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2001 | 2'23 死去 | |
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1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | 追想 監督・原作 | |
1974 | ||
1973 | 暗殺の詩/知りすぎた男どもは、抹殺せよ 監督・脚本 | |
1972 | ||
1971 | ラムの大通り 監督・脚本 | |
1970 | ||
1969 | ||
1968 | オー! 監督 | |
若草の萌えるころ 監督・脚本 | ||
1967 | 冒険者たち 監督・脚本 | |
1966 | ||
1965 | 男たちの掟 監督・脚本 | |
1964 | ||
1963 | 美しき人生 監督・脚本 | |
1962 | ||
1961 | ふくろうの河 監督・脚本 | |
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
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1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | 4'13 パ=ド・カレーで誕生 |
追想 Le vieux fusil |
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1975セザール作品賞、主演男優賞(ノワレ)、音楽賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大戦末期のドイツ占領下のフランス。連合軍の足音が聞こえる中、占領軍のドイツによる蛮行を恐れた元貴族で医師のジュリアン(ノワレ)は妻子を田舎にある自分の所有する古城に避難させる。しかし数日後、城を訪れた彼の前にひろがっていたのは、惨殺された妻子の姿だった。復讐を誓ったジュリアンは、城に張り巡らされている抜け道を用いて城に入り、占拠しているドイツ兵を一人一人血祭りに上げていく。 本作はある時に映画の紹介記事を見て印象に残っていて、是非一度観てみたいと願っていたのだが、たまたま映画館にかかるという情報を得て(ちなみに前後して『戦争のはらわた』(1975)が上映されていたので、二本とも観られた)観てみた。 聞きしに勝る快作というか、怪作というか。これは凄い。 舞台は第二次大戦時のフランス。第二次大戦ではよく映画になる場所である。特に連合軍侵攻後の戦いについて描いた作品は多い。中にはレジスタンスの戦いを描いたものも結構ある。一応映画のジャンルとしては本作はレジスタンスの抵抗を描いた作品の一本と言う事になる。ジャンル的にはそのまんまと言って良い。 フランス占領下でのレジスタンスの戦いというのは、傍若無人なドイツ軍の行いに我慢していた住民が連合軍のスパイとして活動するとか、あるいはもっと大きなレジスタンス組織と連携を取ってゲリラ活動を行うとかになるのだが、本作は全くそれと趣が異なる。 本作の最大の特徴は、レジスタンスがたった一人。しかも全く連携も何も取らず、単なる復讐者として描かれる。しかも勝手知ったる古城の中で一人一人血祭りに上げて。 どっちかというと本作は殺人鬼を描いたスラッシャー映画としての側面の方が強い気がする。主人公のジュリアンは古城の見取り図は頭の中に入っていて、近道や抜け道を使って神出鬼没で出現しては、一人でいるドイツ人を手早く殺して去って行く。怪力や超能力は無いが、それだけで充分人並み外れた行動力を持つことになる。だからジェイソンとかフレディとかの殺人者の視点になってる感じがする。 そういう視点で見てみると、「スラッシャー映画の定義」という事についても思いを馳せられる。 スラッシャー映画を面白くするのは、単なる殺人者が出てくるよりも、その殺人者が淡々と殺人を繰り返し、更に何を考えているのか分からないところの怖さがあるかと思われる。 このジュリアンの行動は妻子を殺されたという事が動機になってるのは確かだが、彼は感情を荒げたりしない。無表情で黙々と作業のように人を殺していく。 確かにその合間合間に幸せだった頃の記憶が挟まっているので、それがジュリアンの深い悲しみを示すものと解釈する向きもあるだろうし、そちらの方が解釈としては正しいのだろうけど、むしろその演出こそがジュリアンの空恐ろしさを強調してるような気もする。 ラストシーンで医者としての日常に普通に戻っていくのも、妙に怖いものがある。なんか薄ら寒さを感じる作品に仕上がってた。 でもだからこそ忘れられない作品でもある。 |
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ラムの大通り Boulevard du Rhum |
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冒険者たち Les aventuriers |
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仲良しで、飛行クラブの教官で命知らずの冒険家マヌー(ドロン)と自動車修理工場を営みながら好きな発明をしているローランド(バンチュラ)のもとに耳よりな話が飛び込んできた。コンゴからベルギーに移住途中の船が沈没し、莫大な財産が海底に眠っているというのだ。二人と、ローランドの弟子を自認するリティティア(シムカス)の三人はスクーナー船に乗りこんで、宝探しを始めるのだが、彼らの行動は同じく財宝を狙う男たちの知るところとなり… アラン・ドロンとリノ・バンチュラを主演に据えた冒険活劇。主演の豪華さのみならず、メリハリの利いた物語展開に風景の美しさを加えた良作で、特に日本でのファンが多いことでも知られる作品。 日本でファンが多いのにはいくつもの理由は考えられようが、一番はやはりキャラクタの魅力だろう。ドロンは確かにフランスの大スターではあるが、実際には世界的な知名度はさほど高くない。ただ、日本だけは別で、本国フランスよりも人気があるほど。そのドロンが実に魅力的に作られていることが最初にあったとは思う。それに本作の場合、ヴァンチュラがおいしい役を演じてる。本作にあってはドロンよりも落ち着いた、複雑な役を上手く演じきっている。そして何よりシムカスの存在感!これが日本では最も受けたのではないかと思う。 事実本作における彼女の存在感は大変面白い。劇中における彼女はまだ子供として描かれている。自分が何者で何ができるのかも知らず、今はチャレンジの段階。それこそ前衛芸術をやってみたり、旅をしてみたり、そしてことごとくそれらに失敗してる。今回の宝探しも、彼女にとってはチャレンジの一貫であったのだろう。成功すれば儲けもの。失敗しても良い思い出になる。だから悲壮感はなく、まるで遠足のように楽しんでいる(ハリウッド形式で本作を作ったのなら、彼女は浮きまくってしまっただろうけど、むしろそう言う軽さを主眼とする本作にはよくはまっている)。一方のドロン演じるマヌーもバンチュラ演じるローランドも、年齢はともかくどこか青年っぽいところがあって、センチメンタルさを強調しているため、丁度はまってた。そして二人のセンチメンタリズムがヒロインのシムカス退場によって明らかにされる。 残された男二人にとって彼女の不在はあまりにも重く、折角の大金を手に入れても本当に楽しむことはできない。後半はその寂しさに彩られており、シムカスはたとえ画面に出ていなくても、この映画を支配していることが分かる。面白い構成である。特にそれはバンチュラの方によく現れていただろう。 実はそう言うことで結構感心して観ていたのだが、マヌーの最後のシーンであれ?と思わされた。それまでマヌーはてっきりリティシアを忘れられないのだと思ったのだが、ひょっとして、彼が本当に好きだったのはローランドではなかったか?とも思えるのだ。性的な意味ではなく、一人の人間としてこれまでのローランドが好きだったのに、当のローランドはリティシアを忘れられずにウジウジしっぱなし。ローランドのそんな姿を見たくなかっただけなのかもしれない。 …そう考えてみると、この作品は本当に“青春映画”と言っても良いのかもしれない。いくつになっても人は青春を生きることができる。それは精神的な不安定さなのかもしてないが、その点が日本人に受け入れられたのではないだろうか。 改めて考えてみると、観た当時に思った不安定さが、逆に大きな魅力だったのだな。 後は、風景がとても綺麗なのも当然挙げておくべきだろう。前半の海のシーンも良いけど、後半の島の無機質な美しさは観ているだけで気持ちよくなる。凝ったカメラワークも良し。 |
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