セラフィム

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第11話
 見渡す限りの骨の山の中、メルキオルはここでは公然と天使狩りが行われていることを知り、憤慨する。そんな彼にギードは「自分の国まで封じ込めて滅亡に追いやった“国殺しのヤコブ”…その貴方にこの街を責める資格はあるのかしら?」と冷たく語る。
 一方、異端審問官と対面させられるバルタザル。その長は彼の本名「エラズマス教授」と呼びかける。そして彼らは正統なWHOの職員であり、現在も任務を遂行中であると語る。上海審問所は支部の裁量権を逸脱したため、閉鎖されたはず、と反論するバルタザルに対し、ジュネーブで議論を繰り返していただけの中央に我々の何が分かるのか。とうそぶく。更にそのゲノムチェックを推奨したのは当のバルタザル自身であることを、指摘する。
 彼らはセラを悪魔の子と呼び、その胎内には悪魔の種が宿されていると指摘する。
 セラこそが人類にとっての最後の救いかも知れない。と主張するバルタザルの意見は無視され、セラの処刑が決定される。
 夜、セラが十字架に架けられ、いましも火が付けられようとしている時、セラとバルタザルを助けるべく、ギードとメルキオル、そしてガスパルが処刑場に向かっていた。

 ここでバルタザルの過去について語られる。彼の主張こそが異端審問所設立の契機となったのであり、そしてその結果、彼は絶望し、自ら中央から身を引いたのだ。
 異端審問官の長が語った言葉、「人に似て人に在らざるもの、その人生を全うするを得ざらしめん」。それに対し、バルタザルの言葉。「あれこそが無原罪の宿りなんだぞ!!」。聖母マリアの無原罪説はカトリックの間では定説となっていたが(キリスト教が東西に分裂した理由の一つでもある)、それをカトリックの教説としたのは近世になって。1854年教皇ピウス9世によって。
 異端審問は形式だけのもので、審問にかけられたものは必ず処刑されたと言う。これは暗黒の中世を語る上でのキー・ワードとなっているが、これについては様々な人間的思考が入り込む。小説であるが、その人間的思考についてはマーク=トゥエインの『不思議な少年』にその辺りは詳しい。
 セラが付けられているのは見れば分かるとおり十字架。普通異端とされた者は神の恵みから外れた者として十字架に付けられることはない(キリストと同じ十字架に架けるのは冒涜であるという考え方からだろう)。ここで敢えてそれを描いているのは、セラ(若しくはその子)が救世主であると言う考えのためだろう。
セラ磔刑図

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