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ヴァディム・パールマン
Vadim Perelman

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鑑賞本数 2 合計点 7.5 平均点 3.75
書籍
_(書籍)
2009
2008 ダイアナの選択 監督・製作
2007
2006
2005
2004
2003 砂と霧の家 監督・製作・脚本
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
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1985
1984
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968
1967
1966
1965
1964
1963 キエフで誕生

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ダイアナの選択 2008

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エミール・スターン(脚)
ユマ・サーマン
エヴァン・レイチェル・ウッド
エヴァ・アムリ
オスカー・アイザック
ガブリエル・ブレナン
ブレット・カレン
ジャック・ギルピン
モリー・プライス
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
春に葬られた光 <A> <楽>
ローラ・カジシュキー (検索) <A> <楽>
 かつて高校での銃乱射事件に巻き込まれてしまった経験を持つダイアナ(サーマン、高校時代はレイチェル・ウッド)。今ではやさしい夫と、手のかかる娘と共に故郷の小さな町で幸せに暮らしていた。不満といえば、かつてあんなに外に出たがっていた気持ちが完全に失われてしまったことと、時折高校の時の記憶が細切れにフラッシュバックしてくること。特にあの事件で親友と共に、銃を突き付けられたときの記憶が…
 先に『砂と霧の家』という精神的にかなりきつい作品を作ってくれたパ監督による、“決断”をテーマにした作品。前作がかなり精神的にきつい作品だったので、こちらも身構えていったが、
案の定きっつい作品に仕上がっていた
 この作品は強烈な事件を基準にして、それによって引き起こされる記憶の断列が描かれることとなり、過去と現在とがごちゃごちゃになっていくのが特徴となっている。映画の作りに対する挑戦性も感じられ、テーマと言い作りと言いなかなか興味深いものになっている。特に、悪夢が過去の出来事のことだと思っていたら、いつの間にか実は現実世界こそが悪夢そのものにほかならなかった。という物語展開は、悪夢映画好きにはたまらない魅力。
 ただ、この作品の場合、整理しきれないところが結構あるので、それをちょっとここでまとめてみたい。
 この作品のラストは、三つの解釈が成り立つだろう。
 
一つ目は、あれで実はダイアナは死んでなかったと言う解釈。あそこで生き残って、無事夫を持つ事が出来た。
 
二つ目は、実は現在ダイアナとよばれている女性が、実は親友のモーリーンの方で、彼女が街に残る決断をして、顔かたちまで変えてダイアナになりきったと言う場合。
 そして
三つ目は、この作品は、未来のダイアナが過去をフラッシュバックとして捉えているのではなく、高校で銃撃にあったその時こそがリアルな時間であり、ダイアナは未来を幻想として観ていたという解釈である。
 そのどれが正しいのかは、劇中では明らかにされない。しかし一番可能性としてあり得るのは三つ目ではないかと思われる。それで以降はそれを前提に書かせていただこう。
 ダイアナは常々こんな小さな町から出たいと願っていたが、それは若者特有の“ここではないどこか”の願望の表れで、ただ今から逃れたいための方便に過ぎなかった。しかし、親友の命を救うと言う決断をしたその時に、彼女はこの街に対する本当の気持ちというものを知ったのではなかったか。逃げるのではなく、一人のありきたりな人間としてこの町で戦って行きたい。初めて人生に対してポジティヴな思いを抱いた瞬間だった。その思いが時を超え、夫と娘という存在を生み出し、そこでつつましく幸せな生活を送っている幻想を作り出した
(ついでに言うなら胸の大きさと、体を大きくすると言う幻想もあったかもしれないけど)
 それが悪夢へと変わっていった大きな要因は、自分が今まさに死に行くと言う物理的な側面と、自分自身が今まで散々母にしてきた後ろめたいことが夢の中に入り込んでしまったからではなかっただろうか?夢の中でさえ自分は幸せになってはいけないと言うことを無意識に選択してしまったからかもしれない。それが血の幻想、言うなれば悪夢へと転換していき、死の瞬間までそれが伸びてしまった。と考えることができる。
 “未来を回想する”という特殊なシチュエーションは、映画的に考えるならば非常に面白い試みで、どちらかというとSFに近い気がするが、最終的にそれが本当に物語にプラスに働いたのかは少々疑問ではある。と言うより、私のこの考え自体が果たして的を射たものでない可能性もあるし、本作の感想としては、とりあえずここで筆を置いた方が無難そうだ。
砂と霧の家 2003
2003米アカデミー主演男優賞(キングズレー)、助演女優賞(アグダシュルー)、作曲賞
2003
NY批評家協会助演女優賞(アグダシュルー)
2003LA批評家協会助演女優賞(アグダシュルー)
2003
アメリカ映画俳優組合主演男優賞(キングズレー)
2003ゴールデン・グローブ男優賞(キングズレー)
2003インディペンデント・スピリット助演女優賞(アグダシュルー)、主演男優賞(キングズレー)、新人作品賞
2003ナショナル・ボード・オブ・レビュー新人監督賞、トップ10
2003放送映画批評家協会主演男優賞(キングズレー)、主演女優賞(コネリー)
2003サウスイースタン映画批評家協会トップ10
2003オンライン映画批評家協会助演女優賞(アダシュール)

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ヴァディム・パールマン(脚)
ジェニファー・コネリー
ベン・キングズレー
ロン・エルダード
ショーレ・アグダシュルー
フランシス・フィッシャー
ジョナサン・アードー
ナヴィ・ラワット
カルロス・ゴメス
キム・ディケンズ
レイ・アブルッツォ
マルコ・ロドリゲス
アキ・アレオン
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
砂と霧の家(書籍)アンドレ・デビュース三世
 原作は二人の主人公が一人称で語り、どちらにも感情移入が出来るように書かれる。何故かコネリーが桟橋にたたずんでいるのは『ダーク・シティ』と同じ構図。

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