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レニ・リーフェンシュタール
Leni Riefenstahl

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レニ・リーフェンシュタール
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ヘレン・ベルタ・アマーリエ・“レニ”・リーフェンシュタール。ドイツの映画監督、プロデューサー、脚本家、編集者、写真家、女優。映画史において最も物議を醸した人物の一人とされている。
アドルフ・ヒトラーは、少なくとも3本の重要なナチス映画の制作において協力し、ナチスのプロパガンダ映画 『意志の勝利』(1935年)と『オリンピア』(1938年)は、史上最も効果的で技術的に革新的なプロパガンダ映画の一つとして広く知られるが、第二次世界大戦後のキャリアと評判に傷つけた。
『オリンピア』は1938年、ヒトラーの49歳の誕生日にプレミア上映された。国際公開されたことで、アメリカでの宣伝ツアーに乗り出した。
ナチスがロマ人を絶滅させたことを否定したため、ロマ人団体に訴えられた。
フランス政府は彼女の編集機材と『ティーフランド』の制作リールを全て没収し、未完成作品のほとんどは戦争末期に失われた。
長年にわたり、ナチスの犯罪に加担したとして告発した人々に対して50件以上の名誉毀損訴訟を起こし、勝訴した。
人生最大の後悔はヒトラーに会ったことだと言い、「あれは私の人生最大の惨事でした。死ぬまで人々は『レーニはナチスだ』と言い続け、私は『でも彼女は一体何をしたんだ?』と言い続けるでしょう」と断言した。
リーフェンシュタールは死の直前、 BBCのインタビューでヒトラーとの関係について最後の言葉を述べた。「私はヒトラーがすべての答えを持っていると思っていた何百万人のうちの一人でした。私たちは良いことしか見ず、悪いことが起こるとは知りませんでした。」
映画学者のマーク・カズンズは著書『映画の歴史』の中で、「オーソン・ウェルズとアルフレッド・ヒッチコックに次いで、レニ・リーフェンシュタールは同時代で最も技術的に才能のある西洋映画製作者だった」と述べています。
評論家のゲイリー・モリスはリーフェンシュタールを「比類なき才能を持つ芸術家であり、男性が支配する業界における女性であり、エイゼンシュタインやウェルズと肩を並べる映画界の偉大な形式主義者の一人である」と評した。
ニューヨーク・タイムズの映画評論家ハル・エリクソンは『意志の勝利』で「ユダヤ人問題」はほとんど触れられていないと述べ、「映画監督レニ・リーフェンシュタールは歓声を上げる群衆、正確な行進、軍楽隊、そしてヒトラーのクライマックスの演説に集中することを好んだ。そのすべてが、グリフィスやデミルを貧困層の映画監督に見せるほどのスケールで、構成、振り付け、照明が施されている」と述べている。
デイリー・テレグラフのチャールズ・ムーアは「彼女はおそらく20世紀で最も才能のある女性映画監督だった。映画の中でナチス・ドイツを称賛したことで、彼女は間違いなく最も悪名高い監督となった」と書いている。
インディペンデント紙の映画ジャーナリスト、サンドラ・スミスは「彼女を、彼女自身が十分に理解していなかった一連の出来事に巻き込まれた、若く才能があり野心的な女性と見る人々と、冷酷で日和見主義的なプロパガンダ担当者であり、ナチスとのつながりがあると考える人々の間で意見が分かれるだろう」と述べた。
批評家のジュディス・サーマンはニューヨーカー誌で、「リーフェンシュタールの才能は、彼女がその才能を発揮したことを軽蔑する批評家たちでさえ、ほとんど疑問視されてこなかった。リーフェンシュタールは、特にダンサーやアスリートなど、動く身体に執着する完璧なスタイリストだった。リーフェンシュタールは、尻、霧、彫像、葉、屋根などへの不吉なカットアウェイを多用して、映像の転換を図っている。彼女のリアクションショットは退屈なほどに画一的だ。輝く恍惚とした顔たち――ヒトラーを除いてほぼ全員が若くアーリア人だ」と述べている。
ニューヨーカー誌の映画評論家でもあるポーリン・ケイルは、『意志の勝利』と『オリンピア』を「女性監督による史上最高の2本の映画」と呼んだ。
作家のリチャード・コーリスはタイム誌に「リーフェンシュタールがプロデューサー、脚本家、監督、編集者、そしてフィクション映画においては女優という、総合的な作家としての立場に感銘を受けた。彼女の映画とそのキャリアが提起する問題は複雑かつ重要であり、彼女を中傷する人々は、監督が残虐行為に加担しているとか、彼女の犯罪的な無知といった議論に矮小化しがちである」と書いている。
2002年、スティーブン・バッハは「リーフェンシュタールは、『どうして知り得たのか』という弁明を頑固に、激しく、巧みに主張し続けているため、不安を抱かせる。こうした主張をするドイツ人はますます少なくなり、現在の世代ではほとんど誰も、いまだに抵抗を感じている」と書いている。
Wikipediaより引用
経歴
1902'8'22 ベルリンで誕生
1925 俳優として映画デビュー
1931 『青の光』で監督デビュー
1932 集会でナチス党(NSDAP)の指導者アドルフ・ヒトラーの演説を聞き、ナチスシンパとなる
1933 第5回ニュルンベルク集会に招かれ撮影を依頼される。その後ヒトラーの命令でフィルムは破棄される
1934 ニュルンベルク党大会の撮影を依頼され、今後党のために映画を作る必要がないという条件で、『意志の勝利』を作り上げた
1935 ドイツ軍を題材にした28分の映画『意志の勝利』を制作
1939 従軍記者としてポーランドに赴く
1944 逮捕され、ナチスの「同調者」とされたが、戦争犯罪では起訴されなかった
オイゲン・カール・ヤコブと結婚
1946 オイゲン・カール・ヤコブと離婚
1961 写真撮影を手伝ったカメラマンのホルスト・ケトナーと生活する
1975 ドイツ芸術監督クラブにより金メダル授与
1993 ドキュメンタリー映画『レニ』に出演し、過去について語る。
2003'9'8 死去
2024 アンドレス・ヴェイエル監督による伝記映画『リーフェンシュタール』を公開
5+
4+
3+ 美の祭典
民族の祭典
2+
個人的感想
年代
2003 9'8 死去
2002 ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海 監督・撮影・編集・脚本
2001
2000 アフリカへの想い 出演
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993 レニ 出演
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
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1964
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1962
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1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939
1938 美の祭典 監督
民族の祭典 監督
1937
1936
1935 意志の勝利 製作
1934
1933
1932
1931 青の光 監督・出演
白銀の乱舞 出演
1930 モンブランの嵐 出演
1929 死の銀嶺 出演
1928
1927 大いなる跳躍 出演
1926 聖山 出演
1925
1924
1923
1922
1921
1920
1919
1918
1917
1916
1915
1914
1913
1912
1911
1910
1909
1908
1907
1906
1905
1904
1903
1902 8'22 ベルリンで誕生

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レビュー
美の祭典
Olympia 2.
1938ヴェネツィア国際映画祭ムッソリーニ杯外国映画
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★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1936年のベルリン・オリンピックの記録映画。『民族の祭典』と合わせて『オリンピア』2部作を構成する。本作はその後編に当たり、トラックから飛び出し、水上競技や自転車、馬術、ボートなど、様々な競技を描き出している。
 本作は第一部である『民族の祭典』と較べ、競技が多彩で、その分様々なカメラ・ワークも楽しめる作品に仕上がっている。特に気に入ったのは乗馬競技。ほとんど「名プレイ珍プレイ」の世界。是非ナレーション入りで観たかった。それと勿論忘れちゃならない、水泳の前畑!あの勇姿はテレビなどでもお馴染みだけど、やっぱり肉体美を映そうというコンセプトで作られた映画でこそ本当に映える。
 ところでオリンピア2部作は全てを競技で撮ったものではない。時に練習風景や、その後で特別に撮ったものも挿入されているから、純粋な“記録映画”ではないことに留意。これは監督なりの美学としての“肉体美”を撮った作品。そう言う意味ではちゃんと「映画」してると言って良いんじゃないかな?
製作年 1938
製作会社 オリンピア・フィルム
IOC
トビス・フィルム
ジャンル スポーツ(ドキュメンタリー)
売り上げ
原作
歴史地域
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民族の祭典
Olympia
1938ヴェネツィア国際映画祭ムッソリーニ杯外国映画
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★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1936年のベルリン・オリンピックの記録映画。『美の祭典』と合わせて『オリンピア』2部作を構成する。本作はその前編に当たり、トラック競技を中心とした陸上競技を描く。
 ベルリン・オリンピックと言えば、ナチスが台頭するドイツが国家の威信を広く世界に広げるために行われたものとして記憶されるが、日本人選手が極めて優秀である事を知らしめた重要なオリンピック大会でもあった。確かに歴史的に見る限り、本作品はナチスのプロパガンダの一環として用いられたと言うのは事実であるとしても、そのオリンピックが映画として残ると言うのは、これはこれでなかなか誇らしい気持ちも与えてくれる。
 監督のリーフェンシュタールはヒトラーのお気に入りの映画監督で、特に本作の製作に当たっては資金も含めてのナチスの全面的なバックアップがあったそうだが、監督本人としては、自分の作品がナチス、殊に宣伝担当のゲッペルスによりズタズタにされないよう、細心の注意を払ったとの事。映画単体としてみる限り、充分な完成度を誇っているので、監督の努力の賜物と言っても良いだろう。
 聖火リレーから始まり(実はこれはリーフェンシュタールの発案だったとか)、ドイツ人選手が出てくる度にどよめく観客席や、オリンピック旗の横ではためくハーケンクロイツ、時折出てくるちょび髭のオッサンなど、確かに見ようによっては国策映画そのものにも見えなくもないけど、ちゃんとアメリカやイギリス、北欧と言った国歌も(一応日本の君が代も)出てくるし、結構編集は冷静に行われた感じでもある。確かに肉体美を見せるというのがナチスのプロパガンダそのものだと言われてしまうんだろうけど、そこまで考えて観ると、どんな作品だって何らかの思想の裏返しになってしまう(笑)
 本作の最大特徴は、人体を美そのものとして捉えたという点にあるだろう。言葉やストーリーは不必要。芸術として人体は存在する。それを推し進めた結果が本作であり、リーフェンシュタール監督が映画界を追われて以降、そう言う監督は出てこなかった。
 映画を映画として楽しむ事が出来ればそれで良いとなれば、楽しめる。
製作年 1938
製作会社 オリンピア・フィルム
IOC
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ジャンル スポーツ(ドキュメンタリー)
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