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2004 | ダーウィンの悪夢 監督・構成・脚本・撮影 | |
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1966 | キッズビュールで誕生 |
ダーウィンの悪夢 2005 | |||||||||||||||||||||||
2005米アカデミードキュメンタリー長編賞 | |||||||||||||||||||||||
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アフリカ中央部に位置するヴィクトリア湖は多様な生物種が生息していることで知られ、“ダーウィンの箱庭”と呼ばれていた。しかし、30年ほど前外来の肉食魚ナイルパーチを繁殖のために放流したことで、湖の生態系は大きく崩れてしまった。白身の食用として輸出されるナイルパーチのおかげで湾岸の村は発展したが、一方それは格差拡大やドラッグやエイズの蔓延など、新たな問題も起こすようになってきた。アフリカの“今”を検証するドキュメンタリー。 かつて先進国とはヨーロッパとアメリカ、そして日本を示す言葉だったが、グローバルの時代になり、その区別はかなり曖昧になっている。現在ではどの国も都市部は最先端化されており、多国籍企業の出現により、労働力の安い国のGNPが一気に上がってもいるし、技術も多くが流出して、富裕層に関してはあまり国の格差を感じないようになってきた。だが一旦それが国内になると話は別。特にアフリカは貧富格差が非常に大きく、国の大部分の貧困層が一握りの富裕層を支えている構図が見事に現れてくる。 その貧しさを助長するのが単作栽培。アフリカはチョコレートの生産で知られるが、カカオの単作農法のため、農家の人々は食料を金を出して買わざるを得なく、食料価格がちょっと変わるだけで彼らの生活は一変してしまう。 更に常時戦争状態にある国々も多く、エイズも蔓延。結果として貧富の差はますます拡大していくことになる。 本作はそんなアフリカの現状をナイルパーチという魚を題材にして浮き彫りにして見せた作品で、誰かが勝手に放流したバケツ一杯分の(と説明にあったが、誰もそれを見た訳じゃない)ナイルパーチが、30年という時代を経ていかにヴィクトリア湖の生態を狂わせたのか、そして狂わしたのは湖の生態だけではない。という事を明らかにする作品となっている。 本作の場合は、ヴィクトリア湖の生態そのものよりもそう言った社会情勢の方をメインに作った作品で、監督本人も、アフリカの現状を訴えようとしてのことなのだろうが、しかしそうなってくると、ちょっとありきたりな出来になってしまった感があり。演出上の問題だろうが、やややらせっぽい演出が多用されるのもちょっと気分が削がれるところ。 どのような切り口から入ってみても、やはりそこには格差社会の構図が浮き彫りにされ、戦争の悲惨さに入り込んでいくことになる。わたしはたまたま一昨年前にチョコレートのことを調べていて(たまたま仕事で必要だったので)同じ記事に行き当たったし、『ブラッドダイヤモンド』ではダイヤモンドを通し、本作ではナイルパーチを通して、やっぱり同じ問題にぶつかって来るわけだ。 甘いと言われれば甘いのだろうが、やはりこういった悲惨な生活を映し出されると胸に迫ってくるが、これは対岸の火事のように思ってしまっていてはならないのも事実。日本が豊かなままでいられる保障は全くないし、何より、明日は我が身なのかも知れないのだし。 特にアフリカの社会情勢はどんどん変わっていくので、本作を観る場合はなるだけ早めに。旬のうちに観ておくことをお薦めしておく。 |