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1993 | 6'6 死去 | |
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ホワイトハンター・ブラックハート 脚本 | |
1989 | ||
1988 | 再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ 監督 | |
1987 | ||
1986 | ||
1985 | パーフェクト 監督・脚本 | |
1984 | マイクス・マーダー 監督・脚本 | |
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | アーバン・カウボーイ 監督・脚本 | |
1979 | チャイナ・シンドローム 監督・脚本 | |
1978 | ジェームズ・ディーンにさよならを 監督・脚本 | |
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ペーパー・チェイス 監督・脚本 | |
1972 | 雨の日にふたたび 脚本 | |
1971 | シャッタード・サイレンス 脚本 | |
1970 | 受胎の契約/ベビー・メーカー 監督・脚本 | |
地球爆破作戦 脚本 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | シェラマドレの決闘 脚本 | |
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | 2'3 アーカンソー州で誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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チャイナ・シンドローム 1979 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1979米アカデミー主演男優賞(レモン)、主演女優賞(フォンダ)、脚本賞、美術監督・装置賞 1979英アカデミー主演男優賞(レモン)、主演女優賞(フォンダ)、作品賞、脚本賞 1979カンヌ国際映画祭男優賞(レモン)、パルム・ドール 1979キネマ旬報外国映画第9位 |
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LAの人気女性キャスターであるキンバリー(フォンダ)とカメラマンのリチャード(ダグラス)は、ベンタナ原子力発電所の取材に出かけた。取材中突発的な地震が起こり、放射能漏れが発覚。彼女はその一部始終をフィルムに収めることに成功する。だが大スクープのはずのそのニュースはプロデューサに差し止められてしまい、発電所も運転再開が決定された。発電所で働く技師のジャック(レモン)は不安な予感を抱き独自に調査を開始したジャックは、やはりパイプの一つに破損を発見するのだが、それを発表する前にこれも差し止められてしまった。落ち合ったキンバリーとジャックは発電所の危険を訴えようと活動を開始するが… 「チャイナ・シンドローム」というのは、原子炉がメルトダウンを起こした場合、誘拐した炉心が地中を溶かし、アメリカの反対側の中国までたどり着いてしまうと言う最悪の事故を示す言葉。既に製作者としても名の知れていたマイケル・ダグラスが製作を受け持ち、同じく二世俳優のフォンダを使って撮った社会派映画。 原子力発電所の危険について警鐘を鳴らすため、フォンダのプロダクションが企画し、彼女自身もキャスター役で登場。積極的な社会運動家であるフォンダらしい作品とも言えるが、折悪しく(良く?)この作品が封切られた少し後にスリーマイル島原発事故が起こったため、そのタイミングの良さもあってヒットにつながる。 ここまでストレートに原発の危険性を演出できた点にこの作品の存在意義があるが、これを容認できた70年代という時代のパワーをも感じ取ることが出来るだろう。社会的な見地から見ても、これは重要な作品であり、原発だけじゃなく公共設備は肝に銘じて欲しいものである。事実、本作公開時は本作は一種のブラックコメディ作品として見られていたのだが、間もなくくスリーマイル島の事故が発生。評価は一気に変わったという(怪獣の出ない怪獣映画とも言えるかも?)。 ただ一本の作品として観る分には、ちょっと話がのっぺりし過ぎた感はあり。画面が終始白茶けた感じでカメラ・ワークも基本的には一本調子。それに音楽も無いので、割と退屈しやすい作品とも言える。社会問題を題材にした作品だから単なるエンターテインメントにしないために、敢えてこのような作り方をしたのだと思うのだが、それも善し悪しで、単体の映画として観ていて退屈する作りはどうだろうか? ただ、演出面で見せない分、キャラクタの比重が大変重く、そしてそれを見事に演じて見せたレモンは流石。『セイヴ・ザ・タイガー』(1973)に続き、決してこの人がコメディだけじゃなく重厚な演技も出来ることをしっかり示してくれていた。 ここでのレモンは気弱で善良、しかし全くヒーローらしくない人物であった。まさに一人の職人として、自分の責任の取れる範囲で責任を取ってきた人物である。だがそれが自分の手に負えなくなった時に、彼のなした決断は大変重要なもの。たとえ普段は目立たなくとも、本当にやるべき時にやれる人間というのが一番尊敬できる人物であるが、そんな役を見事にこなしていた。 ところで本作は私が大学時代、夜の放送で流していたものを観たのだが、たまたま友人と飲みながら観ており、そのまま徹夜で原発のことなど話し合ったもの。懐かしい思い出である(大学時代には結構よくやってたけど)。 |
ペーパー・チェイス 1973 | |||||||||||||||||||||||||||
1973米アカデミー助演男優賞(ハウスマン)、脚色賞、音響賞 1973ゴールデン・グローブ助演男優賞(ハウスマン) |
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大学に入っても競争が激しいハーバード大学法学部でも秀才の誉れ高いハート(ボトムズ)は、出世コースに乗るため勉学に励み、特にキングスフィールド教授(ハウスマン)のおめがねにかなうよう努力を重ねていた。そんな彼がキャンパス内で出会った女性スーザン(ワグナー)との仲が良くなるのだが、彼女はなんとキングスフィールドの娘であることが分かり… 映画における大学の扱いというのは結構酷いものがあり、本来学舎であるはずの大学が遊びの場になってしまうことが多い。『アニマル・ハウス』なんかはその最たる例だろうが、真面目な学生生活を描いても映画としては大して面白くないというのがその理由なのだろう。日本の場合は大概はもっと酷く、どう見ても「お前学生じゃないだろ!」というレベルのおっさん達が馬鹿騒ぎをする作品ばかりになってた(最近は随分変わってきたけど)。 しかし本作は敢えてその困難に挑み、“エリート”とされる学生による真面目でリアルな学生生活を作り上げた好作。特に1970年代の学校崩壊の中、これだけ地に足の着いた作品が作られたと言うだけでも充分快挙。 しかし、これを観ていると、私自身が大学で一体何をやってたのか?とも思わせられるところがあって、結構心が痛い。それこそ私の大学時代なんて鬱の真っ最中でもあって、碌でもない思い出しか残ってないものなあ。勉強もうちょっと頑張って、友人のナンパにもつきあっていれば良かった…武勇伝を聞かされて羨ましく思いつつ、自分ではなんにもしなかったしなあ…どこで道間違えたんだろ?(笑) ただ本作の最大の売りはそう言う学園生活よりも冷徹な教授役のハウスマンの見事な演技の方だろう。常にしかめっ面して、人の顔など決して覚えようとしない。そんなお堅い性格が最後まで変わらないのに、その崩れない性格がだんだんと面白くなっていく。 ちなみにジョン=ハウズマンは当時最高齢の71才のオスカー受賞。この後、1979年から86年までの長期にわたってテレビドラマ化したが、この際もハウズマンが同じ役を演じている。 |