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エリック・シャレル
Erik Charell

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本名エーリッヒ・カール・レーヴェンベルク。ドイツの演劇監督、映画監督、ダンサー、俳優。ミュージカルレビューやオペレッタの創作者として知られる。マレーネ・ディートリッヒ、ヨーゼフ・シュミット、マックス・ハンセン、カミラ・スピラなど、後に有名になった多くの俳優や歌手は、シャレル作品で初めて主要な役柄で出演しました。ドイツ演劇界に新風を引き起こし、初の舞台上のヌードも演出した。
Wikipediaより引用
経歴
1895'4'9 ブレスローで誕生
1913 ダンサーとしてデビューする。その後劇団シャレル・バレエを設立し、第一次世界大戦中にヨーロッパをツアーした。
1919 役者として映画デビューを果たす
1924 レビュー制作を開始する
1933'1 ナチスが政権を取り、ユダヤ人である事を理由に解雇される。レビュー演出家としてヨーロッパとアメリカを回る
1945 ドイツ演劇界の保守ぶりに嫌気がさして引退宣言
1969 ドイツ映画賞フィルムバンド・イン・ゴールドを受賞
1974'7'15 死去
5+
4+
會議は踊る
3+
2+
個人的感想
観たのは會議は踊る一本だが、レビュー的演出を入れた演出はとにかく新鮮。元々がレビューの舞台監督という立場を最大限活かした形になってる。
この演出はおそらく唯一無二。
1974 7'15 死去
1973
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1955
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1953
1952
1951
1950
1949
1948 迷路 音楽
1947
1946
1945
1944
1943 風を起す女 原作
1942
1941
1940
1939
1938
1937
1936
1935
1934 キャラヴァン 監督・製作
1933
1932 The Congress Dances 監督
1931 會議は踊る 監督
Le congrès s'amuse 助監督
1930
1929
1928 Casanova 監督
1927
1926
1925
1924
1923
1922
1921
1920
1919
1918
1917
1916
1915
1914
1913
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1911
1910
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1908
1907
1906
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1904
1903
1902
1901
1895 4'9 ブレスローで誕生

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レビュー
會議は踊る
Der Kongre? tanzt
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エリッヒ・ポマー(製)
ノルベルト・ファルク(脚)
ヴィリー・フリッチ
リリアン・ハーヴェイ
コンラート・ファイト
リル・ダゴファー
アデーレ・サンドロック
アルフレート・アーベル
ユリウス・ファルケンシュタイン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ナポレオンが失脚した後、欧州の情勢に対処するため1814年、ウィーン会議が開催された。開催国オーストリアのメッテルニヒ宰相は自国の有利に会議を進めようと、わざと重要な会議を舞踏会の時間と重ね、代表達が欠席するよう画策する。一方、その陰謀に気付いたロシア皇帝アレクサンドル1世は替え玉を立て、その裏をかこうとするが、町で偶然美しい帽子屋の娘と知り合う…
 フランス革命により王政フランスは倒れ、共和政フランスが誕生した。その中で台頭したのがナポレオンで、彼はその共和政をも粉砕し、帝政フランスを作り上げ、ヨーロッパ中を荒らし回る事になる。だが、ナポレオンの失脚によって取り敢えずの平穏さを保つ事ができた
 その戦後処理を巡って1814年から15年にかけて開かれたウィーン会議は自国の利益問題に絡み、遅々として進まず、“会議は踊る、されど進まず”と言われるようになる(それでもネーデルランド王国や、サンマリノ共和国の成立、スイスの永世中立を決める、など重要な事も決められていたんだけど)
 その歴史的事実を踏まえ、それらを軽快なオペレッタとして仕上げた作品。トーキーが始まったばかりでこれだけのものが作れたと言う事実に驚嘆するし、何より当時のドイツ映画の見事さには惚れ惚れする。兎に角軽快に楽しく仕上がっている。
 歌に始まり歌に終わる映画であるが、その歌の用い方がなんと言っても良い。特に有名な「ただ一度だけ」の流れる箇所は帽子屋の店先から城までワンカットの移動撮影が用いられているのが凄い。このカットを見るだけでも、当時のドイツの映画は確かに世界一だったと言ってさえ良い。
 しかし、これだけの技術力を持ったドイツ映画界も、この後、映画を大衆宣伝の手段として利用としたナチスの台頭により、映画関係者は次々と国外へ流出していく事になる。この映画においても、製作のエリッヒ=ポマーも、監督のシャレルも、音楽のヴェルナー=リヒャルト=ハイマンも、そして主演のハーヴェイもドイツを去っている。
 更に、本作は1937年にナチスの手によって、反国家的映画とされてしまう…
 映画史上における、戦前ドイツ映画の最高峰にして遺作。
製作年 1931
製作会社 UFA
ジャンル ミュージカル
恋愛(ラブコメ)
売り上げ
原作
歴史地域 1814 ウィーン会議
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著作 評伝