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1994 | 7'8 死去 | |
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1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | 黒い情事 監督・脚本 | |
黒いチューリップ 監督・脚本 | ||
1962 | ||
1961 | 戦場を駈ける女 監督・脚本 | |
1960 | フランス女性と恋愛 監督 | |
1959 | バベット戦争へ行く 監督 | |
1958 | 国境の村 監督 | |
1957 | ||
1956 | ||
1955 | 空と海の間に 監督・脚本 | |
女優ナナ 監督・脚本 | ||
1954 | 運命 監督 | |
1953 | 女の平和 監督 | |
1952 | ボルジア家の毒薬 監督・脚本 | |
花咲ける騎士道 監督・脚本 | ||
愛すべき御婦人たち 監督 | ||
1951 | 青ひげ 監督 | |
1950 | 失われた想い出 監督・脚本 | |
1949 | シンゴアラ 監督・脚本 | |
1948 | ||
1947 | パルムの僧院 監督・脚本 | |
1946 | ||
1945 | 幻の馬 監督 | |
カルメン 監督 | ||
1944 | 幻想交響楽 監督 | |
1943 | ||
1942 | ||
1941 | 最初の舞踏会 監督 | |
1940 | 青春乱舞 監督 | |
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | 8'4 パリで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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黒いチューリップ La Tulipe Noire |
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フランス革命前夜。名門貴族の双子の兄弟ジュリアンとギョーム(ドロン二役)は仲の良い兄弟だったが、真面目に家を継ぐことをめざし、軍人として日々業務にいそしむ弟のギョームに対し、行きすぎた放蕩の末、貴族を襲って金品を強奪した上で義賊“黒いチューリップ”を名乗るに至ったジュリアン。だが突然ジュリアンは自殺してしまう。そしてギョーム宛の遺書には「俺の代わりにチューリップとなり、理想のために戦ってくれ」と書かれていた… 大デュマことアレクサンドル・デュマが描いた、フランス革命を舞台にした活劇作を映画化。デュマの作品は、近世のフランスの歴史を下敷きに、様々なフィクションを取り入れてヴァラエティ作品に仕上げているのが楽しく、こどもの頃は結構な数の作品を(主に自動文学書で)読んだものだ。 特に本作はかなり思い出深い。原作は活劇あり、謎あり、恋愛有りというヴァラエティに富んだまさに王道アクション作品だが、私がこのタイトルを知ったのはもっと以前。子供の頃だった。 フランス革命を扱った日本のアニメーションは、「ベルサイユのばら」が代表作となるが、このヒットにあやかろうとしてか、1975年にもう一本のアニメが作られていた。「ラ・セーヌの星」というこの作品は、ラ・セーヌの星という仮面の女性剣士にして義賊が主人公の話だったのだが、このラ・セーヌの星を助ける男性剣士の名前がまさしく「黒いチューリップ」だった。実は結構このアニメ好きだったこともあって、「三銃士」や「モンテ・クリスト伯」よりも早く「黒いチューリップ」の名前を覚えてしまったものだ(尤も読んだのは「三銃士」の後になってしまったが)。 そんな意味で、この「黒いチューリップ」という名称は最初にデュマに触れたタイトルということでも、私にとってはちょっとした思い出になってる。 映画単体としては、原作に従って盛りだくさんの内容だが、盛りだくさんにし過ぎたかな?サービス精神がいきすぎてまとまりが付かなくなってしまったような印象がある。これを映画化する場合、倍くらいの尺がないと多分映画として成立しないのではないかな? それでも監督は頑張ったと思う。兄弟の確執から活劇、真実を告げることができない恋する女性カロリーヌとの恋話と、それなりに過不足なく映像化はされているのだから。バランスを考えた結果こうなってしまったのだろう。足りないのは時間だけだったとも言える。 それなりに思い出もある作品だから、願わくは、この作品現代でリメイクしてくれないかな?出来ると思うんだけどなあ。 尚、この作品ではアラン・ドロンのスキャンダルも生じてしまった。撮影スタッフのナタリー・バルテルミーとの間に子供が出来てしまい、似合いのカップルとロミー・シュナイダーとの婚約は破棄されてしまった。 |
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花咲ける騎士道 Fanfan la Tulipe |
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1952カンヌ国際映画祭監督賞(クリスチャン=ジャック) 1952ベルリン国際映画祭銀熊賞(クリスチャン=ジャック) |
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18世紀のフランス。長く続く戦争に国民は疲弊しており、募兵に応じる男も少なくなっていた。そんな時、変装した募兵官の娘アドリーヌ(ロロブリジーダ)に、「おまえは王女と結婚する」という偽予言を吹き込まれたファンファン(フィリップ)は一躍募兵に応じる。しかも連隊に向かう途中で本物の王女と出会って、その危機を救ったファンファン。ここから彼の冒険が始まった。 本作は歴史を扱ったコメディ作品で、一つのことに思い詰めると後先考えない、まるで『うる星やつら』の諸星あたるのような男が主人公のお話。一種のおとぎ話みたいなものだが、とにかく楽しい一本。 後にリメイクも製作され、先日それを観ることが出来たので、それと併せて本作をレビューしてみたくなった。 まず本作は、ストーリーがあまりにも荒唐無稽且つ無茶苦茶。主人公のファンファン自身が一つのことを考えると、他の何も考えられないほど視野狭窄なキャラクタで、自分では大まじめなつもりで突拍子のないことばかりしているし、実際に人死にが出ている戦争を指揮する人間達が無能揃いで、あまりに戦争描写が馬鹿馬鹿しい。しかし、それは逆に本作の魅力となっているのが面白いところ。主人公ファンファンの周囲を取り巻く状況は大変複雑なのに、肝心のファンファンの思考形態があまりにも単純(要するに女!と言うそれだけの価値判断しかない)で、その単純さのお陰で、突拍子もないことばかりが起こす。しかもそれを華麗な剣さばきと運の強さ、人間的魅力で全部するするとすり抜け、やがてハッピーエンドになってしまう。観てる側からすると、次の展開が全く読めず、常にはらはらし通しだし、それで最後は大満足な気持ちにさせてくれる。行き当たりばったりのように見える物語がこれほど魅力的に作られているのも、一種希有な例だろう。ラストは特に唖然。「あるかよ!こんなの」と、思わず画面に向かってツッコミを入れてしまった。 制度とかしきたりとか、「〜ねばならない」式の押しつけに徹底的に反抗し、そういうものを笑い飛ばすと言うのは、フランス映画の特徴なのだろう。それがエスプリって奴です。指揮官が無能な人間ばかりで、こんなのに戦争の指揮をさせるのか?と言うのも、戦争なんて本当に馬鹿馬鹿しいものだ!と言う宣言のように思えてくる。そこが凄く爽快(日本における岡本喜八作品を観てる気分にさせられた)。 リメイクの方も物語の上では一応同じなのだが、本作は本作のみの魅力がある。 ここに希代の名優ジェラール=フィリップという人物を得たこと。 この人ほど華のある役者は全映画史を通してみても数少ない。これだけ無茶苦茶なことをしていてもなんか全部許せる気になってしまうし、設定云々を言うこと自体、無意味な気分にさせてしまう。ほとんどこの人一人で画面をさらってしまい、他のキャラクターどころかストーリーさえどうなっても良いって感じ。 フィリップは元々繊細な役柄が多く、アクションよりは内面の方が重視されるキャラ設定が多いのだが、動きも実際はかなり良く、大変なアクションもスタントなしに軽々こなす実力を持っている。そのアクション部分が本作では極限まで強調されていた感じだ。ここでの華麗な剣さばきと言い、乗馬の技術と言い、彼の持つもう一方の魅力が極限まで演出された作品と言って良かろう(ただ、フィリップ自身はこの役柄に不満があり、撮影の間ずっと監督と衝突し続けたらしいが、出来上がったフィルムを観てフィリップ本人もこれで良かったことを認める)。 ただ本作には一つ大きな問題がある。これを観た後は、フィリップばかりしか記憶に残らないという(笑)。あまりにも立ちすぎたキャラというのは、これはこれでかなり問題があることを思わされる。 結局本作はフィリップのキャラのお陰で成立した作品だが、逆にそのキャラ描写が強すぎて逆にそれしか記憶に残らないという弊害を生んでしまった。 |
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パルムの僧院 La Chartreuse de Parme |
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