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ピエトロ・ジェルミ
Pietro Germi

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鑑賞本数 1 合計点 4.5 平均点 4.50
書籍
1974 12'5 死去
1973
1972 アルフレード アルフレード 監督・脚本
1971
1970
1969
1968
1967 ヨーロッパ式クライマックス 監督・脚本
1966
1965 蜜がいっぱい 監督・脚本
1964
1963 誘惑されて棄てられて 監督・脚本
1962
1961 イタリア式離婚狂想曲 監督・脚本
ビアンカ 出演
1960 くち紅 出演
1959 刑事 監督・脚本・出演
1958
1957 わらの男 監督・脚本・出演
1956 鉄道員 監督・脚本・出演
1955
1954
1953 嫉妬 監督・脚本
1952
1951 街は自衛する 監督・脚本
1950 越境者 監督・原案
1949
1948 無法者の掟 監督
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939
1938
1937
1936
1935
1934
1933
1932
1931
1930
1929
1928
1927
1926
1925
1924
1923
1922
1921
1920
1919
1918
1917
1916
1915
1914 9'14 ジェノバで誕生

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鉄道員
Il ferroviere
The Railroad Man
1956カンヌ国際映画祭国際カトリック映画事務局賞(ジェルミ)
1958
キネマ旬報外国映画第5位
<A> <楽>
カルロ・ポンティ(製)
アルフレード・ジャンネッティ
ピエトロ・ジェルミ
ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ(脚)
ピエトロ・ジェルミ
エドアルド・ネボラ
ルイザ・デラ・ノーチェ
シルヴァ・コシナ
サロ・ウルツィ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 鉄道機関士アンドレア・マルコッチ(ジェルミ)は真面目一徹の機関士で、会社からの信頼も篤く最新式の電車の機関士を任されていた。ただ、仕事優先の生活のため、既に成人しているこども達からは好まれておらず、ただ末っ子のサンドロ(ネボラ)だけが純粋に父を慕うばかりだった。だがある日、アンドレアは不意のトラブルによって列車の正面衝突事故を起しかけてしまい、旧式機関車の機関士に格下げされてしまう。ストライキ計画中の組合もアンドレアの不満を取り上げてくれず、徐々に孤立を深めていき、酒量も増えた。しかも家族のために会社の命令に従って列車を運転してゼネスト破りまでしてしまい、友人達も失ってしまう…
 ジェルミ監督が自らを主人公として描いた戦後イタリアを象徴する作品。
 私にとって
「ツボにはまった」作品というのがいくつかある。そう言うのを何本も観ていると、大体自分自身の傾向というのが分かってくるが、そのいくつかを挙げてみると、家族の再生を扱った話、閉塞感極まりない世界から脱却する話(自由をテーマにした話と言うべきか?)、歴史的見地がしっかりした作品というのが挙げられる。勿論映画的に立派な作品と言うのはいくらでもあるが、心にまで突き刺さってくる作品というのは、映画的完成度の高さとは別だな。と考える事もしばしば。
 そんな時、映画的な完成度も含めてそれら「ツボにはまる」ものを扱った作品はあるか?と考えたら、まさしく本作がそれに当たるという事実に気付いた。改めて考えてみると、
本作こそが実は私にとって最も根源的な理想に近い映画なのかもしれない
 本作は真面目一徹な鉄道員アンドレアが主人公となっているが、重要なのが、画面上の主人公は幼い末っ子のサンドロだという点。父親が大好きなサンドロは、たった一つの事故が原因で、これまで築き上げたもの全てを失い、誇りも仲間も、家族さえも失っていくその姿をつぶさに見ている。彼にとって、なぜ憧れの父がこんなに変わってしまったのかは、頭の中では理解出来ていないだろう。だが、本質的に何が変わっているのかを理解していていく。父がこのような立場に立たされるのは、ひとえに父が仕事と家族を愛しているから。その二つの愛情が他者に理解されなくなった時にこのような悲劇が起こってしまうのだ。もう少しサンドロが成長していけば、その辺も分かってくるだろうし、姉や兄のように反発も覚えるだろう。しかしそこに至る前に、父の方がおかしくなってしまった。ここに表されるサンドロの態度は、本当に父を好きだ。というそれだけしかない。この善意の固まりの視点で見ることによって、本当にアンドレアの悲しみが伝わってくるようだ。
 この視点は
『自転車泥棒』のものと同じで、それ故に本作はネオ・リアリスモ作品として見られるのだが、本作の場合は社会的な問題がミニマムな視点のみではなく、しっかりと主題になっているので、現実をただ直視しようとするネオ・リアリスモから脱却しようとしている社会派作品として見ることが出来るだろう。
 本作の歴史的な視点はかなり鋭く、特に戦後の共産党時代のイタリアという国の実情も垣間見られる。この時代の労働組合はかなり力を持っているが、組合の問題点とは、足を揃えることに主眼を置きすぎ、その結果人の自由度を奪ってしまうことにある。ここでのアンドレアの窮状に対し、組合は何もしていない。むしろアンドレアの方が自分たちに合わせることが当然と思っているので、いけ高々に命令するだけ。それに反発してスト破りをしようものなら、糾弾の上で排除してしまう。
 これは組合が悪と言っているわけではないが、確かにこのような側面があるという事実を浮き彫りにしている。そもそも
イタリアの共産主義は個人の自由を奪ったファシズムに対抗したものなのに、結果的に全体主義に陥ってしまったその点をしっかり描こうとした結果だろう。

 そして様々な圧迫を受け、酒に逃れて体もこわしたアンドレアに手をさしのべたのは、やはり最後は家族であり、下町の人情である。というラスト。これが下町のイタリア人気質というものだ。と言う事を示そうとしてのものだろう。アンドレアが、最後に静かに逝ったシーンは、単純な感動ではなく、複雑な思いを抱かせてくれる。
 少なくとも私の場合、本作のラストは
決して後味の良いものとは感じなかったが、映画の作り方の妙と、社会に対する立ち位置というものを考えさせてもくれた。複合的な意味でとても素晴らしい作品と言いたい。
製作年 1956
製作会社 ENIC、ポンティ・デ・ローレンス・キネマトグラフィカ
ジャンル 家族(父と子)社会派(組合活動)職業(鉄道員)
売り上げ $
原作
歴史地域
関連
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wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ

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