<amazon> <楽天> |
|
|||||||||
|
||||||||||
_(書籍) _(書籍) |
2007 | 6'29 死去 | |
2006 | ||
2005 | ||
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ヤンヤン 夏の想い出 監督・脚本 | |
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | 牯嶺街少年殺人事件 監督・脚本 | |
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | 恐怖分子 監督・脚本 | |
1985 | 台北ストーリー 監督・脚本 | |
1984 | 冬冬(トントン)の夏休み 出演 | |
1983 | 海辺の一日 監督・脚本 | |
1982 | 光陰的故事 監督 | |
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | 9'24 広東省で誕生 |
ヤンヤン 夏の想い出 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2000カンヌ国際映画祭監督賞(ヤン)、パルム・ドール(ヤン) 2000全米批評家協会作品賞 2000NY批評家協会外国映画賞(ヤン) 2000LA批評家協会外国映画賞 2000ヨーロッパ映画インターナショナル作品賞(ヤン) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
台北に住むヤンヤン(チャン)の叔父の結婚式の当日、祖母が倒れた。昏睡状態のまま家に運ばれてきた祖母を前に、それまで平穏だった日常が少しずつ変わり始めてきた。母は精神不安定となり新興宗教にのめり込むようになり、父は商談に訪れた日本でかつての恋人と再会。姉にはボーイフレンドが出来、ヤンヤン自身も幼い恋心が生じる… 寡作ではあるが現代台湾を代表するヤン監督の最新作。ヤン監督作品はどこかしら自分自身の過去を投影した作品が多いが、本作は監督の幼少時代の思い出が詰まったような作品になっている。とはいえ、作品自体は現代を題に取っており、監督自身の思いを現代の問題としてとらえているのが特徴だろう。 本作は祖母が倒れることを契機として起こってくる家族の騒動が描かれるのだが、興味深いことに、家族それぞれがお互いに問題を抱えているのに、家族全体としてそれを語ったり問題とすることがほとんどない。事件のほとんどが家族一人とそれを取り巻く人々だけで完結している。それなのに家族の物語となっているのは、意外にも動くことも喋ることもない祖母が彼らを結びつけているからなんだろう。たとえ動かなくても、言葉が喋れなくても、やはり家の中心として祖母がいたからこそ、彼らは家族というものを中心として行動できたのだし、祖母が亡くなった時に家族としての一つの形が終了する。 祖母の死に至るまでに様々なドラマが家族一人一人の周囲で展開していく訳だが、それが終わった時、元通りにはならないのも特徴か。一旦これまでの家族は崩壊し、その後新しい家族の形として再生していくことになる。 思えばこの話は最初に華やかに叔父の結婚式が行われる所から始まるのも、暗示的な出来事かも知れない。これが台湾伝統に則り始められたという事は、これまでの家族の日常そのものであり、台湾という国そのものの歩みとも言える。しかしその夜に祖母が倒れることで、これまでの台湾の伝統的な家庭が壊れていく。これはあるいはヤン監督の観る現代の台湾の状況と言うことなのかも知れない。 伝統的な儒教的価値観の家族は徐々に崩れてくる。母は伝統とはかけ離れた新興宗教へ、父はかつてあきらめた外国での恋愛に、そして姉は割と刹那的な恋愛へと…これらは全てこれまでの台湾では許されていなかった価値観ばかりである。祖母が動かなくなったとは、その崩壊の序曲だったのかも知れない。そしてラストに祖母は実際に亡くなる。その時、家族はこれまでの個々の新しい生き方を捨て、再び家族へと戻っていくのだが、それはこれまでと同じものではない。新しい台湾を象徴するかのような、新しい家族の関係を始めていくことになる。それ自体を否定的にも肯定的にもとらえておらず、ひたすら淡々とその家族の状態が描かれ続けることになる。時代の流れを敏感に捉えつつ、旧来の伝統と徐々にくっついてくる新しい生き方がここには描かれているような気にさせられる。新しい家族のあり方とは即ちこれからの台湾の行く末であり、それを捉えようとするヤン監督の姿勢ではないだろうか? それらをあくまで距離を置いて映し出すカメラも良い。ドロドロになりそうな素材を淡々と描くためには、人物とカメラの間に距離感が必要なのだ。抑えの効いた描写のお陰で本作の魅力は更に増している。 それにしても本作におけるイッセー尾形の描写は見事だ。一見冴えないサラリーマンのように見えながら、人間関係の機微に敏感で、自分の持つ特異な能力をまるで恥じるかのように明かしていく…本音言って、こんな人間にこそなりたいと思うよ。 長い作品だけど、はまれると本当に心地良い。 そのヤン監督が2006年6月29日になくなった。台湾映画はこれからどのような発展を遂げていくのだろうか。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
牯嶺街少年殺人事件 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|