うる星やつら

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うる星やつら オンリー・ユー 1983

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金春智子(脚)
平野文
古川登志夫
島津冴子
神谷明
杉山佳寿子
永井一郎
鷲尾真知子
千葉繁
村山明
野村信次
二又一成
緒方賢一
佐久間なつみ
沢りつお
山田礼子
井上遥
小原乃梨子
三田ゆう子
吉田理保子
玄田哲章
京田尚子
丸山裕子
田中秀幸
塩屋翼
桜庭裕一
島田敏
寺田誠
伊沢弘
青木和代
鈴木一輝
藤枝成子
松谷裕子
滝沢久美子
高木早苗
花咲きよみ
榊原良子
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第1作
うる星やつら(コミック)高橋留美子
 友引町全体に宇宙から招待状が届く。なんとそれは諸星あたるとエルの結婚招待状だった。エルとは誰か?そしてあたる本人さえ知らない結婚話は何故起こったのか。あたるを拉致し、拷問を加える友引高校の面々、既成事実を作ってしまえ。と自星にあたるを引っ張り込み、結婚式を挙げてしまおうとするラム。しかし、彼らの面前であたるは誘拐されてしまい、エル星へ…
 この作品はテレビ版のヒットを受けて作られた
うる星やつらの劇場版第一作目。押井守にとっても興行的には第一作目の監督作品となる(実はお蔵入りした『ニルスのふしぎな旅 劇場版』(1982)が実質的な第一作目)。脚本は金春智子であるが、実際は押井との共同執筆している。
 元々のテレビシリーズからして、この当時は押井氏が作りたいように作り、それを受けて制作のアニメーターもかなりノッて作られていただけに、ブラウン管の中には異様な熱気が溢れていた
(実は当時私の住んでいる地方ではテレビ版が放映していなかったため、再放送で見たのだが)。そこを出て一人前のアニメーターになった方も多数おり、アニメーターの登竜門としての位置づけがなされていた。その分、若い才能が溢れかえっていた(それが行きすぎて失敗も多数あったが)、それらは実験的なカメラ・ワークにも表れている。セルアニメは兎角予算とのかねあいでセルの枚数が抑えられがちなのを、新しい技巧を駆使することによって極めて動きを派手にしていた(端的な例は動くキャラの視線で画面を展開させること。これは同時期に手塚治虫が『ジャンピング』で試みているが、これは視線にある背景と視線の内にあるキャラクターを全て動かさねばならず、通常であればもの凄いセルを使用するこれを、セル枚数をとにかく抑えつつやってしまった。その技術には今見ても驚く程)
 テレビであれ程の動きのある絵を作り上げたスタッフが作った映画だと言うことで、かなり前評判も高かったようだ(背景に
『ガンダム』ブームがあったこともあるが)。
 翌年続編映画が作られたこともあって、興行的にもかなり良かったらしい。又、原作ファンにとっては「これが唯一の
『うる星やつら』の劇場版作品だ」(当時)と言われる程、評価は高かった。
 しかし、である。この作品は押井守の並々ならぬ努力を必要とした。簡単に言えば、自分を抑えすぎたのだ。大筋を脚本に沿って、出したくもないキャラクターをただ受け狙いのために出し、やりたくないベタベタのラブ・ロマンスを演じさせた。当時のストレスは凄まじいものだったらしい
(そのフィード・バックか、映画制作時のテレビ版の無茶苦茶さは凄まじい程!)
 ただ、それでも可能な限り、物語の大筋を変えない範囲で後年の押井作品につながる演出は多数なされていた。冒頭のF15を尻目に疾走するサイドカーのシーンは当時最高の技術力を持って作られていたし
(ただし、表現がやばすぎたらしく劇場版ではカットされている)、ジャンクフードの偏愛ぶり、意味もなく出てくる犬や猫、戦闘シーンのリアルさとそこに出てくるきわどい台詞(「進め一億火の玉じゃ」「名誉と栄光のため、諸君の命を捧げるのだ」「死ぬ時は一緒だぞ〜」(「戦争になってそんなに嬉しいの?」という台詞を受けて)「ああ、嬉しいね。これで俺たちも戦争を知ってる子供たちだもんな」等々)
 実はこの映画が評価されたのは、普通のラブ・ロマンスではなく、むしろこのような小技の部分だった。
 自分では不本意なこの作品が受け、そしてその受ける要素が自分の演出にあったことを知った事が押井守に傑作
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)を作らせることになるため、重要な一本でもある。

 

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 1984
1984ヨコハマ映画祭次点

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多賀英典(製)
押井守(脚)
平野文
古川登志夫
神谷明
杉山佳寿子
島津冴子
鷲尾真知子
田中真弓
千葉繁
村山明
野村信次
二又一成
緒方賢一
佐久間なつみ
池水通洋
安西正弘
西村知道
永井一郎
藤岡琢也
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第2作
うる星やつら(コミック)高橋留美子
 学園祭前夜、友引高校では皆が忙しく働いていた。諸星あたるは相変わらずの女好きで、混乱を極める2年4組の面々。だが、何かおかしい。徐々に崩壊していく日常性と、変わりに忍び寄って来る時空の混乱。そして、それに気付いた者は次々と消えていった。そして訪れる破局。廃墟の中で新しい日常を歩む面々が見たものは…
 「うる星やつら」劇場版第2作。押井守の名前を一気に世に知らしめたメモリアル的な作品。
 
1984年。この年はアニメ界に激震が襲った年。『風の谷のナウシカ』によって劇場アニメのクォリティの高さは実写に劣るものではないことを、否、アニメだからこそ出来る表現があると言うことを国内に知らしめた年でもあった。そんなときに投入された本作品。これは『ナウシカ』とは又違った方向性でアニメの可能性を指し示した。「キネマ旬報」で初めて国内ベスト10にアニメを放り込んだ画期的な作品でもある(もう一本『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』もあった)。
 前年の『うる星やつら オンリー・ユー』のヒットを受け、続編の制作に入った押井守は、前回の反省点を踏まえ、全て自分が作りたいように作ってしまった。それまでのアニメーションは共同作業の意味合いが非常に高く、万人受けするように慎重に慎重に作られていた。この方法だと自然アニメは子どもが観るものになってしまい、大ヒットはしないがそこそこ稼げる作品を目指すのが普通だった。ところが全く逆の発送から、個人の思いを前面に打ち出したところがこの作品の画期的部分。邦画と同じ作り方をし、そして思想性をアニメに封じ込めても面白いものは面白いと言うことを世に示してくれた。ただ、その分この作りはリスクが大きく、大きくヒットするか、あるいはそっぽを向かれるかと言う賭の要素が高いのではあるが…

 一部では語り尽くされた感のあるこの作品の魅力。そこれはなんと言ってもストーリーと設定。それは確かにその通り。実際にそのどちらも素晴らしいものなのだから。
 ただ、忘れてならないのはストーリーであれ、設定であれ、それを活かすための演出がふんだんに用いられていたことをこそ、ここでは言いたい。冒頭のラムの登場シーンに受けた衝撃は今でも鮮烈に思い出す。
 これだけを細かく言わせてもらうと、
レオパルドの砲塔にぶら下がって落ちそうになってパニック状態の温泉マークに対し、ラムが「上」から声をかける。これが本当に「上」から声が聞こえてきたような気分になる演出は、独特のカメラワークによる錯覚を用いたもの。カメラ目線は俯瞰状態。つまり上空から画面の全てに舞台全体が見えている。そこで殊更大きく、しかも平常の声で喋らせることにより、舞台のこちら側から温泉マークに向かって喋っているような思いをさせる。カメラは俯瞰状態なのだから、当然画面のこちら側は上空である。更に温泉マークはパニックを起こしているので、観客としては自己同化が起こっているため、頭の中で自分自身が本当に戦車の砲塔にぶら下がっているような気分になっている。そのために勝手に自分の頭の中で平衡感覚を解釈してしまい、本当に上空から声が響いているような錯覚に陥るわけである。
 そこで不意に画面が通常の横から見た画面に戻り、ありうべきことに砲塔の先にちょこんとラムが座っている。今までそこにはいなかったはずの存在がそこにいる。一体どこから来たのか?そこでラムの所に目を遣ると、スカートがふわりと落ちてくるのを目にする。これを観るだけで、彼女が空中から、その場所に上空から「降下」してきたことが観客の頭に刷り込まれるわけである。
 たったこれだけの時間で、それだけの情報を与える演出。結局これが全編を貫いているからこそ、異常なストーリーが素直に頭に入ってくる!
(全編に渡ってこれを書け!と言うなら書けるけど、とりあえずこれだけにしておきます)
 後、演出面でのトピックを2つほど。先ずこの作品は
日常生活を殊更強く演出している。これほど背景画像が日常を思わせるのは、多分今までのアニメではかなり少なかったのでは?特に前半部の教室や給湯室の描写は、壁のシミまで描くほど。更に押井氏得意の食事シーンなども絡めることによって、日常というものを刷り込ませる。それ故にこそ、あの少女の存在が強烈な違和感となり、目に焼き付けられる。それがラストの伏線となっているのはご存じの通り。
 それと、この作品に限ってのことではないが、押井守作品の演出で面白いのは、
カメラの存在を背後に感じると言うこと。アニメというのは実際にカメラを用いるわけではないので、画面の描写は奔放であって構わないはず。それなのに、殊更「これはカメラで撮ってますよ」式の演出が加えられているのが押井流。まるでアニメの表現にわざと制限を加えようとしているような、独特の演出方法である。有名なサクラと温泉マークの会話のシーンも、まるでテーブルの中央にカメラが置いてあり、それが回転して二人を撮しているように見える。それこそアニメである以上、カメラの設置場所はどこにでも取られるが、彼の作品に限っては、ちゃんと一点にカメラは固定され、そのカメラの枠内で出演者は演技する。それに気付けば、他の押井作品を観るときの一つの助けになるのではないかな?

 ここまで長々と演出について書かせてもらったが
(これらは全て独学による勝手な解釈であることを明記しておく。故に間違っている可能性も高し)、そんなのは本来枝葉末節。本編をより楽しく観てもらうための、文字通り「演出」に過ぎない。間違いなく映画は物語として観るべきものなのだから。

 さて、ここからが本文
(おい!)
 この作品は私が中学生の時に観た作品で、丁度を『風の谷のナウシカ』観て暫くしてから観た作品であった。に『風の谷のナウシカ』にもそれなりに考え込まされていたのだが、正直それを越える衝撃がここに待っていようとは思いも寄らなかった。映画を観てこれほどの衝撃を受けたのはまさに初体験。完全にはまった。
 元々中学のクラスではそれなりのアニメ・ブームが起きていて、うる星やつらも観ている人は結構いた。原作ファンだった私もその口だった。テレビシリーズは確かに面白かった。だけど、何故面白いか。までには到底考えが及ばず(一般に中学生でそこまで考える人間がいたら異常だと思うけど)、きっと無茶苦茶やってれば面白くなるんだろう。とかその程度の考えに過ぎなかった。
 しかし、この作品を観てしまってから、完全に私は変えられた。この作品の事を考えない日は無くなり、半年ほどこの作品の幻影に悩まされ続けた。
 最初の内は場面を思い出す程度だったのだが、徐々にその場面に説明を加えるようになってきた。それでフィルムコミック及びサントラのレコード(!)を購入。レコードを聴きつつ、ページをめくりながらこの場面はどういう風に作られているんだろう?等と考えるようになってきた。更に映画のみならず、大学に行ってからはレンタルビデオを繰り返し借りた後、中古のビデオを購入。その後更にLDを購入。と、考えてみると、私の映画人生の中で、最も金をつぎ込んだ作品になっている(グッズやキャラクターにさほど執着心を持たないので、映像媒体のみに金をつぎ込んだ)。
 問題はこれを語る仲間がいなかったと言う点にあるが…(純粋に私の性格による。なにせ語り始めると止まらなくなるから、この作品の話題に関しては映画好きの知り合いでさえ鬼門だったらしい)
 後、ネットを初めてから、それを通じ、押井ファンの知り合いも結構出来た。
 それで気が付いたのは、同じく本作品にはまった人間の多くは、思想の方に流れたと言うことだった。技術面に流れる人間はいなかったのか?あるいはいても、そう言う人間こそ本職になってしまって、素人の会話など出来なくなっているのかも知れない。

 肝心なストーリーについて、
全く話す場が無くなってしまった(^^;
 それでも一つだけ。
 ラスト部分。現実世界に無邪鬼が突然現れるシーン。これはケレン味たっぷりで実に私好みの演出だが、彼がバクに言った台詞
「疲れるで。ほんま…いこか」。この台詞と共に押井守はうる星やつらから離れ、そして私は“うる星やつらファン”から“押井守ファン”へと変わった

 後にDVDを購入。オーディ・コメンタリーもあるのでお勧めだが、作画の苦労話やら、この作品が東宝で作られた事の意義とかが聞けてとても楽しかった。劇中に矢鱈と怪獣が登場するけど、これも東宝で作られたお陰。劇中にゴジラの映画を流すシーンはパンチまで入れる凝りようと言うのが泣かせる。

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