フェリスはある朝突然に 1986 |
1986ゴールデン・グローブ男優賞(ブロデリック) |
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ジョン・ヒューズ
マイケル・チニック(製)
ジョン・ヒューズ(脚)
マシュー・ブロデリック
アラン・ラック
ミア・サラ
ジェニファー・グレイ
ジェフリー・ジョーンズ
ヴァージニア・ケイパーズ
クリスティ・スワンソン
リチャード・エドソン
チャーリー・シーン
マックス・パーリック |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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シカゴに住む高校生のフェリス(ブロデリック)は、その日が快晴で気分が良かったので学校を休み、病弱の悪友キャメロン(ラック)と、学校から呼び出したガールフレンドのスローアン(サーラ)を誘い、キャメロンの父のフェラーリーを駆って街に繰り出すのだった。
若さ溢れる高校生の一日のバカンスを描く作品で、『卒業白書』(1983)と並び、まさに80年代を代表する青春映画に仕上がった。
ここには強制された若者の誠実さとか人を労る気持ちとかは無く、若いんだから弾けよう。とにかくばれなければ何をやっても良いんだから。と言う、自由精神に溢れた作品に仕上がっている。大人が観たら怒りそうな内容だし、これを本当にやらかしてしまっては実際には困るのだが、ある意味この作りは賞賛に値する。
様々な意味で抑圧される時代に生きている人間にとって、映画は別世界に連れて行ってくれる格好のアイテム。私自身、映画とは日常生活と切り離した空間であることこそ意味があると思っている。そう言う抑圧されている人間にとって、このような解放感を与えてくれる作品というのは大変貴重なのだ。
本作で「等身大の高校生のリアルさ」など意味がない。ぶっ飛んで構わないし、それを観て溜飲を下げているのが快感なのだ。ファンタジー。それこそが本作の最大の利点なのだから。
しかし、思えばこの楽しみ方って、実は邦画では既に50年代〜60年代にはあったのだよな。加山雄三の「若大将」シリーズなんて実際こんな感じだし、何よりクレイジーキャッツの面々が登場する作品は、現実を踏まえつつ、その現実をぶっ飛ばすようなファンタジーに溢れていた。既に日本が通ってきた道をハリウッドは20年もかかってようやくたどり着いたのだとも言える。そう言う意味では本作の位置づけは大変興味深いものがある。
ただ一点本作に問題があるとすれば、日本におけるクレイジーキャッツが対象としていたのは、あくまで自分が固まったサラリーマンが対象だったのに対し、本作が対象としているのは学生だったと言うことかな?心が固まっていないので、こんな生活が理想になってしまう人間が続出…これはあくまでファンタジーであることを知らずに勘違いする輩、特に日本に多かったのではないかと…ここに悪い例がいる訳だし。
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