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古き良き時代の外国映画(書籍) |
1957 | 5'12 死去 | |
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1941 | ||
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1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | グリード 監督・脚本 | |
1923 | ||
1922 | ||
1921 | 愚なる妻 監督・原作・脚本・出演 | |
1920 | ||
1919 | 悪魔の合鍵 監督・脚本・出演 | |
アルプス颪 監督・原作・脚本・出演 | ||
1918 | 世界の心 出演 | |
1917 | アルプスの悲劇 監督 | |
1916 | 印度の処女 出演 | |
飛行水雷 出演 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | ||
1903 | ||
1902 | ||
1901 | ||
1885 | 9'22 ウィーンで誕生 |
グリード Greed |
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1991アメリカ国立フィルム登録簿登録 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ゴールドラッシュで沸く南部の小さな町で貧乏暮らしをしていた青年マクティーグ(ゴーランド)は、無許可の歯科医師となりサンフランシスコへと出てきた。そこそこ歯医者は繁盛し、ようやく人並みの生活が出来るようになったが、妻のトリーナ(ピッツ)が宝くじに当選してしまったことから、運命の歯車が狂い出してしまう… フランク・ノリスによる小説「マクティーグ」の完全映画化作。それまで予算や期間を超過し続け、ほとんどどの製作会社からもお呼びがかからなくなってしまったシュトロハイム監督がサミュエル・ゴールドウィンと組んで作り上げた作品。 本作はサイレント時代の“呪われた傑作”と言われている。完全主義のシュトロハイムは、本作の撮影を全てロケーションで行い、最後のデスバレーの撮影では、そこの熱によってスタッフが死亡したという逸話もある。更に完成した作品はなんと9時間半というとんでもない長さになってしまい、それを2時間にまとめてしまったため、完成版は悪評で、私財を投じたシュトロハイム自身がほとんど破産状態になってしまう…まさしく呪われた作品と言えるだろう(しかも長くなりすぎたフィルムは完全に溶かされてしまったそうで、現在オリジナル版を観ることは叶わない)。 俳優として有名となったシュトロハイムだが、本人はあくまで監督として映画に関わっていたかったのだろう。事実、この作品は間違いなく非凡な才能と、その主張の強さで見せてくれる。 本作が映画史において初めてのオールロケによって作られたと言う事もあるだろうし、アメリカ映画において初めて“悲劇”を前提として作られた作品と言うこともある。だが最も大きいのは、本作のタイトルにこそあるだろう。 “グリード”強欲というタイトルで知られる本作は、人間の根元を見事に言い当てた作品と言える。 “人間の欲望には限りがない”と言われるように、人は誰しも強欲である。単純に“生きる”と言うもの以上に欲しがるのは、遺伝的に考えるならば突然変異的な能力だが、最低限生きられる環境を手に入れれば、そこから、もう少しだけ快適に生きられるように考えるし、生きるに充分になったら、今度は“蓄え”と称してそれ以上のものを手に入れるようになっていくし、しかも一旦手に入れたものは手放そうとはしない。これこそが人間がここまで文明を発達できた原動力であろう。 そう考えるなら遺伝子レベルで誰でも欲望があるし、それを肯定することで古来社会は成立していた。更に言うなら、人は自分の身の丈に合わぬものを求め続けることを本能的に欲してしまう。 宝くじなんてものは人間の本能というものに最も忠実なものとも言える。人間誰しもある“より良く生きたい”という欲望と、“しかし苦労はしたくない”というせめぎ合いのなかで生まれた、本能をくすぐるものだ。 そして本作で描かれる主人公とその妻の姿は、動物的欲望から人間的欲望へと転換される見事な例と言ってもいいだろう。 人として生きるには最低の環境から、ほんのわずかな幸運を掴み取り、打算と欲望からどんどん高みへと上っていく。そして自分自身で手に負えない富を手に入れたら、それを守るためにどんどん非人間的な行いに手を染めるようになっていく。 結局これはそういった誰にも起こり得る事柄を淡々と述べているにすぎない作品とも言える。主人公は決して悪人ではないし、打算で結婚した妻も普通の人間にすぎない。だけど富というものを手に入れてしまったら、こうなってしまう。 実際本作を観ていて思うのは、“強欲”とされる主人公がなにも私と変わらない存在でしかないということである。そんなに悪い人間ではないし、むしろ善人とさえ思えてくる。私も又同じ状況だったら同じような事になっていたとも思えるのだ。 “自分の身に置き換えたら?”そう思わせられる作品はそんなに多くはない。だから自分の嫌な部分を見せつけられるような気分にさせられるし、それがとても不快だ。 そう言った自分自身にある不快な部分をきちんと見せてくれる作品は貴重だし、本作は見事にその役割を果たしている。 |
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