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シェ・チン
謝晋
Xie Jin

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_(書籍)

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1987 芙蓉鎮 監督・脚本
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1984 戦場に捧げる花 監督
1983 炎の女・秋瑾 監督・脚本
1982
1981 牧馬人 監督
1980 天雲山物語 監督
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1964 舞台の姉妹 監督・脚本
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1924
1923 11'21 浙江省で誕生

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タイトル

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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

芙蓉鎮 1987

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アー・チョン
シェ・チン(脚)
リウ・シャオチン
チアン・ウェン
チョン・ツァイシー
シュイ・ソンツ
チャン・クアンペイ
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
芙蓉鎮(書籍)クー・ホア
 1963年。湖南省にある小さな町芙蓉鎮で米豆腐の店を営む黎桂桂(劉利年)と胡玉音(劉暁慶)という夫婦がいた。器量よしの玉音は村の人気者で、ついに二人は念願の自分の店を出すことが出来た。だが翌年、文化大革命に先立つ四清運動によって党から政治工作班が送られ、かねてから玉音を快く思ってない村の党員李国香がその先鋒に立った。ブルジョア分子として、村人が次々に総括にかけられる中、玉音たち夫婦も槍玉に上がり、ついには店も財産も失ってしまう。玉音が親戚に会いに行っている間に思い余った夫の桂桂は国香を殺害しようとして、逆に党によって処刑されてしまう。村に帰った玉音は、自分が党に対する裏切り者になってしまったことを知らされる。そんな玉音を何かとかばうのは読書家でブルジョアとして処断されていた秦書田(姜文)。そしてついに1966年に文化大革命が起こる…
 戦後から共産党の一党支配が長い中国だが、1980年台から90年台にかけ、文化的な意味での規制が少しゆるみ、その時代に過去の歴史を総括する
傷痕ドラマと呼ばれる映画が何作か作られるようになった。本作はその代表作。
 本作を観たのは大学の時。私のいた大学の町では、折からのミニシアターブームを受け、毎月名作やミニシアター系作品を上映していて、本作はその絡みで観たのだが、ある意味で私自身に大きな影響を与えた作品でもある。
 理由は簡単。
作品が全く理解できなかったのだ。いや、ドラマがあって、人間関係があって、不自由な恋愛関係があるという流れは分かる。だけど、その背景がまるでわからない。なんで主人公たちがこんな目に遭うのか。さっきまで居丈高に命令してた人が、次のシーンではうなだれて責めを負ってるのか。中国って一体何があったんだ?というレベル。これは単純に自分自身が高校時代に全く歴史を勉強してなかったことに起因するわけだが、折からちょうど自分自身の中で「歴史の勉強をしたい!」ブームにあり、この際だから、図書館に行って中国関連の書籍を多量に借りて読み始めた。
 大半は読み物ではあり、更にそのほとんどは古代についてのものばかりだったが、ある程度は近代のものも有り、お陰で色々とわかった。大学で起こっていた学生運動の中でも時折出てくる耳かじりの文化大革命のこと、毛沢東のこと、謎の国だった中国が随分身近に感じられる程度には知識を得ることが出来た。
 そこで本作を語る上で最も参考になったのがユン・チアンの小説
「ワイルド・スワン」だった。まさしく同時代の、しかも地方農村での生活が細かく書かれていて、これを読んでやっと本作の設定がわかった。
 そこで言うなら、これは、背景が分からないならば、物語の大半が分からないということと、そしてそれが分からなくても、恋愛ものとして観る分には充分ということ。
 背景はともかく、ストーリーラインは極めて単純で、三角関係ものとして見れば良い。
 主人公の玉音は幸せな結婚をしたが、実はそんな彼女を密かに思い続けていた書田がいた。ただ、本来勉強家で地方の政治に関わるべきだった書田は、共産党の台頭によって「ブルジョア」の烙印を押され、皆に蔑まれるような立場。自らの立場を知っていた書田は玉音への恋心を隠してそれを祝福していたのだが、夫が亡くなり、裏切り者として追われる立場にある玉音に自らを重ね合わせていく。最初、そんな書田の事をなんとも思ってなかった玉音が徐々に変わっていく。その玉音の心の動きを見ていけば良いのだ。
 …で、この作品を観てから既に四半世紀。やっとこのレビューに着手して、それでやっとこの事が理解できた。我ながら、本当の馬鹿だ。

 …とは言え、この作品の背景を見ることで、理解を深めるのも大切。以降は一応フラットな形で書こうと思うが、変な主張が出てしまう可能性があるので、その点はご容赦を。
 ここでは1963年の四清運動から3年後に始まる文化大革命に至る、非常に短く、そして中国史において最も濃密な時間が描かれている。
 まず第二次大戦で国民党に勝利して政権を奪取した共産党だが、社会主義路線が遅々として進まなかった。号令をかける立場の毛沢東の主張も一定せず、そのため国を再建しようとした政治家たちは徐々に毛沢東から離れはじめていく。
 そんな中1962年に、組織固めを進めるべきと言う劉少奇らと、未だ階級闘争は続いており、それを打破することがこの国を本当の共産主義国家にすることという主張を持つ毛沢東の主張は真っ向から対立していた。
 この時点で毛沢東の主張は現実的ではないともされており、このままでは政治的失脚は免れなかったのだが、毛沢東には最後の手段があった。それが
人民の支持だった。
 共産党を躍進させたという実質的な成果を持つ上に、毛沢東自身の持つカリスマ性と、共産党が神輿に乗せ、人間以上の存在としたプロパガンダ活動の甲斐あって、毛沢東は国民に絶対的な支持を受けていた。
 それを最大限利用し、政治では無く国民に呼びかけたのが
四清運動だった。政治・経済・組織・思想の<四つを清める>という意味だが(元は人民公社の帳簿、倉庫、財産、労働点数の4点を清めるという意味だったらしい)、都市部のみならず農村にもそれを強いた。
 その結果何が起こったか。
 政治的腐敗を無くするというスローガンの元でのレッテル貼りである。
 それまで地方政治を担ってきた人物は、人民のためにならない存在だと吹聴され、失脚の憂き目に遭う。それ以外にも共産主義を批判する人間は、害悪とされて排除される。大きな政治逆転劇…いや、それぞれの地方でクーデターを起こしても、それが正義になるというとんでもないことが起こり始めたのだ。言葉の意味のままの農村革命が起こってしまったわけだ。
 ただ、それで権力を追い落としたは良いが、それからどうするか?
 ここが大変重要なところ。正義の士が腐敗分子を追い落とした場合、その正義が権力に収まったらどうなるか。答えは簡単。別な正義によってあっという間に追い落とされる。こうして地方の権力者は次々に変わり、どんどん無能になっていく。
 これに歯止めをかける方法はあった。それが共産党中央本部とのパイプである。上層部が守ってくれるなら、その人物は無事でいられる。それを最大限使うことで、権力を保持するようになっていく訳だ。
 これが四清運動のあらましであり、この作品の背景となる。

 四清運動は、腐敗権力の追い落としと共産党中央委員会の強化という意味では役には立ったが、それは同時に共産党中央委員会員の胸先三寸で地方権力者を決められるようになっていき、それが新しい腐敗を生む要素になっていく。そしてそれを粛正するため、四清運動よりも遙佳に徹底した文化大革命が起こっていくことになるのだ。

 本作のラストシーンで、玉音と書田は晴れて結ばれ、再び米豆腐店が開かれるのだが、そこに流れる不穏な空気。
まさにこれから文化大革命が始まるという暗喩が込められているのだ。
 これであのラストがはっきりと分かる。一見ハッピーエンドに見せておいて、実はこれからが本当の地獄という、もの凄い暗示となってるのだから。

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