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紅茶の話2

紅茶の話 その7  『紅茶は心臓病に効果が? 議論続く』 これは2001年7月11日付のアメリカのニュース。

 紅茶を飲むことで、冠状動脈性心臓病の進行や、卒中やがんのリスクを抑えるという研究結果が発表された。米茶取り引き健康研究協会がスポンサーとなり、心臓病患者50人に研究が実施された。これまでにも、紅茶が、がんや心臓病などの予防に役立つという説が出ているが、紅茶が体内で実際どのような働きをするかについて、はっきりとした結論は出ていない。

 研究に参加した50人は1カ月間にわたって、毎日4杯の紅茶と水を摂取。マサチューセッツ州ボストン大学メディカル・センターのジョセフ・ビタ博士は、「患者が紅茶を摂取した後、血管の働きが活発化するのを確認した」と話しますが、博士は同時に、紅茶が薬に取って代わるものではないとも強調しています。すでに、ブドウ、りんご、たまねぎ、紅茶に含まれるフラボノイドを多く摂取する人は、心臓発作や卒中になりにくいという研究結果が報告されていますが、この紅茶の効果に首をかしげる研究者も少なくありません。

 歴史を見ると面白いことに、日本であれ、イギリスであれ、茶は最初は薬として輸入され、後に嗜好品へと変化している。特にイングランド(グレート・ブリテン)では時の王室は上流社会のみならず、どのような家庭にも隅々にまで紅茶を行き渡らせることに躍起となった。ロンドンの医者も絶賛し、お茶はどれだけ飲んでも構わない。むしろ飲めば飲むほど体に良いと言っていたそうだ。
 紅茶の薬効と言うのは半ば嘘ではないが、本当の話を言えば、当時の社会にとってはお茶の薬効成分など二の次だった。それより大変な事態が生じていたのである。
 イングランドは全島に渡り伝統的に蒸留酒の精製が盛んである
(ウィスキーと言う言葉も、本来ゲール語の「命の水」を表すウスケベアから来ている)。そこに寒さや、霧のため外に出歩くことが出来ないと言う事が重なると、必然的に酒瓶に手が伸びるようになる。
 外に出られない
→酒を飲む→外に出る気が起きなくなる→ますます酒を飲む の悪循環が起こり、自然と酒量が上がる。
 これが家庭が貧しい時代ならそんなに問題はなかった。
飲みたくても飲めないなら働くしかないから。だが折しも紅茶が国内に入り込み始めた17C初頭。ルネサンスの時代。特に都市部の家庭には数々の文明の利器が据え付けられ、嗜好品に回す金の余裕も出てきた時代である。当然酒が各家庭に日常的に据えられるようになってきた。
 ある意味、この時代、イギリスは深刻な問題を抱えていたのである。豊かになればなるほど、働ける人が少なくなっていく。これを阻止せんとしての、紅茶に対する大宣伝攻勢が敷かれた訳である。アルコールの代わりに紅茶を。と言うわけ。
 これは見事に成功した。かくしてスタンダードな英国流喫茶として一日五回のお茶会が出来るまでになった(機会があれば、これも後述しよう)。
 ここで中東産のコーヒーではなく東洋産の紅茶が用いられたのは面白いところ。コーヒーがフランスに、紅茶がイギリスに。と言うのはこの二国のライヴァル関係を示すようで面白い。

 ところで紅茶の薬効はどうか。と言うことだが、前述の不確かな話はともかく、
茶葉に含まれるタンニンはかなり強い利尿作用があるので、毒素を外に出す。と言う点においては確かに効果はある(柿を食べながら紅茶を飲んで欲しい。どちらも強い利尿作用があるため、その相乗効果は凄まじい(笑))し、カテキンは殺菌作用がある(出涸らしの紅茶をうがいに用いる人もいる)。又、カフェインは覚醒作用もある。ただ、あまり飲み過ぎると睡眠障害が起こるのは確かな話。
 アル中になるのと不眠症になるの、どっちを採る?
 
紅茶の話 その8 諸般の事情により、削除。
紅茶の話 その9  本日はちょっとお茶にまつわる歴史の話など。
 東洋の一部で飲まれていたお茶を世界に広めたのは英国。ご存じの通りここでは紅茶が飲まれている。だが、意外かも知れないが、ヨーロッパに最初に輸入されていたのは、緑茶だったそうである。しかも
日本産の!
 種子島にポルトガル人がやってきて、日本は世界にその名を知られることになるが、その際、日本でよく飲まれていたお茶がエキゾチックな飲料としてポルトガルやスペインから入り込んでいったのである。勿論英国もそれに乗った。
 ただ、日本の緑茶というのは加工が難しく
(「日本の」と言う注釈を入れるのは理由がある。後述)、ミルクや砂糖を入れられない(説明の必要も無かろう)。そこで目を付けたのが中国産の茶なのである(後述するが中国では茶の種類は色で分けられる。緑、紅、青、白、黒、黄の六色)。当時どんな茶が輸出されていたのかは実はよく分かっていないのだが、やはり中国産の緑茶ではないかと言われている。
 茶を飲み始めた当時は英国は中国茶を飲んでいた。ここから毎年新茶を中国から英国へ持ってくるため、高速船クリッパー船が用いられるようになったのである。
ティー・クリッパーと呼ばれるこれらの船は(ウィスキーのラベルで有名な「カティ・サーク」はティー・クリッパーの一隻)、毎年船主のために急いで帰ろうと、しのぎを削るようになった。これがエスカレートして、いわゆるクリッパー・レースが毎年行われるようになったのである。毎年これには大量の金が賭けられ、楽しみにされた。最初にたどり着いた船はその年の栄誉が与えられ、『○×船』によって運ばれた。と言うだけでその年の最高級茶とされたのである。
 ただ、このクリッパー・レースも有名な割にはそう長くは続かず、植民地化したインドとセイロンに茶を移植することで、自国領内で生産出来るようになると(更に英国人好みの紅茶が出来ると)、中国茶は一部マニアの愛飲する飲み物へと変わっていく。
 皮肉なことに、勇壮なクリッパー・レースが行われている時、紅茶の代金として英国の銀は多量に中国
(清王朝)に流れ込んだのだが、インドを植民地化することによって得た阿片がそれを全く逆にする。インドはイギリスに紅茶と阿片と、帝国主義を与えた。いわゆるパックス・ブリタニアを支えた資金の多くは中国から流れてきたものなのである。
 イギリスは茶で経済を破綻させ、阿片で空前の好景気に沸く。それも全て中国あってのこと。歴史というのは、意外な接点を持つ。
紅茶の話 その10  ところで一人当たりの紅茶の消費量が世界で一番高いのはどこかご存じだろうか?ちなみにイギリスではない

 前回の話でいかにして紅茶がイギリスに受け入れられたかを話したが
、そうして受け入れられた紅茶はすっかり庶民のものとなっていった。
 ところが、喫茶の習慣が浸透した辺りを見計らい、議会は紅茶に高い関税を導入するようになったのである。推測だが、あまりの喫茶量のため、折角上向いていた経済が下がり始めたのが理由だろう。
 ティー・クリッパーの競争が起こったのも、その関税の影響が大きい。早く到着すれば、名前が上がるだけでなく、高く紅茶が売れるからで、だからこそ、船主は躍起になって速い船と優秀な船乗りを捜すようになっていったのだ。
 だが、そうすると到着が遅れた船はどうなるか。その年の
「下級品」と言うレッテルを貼られ、関税でごっそり持って行かれると、儲けがあまり出なくなってしまう。
 そこで目を付けたのが隣国のアイルランドだった。ここはイングランドに較べるとはるかに関税が安い。
 だから、紅茶を運んできた船は、一旦アイルランドにより、かなりの分量の荷を
「抜いて」から本国に帰るようになっていった。
 そしていつの間にか、アイルランドは紅茶の最大の消費地となっていったのである。この紅茶の一台消費地アイルランドで愛飲されている紅茶というのも、そもそもはイングランドの国の事情による。
 経済が文化そのものをも変えてしまった好例とも言えるだろう。

 私の知り合いの話だが、アイルランドの喫茶は(そしておそらくイングランドもだろうけど)主にティー・バッグを用いるそうだ。しかも、カップの中に入れっぱなしにしてそこにミルクや砂糖をどさどさ入れて飲むとか。
 あんまり趣味じゃないな。

 付記
 先日ネットの知り合いからアイルランドの紅茶事情について伺うことが出来た。ここの紅茶の普及率は本当に高いらしい。なんでもファーストフードの店でさえコーヒーよりは紅茶の方を飲む人が多いらしい。
 その理由は簡単で、特にこう言うところのコーヒーは凄く不味いからだそうだ。しかも紅茶を飲むときはかなり大振りなカップを用いるそうだから、消費量はかなりに上るとのこと。

紅茶の話 その11  今回は番外編。11月1日が何の日であるか。知っているだろうか?
 これは
「紅茶の日」。ネットというのは便利で、これに関して検索をかけたらちゃんとひろってくれた。
 この日は日本紅茶教会が定めた紅茶の日で、この日は実は日本人と紅茶の交わりがあった日を記念して、と言うことらしい。
 江戸の商人、大黒屋光太夫(
『おろしや国酔夢譚』の主人公)は、漂着したロシアから帰国の許可が下りたとき、エカテリーナ女王に謁見してお茶会に招かれた。それが1791年の11月1日で、日本人が初めて紅茶を飲んだ日というわけらしい。

 だけど、
これは嘘だ。紅茶とはヨーロッパが原産ではなく、隣国である中国が原産なのだから。それまでに数多くの日本人が中国入りしているし、当然紅茶と接する機会もあったと思われる。
 まあ、これはあくまで
「公式記録」として、と言うこと。些細な雑学。

 ちなみに
「コーヒーの日」もある。これは10月1日で、ブラジルのコーヒー豆の収穫が9月ごろに終わり、10月から新しい収穫周期に入るからだそうだ。こちらの方は現実的な理由である
紅茶の話 その12  今回は「紅茶」の話とはやや離れる。
 みなさんは中国で作られる茶で何が一番作られ、飲まれているかご存じだろうか。
 
「烏龍茶に代表される青茶」。と答える人間はまだまだ。実のところ、青茶を作っているところはかなり限られている。殊に烏龍茶に関しては作られているのは福建省と台湾だけである。
 答えは緑茶。次に紅茶(私の好きなキーマンやラプサンスーション)もここに入る、それから青茶と続く
(ちなみに日本で本当によく飲まれている烏龍茶の占める割合は中国では1/10に満たず、その多くは日本への輸出用である)
 中国でも緑茶が飲まれていると言う事実に驚かれる向きもあるかもしれないが、大部分の中国のお茶と言うのは緑茶なのである。有名なジャスミンティーも緑茶ベースだ。
 でも、日本で飲まれる緑茶とは、やや異なるのは事実。これは製法の違いによる。
 茶と言うのは緑茶も紅茶も青茶も同じ茶葉から造られるが、その製法において違いがある。緑茶と言うのは、茶摘みの後、あまり時間を掛けずに一度熱を通すのだが、
日本ではこれは蒸すのに対し、中国では炒るのである。この製法の違いが日本の緑茶と中国の緑茶の違いとなる。だから、中国茶の場合、青茶、紅茶、緑茶は見た目あまり変わって見えない。
 ちなみに紅茶の場合、茶摘みの後、火を通すまでに時間を置き、自然に乾かし、葉が発酵するのを待つ。緑茶が
「無発酵茶」、紅茶が「発酵茶」若しくは「完全発酵茶」と呼ばれるのはこの製法の違いによる。青茶はこのどちらの方法も用いる。つまり、しばらくの間発酵させ、それから火を通す。やや過程が複雑なものとなっている。
 中国で二番目に多く造られているのが紅茶だが、それでもインドやスリランカには敵わず、世界では三番目の生産量である。中国においてはそれだけ緑茶の占める割合が多いことの証拠でもあろう。
青茶(ウーロン茶)

中国緑茶

黒茶(プーアール茶)