夜行列車
Pociag |
1959ヴェネツィア国際映画祭演技賞(ウィンニッカ)、ジョルジュ・メリエス賞 |
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イエジー・ルトフスキー
イェジー・カヴァレロヴィチ(脚) |
ルチーナ・ウィンニッカ |
レオン・ニェムチック |
ズビグニエフ・チブルスキー |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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土曜の夜にワルシャワを出発し、翌朝バルチック海岸の町に到着する夜行列車が今日も出発する。そして休日を海で過ごそうとする人々でワルシャワ駅はごった返していた。その中には様々な人々がいる。悩みを持ち、発作的に切符も無しに乗り込んでしまった医師イェジー(ニェムチェック)、表面上は恋人だが、愛を精算したいマルタ(ヴィニエツカ)と彼女にすがるスタシェック(チブルスキー)。そして謎の殺人犯…彼らの様々な思いを載せ、列車は走っていく…
戦後社会主義国となったポーランドだが、他の東欧諸国とは異なり、映画作りが盛んで数多くの巨匠と言われる監督を生み出してきた。アンジェイ=ワイダや本作の監督カヴァレロヴィチ監督がその筆頭となるだろうが、彼らは“ポーランド派”と呼ばれるようになる特徴的な作品を作り出していくことになる。
彼らの作り出す映画は一見社会主義に迎合した作品のように見えるし、一見他愛もない物語であることも多い。だが、その中に色々な思いが込められているように見えてしまう。例えばただ一人の人物を描いて見せたとしても、そこには国家そのものが見えていたり、あるいは現在のポーランドの置かれている状況というのを敢えて透かせて見せようとしているかのよう。勿論劇中ではその答えは一切語られないが、だからこそ観ている側は色々と考えることが出来る。言うならば、鬱屈したパワーを感じられる事こそがポーランド派作品の特徴と言えようか。
本作は一応サスペンス調ではあっても(途中軽いどんでん返しもあるが)、基本的にはそれぞれに生活の悩みを抱えながらリゾートに出かける人々を描く群像劇に過ぎないし、途中のサスペンス部分も主人公達とはさほど関わりを持ったものではない。演出も決して洗練されたものではなく、途中結構ダレ場もある。しかし、彼らの立ち居振る舞いや言葉のやりとりなどを見ているだけで色々と考えさせられるものだ。ダレ場が逆に映画観ながら考える良い時間になってる。
以降勝手に考えるのだが、本作に関しても、例えば秘密警察の存在の暗示や、隣人を誰も信じられないという圧迫感。あるいは国家同士の蜜月期間の終わり。など、考えようと思えばいくらでも考えられる。よしんばそれが全く的違いであったとしても、そう言う印象を観ている側に与える事が出来る。
観ている側が色々考える。それこそがポーランド派作品の最大特徴であり、本作の肝とも言える。ある意味映画を観ながら色々考えるというのは、映画好きにとってはとても幸せな時間なのだから。なかなかそう言う作品に出会うのは難しいのだが、ポーランドの作品の多くはその時間を作れるのでとても好きだ。
今回は結構情けない役だったチブルスキーではあるが、『灰とダイヤモンド』でやられてしまった身としては、こんな役でもやっぱり格好良いと思ってしまうのはファンの負い目か? |
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