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セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
Sergei M. Eisenstein

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 セルゲーイ・ミハーイロヴィチ・エイゼンシュテーイン(ロシア語: Серге́й Миха́йлович Эйзенште́йн Sergéj Michájlovič Ėjzenštéjn, Sergei Mikhailovich Eisenstein, ラトビア語: Sergejs Eizenšteins)。ロシア帝国領のリガに生まれた、ソビエト連邦の映画監督。
 モンタージュ理論の提唱者。この手法は映画製作理論のひとつの到達点で、観客の感動を揺り動かす映像言語としての基礎となった。「映画、それはまずなによりもモンタージュのことである」
Wikipediaより引用
経歴
1898'1'23 リガ(ラトヴィア)で誕生
1918 赤軍に入隊し、アマチュア演劇に携わる。
1920 モスクワに移住し、プロレタリア文化協会(プロレトクリト)の第一労働者劇場に美術担当として参加。
1921 フセヴォロド・メイエルホリド率いる国立高等演劇工房で演劇を学ぶ
1924 映画に移行し、国家映画委員会のもとでストライキを監督する。
1925 戦艦ポチョムキンを監督。同作でモンタージュ理論を確立。
1948'2'11 死去
5+
4+
イワン雷帝
ストライキ
戦艦ポチョムキン
3+
2+
個人的感想
大学時代に体育館で上映された戦艦ポチョムキンを観たことで、危うく人生が変わりかけた経験を持つ。
1948 2'11 死去
1947
1946
1945
1944 イワン雷帝 監督・脚本
1943
1942
1941
1940
1939
1938 アレクサンドル・ネフスキー 監督・脚本
1937
1936
1935
1934
1933 メキシコの嵐 監督
1932
1931
1930 センチメンタル・ロマンス 監督
1929 全線 監督・脚本
1928 十月 監督・脚本
1927
1926
1925 戦艦ポチョムキン 監督
ストライキ 監督
1924
1923 Dnevnik Glumova 監督・出演
1922
1921
1920
1919
1918
1917
1916
1915
1914
1913
1912
1911
1910
1909
1908
1907
1906
1905
1904
1903
1902
1901
1898 1'22 リガ(ラトヴィア)で誕生

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レビュー
イワン雷帝
Ivan Groznyy
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セルゲイ・M・エイゼンシュテイン(脚)
ニコライ・チェルカーソフ
リュドミラ・ソエリコフスカヤ
P・カドチニコフ
フセヴォロド・プドフキン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 16世紀半ば、モスクワ太公のイワン4世(チェルカーソフ)は周辺公国を併合し、ロシア史上初めて皇帝を名乗る。度重なるタタール人の襲撃を全て食い止め、ヨーロッパ強国とも対等につき合い、「強いロシア」を築き上げる事に成功した。だがその専制君主ぶりは国内貴族の反発を買い、王妃アナスタシアをまで毒殺されされてしまう。国民を味方に付けたイワンは自ら“雷帝”を名乗り、改めて国家統一を果たしていく…
 監督による実在の人物雷帝と呼ばれたイワン4世を描く歴史大作。元々はスターリンの肝いりで三部作を目指したらしいが、第1部を絶賛したスターリンが、2部を自分への批判と受け取られ、怒ったスターリンにより改作を命じられてしまう(その当時のスターリンの置かれている状況があまりにそっくりだったと言うことらしい)。更に第3部製作途中に監督が死亡してしまい、以降の話はお蔵入り…改作できなかった2部もスターリンにより廃棄命令が出ていたが、スタッフが1本だけプリントを隠しておいたお陰で1958年に一般公開される…全てが国に負っていたソ連らしい逸話だ。
 私が観た他の2作『ストライキ』及び『戦艦ポチョムキン』は主人公不在の物語だったが、これは全く逆で、主人公の個性があまりにも強烈に際だった作品となった。
 見栄の切り方と言い、目線と言い、ほとんど歌舞伎の世界だが、それも道理で、エイゼンシュタインは大の歌舞伎ファン(市川左団次のソ連公演でファンになってしまったのだとか)。これは狙ってのこと。お陰で隈まで付けた雷帝が目立つ事目立つ事。こってこてだ
 画面そのものは芸術品と言って良いほどなのだが、私は完全にキャラクターの濃さに負けてしまった。特に2部ラスト近くのあの目を焼くカラー・パートでとどめ。1部2部を一気に観たらもの凄く疲れた。尚、あのカラーパートを目にした日本の黒澤監督はそれでカラー映画の可能性を見出したというのだから面白い。
 思うのだが、監督はロシアという国を非常に愛していたんじゃないかな?祖国が汚されているのを見るに忍びず、かつて万民平等を謳う社会主義にその望みを託そうとしてたのかもしれない。でも結局スターリンの台頭によって中央集権国家ができるに至り、希望も失望へと変わっていったのかも知れない。そう考えてみると、本作の味わいは深い。
製作年 1944
製作会社 モスフィルム
TsOKS
ジャンル 伝記
売り上げ
原作
歴史地域 1533 イヴァン4世即位
1547 イヴァン4世、親政を開始する
関連
戦艦ポチョムキン
Battleship Potemkin
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セルゲイ・M・エイゼンシュテイン(脚)
アレクサンドル・アントノーフ
グリゴリー・アレクサンドロフ
ウラジミール・バルスキー
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1905年、黒海艦隊の巡洋艦ポチョムキン艦上でウジ入りスープが元で反乱が勃発した。水兵達の暴動がオデッサの街で革命を引き起こすまでの物語をドキュメンタリー・タッチで描く。

 1905'6'27にオデッサ沖合で起きたポチョムキン・タヴリチェスキー公爵号によって起こった実在の事件を元に作られた作品。実質的な『ストライキ』の続編に当たり、「意識ある人間が世界を変える」事について描かれた作品。
 確かに本作は素晴らしい作品だと思う。だけど、実は本作にはかなり嫌な想い出が詰まってる。
 本作と出会ったのは10数年も前の事。私が大学に入学して程なくして。これを劇場でもビデオでもなく、大学の講堂の特設スクリーンで学生で形成されたさる団体が放映した。本作の名前は知っていたし、映画自体に興味もあったので、一人でそれを観に行ったのだが、入場の際、住んでいる下宿先と名前を書かされた。
 映画が終わってスクリーンの前に進み出た男が何やら語っていたようだったが、興味の持てる内容でなかったので、そのまま外に出て、その日は終わったのだ。だが、後日、下宿先に何かの集会の葉書が来ていた…
 こうしてずるずると私はその某団体につきあう事になった…典型的なキャッチに捕まったアホだったと言うわけだ。笑わば笑え。
 尤も、やる気のない私にそんな活動が長続きするわけはなく、半年ほどで辞めてしまったけど(今から思うと辞められて幸運だったな)、この出来事は私にとっては、人生の中でも相当嫌な思い出になってる。
 それは兎も角、映画自体には大満足。と言うより圧倒された。特にモンタージュ合成で話題となった階段落ちのシーンは凄い(どれほどこのシーンがパクられたか…)。なだれ込む民衆が銃によってあっという間に方向転換し、逃げまどう様とバタバタと倒れていく争いのダイナミズム。争乱と、争いを本来知らないはずの赤ちゃんを示す乳母車の対比。絶望にうちひしがれた彼らの目に映る希望。僅か数分間に100以上の短いカットを重ねることによって成功した手法だった。
 前作『ストライキ』で止まった時がここに来て動いている。しかもそれは歴史の潮流となって。画面にのめり込みさえ出来れば、その圧倒的な渇望、絶望、歓喜へと移る怒濤のシーンを自分のものとして思う事が出来るだろう(って、なんだこりゃ?オレの心の中ではまだ昔の想い出が生きてるのか?)
 監督って本当に多量の人間を使ったグチャグチャの混乱を描くのが上手い。それをモンタージュで見せるように作り上げていく技術。同時代の監督達が感動するわけだ。
 尚、このロシア革命は日本にも責任の一端はある。丁度この1905年というのは日露戦争が終わった直後。戦争はロシア国内を疲弊させていたが、それだけでなく、民衆による貴族への反発へとエネルギーは向かっていった。しかも書類上のものとは言え、敗戦とあっては、政府への弾劾は当然起こって然りだ。
製作年 1925
製作会社 映画撮影のためにソ連国家委員会
モスフィルム
ジャンル 戦争(ロシア革命)
売り上げ
原作
ニーナ=アガジャーノ・シュトコ (検索) <A> <楽>
歴史地域 1905 ポチョムキン事件
関連
ストライキ
Stachka
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セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
ワレーリー・プレトニョク
グリゴリー・アレクサンドロフ
I・クラブチュノフスキー(脚)
アレクサンドル・アントノーフ
ミハイル・ゴモロフ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 帝政ロシア時代末期。過酷な労働条件と低賃金に喘ぐ労働者達は幾度と無く要望書を経営陣に送るのだが、下層の人間を見下し、贅沢を謳歌する彼らにことごとく無視される。そしてついに始まるロシア社会民主労働党の組織を中心にストライキが勃発する。労働者達と経営陣との闘争が始まったのだ。

 帝政ロシア時代に起こった機械工場でのストライキ勃発から壊滅までを描く作品で、キャストの多くに本物の労働者を使って撮り上げた記録映画的作品。エイゼンシュタイン監督が1923年に発表した「アトラクション(吸引力)のモンタージュ」と言う論文の実践として作り上げた初監督作品でもある。
 確かこれが監督作品の中では一番最近になって観た作品なのだが、実は一番古い、今更になってこれが監督の長編デビュー作であったと言う事が分かった。
 それで、名作と呼ばれる『戦艦ポチョムキン』よりこっちの方がむしろこっちの方が私には好みだった。確かに戦艦や大型砲と言ったド派手な演出はないし、名前を持たない主人公達は決して格好良いものじゃない。だけど、こっちの方がはるかに積極性に溢れているし、資本家との対比の描写も優れていた(後のイタリアで起こることになるネオ・リアリズムは監督の影響を受けてるんじゃ無かろうか?)。音楽に合わせて踊るかのような身振り手振りや、それによる喜劇的な描写など、とても面白い。
 貧困と低賃金に喘ぐ労働者達を克明に撮っているのだが、克明に撮ると言う事は、逆にそういった人間達の持つユーモアのセンス、したたかさと言うものも垣間見える。彼らは社会党の指導の元、一丸となって革命を推進したのではない。と言う当たり前の事実を見せたのは監督の卓見だろう。
 理想と大義名分を掲げる一部の人間と、パンが欲しいだけの大多数の人間達。ロシア革命はこのような雑多なパワーによって推し進められたと言う事が感じられる。やがて理想は排他へ、満たされる事は無気力へと転換していくわけだが…
 モンタージュ合成もかなり良い線いってたと思うし、密偵の動きがなかなかユーモラスで(彼らはコード・ネームで呼ばれるが、それが読み上げられる毎に元となった動物が登場するのが微笑ましい)、例の樽に住んでる住民がわらわらと現れるシーンは何か微笑ましい。
 劇中にユーモアはあるけど、ラストは見事なほどの悲劇で、オチさえもない(ラストの労働者の虐殺に屠殺場のシーンがインサートされるのは、見事なモンタージュとなっている)。後味の悪い事おびただしいが、考えを転換してみよう。ここで登場する闘士たちは名前を持たぬ。あくまで民衆の代表としてでしかない。それを煙たがる資本家達は一人を検挙すればそれで事足りるとしてしまう。しかし後から後から闘士たちは現れる。そこに救いを見出そうとしているんじゃないか?そしてそのパワーが『戦艦ポチョムキン』に結実していく。この2作は対になる作品と言って良い。
製作年 1925
製作会社 映画撮影のためにソ連国家委員会
ジャンル 歴史
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原作
歴史地域 ロシア革命(1917)
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書籍
著作 評伝
映画の弁証法 (1953) <A> <楽>
映画シナリオ論(1957) <A> <楽>
エイゼンシュテイン全集 1 (1973) <A> <楽>
エイゼンシュテイン全集 2 (1974) <A> <楽>
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エイゼンシュテイン全集 4 (1976) <A> <楽>
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エイゼンシュテイン解読―論文と作品の一巻全集(1986) <A> <楽>
エイゼンシュテイン―生涯とその思想(1993) <A> <楽>
  エイゼンシュテイン―映像世紀への飛翔

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