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2008 | ||
1991 | エネミー・ウォー 監督・脚本 | |
1987 | フェラーラ物語 「金縁の眼鏡」より 監督・脚本 | |
戦慄の黙示録 監督 | ||
1982 | マルコ・ポーロ シルクロードの冒険 監督・脚本 | |
1971 | 死刑台のメロディ 監督 | |
1969 | 盗みのプロ部隊 監督 | |
銃殺!ナチスの長い五日間 監督 | ||
明日よさらば 監督・脚本 | ||
1930 | 2'22 イタリアのジェノバで誕生 |
死刑台のメロディ 1971 | |||||||||||||||||||||||||||
1971カンヌ国際映画祭男優賞(クッチョーラ)、パルム・ドール 1972キネマ旬報外国映画第2位 |
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1920年ボストン。密告者の通報によって逮捕された靴屋のニコラ=サッコ(クッチョーラ)と魚行商人のバルトロメオ=ヴァンゼッティ(ヴォロンテ)。強盗として起訴された彼らは無実で、数々の証拠も挙げられていたのだが、当時イタリア系移民に対する偏見に彩られた裁判が進むに連れ、どんどん彼らは不利な状況に押し込まれていく… “アメリカ史の汚点”と言われるサッコ・ヴァンゼッティ事件の映画化。スケープゴートとして闇に葬られてしまったイタリア系移民の二人の男の姿を描く。 事実を元にしているだけに、作品そのものの出来は見事なものだが、とにかく話が暗く、しかも全く救いがないという作品で、観ていてかなりきつい。監督のモンタルドはイタリア人で、こういった歴史的に埋もれた事実を映画にするのが得意のようだが(脚本も監督本人)、よくこんなものを直視して描いたものだよ。 本作のテーマは間違いなく人種偏見と思想差別なのだが、時代時代によって“空気”というものが変わってくる。移民によって成立したアメリカではあるが、法体制が整うに従い、時代によっては移民が嫌われる時があった(19世紀の出来事としてはチミノ監督の「天国の門」がある)。特に1920年代の大恐慌時代はイタリア系移民がとにかく嫌われる風潮にあったようで、それを逆にバネにしてのし上がったのがマフィアだった。例えば同時代を描く「ゴッドファーザーPART2」なんかは、こういった時代背景があったことを考えつつ観ると味わいが変わってくる。 特に途中、真犯人が確定しているというのに、あくまで裁判を続けていくシーンで裁判官が叫んだ「事件の真疑など問題ではなく、二人がイタリア人であり、民主主義について何も知らず、言葉もろくに知らない、自由社会にもっとも危険な野蛮人であるから」という言葉は、その当時の“空気”が持つ本音そのものとして捉えることが出来よう。 特に我々日本人にとって“空気”というのはとても重要。その“空気”を読めない人間はあっという間に排除されてしまう傾向にある(現在「空気読めない」は完全な差別用語になってしまっている)。我が身を振り返るも、時として差別を受ける身であり、時として差別を行う身であることを改めて思わされてしまう。物語そのものよりも自分自身が痛い。 本作ではヴォロンテとクッチョーラの二人の演技が凄い。最初(いかにもイタリア系で濃い顔してるが)単なる人の良さそうなおっさんだったのが、激しい攻撃を受ける内に顔つきがどんどん険しく強ばっていく。最初の内は希望が出る度にその強ばりが減じていくのだが、だんだんこれが茶番だと分かってくるに連れ、完璧に顔つきが固まってしまう。そしてそれを受け入れた時の、まるで殉教者のような晴れ晴れとした表情へと変わっていく、その過程が素晴らしい。 決して観て楽しい作品ではない。だけど観ておくべき作品の一つであることは確か。 本作の主役ヴァンゼッティを演じたヴォロンテは数々のマカロニウエスタンで名脇役をこなして既に国際派スターの名声を得ていたが、本作によって反アメリカ的というレッテルを貼られてしまったとのこと。これもやっぱり“空気”を読んでしまった故の悲劇か? |