|
|
||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||
| 1997 | 1'14 死去 | |
| 1996 | ||
| 1995 | ||
| 1994 | ||
| 1993 | ||
| 1992 | ジョイ・ウォンの 魔界伝説 監督 | |
| 1991 | ||
| 1990 | スウォーズマン/剣士列伝 監督 | |
| 客途秋恨 製作総指揮 | ||
| 1989 | ||
| 1988 | ||
| 1987 | ||
| 1986 | ||
| 1985 | ||
| 1984 | ||
| 1983 | 天下第一 監督 | |
| 1982 | ||
| 1981 | ||
| 1980 | ||
| 1979 | 山中傅奇 監督・製作 | |
| 空山霊雨 監督・美術 | ||
| 1978 | ||
| 1977 | ||
| 1976 | ||
| 1975 | 忠烈図 監督・製作・脚本 | |
| 1974 | ||
| 1973 | 迎春閣之風波 監督・製作・脚本 | |
| 1972 | ||
| 1971 | 侠女 第二部:最後の法力 監督・脚本 | |
| 侠女 第一部:チンルー砦の戦い 監督・脚本 | ||
| 1970 | ||
| 1969 | ||
| 1968 | ||
| 1967 | 残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿 監督・脚本 | |
| 1966 | 大酔侠 監督・脚本 | |
| 1965 | ||
| 1964 | ||
| 1963 | ||
| 1962 | ||
| 1961 | ||
| 1960 | ||
| 1959 | 江山美人 出演 | |
| 1958 | ||
| 1957 | ||
| 1956 | ||
| 1955 | ||
| 1954 | ||
| 1953 | ||
| 1952 | ||
| 1951 | ||
| 1950 | ||
| 1949 | ||
| 1948 | ||
| 1947 | ||
| 1946 | ||
| 1945 | ||
| 1944 | ||
| 1943 | ||
| 1942 | ||
| 1941 | ||
| 1940 | ||
| 1939 | ||
| 1938 | ||
| 1937 | ||
| 1936 | ||
| 1935 | ||
| 1934 | ||
| 1933 | ||
| 1932 | ||
| 1931 | 4'29 北京で誕生 | |
| 大酔侠 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 盗賊団によって行政長官が捕らえられてしまった。彼らは長官の命とひき替えに捕らえられている首領の身柄を要請する。郡の役人達の窮状を見た女剣士の金燕子(チェン・ペイペイ)は単身盗賊達のアジトに潜入するのだが、正体がばれてしまう。そんな彼女の命を救ったのが酔っぱらいの旅人酔猫(ユエ・ホア)だった。実は酔猫はかつて酔侠と呼ばれた武術の達人であったのだが、兄弟子の裏切りによって剣士を続ける気力を失ってしまっていたのだった。だが一生懸命な金燕子を見るうちに、かつての熱い血を甦らせていく… 香港映画のかつての主流であり、今なお脈々とその血を残す武侠映画。それを近代的に変えたのがキン・フー監督であり、そのキン・フー監督の出世作となったのが本作。 武侠映画は京劇からの派生で、かつては京劇の役者がそのまま映画にも出演するという形式を長く取っていたが、伝統を重んじる京劇の役者が演じると、どうしても制限が加えられてしまう。それでも長らくそのパターンが続いていたのだが、それを映画ならではの活劇に変えたのが本作であり、ここから再び武侠映画は交流していくことになる。武侠映画の新境地を切り開いたのだ。 本作では京劇の要素を排除したが、その代わりに様々な新機軸を取り入れた。 一つには初めて武侠映画で女性を主人公にしたこと。京劇の場合女役も男が演じるため、本物の女性は排除されてしまう。その伝統を継承した武侠映画でも、本物の女性を出すとしても、メインはあくまで活劇であり、はっきり言えば添え物のような存在でしかなかった。だが、充分アクションをこなせる女優も多く、それに目を付けて主人公に抜擢した。これは大きな変化となった。 二つ目に、物語をハリウッド形式、有り体に言えば西部劇の要素を取り入れたこと。ここで登場する剣士達は、それまでの名誉や家のために戦うのではなく、むしろ自分の仕事をこなすために戦うのであり、この形式もこれまでの武侠映画には全く無かった、中国の伝統から離れた物語が展開していく。茶屋での剣士達による腕試しは西部劇の酒場での決闘を思わせるし、インの活劇の前に茶屋で決闘を行うのは以降の武侠映画の基本になっていく。 三つ目に、それまで京劇がメインだった活劇を、今度は集団のダンスシーンを参考にしたこと。これによって一人対多人数、あるいは多人数対多人数の活劇を流れるように演出できるようになった。 これらは見事に後の武侠映画に残っていったし、しっかりフォーマットを作り上げてくれた。 その辺実に上手い作品だとは思う。のだが、本作の場合、致命的なところがストーリーの弱さ。前半部分は明らかに金燕子が主人公だったのに、中盤からは完全に酔侠メインになってしまって、金燕子は完全に置き去りにされてしまった。そのために完全に物語が二分割されてしまい、金燕子に関してはラストまでなんのフォローもされてない。それと、ラストシーンは完全に蛇足では?兄弟子を許して去らせるところで終わらせても全く問題なかった気がするし、最後にあれだけ残酷に兄弟子をぶち殺す必要があったんだろうか? 中盤までは良いのだが、後半が月並み以下になってしまったお陰で、かなり散漫な物語になってしまった。 ここからは推測だが、これはこの作品があまりにも新しすぎたと言う事に危惧を抱いた製作側からの横槍が入ったのではないだろうか?最後まで女性を主人公にしては観客にそっぽを向かれるし、伝統的な武侠映画に馴れた人からは批判が出るだろう。と言う事で、途中で方向修正が行われたのかも? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||