのかはっきりしないし、トロツキーの方が、自分を暗殺しようとしている人物が目の前にいることを分かっているのか、分かっていないのか、その辺が曖昧になっているので、観ていて結構ストレスが溜まる。トロツキー暗殺に関してもあまりにも呆気なさ過ぎて拍子抜けするし、それであの主人公が一方的に責められて終わるラストシーンも気持ちが淀む。
そんなもんで、実は本作を観た直後は、どかっと疲れた気持ちもあるし、全くスカッとしなかったので、この作品をかなり低く見ていたのだが、時間が経って改めて本作を思い返してみると、その曖昧さこそ、ドロンの演技こそが本当に観るべきものだったと思えている。
無防備に背中を見せるトロツキーに、アイスピックを持った主人公が、「本当に俺が殺して良いのか?」と逡巡するシーンをその表情だけで見せていたドロンにこそ惜しみない賞賛を与えるべきだと思えているし、改めてこの作品は本当の良作の一本だと思う。
“一見では分かりにくい傑作”というジャンルがあったら、多分そのかなり上位に位置する作品になるだろうな。
尚、監督のロージーは赤狩りに追われイギリスに亡命した経験があることもあってか、演出にはその悔しさみたいなものがあるのかもしれない。。 |