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ふとふり返ると―近藤喜文画文集(書籍) _(書籍) |
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| 1998 | 1'21 死去 | |
| 1997 | ||
| 1996 | ||
| 1995 | 耳をすませば | |
| 1994 | ||
| 1993 | ||
| 1992 | ||
| 1991 | ||
| 1990 | ||
| 1989 | ||
| 1988 | ||
| 1987 | ||
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| 1985 | ||
| 1984 | ||
| 1983 | ||
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| 1981 | ||
| 1980 | ||
| 1979 | ||
| 1978 | ||
| 1977 | ||
| 1976 | ||
| 1975 | ||
| 1974 | ||
| 1973 | ||
| 1972 | ||
| 1971 | ||
| 1970 | ||
| 1969 | ||
| 1968 | ||
| 1967 | ||
| 1966 | ||
| 1965 | ||
| 1964 | ||
| 1963 | ||
| 1962 | ||
| 1961 | ||
| 1960 | ||
| 1959 | ||
| 1958 | ||
| 1957 | ||
| 1956 | ||
| 1955 | ||
| 1954 | ||
| 1953 | ||
| 1952 | ||
| 1951 | ||
| 1950 | 3'31 新潟で誕生 | |
| タイトル | |||||||||||||||||||||||
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| 85点 | 劇場 | ||||||||||||||||||||
| 近藤喜文(監) 本名洋子、高橋一生、小林桂樹、露口茂 | |||||||||||||||||||||
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| 耳をすませば 1995 | |||||||||||||||||||||||||||
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| 読書好きの中学生月島雫(本名陽子)は、ある日図書館で借りようとした本の貸出カードに「天沢聖司」という名前を発見し、それ以来、良く注意してみると、雫の読む本には必ず先にその名前があることに気付く。やがて雫の心の中で好奇心が募っていく。そんな夏休み。雫は恋や進路を巡る友達とも付き合いながら、ひとりの少年と出会う。この少年こそが天沢聖司(高橋一生)であり、彼は中学を卒業したらイタリアへ渡って、ヴァイオリン職人の修行をしようと、そのための準備にいそしんでいた。そんな聖司の姿を見る内に、自分がちっぽけなものに思えてしまう雫だったが… ジブリが贈る快作アニメの一本。ジブリと言えば宮崎駿、高畑勲のどちらか。と言うイメージがあるが、本作は企画、製作、脚本は宮崎駿がおこなったものの、実質的な監督は本作がデビューとなる近藤喜文。これは前々から約束していた事だったそうだが、宮崎監督自身が既にこの時『もののけ姫』(1997)の企画に入っており、こちらに手を回せなかったというのが実情らしい(ここでは絵コンテのみの参加)。 とりあえずこの作品の成功は、ひとえに宮崎駿が一歩引いてくれたところにあると思う。この人が映画を作ると、どんな作品を作ったとしても、一種異様な力強さと、いたぶられる少女の姿が必ず出てくる。たとえそれが青春ものだったとしても、精神的なねちっこい追い込み方をするのは『魔女の宅急便』(1989)を観れば明らかで、これだけ一般に受け入れられているにも関わらず、宮崎監督の思いというのは、かなりマニアックな部類にはいるのでは?と常々… とにかく、宮崎駿が脚本でとどまったお陰で、絵柄も繊細な、こう言って良ければ良い具合に力の抜けた作品に仕上がってくれた。大体中学生の恋愛を力を込めて描いてもらっては、観てる方が困ってしまうのも確かな話で(笑) ちなみに私は恋愛ものの映画というのがどうにも苦手なタイプ。それが怨念渦巻くグッチョングッチョンの作品であれ、プラトニックラブを主題にしていたとしても、「二人のために世界はあるの」的な作品は、基本的には大変苦手(尤もそれなりの数を観てると、中にはいくつか大好きなのもあるけど)。特に本作の主題なんて言ったら、体中の汗腺から液吹き出して、体中掻きむしりたくなるほどの痒みを覚え、上映中ずっと顔が引きつりっぱなしになりかねない。(事実本作は半分はそうだった) それでも本作をわざわざ劇場まで観に行ったのは、たまたまそれまで観るのを強いて止めていたアニメを再び観るようになって、逆にブランクを取り戻そうと、片っ端からアニメを観ていた時期に重なっていたから。 で、一つ問題が起こった。 確かに恥ずかしい。無茶苦茶恥ずかしいのに、なんだかとっても楽しかったという事実。 こんなに直球勝負の恋愛ものが何故楽しい?土台こんな楽しい思い出なんて私には無いので(中学生の頃は周り中がみんな馬鹿ばっかに見えていたので、積極的に人とつきあおうなんて気はさらさらなかった)、思い出で面白いと思う訳じゃないし、ましてや「俺もこんなプラトニックな恋愛してみてえ!」と叫ぶような気にもならなかった。つまり、自分のみに置き換えると言うことは全く無かった。 で、今になって考えてみると、この映画のおもしろさというのは、日常描写が本当に上手く描かれていたからなんじゃないか?と思う。ここで出てくるのは割と普通の町…“普通の町”なんてものは本当は無いのだが、それを普通に思わせる技術が上手かった。それは電車に乗った時の人間の微妙な空間の取り方だったり、何気ない所に不意に猫が現れるとか、普段の日常からほんのちょっと違っているのが、逆に本当の日常に近さに見えているところが味噌なんだろう。作為的に作られた日常が、不思議な懐かしさを醸していたのかもしれない。宮崎駿監督が『となりのトトロ』で図らずも作り上げてしまった日常が、ここでは存分に活かされていたのが大きな点か。 こういう作為的な日常を描いた作品は、以降はほとんど無くなってしまったんだな。又、こういう日常と、アニメの中で出会いたいものだ。 あ、そういえば一つ感情移入できるところがあった。 私は小説が書きたかったんだ。人に認められるような文をいつか書いてみたい。それは中学生の頃からの夢だった。それを本当に実現してる中学生…私は何をやってるのか。なんて事はそういえば、はっきり意識したっけ。 |
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