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2008 | ||
2007 | D−WARS 監督・製作総指揮・脚本 | |
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2000 | 怪獣大決戦 ヤンガリー 監督・製作・キャラクターデザイン | |
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1958 | 1'3 誕生 |
D−WARS 2007 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008アジア映画視覚効果賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ロサンジェルスのセブン・パーム・リゾート地区が突然陥没。巨大ハリケーンに襲われたような惨事に見舞われる。取材に訪れたレポーターのイーサン(ベア)は、そこで巨大な蛇のウロコのようなものを目撃したことから少年時代の記憶を蘇らせる。それは、古美術店の店主ジャック(フォスター)が語った"500年に一度、運命の女性を巡って正邪の戦いが勃発し、人類が滅亡の危機に直面する"という話だった。しかもその鍵を握る女性を守るために自分がいると聞かせられたのだった。そしてその時がやってきた。運命の女性サラ(ブルックス)を探し当てたイーサンの前に巨大な怪物が現れる… 前に 本作を悪く言おうと思ったら、それこそいくらでも言える(というか、後で言うけど)。でも、これは特撮として観るなら、かなり温かい目で観たくなるのも事実。 なんせこのプロットは、まさしく日本の最早“伝統芸”と言うべきテレビの戦隊もののものとそっくり。第一話に強大な軍団が空なり地の中なり次元の裂け目なりから現れ、都市部を一気に破壊。数多くの戦闘員とモンスターのパワーは通常兵器を圧倒する。するとその時、どこからともなく善なるキャラが現れ、そこら辺にいる(あるいは伝説の)青年達に未知のパワーを与え、すぐさま青年達は五色のヒーローに変身して悪の軍団と戦う。そして巨大な敵が現れると、ヒーロー達は、既に用意されていた巨大メカに飛び乗って合体。巨大ロボット同士の戦いへと赴く。そして最終回。ことごとく悪の軍勢の(被害者がほとんどでないレベルの)邪悪な企みを退けてきたヒーローの前に、悪の軍勢の(必ず巨大なロボット状の存在の)秘密兵器が現れる。その時天空から新たな力が…本当にこのパターンは脈々と続いてる。 と、まあ、結局この作品、今も脈々と続く戦隊もののプロットを見事なほどになぞっている。尺が短いので、どちらかというと総集編というか、1話と最終話を強引にくっつけ合わせたような作品になってるけど、よっぽどシム監督戦隊作品が好きと見える。 だから、本作を悪く言うと、特撮テレビ好きの自分自身を傷つけそうなので怖くて言えない。 とりあえず本作の面白いところは、ツッコミをなかなか入れられない構造になってると言うことだろう。というか、わざわざ隙を見せておいて、ツッコミ入れようとすると、それに対する答えが次に出てくる。例えばなんであんなでっかい蛇が出てきて目撃情報がないんだ?と思った次の瞬間には目撃者が現れ、なんでモンスターに対して銃を使わない?と思ったら、次の瞬間には銃を使うし、何でこんな規模になるまで軍隊は放っておく?と思うと、次の瞬間に軍隊が出動する。と言った具合。特撮ファンに対して変なところで律儀なんだよな。 それに、シム監督自身が知事のシュワルツェネッガーに直訴したと言われるロス市内でのロケも泣かせる。本物の町の中で特撮ができるなんて。それだけでも特撮ファンとしては感服つかまつる。蛇を全面的に持ってきたのも好感度は高い。ドラゴンではなく、中国流の竜にこだわったのも新鮮。 そりゃ悪く言えばいくらでも悪く言える。本作が昨年公開されたアメリカでは実際にこのような映画評だったそうである。「おそるべき編集、大根役者、どうにもならないストーリー、CGI時代のエド・ウッドの再来だ」「エド・ウッドに7500万ドルとCGを与えたらできる映画」「シム・ヒョンレはウーヴェ・ボルのペンネームか?」等々(Wikipediaから)。その評は本当によく分かるのだ。私が言うのも何だが、映画ファンの目で見た本作はというと…やっぱり噴飯もので、これだけ内容のない作品を作ってくれたと言うだけでも凄いもん。本作の最大にして唯一の売りは“派手なこと”だけ。それ以外を期待すると馬鹿を見るし、それ以上のものを求めて観てはいけない作品でもあり。私に潜む…潜んでないけど、特撮ファンの血がこれを否定することを拒否する。 と、言うことで、本作は本当に“映画ファン”のための作品ではない。“特撮ファン”のための作品なのだ。そう割り切って観れば、少なくとも一部の人間には受けは悪くない(はず)。 <本作の突っ込みどころは微妙なところでかなり多い。 そもそもなんで500年前の朝鮮で“アストロック”なんて西洋の名前が出てくるのか。他が韓国の名前なので、これも統一すべきだったんじゃないかな? ブラキから逃れるために心中するナリンとハラム。下が海で、あの程度の高さから、しかも足から飛び降りて死ぬようなことは無いと思うんだけど。ナリンが生きていれば良かったんだから、海に落ちた時点で引っ張り上げれば良いだけの話。先に海にいたはずのイムギも何にもしてない。 ジャックはイーサンの親父さんに席を外させるために「そこの角の薬屋に行け」と言ってたのに、その後イーサンに長々と喋ってる。お茶まで飲んでる。そこの角ってどんなに遠いんだ? イーサンの相棒ブルースの能力は凄すぎる。何事もないように市の住民台帳をハッキングして見せたり(新聞社のデータベースじゃなくて、ちゃんと「市の」と本人が言ってる)、電話一本でヘリをチャーターして見せたり、必要な時になると必ずイーサンの元にいるとか、都合良いことおびただしい。つかこいつ何者だよ? ロスとメキシコは比較的近いとは言え、それでも車で一日近くかかる距離がある。その間なんの攻撃を受けてない。 最後にイーサンの胸の護符が発動してアストロックを全滅させる訳だが、それ以前に全く発動しなかったのはなんで?何度も死にかけてるんだけど。 全てが終わった後、イーサン以外の人物は全員死ぬか天に昇ってしまった。さて、ここはどこ?イーサンはどうやって帰ればいいの? …ツッコミ所が無いとか言いながら出てくる出てくる。> |
怪獣大決戦 ヤンガリー 2000 | |||||||||||||||||||||||
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考古学の権威キャンベル教授と古生物学者ヒューズ博士の二人が率いる発掘隊はが2億年前に棲息していた大怪獣ヤンガリーの化石を発見する。しかし、キャンベルはその発見を独り占めしようとヒューズを罠にはめて放逐してしまう。それから2年。事故続きの発掘現場にヒューズが現れ、ヤンガリーの危険性を説き発掘を中止するように訴えるが、その時謎のエイリアンから放たれた光線を浴びたヤンガリーが復活してしまう… 40年近く前になるそうだが、かつて韓国映画の特撮作品として『大怪獣ヨンガリ』というのがあったそうだ。一種の伝説と化したこの作品、いつかは観てみたいと思いつつ、ビデオレンタル店でおかしなタイトルを見つけたのが本作を観るきっかけだった。『ヤンガリー』?で、早速レンタル(「ヤンガリー(YONGGARY)」=「龍(YONG)」+「獣(GARY)」の合成で、韓国の伝説上の怪獣のことを意味し、日本語表記が違うだけで実は同じタイトル)。 いやあ、なんつーか… 素晴らしいぜ韓国。韓国マンセー!!!!!!。 ここまで馬鹿げた作品を良くも真面目に作れたもんだ。ここまで突き抜けたら最高だよ。 馬鹿も馬鹿。設定からして馬鹿だし演出も馬鹿。「ありえねー!」連呼しつつ大笑い。凄いストレス解消になった。 ストーリーそのものは、「あ、骨だ」→「怪獣の化石だ!」→「手柄は俺独り占め」→突然のエイリアン襲来→悪人滅ぶ。→怪獣暴れる。→人間対怪獣→「悪いのはエイリアンだ」→エイリアンに攻撃→怪獣回心→新しい怪獣出現→怪獣プロレス→正義の怪獣勝つ→エイリアン滅ぶ。 フローを書いただけだと、端々に思いっ切り無茶があるものの一応怪獣もののフォーマットに収まってるが、肝心のヤンガリーは世代の若いCGなので合成丸わかり。もの凄く身軽な分、重量感が無いが、その辺は全く頓着しない作りになっている。何せ飛んできたミサイルを身をかがめるだけで避けてしまうというのだから、身軽さは折り紙付きだ。そして怪獣が出てきた時の人間の反応が、ほとんどの人間が驚いてるよりは喜んでる。極端なのは園児バスからヤンガリーを見ている子供達で、この空間には危機感ゼロ。みんな手を叩いて喜んでる(ミサイルが飛んできても喜んでる)。更に防衛隊の面々はみんな揃いも揃ってくだらないジョークを連発し、何の手も打たずにヤンガリーを都市部に入れて、そこからおもむろに攻撃してる。町を壊すことを全く頓着しておらず、何人死のうが都市が麻痺しようが、一切お構いなし。明らかにヨンガリー本体よりも人間による破壊の方が甚大なものになってる。戦争状態にあるのに市街地には普通に人が歩いてるし…この世界で朝鮮戦争が再発したらきっと韓国は滅ぶわ。それになんで指揮者が揃いも揃ってアングロサクソンばっかりなんだ?無国籍この上なし。 で、エイリアンの洗脳が解けてヤンガリーが突然人間の味方になるのはともかく、エイリアンがそこで更なる怪獣サソリゲスを投下…だったら最初からそうすれば問題なかったんじゃないか?…というか、怪獣そのものが必要じゃなかったとしか思えないんだけど。 ツッコミ放題といわば言えるけど、この馬鹿さ加減がビデオで観る分には大変心地良い。「ありえねえよこんなの」「馬っ鹿でえ」「さすが韓国。やることがひと味違う」「おいおいおい」…一人で観てながら、これほど画面に向かって語りかけた作品は数少ない。 だから見終わった時、決してこれを時間の無駄だったとか、つまらんもんだったとか、何か私の大切なものが汚されたとか…そうは思わなかった。むしろ何か大切な経験を味わったような、すがすがしい気持ちにさせてくれたのは確かな話…思わなかったんだってば。 なお、日本のビデオ版のラストソングは大槻ケンヂ率いる特撮によるもんで、その名も「ヤンガリー」(そのままやん)。大槻ケンヂ本人の言によれば、「あまりの出来に絶句し、下手に格好良い曲を歌えば、こちらがボケ役になると判断し、最大限にボケを引き立てるような曲を提供した」とのこと。結果として本編にツッコミを入れるという凄い曲になる。歌詞だって「見つけた化石はほじくるな〜(ヤンガリー、ヤンガリー)。私の妻のように恐ろしい〜(ヤンガリー、ヤンガリー)…水銀コバルトカドミウム〜(ヤンガリー、ヤンガリー)」…そりゃヘドラじゃ!是非一聴をお薦めする。尚、本作の歌曲者が「Agitator」になってる場合もあるが、それはこの曲が入ってるアルバム名なのでお間違えなく。 決して小さくまとまることなく、突き抜けた作品を作り続けて欲しい。韓国映画の未来に幸大きからんことを!日本じゃ流石に作れなくなってしまった大切な部分をこの映画は教えてくれる。 だからこそ、最大限の賛辞をもって本作品には最低点を進呈しようと思う。 「ウルトラマンタロウ」を素直に楽しめる胆力を持った人にはお勧めしたい。 |