Homeへ
Essayへ

ハンバーガーの話

ハンバーガーの話 その1  ハンバーガー。大量生産食品の代名詞で、大概の人は口にしたことがあるだろう。
 私は基本的にはこれは好きではない。腹にもたれてしまい、後で気持ち悪くなると言うのが最大の理由。それに味も大味だし、好きになれない。
 それでわざわざこの話を書こうと思ったのは、
「ファストフードが世界を食い尽くす」と言う作品を読む機会があり、そこに書いてある話が面白かったからと言う、いささか単純な理由である。あの本は基本的にマクドナルドについて書かれていたので、そちらの方がどうしても多くなってしまうのは勘弁いただきたい。

 ところで今回は、基礎知識の方を。
 そもそもハンバーグと言うのは意外なことだが、実はヨーロッパ起源の食べ物ではない。
 それではどこから?
 実は、モンゴルがその起源。騎馬民族である彼らも又、肉が主な食事となる。それで煮たり焼いたりもするが、生で食べる方法というのがある。これが面白い。
 彼らは肉のかたまりを馬の背中に乗せ、そこに鞍を置いて一日中駆け回るのである。そうすると、肉はぐずぐずに軟らかくなり、そのまま食べられるようになる。これが元々の食べ方。
 そして13世紀。チンギス・汗の子孫達はユーラシア大陸中を席巻した。チンギスの子フビライは中国で元と言う国を建国したのが有名だが、それ以外にも数多くの場所でチンギスの子孫は自分たちの力を誇示していた。その内の一人、
バトゥ・汗はロシアにキプチャク・汗国を建て、ヨーロッパを攻め立て、一時は現在のドイツの辺りまで(つまり西欧の半分)をも蹂躙したのである。ヨーロッパ人は、彼らを恐れ、彼らを「地獄から来た者」と言う意味でタタール人と呼んだ(タタールはギリシア神話におけるタンタロス、つまり地獄に堕ちた者を意味する。ただし、これについては異説もあり)。尤も、彼らは強大ではあったが、決して自分たちの国をヨーロッパに作ろうとしたわけではなく、単純に荒らし回っただけであった(そのことをヨーロッパの人たちは感謝しなければならないだろう。もしここで彼らが国を作ったら、ヨーロッパにも我々のように数多くのモンゴロイドが住み着くことになっただろうが…。と、これは脱線)。
 そしてタタール人がヨーロッパにもたらしたものは、破壊と混乱だけではなかった。新しい肉の食べ方をもたらしたのである。現在も残るタタールステーキ。つまり生肉のタタキはまさしくこれが由来なのである
(つまり、「タタールステーキ」を直訳すれば「地獄に堕ちた肉」になる訳か)。簡単に言うなら、挽肉を西欧にもたらした事になる。
 挽肉。これは一種の革命的食品であったが、生肉が食べにくいのは確かなので、
そのままではなく焼いて食べることが多かった。
 ちなみに焼いたものも、やはり同じタタールステーキと呼ばれていたのだが、今ひとつ人気が出ず、このままではマイナーな食事で終わっていたかも知れない。
 ところが、19Cになり、ドイツのある町でこのタタールステーキがちょっとしたブームになった。その町こそがハンブルク。ここでのタタールステーキが、ハンブルクステーキと呼ばれるようになる。これが現在のハンバーグとなる。
 移民としてアメリカに渡ったドイツ人がこのハンバーグを伝えた。とされる。
生肉(SPAM)
ハンバーガーの話 その2  たまたまタタールステーキがハンブルクステーキと呼ばれるようになったと言うのは前回話した。
 このハンブルクステーキに目を付けたのがアメリカ人。低コストで作れ、ナイフもフォークも必要なし。パンに挟んで片手で食べられる食品というのは、昼休み時間の少ない労働者には丁度良いと考えたのである。
 20C初頭、ハンバーガーは華々しくアメリカに登場した。
のではなかった。かなりマイナーな食品、最も貧乏さを強調する食品としてデビューした訳である。挽肉は中に何の肉が入っているのか、得体が知れない。しかも衛生面で言えば現代とはまるで違う。食べるのが怖い食品だったのだ(ちなみに統計ではハンバーガーの肉の危険度は現代と較べて段違いなのだそうだ。ただし、現代の方がはるかに危険という意味で)。
 この悪いイメージを払拭するために当時のハンバーガー屋さんは非常に努力したらしい。グリルを客の目に見えるようにして、牛肉を切り分け、ミンチにしてパティをつくるまでの課程を見せたり、わざわざ肉屋の車を店の前に停めさせ、牛肉を降ろす課程を見せたり。と言った方法を使って。
 そして、徐々にハンバーガーは社会的に認知されていったのだが、認知度を更に上げることになったのが
車社会の到来であった。
 ドライブしながら食べることが出来ると言う点で、ハンバーガーとはまことに都合の良い食品であることは間違いがない。たちどころに町の幹線道路沿いにはドライバーを当てにしたレストランが立ち並ぶようになった。そこでのメインとなる食品はホット・ドッグとハンバーガーとなる。大きな駐車場に車を止め、車の中からウェイトレスに注文し、それを車まで届けてもらう。これが流行となり、ハンバーガーはそのような文化に容易に浸透していった。
 そして乱立するレストラン同士の競争は激しくなり、値段や味で各々がしのぎを削る。そんな時代がやってきた。大衆文化の面では
「古き良き時代」が到来したのである。
 そんな時の、片田舎のカリフォルニアに出来た
(「カリフォルニアの片田舎」ではない。当時発展中のカリフォルニアは本当にど田舎だったのだ)一件のハンバーガー屋。それがアメリカの食文化そのものを変えていくことになる。
ハンバーガーの話 その3  ドライブインを中心に一気に販売店数を伸ばすことになったハンバーガー屋。特にカリフォルニアでは熾烈な客獲得競争が始まった。
 それぞれの店によって、客を惹きつけるための試みがなされる。これは主に三つの項目に分けられる。即ち。
1.目立つこと、2.味がよいこと、3.サーヴィスがよいこと。である。
 1.に関しては
派手な看板をどんと出すこと。ドライブインは地域密着型の店とは違うので、一瞬の見た目が勝負の決め所となる。いかに見やすく、そして派手で、何よりいかにも美味そうな店に見せるよう、工夫された看板が出現する。
 2.は
どんな国であっても、どんな店であっても当然必要なことである。いかにメニュー豊富に、いかに美味く、そしていかに安定した味が出せるか。この点においてそれぞれの店がしのぎを削る。当然腕のいい料理人は引っ張りだことなる。店の給料の大部分はコックが持っていくと言うのが当時の当たり前のパターンだった。
 3.サーヴィスも重要。ドライブインは車に乗っている人を相手にする。だから、車に乗ったまま食べられるハンバーガーが好まれるのだが、可能な限り車に乗ったままで済ませられるようにしたいというのが人情。
駐車場に車を停め、そこに給仕人(基本的に女性)がやってくる。それが望まれるのである(今もあるそうだが、ローラースケートに乗って注文を取ったり、料理を運んでくる奴。『アメリカン・グラフィティ』とかでも用いられていた))。
 
1.はともかく、2.と3.に関しては競争が激しくなれば、それだけ人件費が上がっていく。

 そこで華々しく登場するのがマクドナルド兄弟である。彼は自分たちの店を画期的に改造する。
 1.は今ではすっかりお馴染みとなった金色の
弓を象ったシンプルなものを用意する。これに関しては従来店と変わりはない。ただ彼らが行った画期性は上記の2.と3.を根本的に見直すこと事から始まった。
 彼らの行ったことは食べ物の店に工場の原理を適用したことと、
徹底したマニュアル管理、そしてサーヴィスの削除である。
 先ず彼らは今まで料理人の腕に頼っていた調理方法を見直す。機械的に材料を計り、それを用いて料理を作ることで、完璧なレシピを造り上げる。このレシピ表通りに作れば同じ味を量産することが可能となる。更に調理を分業とした。つまり、パンを焼く人はあくまでパンを焼き、ハンバーグを焼く人はあくまでハンバーグを焼く、それを挟む人も用意する。今まで独りで全て行っていたことをより多くの人間にやらせる。しかし、そこで調理する人は素人で構わないのである。最低限の訓練で画一的な味がこれで可能となった。更にわざわざ車まで運ぶことはなく、この店に来た人はわざわざレジまで脚を運ばせることで、人件費を大幅に削減することに成功したのである。
 これは諸刃の剣で、マニュアルで作られた食事というのは安定した味と引き替えに、極めて少ないメニューしか出来ず、今まで車まで注文取りに来るのに慣れた人にとっては、この店はあまりにサーヴィスの悪い店。としか映らなかった。
 だが、それを補ってあまりあったのが、何よりも値段であり、安定した味であったのだ。ここなら安心して食べられる。と言う好印象を与えることで、瞬く間にマクドナルドはメジャーになっていった。
 ただ、マクドナルド兄弟はこの新しい店を数店舗作っただけで満足してしまった。実際、この大成功により、大きな邸宅、三つもの別荘。高級車など、欲しいものは手に入れてしまったので、すっかり満足しきっていた。
 更に従来店も次々とマクドナルド方式を真似ることになっていったため、このままだとマクドナルド兄弟は新しい方式のハンバーガー店の創設者。と言うだけで終わっていたはずである。マクドナルドと言う店も、記念碑的な名前にはなったかも知れないが、カリフォルニアだけで終わり、世界に出ることは無かったかも知れない。

 ところが、ある人物の登場で、マクドナルドは大きく変わっていく。
ハンバーガーの話 その4  今やアメリカを代表する食べ物となったハンバーガー、殊にマクドナルドはマクドナルド兄弟によって始められたことを先に述べた。確かに彼らは画期的な技術を用い、食堂をオートメーション化することで大量生産、味の均一化、その結果、コスト削減を可能とした。だが、彼らの店はあくまでカリフォルニアのみでの展開に過ぎなかった。
 そのマクドナルドに目を付けた人物がいた。
 レイ・クロック。これがその人物の名前であり、マクドナルド
の創設者として伝説的な人物である。
 彼は元々色々事業に手を出していたが、大きな成功はまだ無かった。それがたまたまカリフォルニアで、マクドナルドの店に入ったとき、大いなる天啓
を受けたそうなのである。
 彼はすぐさまマクドナルドの視察隊を編成。自ら乗り込み、綿密なる調査を行った後、これは
絶対に伸びる。と確信。勇躍マクドナルド兄弟に会いに行く。
 彼の狙っていたのはマクドナルドという
料理店を会社にすること。そしてその会社を全米に広げることだった。幸いマクドナルド方式は未だカリフォルニアで留まっている。今ならこの方式はアメリカに受け入れられるはずだ。そう確信したのである。
 そして彼は兄弟を口説き落とし、当時では莫大な報酬を約束して、マクドナルド全店を買い取った
(後にマクドナルド兄弟はこれを「騙された」と述懐しているそうだ)
 そして、クロックはマクドナルドを全国展開させる。勿論、その際には政治的手腕も、そしてより高度に、よりシンプルにしたマニュアル作成と、従来店舗をマクドナルドと言う名前に変えさせるだけの魅力的な条件を突きつけるようにして。
 クロックは古くからある店を買収したり、新興住宅地を重点的に狙い、この場所に配置すれば売れるだろう。と言う場所に店を出すように工夫をしたりして、マクドナルドを全国展開させるようになった。
 当初の狙いは店舗拡大よりもむしろ味に慣れてもらうこと。どこで食べても同じ味が出ると言うことを認識してもらうことから始めたそうだ。
ハンバーガーの話 その5  マクドナルドとディズニーランド。
 共にアメリカの文化を象徴する有名なものだが、この二つの創始者、レイ=クロックとウォルト=ディズニーはかねてからの知り合いで、しかもライヴァル関係にあったという面白い事実がある。
 ディズニーとクロックは僅かに一歳違い。しかも同じ年に赤十字に入り、ヨーロッパに行っている。どうやらここで二人は出会ったようで、帰国して、片や夢の国創造へ、片やビジネスマンとして道が変わっても、親交は続いていたらしい
(この二人が赤十字で働いていた、と言うことも興味深い事実)
 それでいよいよディズニーランドが開演するという時になり、
水面下で激しい抗争が繰り広げられた。片や莫大なロイヤリティを取ろうとし、片やそれは不当だと突っぱねる。結局これは物別れに終わり、開演した初代ディズニーランドの中には一件もマクドナルドの店舗は無かった。要するに、ディズニーの方からマクドナルドはいらない。と言われてしまったわけである。
 既にアメリカ一の規模を誇るマクドナルドにとってこれは一つの挫折となったが、これでクロックがへこんだわけではなかった。
この話自体がディズニーランドのパテントを取れなかったマクドナルドの悔し紛れのデマという話もある。
 クロックは、マクドナルドをキャラクター展開させよう。そう思い立ったのである。ディズニーは
アニメと言う媒体を用いることによりキャラクターに命を吹き込んだ。そのキャラクター達がディズニーランドを造り上げているのだから。

 それに対し、メディア網を持たない所詮ハンバーガー屋がいくらキャラクターを作っても。
普通はそう考えるだろうが、クロックはそうは考えなかったようである。
 様々な試行錯誤と行く度かの世代交代を経て、一人のキャラクターが世に生み出される。それが
ロナルド・マクドナルド(日本名ドナルド)である。クラウン(ピエロ)を模したその姿は今ではすっかりお馴染みになっているが、それも最大の努力の結果なのである。
 まずマクドナルド社はマクドナルド全店にプラスティックで出来た遊技場所を設け、それらにロナルドやその仲間達の顔を付けるようにした
(設置面積の問題で日本には少ないが)
 アニメによりキャラクターを認識させるディズニー方式に対し、もっと身近な遊びからキャラクターを認識させようと言う努力がそこにある。

 お陰ですっかりロナルドは世界中で有名になった。実際、
ミッキーマウスは知らなくとも、ロナルドなら知っていると言う者も世界には多いそうである。

 このメディア展開も大当たりした。

ハンバーガーの話 その6  マクドナルドの店舗が増すに連れ、アメリカという国そのものが変わっていった。顕著なのが食生活で、今まで家で食べていたのが、今度は当たり前のようにハンバーガー屋に出かけ、ちょっとつまんで食事が終わる。と言う感じに変わってきた(日本でも現代はそれに似ているかも)。かつてのアメリカの食肉占有率はダントツで鶏。次いで豚だったのに、ハンバーグの存在のお陰で豚は牛に変わり、しかも近年ますますその度合いが増し、鶏に迫っている。牛肉そのものの低価格化も確かに影響が大きいが、何よりハンバーガーを当たり前のように食べるようになった事が大きい。もう10年以上前になるが筆者がアメリカでホーム・ステイしたときも、家族がそろっているのに夕食がマクドナルドだったりして戸惑ったものだ(私の父がとにかく外食嫌いだったため、外食なんて余程の事だった為。その記憶を引きずっているのはもちろんだが)
 ところが、それだけではない。メディアに関しても非常に大きな影響を与えている。日本でもハッピー・セットなどといって抱き合わせでオモチャを売りつける方法があるが、これはかなりのお得感を与えることが出来るので、子供は好む。特に種類を豊富に揃え、全種コンプリートを目指すマニアは毎日のようにマクドナルドに通うことになる。人の心にある収集癖をターゲットにした方法。これはマクドナルドが最初ではないが、今やこれは逆転現象を迎えている。
 今までこの手のプレゼントはおまけ単体が報酬となっている。当たり前の話。しかし、マクドナルドでのおまけと言うとまるで違ってくる。
 一例を挙げると、過日アメリカで大ヒットしたファービー人形。単純な会話が出来る機能が受け、一時期ものすごい売れ行きを見せたが、これはマクドナルドの功績がかなり大きい。ファービーのぬいぐるみをセットで売りだしたのである。そのぬいぐるみを手に取った者は最初は戸惑うだろうが、常に持っていることで何となく親和感を覚えるだろう。そして、ある日オモチャ屋でそっくりなものを見付ける。しかもそれは機能的にぬいぐるみの比ではない。こういう場合、財布の紐は完全に緩むものだ。ちなみにアメリカでポケモンが大ヒットしたのも同じ方法を使ったためらしいけど…
(つい最近日本でもおまけになってたようだけど、売れ残りと違うか?)
 メディアというのものを味方に付けると強いな。本当に。
ハンバーガーの話 その7  苦情があったため削除させていただきました。