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1990 | 2'19 死去 | |
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | としごろ 監督 | |
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ハネムーン 監督・脚本 | |
血を吸うカメラ 監督 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | 戦艦シュペー号の最後 エメリック・プレスバーガーと共同監督・製作・脚本 | |
将軍月光に消ゆ エメリック・プレスバーガーと共同監督・製作・脚本 | ||
美わしのロザリンダ 監督 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ホフマン物語 エメリック・プレスバーガーと共同監督・製作・脚本 | |
1950 | 女狐 監督・製作・脚本 | |
快傑紅はこべ 監督・脚本 | ||
1949 | ||
1948 | 赤い靴 エメリック・プレスバーガーと共同監督・製作・脚本 | |
1947 | ||
1946 | 天国への階段 エメリック・プレスバーガーと共同監督 | |
黒水仙 エメリック・プレスバーガーと共同監督・製作・脚本 | ||
1945 | 渦巻 エメリック・プレスバーガーと共同監督・製作・原作 | |
1944 | ||
1943 | 老兵は死なず 共同監督・製作・脚本 | |
1942 | わが一機未帰還 監督・製作・脚本 | |
1941 | ||
1940 | バグダッドの盗賊 共同監督 | |
潜水艦轟沈す 監督 | ||
1939 | スパイ 監督 | |
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | 9'30 カンタベリーで誕生 |
血を吸うカメラ Peeping Tom |
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戦艦シュペー号の最後 The Battle of the River Plate |
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1956英アカデミー作品賞、国内作品賞、脚本賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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将軍月光に消ゆ Ill Met by Moonlight |
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パウエル&プレスバーガー共同監督最後の作品。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホフマン物語 The Tales of Hoffmann |
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1951米アカデミー美術監督・装置賞、衣装デザイン賞 1951カンヌ国際映画祭特別賞(パウエル&プレスバーガー)、フランス映画高等技術委員会賞 1951ベルリン国際映画祭銀熊賞(パウエル&プレスバーガー) |
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詩人ホフマンが語る数奇な恋物語。様々な国、様々な時代で恋を楽しむが、どこに行っても結末は悲しいものになってしまう。それでも恋を止められないホフマンの業。 『赤い靴』でバレエを主題にした映画を作り、新たなるジャンルを立ち上げたマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーが次に作ったのは、今度は最初から脚本があるバレエの演目である「ホフマン物語」だった。 「ホフマン物語」はバレエとしてはかなりの長編で、基本的にいくつかのパートを演目として演じることになるので、本作もそれを踏襲し、いくつかの国のパートに分けて作られている。違いは主人公が全部ホフマン自身になっているという事で、そのため時代や国を変えて一人の主人公がそれぞれのシチュエーションで恋物語を綴っている。 最大の特徴は勿論全編ダンスシーンで彩られていることだが、それが自由闊達なシチュエーションで裏打ちされているのも大きい。実際のバレエではなく映画で作れることの強みを監督がちゃんと把握しているから出来たことだ。それこそ『赤い靴』は本作の習作として作られたと言っても良いくらい。 自由なイメージの奔流に飲まれて観る映画はとても中毒性の高いもので、ファンタジックな音と画面に軽く酔いそうになりながら、それでもとても気持ちよく観る事が出来る。 出来ればこれは大きな画面で映画館の椅子に座って観たい映画だ。幸せな気分になれる…はず。 また本作は多くの映画人にも影響を与えた作品として知られている。マーティン・スコセッシは本作に感動して、映画監督になりたいと願ったとか。ちなみに同じくジョージ・A・ロメロも本作で映画監督を志す。映画史に残るこの二人がこの映画で監督になったと考えるならば、どれだけ大きな影響力があったやら。 |
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赤い靴 The Red Shoes |
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1948米アカデミー劇・喜劇映画音楽賞、美術監督賞、美術装置賞、作品賞、原案賞、編集賞 1948英アカデミー作品賞 1948ゴールデン・グローブ音楽賞 |
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レルモントフ・バレー団の持主ボリス・レルモントフ(ウォルブルック)は、新作バレエに先立ち二人の新人を抜擢する。青年作曲家ジュリアン・クラスター(ゴーリング)と社交界の令嬢にして天才ダンサーと将来を嘱望されているヴィキ・ペイジ(シアラー)だった。そして新作バレエ「赤い靴」は大ヒットし、ジュリアンとヴィキは世界的な名声を得ることになる。そして二人はやがて愛し合うようになる。バレエに愛情は必要ないとしたボリスはジュリアンを馘にしてしまう。バレエと愛情の板挟みとなり、一旦はジュリアンの元に走ったヴィキだったが… パウエルとプレスバーガーの名コンビ監督が送るバレエ大作で、イギリス映画界の総力を結集したと言われ、イギリスカラー映画を芸術にまで持っていった作品。バレエ舞台のバックステージ作品となっているが、実際の見所は恋愛模様よりも実際に劇中で演じられるバレエシーンの方で、実際に本作の大ヒットにより、世界にバレエブームが到来。日本でも本作を契機にバレエは大人気になったという。 パウエル監督作品はこれまで何作か観ていて大変相性が良いことが分かっているので、その代表作と言われる本作は長らく私の“観たいリスト”の上位に合った作品だった。ところがなかなか観る機会に恵まれず、たまたまCD屋に行った時にえらい安く売っていたので購入した。 なるほど。これは凄いわ。バレエにかける思いとかなんとかよりも、構成の巧さ。劇中で演じられるバレエシーンはことごとく物語そのものを暗示させるものとなっており、特に表題である『赤い靴』の悲劇はそのままこの物語の方向性を暗示し、最後は赤い靴を履いたまま、まるで踊り続けて死んでいく少女のようにシアラー演じるヴィキは身を投げていく。 そのためにこそ、バレエシーンはしっかりと撮られなければならなかった。僅か15分程度とはいえ、ちゃんと始まりから終わりまで『赤い靴』の踊りがしっかりと映されていたし、その際の圧倒的な雰囲気をしっかりカメラに映し撮る事に成功している。 これは物語をコントロールする監督の力量もそうだけど、撮影のジャック・カーディフの名人芸のなせる技で(なんでもカーディフはそれまでバレエを観たこともなかったのだが、本作で開眼。熱狂的なバレエ好きとなって撮影に臨んだそうだ…調べてみたらカーディフは監督もやってる。何故それが『悪魔の植物人間』(1973)なのかは謎だが)、カメラは舞台を縦横無尽に走り、ダンサー達の最も魅力的なシーンを余す所なく映し撮る。それは時として表情であったり、躍動する足首であったり、まるで本当に劇の中で恋をしてるかのような男女の絡み合った踊りであったり。そして最後の踊り子の死のシーンは固定カメラで、しっとりと撮影される。これは本当に見事だ。テクニカラーのどぎつい色が逆に踊り子の白と靴の赤の色彩のコントラストをいやが上にも映えさせ、これだけで充分すぎるほどの出来といえる。 ただ一方では肝心の物語本体がそのまんまベタな作りになってしまったため、それがちょっと残念。メロドラマが好きじゃない私としては、かえって本編のだらだらした作りはどうにもだれてしまった。 それでもラストの展開は意外。まさかこう来るか?と、それまでだらけながら観ていたのが、突然のショックを受けた感じになった。確かにこれは『赤い靴』だ。自分の意志で赤い靴を履いてしまった女性の悲劇とはここにあったのだな。 ちなみにここに登場する冷血漢ボリスは実在のロシア・バレエ団のディアギレフがモデルとなっているとか。芸術を作り出すバレエを支える人物とは、逆にこういった冷血な人間でないと出来ないのかも知れないな。 ところで主演のモイラ・シアラーは2006'1'31に80歳で死去した。実は本作を観たばかりだったので、結構ショックなニュースだった。しかし芸術とは古びない。50年以上も前に撮られた本作品が今もなお輝きを保っているのだから。 |
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天国への階段 A Matter of Life and Death |
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第二次大戦中、ドイツ空軍との戦いにおいて被弾したイギリス人の飛行隊長ピーター=カーター(ニーヴン)の無線を、米夫人部隊の通信士ジェーン(ハンター)が受信する。死を目前にしてピーターはジェーンに、快活にお別れを語り、落下傘無しで飛行機から飛び降りる…何故か外傷もなく海岸に打ち上げられたピーターは運命のようにジェーンと出会い、恋に落ちるのだが、実はこれは天使のミスで死ぬべきはずが生き残ってしまったという事が分かり… これが私にとってはパウエル監督作品の初見。こんなに面白い作品を作れる監督がいたと言う事に感心した。監督のイマジネーションが豊富なので、非常に面白い作品に仕上がっている。 アイデアもそうだけど、やっぱりなんと言っても本作の面白さは色遣いだろう。この時代に作られたカラー作品はテクニカラーが用いられるが、このテクニカラーは原色が映える一方、かなり色がきつくなってしまう。その一方で天国の描写をモノクロ(と言うより白一色)で描かれるので、それがしっかり対比となってるし、カメラ・ワークもストップモーションを巧く使って画面に張りを付けている。天国から手術室に直接繋がってるエレベーターなんて、イメージとしては最高だ(監督は「誰もが天国をカラーにすると思うから、敢えて白黒にした」と語っている)。 いきなり天国で生きるか死ぬかの裁判をやるというのも人を食った感じ。ただ、その裁判というのが結局イギリス対アメリカになってしまうのはとっても変。 イギリスで作られた映画だからだろうけど、もしこれがハリウッドでリメイクされたら、多分ヴェトナムか、中東人とのラブ・ロマンスになるんじゃないかな?SFXが発達してる分面白いものになるんじゃないか?どうせなら決定的な悲劇として描けばもっと映えるんじゃないか?(単なる個人的趣味だけど) 本作の製作意図は、戦争が終結し、それまで連合国として同盟して戦っていたアメリカとイギリスの関係は、利害関係の相違から徐々に狂いだしてきた。それを憂慮した監督が、せめて映画の中でアメリカとイギリスを仲直りさせようとした意図を持っていたとも言う。 |
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黒水仙 Black Narcissus |
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1947米アカデミー撮影賞、美術監督賞 1947NY批評家協会女優賞(カー) 1947ゴールデン・グローブ撮影賞 |
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キャラの精神状態を色彩で演出する。尼僧の白い服と口紅の赤の対比を強調 尼僧が還俗を決意した時の心の動きが、唇に真っ赤な口紅をさすという行動だけで表現している カーは顔以外を全て尼僧服に包むが、それが逆に美しさを増したと評判を受ける ルーマー=ゴッデンの小説を忠実に映画化。これは帝国の衰退をありのままに記したもの |
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渦巻 I Know Where I'm Going! |
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ひたすらまっすぐ歩む事を子供の頃から自分の信条としているカトリーナ(ヒラー)は、自分の務める会社の初老の社長と結婚する事になった。その挙式のため彼女は、彼の別荘のある僻地のキローラン島へ向かう。だが嵐で、島を前にして足留めを喰ってしまい、そこで海軍の青年士官トークィルと出会う。彼に惹かれていく自分に気付き、その思いを振り切るために急ぎ船を用意させるが… 正直全然期待してない作品だった。所詮ラブ・ロマンス(ジャンル自体が悪いんじゃなくて、私が単に好きになれないだけ)だし、ストーリーの展開も読める。 そして私の思った通りのストーリー展開だった。ベタベタじゃん。メロ・ドラマは嫌いだっての。 そうなのだ。それはよく分かってるんだけど、何か引っかかるものがある。単なるラブ・ロマンスと言うにはちょっと。 何でこんな楽しい作品に仕上がったんだろう?と自分でも不思議に思う。 不思議なだけだと気分が悪いのでちょっと分析的に考えてみよう。 先ず、主人公のカトリーナの性格。非常に直情的で、目的のために脇目もふらず直進する。対するトークィルは過去に何か大きな挫折を味わったらしく、ひねくれたものの見方をしているが、それが自分の本当の気持ちを覆い隠してしまい、自分でもそれが分からなくなっている(原題である『I Know Where I'm Going!』はまさしくその主人公の性格を表している)…別段映画では当たり前の役割だ。周りのちょっと変な連中(個性的と言った方が良いか?)も演出の味付けとしては普通。 物語のクライマックス。潮流に巻き込まれたカトリーナとトークィル…これは結構見応えがあったな。自然に対して、共同で立ち向かう姿は結構良い。 最後。カトリーナと別れたトークィルが入った古城…これだ! この作品には間違いなく“神秘”という味付けがされてたんだ。人間以上の存在が見え隠れする演出。それは、雨や渦巻きと言った自然現象である場合もあり、最後の古城でのメッセージでもあり。そんな視点があったからこそ、嫌いなジャンルであるにも拘わらず、私にとっても“面白い”と言えるだけのものがあったと言う事か。 やっぱり書いてみるもんだ。すっきりしたよ。 |
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老兵は死なず The Life and Death of Colonel Blimp |
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ボーア戦争当時。ベルリンでドイツ軍のテオドール中尉(ウォルブルック)と決闘する事になったイギリスのクライブ=ウィン=キャンディ中尉(リヴセイ)は、入院した病院でテオと友情を結び、テオはクライブの看護する英語の家庭教師エディス(カー)と結婚する事になった。そして1918年。第一次大戦に出征したクライブ少将は、エディスに瓜二つの看護婦バーバラ(カー2役)を見初め、彼女と結婚する。第1次世界大戦でイギリスの捕虜となったテオ中佐は再びクライブと親交を結んだ後、帰国する。更に1939年の第二次大戦勃発時。テオはナチスの台頭するドイツを脱出し、イギリスに亡命しようとする… ドイツに対するイギリスの戦意高揚のために作成された作品で、かつて持っていた騎士道精神を失ったドイツをこき下ろしているのだが、それを除いて純粋に映画として観てみると、かなり私にとっては好みの作品。この監督の暖かい笑いのセンスはかなり私のツボに入るし、カメラ・ワークが又良い。これが本当に1943年に撮られたもの?と疑うほどに洗練されている。特にテオとクライブの出会いとなる決闘のシーンで横向きのカメラが上昇していき、俯瞰状態となる流れるようなカメラ・ワークは見事だった。まあ、戦場のシーンなんかは完全にセット丸分かりでリアリティなんて薬にしようにも無いけど(笑) 観客に楽しませようと言う意思は感じられるし、概ねは上手く作られた作品と言って良し。戦いとは名誉と礼儀こそが必要だと信じる古いタイプの軍人をリヴゼイが見事に演じきっている。 駆け足に時代が過ぎ去っていくのをかなり上手に撮っていたと思うけど、途中何ヶ所か妙にくどい描写のシーンがあり、もたつく感じは受ける。それに撮影が戦時中だけあって(撮影中は毎晩ロンドンは爆撃を受けていたとか)、現代編になるとかなりの切実感を感じさせるんだけど、逆にそれが映画のストーリーを阻害してしまっている。 40年という時の流れを同じ役者で撮りきったのもなかなか。リヴセイの老け顔→若作り→素→髭面→老け顔というメークの変わりもなかなか凝った作り。でも本作一番の見物はなんと言っても違う時代のエディス、バーバラ、アンジェラという同じ顔をした3人の女性を演じたデボラ=カーに尽きる。本当に溌剌としてるね。彼女にとっても本作が出世作となった。 …真に愛した女性は胸の中に。それが出来ないと彼みたいになる。良い見本だ。 |
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