Wikipedia |
国映が自社出資して設立。登記上の代表者は国映創業者と同じ矢元照雄であったが、矢元はアニメ事業に関しては余り口を出さず、実際のアニメ制作は岡本光輝(日放映製作の帯アニメ『とびだせ!バッチリ』では原作も兼任)が指揮を執っていたという。
日放映には東京ムービーから移籍した新倉雅美や岡本光輝を中心とするメンバーのほか、旧虫プロダクションのスタッフ(池野文雄・岡迫亘弘・正延宏三・村野守美)と東映動画のアニメーターが多数在籍、後にガンダムシリーズなどを生みだした富野喜幸(現・富野由悠季)も籍を置いていた。また『戦え!オスパー』には後に漫画家として活動するジョージ秋山やとりいかずよしも作画として在籍していた。
日本放送映画は3本のテレビアニメシリーズを制作して1968年に活動停止、廃業した。後に日放映動画スタジオの代表取締役であった新倉雅美が出資元でもあった国映の傘下を離れて独立し、日放映メンバーの一部が再集結して東京テレビ動画(国映と資本関係はない)を立ち上げるも劇場用作品『ヤスジのポルノラマ
やっちまえ!!』で映画事業に失敗して再び解散。その後、後身会社の日本テレビ動画(やはり国映と資本関係はない)も『ドラえもん』放送中に新倉の失踪が原因で解散している。また日本放送映画・東京テレビ動画・日本テレビ動画の3社は著作権の帰属元が未だにはっきりしていない。 |