緑の館
Green Mansions |
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ドロシー・キングスレイ(脚)
オードリー・ヘプバーン
アンソニー・パーキンス
リー・J・コッブ
早川雪洲
ヘンリー・シルヴァ |
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★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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3 |
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青年革命家アベル(パーキンス)は、政争に巻きこまれてベネズエラを逃亡し、密林地帯に入りこんだ。何かに導かれるかのように奥地へ奥地へと進み、酋長ルーニ(早川雪洲)が治める原住民の部落へと迎えられる。偶然その部族が決して近寄ろうとはしない聖域に足を踏み入れてしまったアベルはそこで森の妖精のような美しい少女リーマ(ヘップバーン)とその祖父祖父のヌーフロ(コッブ)と出会う。部族の制止も聞かず、その場所に入り浸り、アベルとリーマは愛し合うようになるのだが…
博物学者でもあるウィリアム=H=ハドソンの長篇小説の映画化。20世紀初頭に書かれた原作は、初のエコロジカル小説として知られるのだが、それを俳優として知られるメル=ファーラーが当時の妻ヘップバーンのために完成させた作品。
とりあえずファーラー監督が妻のヘップバーンをいかに愛していたかがよく分かる作品には仕上がっている。ヘップバーンを可憐に、躍動感を持って映し出すことには成功している。
かつて“銀幕の妖精”という二つ名を持ったヘップバーンを本当に妖精にしてしまったと言うことで、冗談のような企画だが、確かにこの年ヘップバーンももう30歳。少女を演じるにはギリギリの年齢だったのは確か。一般にヘップバーンの初の失敗作と評されるが、少なくともヘップバーンの描写については別段問題はない。
ただ、それだけに特化しているため、他の全てがいい加減すぎ。
革命の戦士というふれこみの主人公アベルは、劇中その事を臭わせることさえしておらず、状況に流されるだけ。好きな女性の前で格好付けるだけの頭空っぽの男でしかなく、しかも彼自身が物語に何にも関わってないという致命的な問題があり。パーキンスはこの年に『渚にて』の準主役をやっているし、翌年には彼自身の最高傑作『サイコ』(1960)が待っている芸達者な役者なのに、この役はあまりに可哀想すぎる(貴重な歌も披露しているが、事実パーキンスは歌手でもあったそうだ)。
物語もただ流されるだけでなんとなく終わってしまうし、カラーで撮ったものだから、セットの丸分かり感が何とも言えずに安っぽく感じさせてくれる。
ヘップバーンを観るため。と割り切ってしまわないと、とにかく退屈。
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