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トッド・ブラウニング
Tod Browning

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本名チャールズ・アルバート・ブラウニング・ジュニア。アメリカの映画監督、映画俳優、脚本家、寄席芸人、カーニバルの余興、サーカスの芸人であった。主にホラー映画で知られ、映画界のエドガー アラン ポーとしてよく引用される。芸名として死を意味する「トッド」を名乗るようになる。俳優としてデビューするが、大怪我をして監督に転向する。
Wikipediaより引用
経歴
1880'7'12 ケンタッキー州ルイヴィルで誕生
1896 家出してサーカスに入る
1906 エイミー・ルイス・スティーブンスと短期間結婚
1909 俳優デビュー
1915 短編作品で監督となる。
この年自動車事故を起こす。同乗者死亡
1917 2番目の妻アリス・ワトソンと結婚
メトロ ピクチャーズで監督となる
1918 メトロ ピクチャーズを退社しフリーとなる
1919 ユニヴァーサル・ピクチャーズと契約し、そこで監督として映画製作を開始する
1925 タルバーグがユニバーサルの副社長を辞してMGMへと移籍する際、ロン・チェイニーと共に引き抜かれて移籍
1949 アメリカ映画監督協会は終身会員資格を与えた
1962'10'6 死去
5+
フリークス
4+
3+
2+
個人的感想
1962 10'6 死去
1961
1960
1959
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1941
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1939
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1937
1936
1935
1934
1933
1932 フリークス 監督・製作
1931
1930
1929
1928
1927
1926
1925 からくり四人組 監督
三人 監督
1924
1923 我死すとも 監督
白虎 監督
妖雲渦巻く 監督・脚本
1922 二国旗の下 監督・脚本
闇に潜む男 監督
親切第一 監督
1921 女は知らず 監督・脚本
法の外 監督・製作・原案
1920 野辺のローマンス 監督
スタンブールの処女 監督
1919 波間の花嫁 監督
愛と光明 監督
泥中の薔薇 監督
飾りなき女 監督
1918 花いばら 監督
1917
1916 イントレランス 助監督
1915
1914
1913
1912
1911
1910
1909
1908
1907
1906
1905
1904
1903
1902
1901
1880 7'12 ケンタッキー州ルイヴィルで誕生

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レビュー

 

フリークス
Freaks
1994アメリカ国立映画登録簿新規登録
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トッド・ブラウニング(製)
ウィリス・ゴールドベック
レオン・ゴードン
エドガー・アラン・ウールフ
アル・ボースバーグ(脚)
ウォーレス・フォード
オルガ・バクラノヴァ
ロスコー・エイツ
レイラ・ハイアムズ
ハリー・アールズ
ジョニー・エック
ヘンリー・ヴィクター
デイジー・アールズ
ローズ・ディオン
デイジー・ヒルトン
ヴァイオレット・ヒルトン
アンジェロ・ロシット
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 様々な身体的特徴を持つ者達を見せ物とするサーカス。そのサーカスの花形、空中ブランコ乗りのクレオパトラは、自分に惚れるハンスから良いように金品を巻き上げていた。自らの身体的特徴を恥じ、「好きだ」と言えないハンスは、いつもみんなの同情を受けていたが、クレオパトラだけは知らぬ顔。実はハンスがつい先日遺産が転がり込んだ大金持ちであることを知ったクレオパトラは力自慢の情夫ヘラクレスを抱き込み、結婚後毒殺を謀ろうとするのだが…
 かつての邦題は『怪物團』。あまりに衝撃的な作品だったため、事前にこれを観たMGMのタルバーグが公衆にとって不快であると判断し、30分間の映像を削除した短縮版で一般公開されたという。最初の興行収入は低く、失敗作とされたが、その後カルト映画として有名となった。
 監督のブラウニングは吸血鬼ファンにとってはお馴染みの名前。前年にドラキュラ映画の傑作『魔人ドラキュラ』を世に送り出し、無名の役者ベラ・ルゴシを一躍時代の寵児にした。その監督が次に挑んだ作品が本作であり、ブラウニング監督作品中最高作品の呼び声も高いが、おそらくそれは正当評価されることは無いのだろう。監督自身、少年時代に旅回りのサーカスで生活していたこともあって(アクロバットとクラウン役だったそうだ)、そのコネを用いて直接サーカスと交渉し、本物のフリークスたちが出てくると言うことで、何かと物議を醸した。当時、あまりにショッキングな内容だったとかで、失神者が続出したとか、上映館はフィルムをズタズタにカットしたとか、イギリスでは何と30年間も上映禁止になっていたとか、様々な問題をはらんだ作品
 この映画、ホラー映画に分類されることが多いのだが、私はそう思わない。いや、そうであってはならないと思っている。ホラーに必要な演出をほとんど用いず、生の迫力を前面に出してるのは、むしろ純粋なサスペンス映画と言うに相応しい。
 ただ、ホラーでないから怖くなかったか、と言われれば、それも全く逆で、この映画の迫力は、マジで恐ろしかった。特に彼らが雨の中、進み寄ってくる姿の演出方法は見事。本当に夢に出てきそうな怖さだったし、あのラストのクレオパトラのなれの果ての姿…半ば分かっていたはずなのに、あの声を聞いたときは、飛び上がりそうになったぞ。
 ホラーでないにせよ、ここまで恐ろしい思いをさせてくれたこの作品。私にとっての最高作品の一つである。

 この映画、現代では絶対作られないし、作るべきではない作品だと私も思っている。実際にハンディキャップを持つ人物を、殊更怖く描くのは、平等主義が進んだ現代ではタブー(本当は当時のアメリカでさえそうだった)であり、それが一面非常に正しい事は私も認める。ただ、彼らは必死になって自分の力で生きようとしていたと言う事実も忘れてはならないはずだ。それを“差別”だからと言って忘れ去ろうとして良いのか?現代、“保護”の名前の元、彼らを隔離し、自前でなにもさせずに食わせるだけなんて、本当に人生なのか?もし彼らが社会に出ようものなら、もはや彼らの働ける場所はない。それに、身体的特徴を持つ人物の出生率が現代では極端に減っているのをご存じだろうか?…
 “差別撤廃”の名の下に、彼らの仕事や生を奪っていったのが現代の我々の考える“平等”の行き着いたところであることをもう少し考えるべきかも知れない。与えたものも多いかも知れない。しかし奪ったものも多い。何より彼らが自由に生きる権利を奪ったことは、何によって償われるべきなのだろうか?
 ちょっと前までプロレスには前座で働いていた彼らは、自らを人に笑わせながらも、鍛え抜かれた身体をはっきりと観客の前に現していた。そこには確かに職人気質あふれる美しさがあった。彼らは確かに格好良かった。そして彼らを締め出したのは”良識ある”大人達であり、それを私たちは“平等”と言っている…

 …

 故にこそ、たった一作しか作られることのないこの映画、私にとっては“ホラーであってはならない”作品となった。そうではなく、“職人芸に徹した本当に怖いサスペンス”だ。そして、敢えて何度でも言おう。これは“最高”だ!
製作年 1932
製作会社 MGM
ジャンル ハンディキャップ
ホラー
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原作
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