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2011 | 1'9 死去 | |
2009 | ||
2008 | ||
2007 | ||
2006 | ||
2005 | スティーブ・マックィーン:男の神髄 出演 | |
2004 | セパレート・ピース/友情の証 監督 | |
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ドン・キホーテ 〜ラ・マンチャの男〜 監督 | |
1999 | ニューヨークの亡霊 監督 | |
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | 最高のルームメイト 監督 | |
1993 | ニードフル・シングス 製作総指揮 | |
1992 | イヤー・オブ・ザ・コメット/失われたワインを追え! 監督 | |
1991 | ||
1990 | ||
1989 | イノセントマン/仕組まれた罠 監督 | |
1988 | 事件を追え 監督・製作 | |
1987 | 容疑者 監督 | |
1986 | ||
1985 | 哀愁のエレーニ 監督 | |
1984 | 銀河伝説クルール 監督 | |
1983 | ドレッサー 監督・製作 | |
1982 | ||
1981 | 目撃者 監督・製作 | |
1980 | ||
1979 | ヤング・ゼネレーション 監督・製作 | |
1978 | ||
1977 | ザ・ディープ 監督 | |
1976 | 走れ走れ!救急車 監督・製作 | |
1975 | ||
1974 | またまたおかしな大追跡 監督 | |
1973 | エディ・コイルの友人たち 監督 | |
1972 | ||
1971 | マーフィの戦い 監督 | |
ホット・ロック 監督 | ||
1970 | ||
1969 | ジョンとメリー 監督 | |
1968 | ブリット 監督 | |
1967 | 大列車強盗団 監督・脚本 | |
1966 | ||
1965 | ||
1964 | 不思議な家族・怪奇と幻想の世界 監督 | |
1963 | 太陽と遊ぼう! 監督 | |
1962 | ||
1961 | ローマの哀愁 助監督 | |
蜜の味 助監督 | ||
ナバロンの要塞 助監督 | ||
1960 | 寄席芸人 助監督 | |
息子と恋人 助監督 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | 7'24 ハンプシャー州オールダショットで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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銀河伝説クルール 1984 | |||||||||||||||||||||||
1984アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリ | |||||||||||||||||||||||
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大魔王ビーストに侵略された惑星クルール。王子コルウィン(マーシャル)はビーストを倒し、拉致されたリサ姫(アンソニー)を助けるべく一つ目人間レル、動物に変身する能力を持つアーゴ、謎の予言者シーアらと共にビーストの居城「黒い砦」に向かうのだった。 そつのない作りと当時では最高水準のCGを用いた作品作り。SF映画としての品質は高い。それにも関わらず何故か印象が薄い作品でもある。実際、今思い出しても殆ど記憶に引っかからない。変わった形のブーメランのようなものを使っていたな。と言う程度。唯一存在感があったのは巨人のレル位か?何かネイティヴ・アメリカンを思わせる死生観を持っていたっけ。後で考えてみると、クトゥルー神話なんかもかなり参考にしていたような気がする。 これは結局、華の問題ではなかろうか?いくら質が高くても、強烈な売りがないとマニア受けするだけで終わってしまう。この映画はその典型とも言えるだろう。SF映画はそれがしにくいのかな? |
ドレッサー 1983 | |||||||||||||||||||||||
1983米アカデミー作品賞、主演男優賞(フィニー、コートネイ)、監督賞、脚色賞 1983ゴールデン・グローブ男優賞(コートネイ)、外国映画賞、監督賞、脚本賞 1984英アカデミー作品賞、主演男優賞(フィニー、コートネイ)、主演女優賞(アトキンス)、監督賞、脚本賞 1984ベルリン国際映画祭男優賞(フィニー) 1984キネマ旬報外国映画第9位 1984毎日映画コンクール外国映画ナンバー・ワン賞 |
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ヤング・ゼネレーション 1979 | |||||||||||||||||||||||
1979米アカデミー脚本賞、作品賞、助演女優賞(バリー)、監督賞(イェーツ)、音楽賞 1979英アカデミー新人賞(クリストファー) 1979全米批評家協会作品賞、脚本賞 1979NY批評家協会脚本賞 1979ゴールデン・グローブ作品賞 |
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インディアナ州ブルーミントン。イタリアにあこがれ、周り中から疎んじられても何でもかんでもイタリア風に考えてしまうデイヴ(クリストファー)は自転車に乗ることは大好きで、かなりの実力を持っていることを自覚しているが、それを突き詰めてみるふんぎりもつかないまま落ちこぼれ仲間たちといつもつるんでいた。そんな時、州の自転車レースが行われることになり、デイヴは3人の仲間をを巻き込んで選手権にチャレンジすることになる。 若者の生活を描いた作品は数多いし、それをスポーツと絡めるのも良くやることだが、その中で最もリアリティある話は?と聞かれたら、やっぱり本作を推したい。 大体高校生って言うのは誰しも自分の未知なる可能性を持っていながら、それをどう活かして良いのか分からず、くだらないことばかりに凝るってのが普通。そう言うくだらないことが人から否定された方が燃えてしまい、意固地になってしまうことがよくある。ここでデイヴのイタリアかぶれは恐るべきリアリティで、一瞬自分自身のフラッシュバックが来そうな気がするほど(それで後になって身もだえしたいほど恥ずかしい思いにさせられたりもする…実例あり)。得意なものがあっても、ほとんどの人間はそれを将来の仕事にまで持っていくこともできない。自分の実力が井の中の蛙に過ぎないことを知らされたくない。と言う臆病さのせいだろう。 ただし、それでぐたぐたしながら終わるわけではない。何らかの契機があるならば、それらは化ける。へこまされながらも、自分を信じて得意なことを突き詰めようとすることもあれば、これまでの自分のやってきたことが馬鹿らしいことに気づいてあっけなくこだわりを捨てることもある。何かを捨てて何かを得る。この実感こそがこう言う青春映画には必要なんだろう。 物語そのものよりも、その設定を上手く活かしたことが本作の最大の強味だ。若者特有のイライラした気持ちと、それを爆発する場が与えられたということ。それが表現されていると言うだけで充分とも言えよう。 ノスタルジックな雰囲気に浸れることができる好作。 本来本作は脚本そのものは10年前に上がっていたそうだが、色々付け加えていく内に話が拡大していき、結局ここまでまとめるまでに時間がかかったのだとか。脚本のスティーヴ・テシックはユーゴスラヴィア人だが、アメリカの大学では自転車レーサーとしてならしており、その体験を活かした作品となっている。 |
ザ・ディープ 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1977米アカデミー音響賞 1977英アカデミー撮影賞 |
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ホット・ロック 1971 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1972米アカデミー編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ブリット 1968 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1968米アカデミー編集賞、音響賞 1968全米批評家協会撮影賞 1969英アカデミー助演男優賞(ヴォーン)、監督賞(イエーツ)、撮影賞 |
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ギャング一味を裏切って200万ドルを持ち逃げしたジョニーを保護した警察は証言台に立たせるため、サンフランシスコまで護送の任務を与えられたブリット(マックィーン)。だがその男は何者かによって殺されてしまい、ブリットも尾行されるようになる。この事件に何らかの裏があることを感づいたブリットは、何者かに命を狙われながらも独自に調査を開始する… マックィーンの設立した製作プロダクション“ソーラ・プロ”の第1回作品で、ロバート・L・パイクの小説「ミュート・ウィットネス」を映画化。1969年全米興行成績3位。 1970年代から当たり前のように作られるようになったはみ出し刑事の捜査作品の走りとなった作品。どれくらいこの影響が強かったかというと、この年を境にして、カー・チェイスを売り物にしたアクション映画が山ほど出てくる事からも分かる。特に80年代のハリウッドを支えた屋台骨は本作のパターン(現在も尚継続中)。それこそイーストウッドやマーフィなど、数多くのスターはこのタイプの作品を足がかりに大スターへとなったのだから、後の映画史に大きな功績を残した作品として知られている。後に数々のジャンルを開拓していった傑作揃いの1968年映画の中でも全く引けを取っていない刑事物の傑作と言えるだろう。 洗練され、スピーディになった現在の映画を観た後では演出もややもっさりしているし、肝心のカー・アクションもそんなに派手なことはやってない(なんと12分間ものカー・チェイスなのだが)。実際物語上語れる所はさほど無い。でもやっぱり面白い!と思わせるのはマックィーンという俳優の存在感に他ならないだろう。 本作は既にスターとなっていたマックィーンの新境地で、新たな魅力を開拓できた。そもそもマックィーンは大の警察嫌いで知られていたが、逆にそれが“はみ出し刑事”に見事に合致した。警察が嫌いだからこそ、型どおりの刑事を演じなかったのが、やはりマックィーンらしさかな?本作のヒットによりタートルネックセーターが流行したというおまけも付いた。 尚、監督のイェーツを指定したのはマックィーン本人。イェーツ監督はイギリス人でアメリカでは無名だったが、『大列車強盗団』を観て惚れ込んだマックィーンの直接指名で監督に起用されたという。 |