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ロベルト・ロッセリーニ
Roberto Rossellini

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鑑賞本数 合計点 平均点
allcinema ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
著作
ロッセリーニの自伝に近く(書籍)

_(書籍)
1977 6'3 死去
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968
1967
1966
1965
1964
1963
1962
1961
1960
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952 自由は何処に 監督・脚本
ヨーロッパ一九五一年 監督
七つの大罪 共同監督
1951
1950 神の道化師、フランチェスコ 監督・脚本
1949 ストロンボリ/神の土地 監督・脚本・原案
1948 ドイツ零年 監督・製作・脚本
殺人カメラ 監督・製作・脚本
アモーレ 監督・製作・脚本
1947
1946 戦火のかなた 監督・製作・脚本
1945 無防備都市 監督
1944
1943
1942
1941 白い船 監督・脚本
ギリシャからの帰還 監督・脚本
1940
1939
1938 空征かば 脚本
1937
1936
1935
1934
1933
1932
1931
1930
1929
1928
1927
1926
1925
1924
1923
1922
1921
1920
1919
1918
1917
1916
1915
1914
1913
1912
1911
1910
1909
1908
1907
1906 5'8 ローマで誕生

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無防備都市
Rome, Open City
1946米アカデミー脚本賞
1946
カンヌ国際映画祭グランプリ
1946NY批評家協会外国映画賞

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セルジオ・アミディ
フェデリコ・フェリーニ(脚)
アルド・ファブリッツィ
アンナ・マニャーニ
マルチェロ・パリエーロ
マリア・ミーキ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 第二次大戦中のローマ。レジスタンスの指導者マンフレーディ(パリエーロ)はレジスタンス切り崩しの追跡を逃れつつ、ローマで資金集めをしていた。ゲシュタポの手を逃れつつ、同志であるフランチェスコの家や恋人のマリーナ(ミキ)のアパート神父ドン・ピエトロ(ファブリッツイ)の教会など、転々と居場所を変えつつ、機会をうかがっていたのだが…
 いわゆるネオ・リアリスモ作品の嚆矢として知られ、大戦中のイタリアの様子を伝える貴重な作品。実在の神父ドン・モロシーネを題材にしたものだが、エピソードの多くは実話を元にしているのだとか。ロッセリーニ監督は一時期ファシストに協力する映画も作っていた事もあったが、この当時は既に完全にレジスタンス側で、自らの反省も含めて描いたと言われている。
 
イタリアは大戦中はかなり中途半端な立場に置かれた国で、日独伊の三国同盟により、明らかに枢軸側に立って戦ってはいたが、ドイツと比べると戦力や戦意の面で相当に劣る。結果として連合軍と戦うと言っても、、単独で戦うのではなく、戦力の多くをドイツに頼っていたのが現状だった。これは国内にあっても影響を及ぼすこととなった。政治的にもドイツ軍の発言力は高く、あたかも国内はドイツの属国のように思われていた節がある。
 そんな国内の現状を冷徹に描いたのが本作であり、その点にあって極端なリアリズムを持つ作品となった(海外に対し、イタリア人の全部がファシストではないことを示すにもいい機会だった)。それ故ネオ・リアリスモの始まりと言われるが、後年のリアリスモ作品と比べると、こちらの方がはるかにエンターテインメント性に富んでいるし、物語的な設定もきちんとしているのが特徴だろう。リアリスモ云々ではなく、間違いなく一級のエンターテインメント作品としての傑作である。

 本作には色々と画期的な要素が含まれるが、一番素晴らしい点は、ここに登場する
人々の表情ではないかと思われる。
 すでに戦争が長引き、市民の自主性が奪われて長い時間経過している。恐らくは近隣の住民の何人かは反逆分子として警察に引っ張られていただろう。そんな時代では、市民の表情は疲れきり、無表情になる。人と違うと言うだけで危険なのだから、そちらの法に精力を取られてしまうと、一様に顔は無表情になるものだ(日本では最も近いのは学生時代だろう)。これは市民だけでなく、警察官も一様。個人的な恨みを引き受けるのにくたびれきってしまう。冷徹に人を裁きつつ、その裏で、酒と女で紛らわせるシーンなんかは、妙にもの悲しいものがある。
 そんな無表情な中、変わった表情を持つ人間もいくつか見られる。
 
一つは子供。純粋な気持ちで正義を信じる彼らは、自分たちを迫害するものや、自分の親を奪ったものに対してストレートに反抗する。はっきり意思を持ち、自分の敵に一矢報いるためにはどうすればいいか、一生懸命考え、仲間を募り、一種の愚連隊のようなものを作る。子供の頃には作る、一種の仲間意識にも支えられ、彼らは大人も思ってみないようなアイディアを練っている。その仲間意識に結ばれているため、その目は暗くとも意思にあふれている。
 
もう一つは革命家。本作の主人公でもあるマンフレーディは警察から長く逃げまわっているが、意思力は途切れておらず、精力的な表情は崩さない。市民の中に紛れ込む必要があるために、なるだけ目立たぬようにだけはしているが、それでも、意思力を持った表情をしている。彼を影にひなたに支援している神父や、市民の表情も、どこか怯えはしてるが、時に決然と物事に対処しようとしている。
 そして、
重要な要素として女たちがいる。彼女たちが一様に見せているのは、奇妙にアンニュイな表情だった。これは他の市民のように諦めの表情ではなく、かといって積極的に何かをしようとしているのでもない。
 女性の描き方は少々複雑。特に本作に登場する女性は特殊な仕事をしているので、彼女たちはゲシュタポにもレジスタンスにも深く関わる事になる。そんな彼女たちの描かれる表情は、様々に変化する。特にミキ演じるマレーナにそれが顕著に表れている。基本はなにもかもに興味を無くし、アンニュイな表情でなにもかもを受け入れている。表情を見せるのは気分を高揚させるための薬を求める時くらいで、後はほとんど誰に対しても一様に無表情で通している。
 それに対し、愛人であるマンフレーディに対しての表情はまるで変わっていく。ゲシュタポの保護を受ける立場で、最も危険な位置にいても、愛する人であれば、それがレジスタンスの一員であっても喜んで受け入れる。それが綱渡りであっても、それを進んでやりたがる。
 要するに
愛するということに全ての価値観を置いているということになるか。
 この二重性こそが彼女のミステリアスな雰囲気を作り出していて、それがこここに描かれる女性たちの魅力になっている。1930年代にはヨーロッパの女優がハリウッドでもてはやされた時期があったそうだが、この気だるい表情こそがアメリカ人女性にはない魅力となっていたのだろう。
 だから愛というものに裏切られた時、彼女は破滅に向けて動き出す。この作品の最大の見所は、彼女の心の動きと、それによって引き起こされた取り返しのつかない事態があるだろう。
 そしてこの事実があるからこそ、本作はネオ・リアリスモとは一線を画するドラマ性が生まれるのだ。

 こういった様々な表情を持つ人間たちが時に接触することによって話は展開していくのだが、それが収斂していくラストシーンは
「見事」の一言に尽きる。
 本作はハッピーエンドには終わらない。むしろこれを中途半端と見る向きもあろう。しかし、この収斂こそが本作の極みだろう。マリーナの裏切りで話は急展開し、レジスタンスの一斉検挙、慎ましやかな幸せから一気に不幸のどん底に追いやられる市民、主人公の拷問死、神父の銃殺と、話は畳み込むかのように展開していく。
 神父の処刑を見ていた少年たちの最後の表情こそ、本作の意義というものをはっきりと感じさせてくれるものだ。これでは終わらない。炎を心に秘めた、次世代を担う子供たちがいるのだから。
 この映画は戦後イタリアのいくべき道を指し示す、一種歴史を作った映画と言えるだろう(映画史に大きな足跡を残したことは無論だが)。映画を学ぼうと思う人にとって、必須の作品の一本だ。

 本作の撮影開始はまだ連合軍にイタリアが解放される前で、この撮影は相当大変だったらしく、ゲシュタポから隠れ、セルジオ=アミディやフェリーニが脚本を隠れて書き、完成脚本はローマ中に分散させて隠したという逸話が残っている。。
製作年 1945
製作会社 エクセルサ・フィルム
ジャンル 戦争(銃後)
売り上げ $
原作 セルジオ・アミディ
歴史・地域 第二次大戦、ローマ(イタリア)
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