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1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | スーパーマン III 電子の要塞 監督 | |
1982 | ||
1981 | スーパーマン II 冒険篇 監督 | |
1980 | ||
1979 | さらばキューバ 監督 | |
新・明日に向って撃て! 監督 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ロビンとマリアン 監督 | |
1975 | ローヤル・フラッシュ 監督 | |
1974 | 四銃士 監督 | |
ジャガーノート 監督 | ||
1973 | 三銃士 監督 | |
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | 不思議な世界・未来戦争の恐怖 監督・製作 | |
1968 | ||
1967 | ジョン・レノンの 僕の戦争 監督・製作 | |
1966 | ローマで起った奇妙な出来事 監督 | |
1965 | HELP!四人はアイドル 監督 | |
ナック 監督 | ||
1964 | ||
1963 | ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ! 監督 | |
月ロケット・ワイン号 監督 | ||
1960 | とんだりはねたりとまったり 監督・脚本・音楽・出演 | |
1932 | 1'19 ペンシルヴェニア州フィラデルフィアで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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スーパーマンV 電子の要塞 1983 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1983ゴールデン・ラズベリー最低助演男優賞(プライヤー)、最低音楽賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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偶然才能が発見された天才コンピュータ技師(プライヤー)により、難攻不落の電子の要塞が完成する。だが、人の手を離れ、自らの意思で動くようになった要塞は、人に対し、攻撃を仕掛け始める。そんな時、肝心のスーパーマンは変成クリプトナイトのため、すっかり正義の心を失っていた… アメリカそのものを示すとまで言われた大好評シリーズの第3弾で、本作も1983年邦画興行成績5位とヒットを記録する。この作品はスーパーマンという典型的ヒーロー作品を脱構築した作品とも言われ、徹底してスーパーマンをパロディにしてる作品で、お陰でこの作品、スーパーマンファンにはもの凄く受けが悪い。 役者とは因果な商売だ。どんな映画でも、“はまり役”となってしまうと、その役者はそのイメージでしか見られなくなってしまう。これが庶民的な役柄であればなんとかやっていけるのだろうが、スーパーマンとなったリーヴはどうだっただろう? 彼ははまり役となったスーパーマンの役を徹底して憎み続けたと言われている。これは役柄が限定されると言うだけでなく、実生活においても相当なプレッシャーになっていたのでは無かろうか?スーパーマンはみんなのあこがれだから、そのように生きることが期待されてしまう。役者以前に人間として“こうあるべきだ”と期待されてしまうのは辛い。 どの役者でも多かれ少なかれそう言うプレッシャーを受けているのだろうが、特にリーヴにとってはきつかったのかもしれない。 この作品、リーヴは絶対にスーパーマン役をやらないとごねたらしいが、それもよく分かる。物語そのものが完全に破綻している。プライヤーを用いて笑いを取ろうとするが、ことごとく外れ、しかもスーパーマンがシリーズ中最も弱い。こんなスーパーマンなんて、見たくない。大体、一度もコンピュータの勉強などしていない技術者の頭脳程度であんなコンピュータ管理の要塞が出来るか。兎に角無茶苦茶嫌気が差した映画だった。 スーパーマンが悪人となると言うアイディアだけは買うのだが、それまでの反動で悪逆の限りを尽くすってのならまだしも、何をやってるかと言えば、バーで飲んだくれてクダを巻いてるだけ…悪人になっても中途半端なのね。この人は。 |
スーパーマンII 冒険編 1981 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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かつてクリプトン星を破壊し、宇宙に放逐された三人の悪人。地球に流れ着いた彼らは自分たちが超人となった事を知り、悪の天才レックス・ルーサー(ハックマン)と組み、地球征服を企てる。だが、肝心のスーパーマンは愛する女性のため、自ら超人であることを捨てていた。無力な彼に悪の手が迫る… アメリカ人の理想を具現化したといわれるスーパーマンの活躍を描く第2作で、これも1981年全米興行成績2位という大ヒットを記録する。 こちらは映画で観たので、むしろ前作より早く観ていた。それだけにこちらの方が印象深い。弱いスーパーマン(何か矛盾あるな)に映画館の中で声援を送ったものだった。 今から考えると、あれだけ強大な敵が登場したのに、実際にスーパーマンが活躍したのは本の短い時間だった。そこがちょっと残念だったが、耐えに耐え、最後にカタルシスを迎えると言うのは任侠映画に見られる邦画の常套手段で、それ故に好きだったのかも(とは言え、当時小学生か、あるいは中学に入ったばかりだったはず。そんなこと考える年齢ではなかったはずだが…)。 ジーン=ハックマンは、地球人ながら超人のクリプトン星人を手玉に取る上手い役柄を演じていた。尤も、所詮地球人。やはりくすんでいるのは仕方ないか。 この映画では劇中に三悪人によりホワイトハウス襲撃のシーンがあり、「おお、ゴジラだ」(笑)とおもったもんだが、最後は結局スーパーマンにより再建されてしまい、やっぱこいつはアメリカだけのヒーローなんだと思い知らされた。 |
さらばキューバ 1979 | |||||||||||||||||||||||
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新・明日に向って撃て 1979 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1979米アカデミー衣装デザイン賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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なんと無謀な…とか思ったら、面白いじゃん。こりゃ確かにブッチとサンダンスだわ。 |
ロビンとマリアン 1967 | |||||||||||||||||||||||||||
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獅子王リチャード1世の死を契機にイギリスに戻ってきたロビン・フッド(コネリー)は、新たなジョン王(ウィリアムソン)の治下、やりたい放題のノッティンガム侯爵(ショウ)によって国民が圧政に苦しめられている光景を目の当たりにする。そんな国民のために立つことを決意したロビンの元には続々と有志が集まってくる。その中には、かつてのロビンの恋人で、今は修道女となっているマリアン(ヘプバーン)の姿もあった… イングランドの国民的英雄だけあり、ロビン・フッドは幾度も映画化されたし、又、これからもされていくことになるだろう(最近でもリドリー・スコットによる『ロビン・フッド』(2010)が記憶に新しい)。ただし、その描写は様々。ハードな政治劇のように仕上げることもあり、純粋な活劇に、あるいはコミカルにと、実に個性豊かだ。 その中でも本作は特に個性的な要素を持っているのは、かなり純粋なラブロマンスものに仕上げたと言う事。主演がコネリーだし、アクション作品では定評のあるレスター監督だけに、活劇を期待してしまうのだが、これには意表を突かれた。実際公開当時、あまりの斬新さに、評価は真っ二つに分かれてしまったらしい。 私に言わせれば、これも「あり」だろうとは思う。どれも同じ物語に仕上げる必要は無いし、国民的英雄の一つの側面というか解釈を見せる事も出来たかと思う。 でも何といっても本作の見所はヒロインがヘプバーンという事実だろう。正直これだけでもう充分。本作がアクションを控え目に作られたのは、結局の話ヘプバーンをどれだけ画面に出せるかということだけだったんじゃないか?と勘ぐるくらいに登場時間が多い。でも、本作においてはそれこそが正解なんだと思う。 とにかくコネリーとヘプバーン、二大俳優の共演でラブロマンス。それだけでこの作品は充分だろう。 |
四銃士 1974 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1975米アカデミー衣装デザイン賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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三銃士と同時に撮影を行う 出演者は元々一本の映画として出演したのに、二本の映画に別れてしまい、その分の出演料を貰っていないと訴訟を起こす結果になる |
ジャガーノート | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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三銃士 1973 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1974英アカデミー作曲賞、撮影賞 1974ゴールデン・グローブ女優賞(ウェルチ) |
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四銃士と同時に撮影を行う 出演者は元々一本の映画として出演したのに、二本の映画に別れてしまい、その分の出演料を貰っていないと訴訟を起こす結果になる |
ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア! A Hard Day's Night |
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1964米アカデミー脚本賞、音楽賞 1964英アカデミー新人賞(ザ・ビートルズ) |
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リバプールで結成された新しいバンド、ビートルズの面々ポール、ジョン、ジョージ、リンゴー(全部本人)は彼らのマネージャーであるノームやポールの祖父ジョン(ブランビル)と共にイギリス中を回っていた。行く先々で彼らは歓迎されるが、もちろん若者である4人は窮屈さを嫌がって、時に脱走して街中で遊び回る。そんな中でつい仲たがいしてしまったジョンとリンゴー。他のメンバーがジョンに同調するのを知ったリンゴーは逃げ出してしまうのだが… ビートルズの第1回主演映画。すでに音楽ではイギリスはおろか世界のトップスターとなっていたが、彼らはみんな音楽だけでなく、積極的に映像世界へのチャレンジを続けていた。新しい手法を映像の中でも試みようと言う積極性がここにも見えている。 本作の第一の試みは、本当に日常が忙しいのだから、それを題材にしてしまおうと言うセミ・ドキュメンタリー・タッチで作ってしまったこと。この形は、演技についても撮影についても素人が映像に積極的に関われる形を生み出した。スタジオの中で徹底して管理された演技ではなく、自然体で自らを演じると言う事自体が映像表現になると言う、ポップ・アート作品を作り上げたわけだ。 二つ目の試みは、これを素直な若者観にしていると言うこと。たとえ大スターであっても、ビートルズの面々の内面は普通の若者である。と言うことを強調していること。街に出れば彼らは普通の若者にすぎず、大人の押し付けには反発し、仲間内でも仲良しなだけでなく、時として喧嘩もするし、互いに言いたくても言えない鬱々とした感情もある。その点素人臭さはむしろ自然な演技となっているのが面白いところ。音楽界のカリスマである彼らが普通の若者と違わないという事実は、逆に彼らを魅力的にすることに成功している。演技の上手い大スターではなく、そこら辺にいるような若者も、映画では魅力的に作ることが出来る。イタリアで誕生したネオ・リアリスモ的な手法がポップ・アートとしてイギリスでよみがえり、これが数年後に世界の映画のメイン・ストリームへと変わっていく。 ネオ・リアリスモ的手法と先に書いたが、映像表現そのものはかなり誇張も多く、ヌーヴェル・ヴァーグ…というよりは、シュールレアリスムの手法が多様されているのも特徴だろうか。 いずれにせよ、自らの姿を自然にパロディ化できるビートルズの立場を最大限よく活かした作品とは言えよう。映画としての完成度そのものは粗削りだが、これまでの作品とは一風変わった作風は、後の映画に多くの影響を与えることになった。単なるアイドル映画としてでなく、映画史においても重要な作品。特に60〜70年代の映画を語るならば、必須の作品と言えるだろう。 尚、この邦題はあまりにも不評だったからか、リマスター化された際は原題の直訳『ハードデイズ・ナイト』に変えられた。 |
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