<amazon> <楽天> |
|
||||||||
|
2012 | |||||||||||
2011 | |||||||||||
2010 | |||||||||||
2009 | |||||||||||
2008 | |||||||||||
2007 | |||||||||||
2006 | ファイヤーウォール 監督 | ||||||||||
2005 | |||||||||||
2004 | ウィンブルドン 監督 | ||||||||||
2003 | 美しきイタリア、私の家 監督 | ||||||||||
2002 | チャーチル/大英帝国の嵐 監督 | ||||||||||
2001 |
|
||||||||||
2000 | |||||||||||
1999 | |||||||||||
1998 | |||||||||||
1997 | |||||||||||
1996 | |||||||||||
1995 | リチャード三世 監督・脚本 | ||||||||||
1994 | |||||||||||
1993 | |||||||||||
1992 | |||||||||||
1991 | |||||||||||
1990 | |||||||||||
1989 | デッドライン/おまえを渡さない 監督・脚本 | ||||||||||
1988 | |||||||||||
1987 | |||||||||||
1986 | |||||||||||
1985 | |||||||||||
1984 | |||||||||||
1983 | ストップ・ザ・売春天国 監督 | ||||||||||
1982 | スティング/ブリムストン&トリークル 監督 | ||||||||||
1981 | |||||||||||
1980 | |||||||||||
1979 | |||||||||||
1978 | |||||||||||
1977 | |||||||||||
1976 | ジュリア・幽霊と遊ぶ女 監督 | ||||||||||
1975 | |||||||||||
1974 | |||||||||||
1973 | |||||||||||
1972 | |||||||||||
1971 | |||||||||||
1970 | |||||||||||
1969 | |||||||||||
1968 | |||||||||||
1967 | |||||||||||
1966 | |||||||||||
1965 | |||||||||||
1964 | |||||||||||
1963 | |||||||||||
1962 | |||||||||||
1961 | |||||||||||
1960 | |||||||||||
1959 | |||||||||||
1958 | |||||||||||
1957 | |||||||||||
1956 | |||||||||||
1955 | |||||||||||
1954 | |||||||||||
1953 | |||||||||||
1952 | |||||||||||
1951 | |||||||||||
1950 | |||||||||||
1949 | |||||||||||
1948 | |||||||||||
1947 | |||||||||||
1946 | 10'20 チェルナトムで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||
ファイヤーウォール 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大手銀行のコンピュータセキュリティ専門家であるジャック・スタンフィールド(フォード)は、ある日ビル・コックス(ベタニー)という男の訪問を受ける。家族を人質にとったというビルはジャックに自ら構築した銀行のセキュリティを破る手伝いを強要する。だが銀行は合併準備により通常の方法ではそれが不可能であることを知る… アクションスターとして遅咲きのデビューを果たしたハリソン・フォードは、その後様々なジャンルへと演技の幅を広げていった。ただ、存在感が半端無いので、何をやってもヒーローっぽくなってしまうという問題もあり。 本作はまさしくその典型的な作品といえる。本作でのフォードの立ち位置はホワイトカラーの頭脳労働者で、荒事を好まないセキュリティシステムの専門家というもの。どっちかというと気も弱いキャラとして設定はされているのだが、やっぱりフォードはヒーローだった。 確かに肉体的な意味ではアクションは控えめではあるが、肉体を使わない分、会話と、いかにして相手を出し抜くかという部分でヒーロー性を遺憾なく発揮している。 だが、それが問題。本作のプロットを崩してしまってる。本作では主人公は冴えない普通のおっさんだから頭脳戦が映えるのであり、それがフォードだったら、観ている側は妙な意味で安心してしまって、「どうせなんとかなる」と思えてしまうのが残念な所。なんだかんだ言ってもメリハリを利かせるために肉体的なアクションも配置してあるので、ますますフォードの土俵で相撲とってるとしか思えなくなってしまう。ここは、やっぱりプログラムについては天才的だが、日常生活では普通以下のおっさんがいろんな失敗をして、本気で泣きわめきながらもなんとか活路を見出すような物語にしたほうが作品の質としては上がっただろう。 リアリティって意味で言うなら、本作の強盗団にもちょっと問題はある。こういう場合は、プログラマーに進んで協力させるように持って行くことが重要で、暴力と脅しでいうことを聞かせようとしたら、余計面倒くさくなる。事実そのため、誰か一人を四六時中ビルのところにくっつけておかないといけないし、その隙を狙われて自分たちのことを知らされる可能性は常にある訳だし。 …と、色々書いてみたが、そもそもフォードが主役で、こういう物語構成にしなければ本作は世に出なかったんだろうな。なんだかんだ言っても、“こう作らざるをえなかった作品”なんだろう。 |