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アンドレイ・タルコフスキー
Andrei Tarkovsky

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鑑賞本数 合計点 平均点
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
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書籍
著作
タルコフスキー日記―殉教録

評論
アンドレイ・タルコフスキー―映像の探求(書籍)

_(書籍)
1986 12'28 死去
サクリファイス 監督・脚本
1985
1984 タルコフスキー・アンソロジー 出演
タルコフスキー・ファイルin「ノスタルジア」 出演
1983 ノスタルジア 監督・脚本
1982
1981
1980
1979 ストーカー 監督・脚本
1978
1977
1976
1975
1974  監督・脚本
1973
1972 惑星ソラリス 監督・脚本
1971
1970
1969 アンドレイ・ルブリョフ 動乱そして沈黙(第一部) 試練そして復活(第二部) 監督・脚本
1968 特攻大戦略 脚本
1967
1966
1965
1964
1963
1962 僕の村は戦場だった 監督
1961
1960 ローラーとバイオリン 監督・脚本
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939
1938
1937
1936
1935
1934
1933
1932 4'4 モスクワで誕生

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タイトル

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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

サクリファイス 1986

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アンドレイ・タルコフスキー(脚)
エルランド・ヨセフソン
スーザン・フリートウッド
アラン・エドワール
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 かつてスウェーデンの名優と言われたアレクサンドルは、芸能界を引退した後、小島に一軒家を建て、家族と共に移り住み、そこで執筆活動にいそしんでいた。不仲の家族から逃れるように、言葉のしゃべれない少年といる時間を長く取るようになっていた。そんな彼が散歩中に突然意識を失い、モノクロームの世界をさまよう。彼が見つけた家は使用人で魔女と噂されたマリアの家で、そこでは古びたラジオでから核戦争が始まったとのニュースが…
 
『ノスタルジア』同様亡命先で作られたタルコフスキー監督の遺作。相当オカルティックな話だが、ジャンルは多分SF。人類滅亡の日を前に、無神論者の主人公が神に祈るまでを象徴的な映像で綴る。
 本作のタイトルは
「犠牲」だが、通して観ると、むしろ本作の主題は「覚悟」と言うべきなのかもしれない。
 それが何の覚悟なのか。
 多分それはこの作品の中においては、“誰にも理解されなくても、家族のために生きるため”の覚悟だろうし、映画全体を観るならば、“核の時代に生きる覚悟”とも言える。
 1980年代後半。まだ東西二大陣営が健在で、まだネットも普及していなかった時代。一般人にとってこの時代は、根底に不安感を抱えたまま生きていかざるを得なかった時代でもある。
 国際情勢は混迷を極めており、場合によっては今この瞬間に核戦争が起こっても不思議はない。情報は遮断され、お偉いさんはなにを考えているのか分からないし、一旦戦争が始まれば世界は終わり。
 そんな時代に生きていかざるをえない自分たち。
 そんな自分になにが出来るのか?家族を救うために、それがどんな愚かに見えようとも、自らの命まで含め、その他全てを投げ出す覚悟があるか?
 ここに現れているのは強烈なメッセージ性であり、視聴者に問いかけられているものは深い。
 主人公のアレクサンドルは無神論者で、命は生きてるものためだけのものと考えているのだが、そんな彼が本当の危機に直面した時に取った行動は本物の信仰者そのものの姿であり、そのために命まで捨てていく(ラストはその暗示だと思うんだけどね)。
 彼が見たのは単なる夢だったのかもしれないのだが、目が覚めて「これは夢だったのか。よかった」という夢オチにするのではなく、夢の中で自分が語ったこと、なしたことに対する責任をとろうとする態度は、本物の馬鹿だが、だからこそ胸を打つ。
 最後の最後、映画を作るために亡命までしたタルコフスキーが、自らを振り返って、本当になすべきことは何かを考えた結果として出来たのが本作とも言えるだろう。

 

ノスタルジア 1983
1983カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞(タルコフスキー)、フィルム製作グランプリ(タルコフスキー)、全キリスト教会審査員賞、パルム・ドール

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レンツォ・ロッセリーニ
マノロ・ボロニーニ(製)
アンドレイ・タルコフスキー
トニーノ・グエッラ(脚)
オレグ・ヤンコフスキー
エルランド・ヨセフソン
デリア・ボッカルド
ドミツィアーナ・ジョルダーノ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 イタリア中部のトスカーナ地方にやってきたロシアの詩人アンドレイ=ゴルチャコフ(ヤンコフスキー)と通訳のエウジェニア(ジョルダーノ)。18世紀にイタリアを放浪し、ロシアに帰国後自殺したと言う音楽家パヴェル=サスノフスキーの足跡を追って旅を続けてきた二人は古都シエナの村へとやってきた。そこで見た景色やマドンナ=デル・パルトの聖母画、そして出会ったドメニコ(ヨセフソン)と言う変人との交流を描く。
 タルコフスキー監督作品はとにかく難解なものが多いことで知られるが、本作はその中でもかなり
極めつけに難しい…いや、難しいと言うよりも、雰囲気に浸りこませようと言う意味合いが大変高い作品と言うべきか。静かに静かに、落ち着いた色合いが交錯する中、独特の描写の美しさと、タルコフスキー監督作品に共通する水の描写に満ちた神秘的作品とは言うことができる。
 ただ、強いて言うなら、本作は『鏡』(1974)同様自伝的な作品であろうことは言えると思う。祖国ソ連から亡命し、異国に身を落ち着けている今の監督自身が持つ寂寥感、そして自分同様一旦祖国を捨てていながら、それでも再び祖国へと戻り、そこで自殺した音楽家へのかすかな憧れ。社会主義国家が否定しているはずの聖画の持っている抱擁感。祖国とは違った点でだが、やはり狂気をはらんでいる西欧の人々の姿。すべてを壊してしまいたいと言う終末への憧敬と、それを防ぎたいと言う義務感…そして、全編を通して現れ、それぞれの登場人物に深く関わってくる水のイメージ。水は時に冷たく、人を拒絶し、時に温かく人を迎える。たった一人ぽつんと荒野の中に取り残されて考えているであろうそれらのイメージの豊饒さ。何もかもが美しく、そして寂しい。おそらくは監督自身が言葉で説明しきれない、そして整理のつかないイメージをここで表そうとしたのではないだろうか?
 美しく、そして寂しい作品である
 そうそう。監督作品で毎度驚かされるカメラ・ワークであるが、ここでもそれは健在。アナログ機器でどうやって撮ったんだ?と思われる技術が山ほど出てくる。中でも部屋の中にたたずむエウジェニアを映した技術は
「超絶」と言うべき技術でカメラ自体の位置を動かしつつ、露光を完璧にコントロールしつつ人間と風景を長回しのワンショットで撮っているのだが、一体どうやってあんなのが作れるのか、いまだに分からない。
 結論で言えば、
本当にとんでもない作品である。というそれだけ。
ストーカー 1979

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アルカージー・ストルガツキー
ボリス・ストルガツキー(脚)
アレクサンドル・カイダノフスキー
アナトリー・ソロニーツィン
アリーサ・フレインドリフ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ストーカー(書籍) アルカージー・ストルガツキー、ボリス・ストルガツキー 書評
 ストルガツキー兄弟の小説「路傍のピクニック」を元にする。
 自分自身の精神の中に入っていくような気持ちにさせられる所が受け入れられた理由として挙げられる。
 ゾーンの危険性はイデオロギーだとも、スターリン時代だとも様々に考える事が出来る。
 1974
<A> <楽>
アレクサンドル・ミシャーリン
アンドレイ・タルコフスキー(脚)
マルガリータ・テレホワ
オレグ・ヤンコフスキー
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 40歳代も半ばになる主人公の“私”は回想する。幼年時代の私(イグナート・ダニルツェフ)は毎年、祖父の家で夏を過ごした。鬱蒼とした木立に囲まれた家で、母(マルガリータ・テレホワ)は、たらいで髪を洗う。干草小屋の火事。そして父(オレグ・ヤンコフスキー)の失踪。母からの電話で目覚めた私は母の昔の同僚の死を知らされ又も回想する。印刷所で働いていた母が致命的校正ミスを犯した気がして印刷所に走った日のことを…。妻のナタリア(マルガリータ・テレホワ)と別れた私は息子イグナート(イグナート・ダニルツェフ)を引き取りたいが息子は拒否する。幼年時代に父に去られた私と同じ境遇にはしたくないのだが…
 多分にタルコフスキーの自伝的要素を持った作品。他の監督作品同様、物語は静かに、美しく仕上がっている。淡々と演じられるカラーとモノクロの画面描写。絶妙の配置を魅せる画面構成。流石巨匠と思わせる、美しく、そして重厚な作品。
 この物語は三つのパートに分かれたコラージュ形式を取っている。
主人公の子供時代(カラー)、現代の主人公の生活(モノクロ)、そして出版局に勤めていた主人公の母の物語(モノクロ)。これらが唐突に切り替わるため、話の流れが分かりづらく、更に物語そのものが淡々と流れるため、眠気を誘う。私だって初見は全く訳が分からなかった(途中眠気に負けた程)。その後この作品を紹介してくれた知り合いとメールを通じて話したり、この作品について書いた評論を読んだりしている内、やっと話が何となく分かり、先日DVDを購入して二度目の挑戦でやっと話が分かった(ような気がする)
 主人公の過去と現在とが交互に流れているのに、何故いきなり母の話が入るのかとつらつら考えてみると、これは面白い効果があることが分かった。このパートはモノクロで、出版局に勤めていた主人公の母の姿が描かれるが、これは現代の主人公の生活では分からないソ連の官僚主義的な体制が良く描かれているし
(まさに「1984年」の物語そのもの)、どれほどそれが暗い時代だったか、そして母のやや腺病質的な行動を見せることによって、現在の主人公の心が何故母から離れているかを効果的に見せている。そして、このパートによって、主人公と関係のない(少なくとも関心のない)物語がモノクロで描かれることが暗示されているようだ。だから現代の主人公を描いているパートがモノクロと言うことは、彼が現在の生活そのものに関心を失っていることを意味しているのでは無かろうか?
 現在を生きるという点において殆ど関心のない主人公にとって本当にリアルなのは、子供の頃に体験した体験。確かに自分は生きていた。と言う証の中にこそあったのかも知れない。これは監督のデビュー作である『僕の村は戦場だった』(1962)から連綿と続く、監督なりの過去の総括なのかも知れない。
 故に過去の想い出は美しく、ますますリアルに描かれている。過去の想い出はそのままその時代が示していた未来のソ連そのものを示していたのかも知れない。
「鏡の世界」「風」そして「火事」。これらは当時の未来、つまり今主人公が生きている現代をこそ映す鏡だったのかもしれない。幻想的に見えつつ、それらが「不安」を示すキー・ワードだったように思えてならない。つまり過去の見地から、様々なキー・ワードを用い監督は今の身の回り、ひいては国の問題をさらけ出そうとした試みのように思える。そう言う意味で、監督は主人公に託して自分の身の回りを描いているだけでなく、祖国の行く末を本気で思っていたのかも知れない。まさしくモノトーンの時代のソ連に生きていた監督だけがなしえた作品ではなかったか?
 それにしても、最初はもっと抒情的にレビューしようと思ったのに、何で私がレビューするとこんな分析みたいなのになってしまうのだろう?これほど詩的な美しさに満ちた物語だって言うのに…
我ながら不思議なもんだ(笑)
惑星ソラリス 1972
1972カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ(タルコフスキー)、国際エヴァンジェリ映画委員会賞(タルコフスキー)、パルム・ドール(タルコフスキー)
<A> <楽>
フリードリッヒ・ガレンシュテイン
アンドレイ・タルコフスキー(脚)
ナターリヤ・ボンダルチュク
ドナタス・バニオニス
ユーリ・ヤルヴェット
ニコライ・グリニコ
アナトリー・ソロニーツィン
ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 近未来都市のイメージで東京の赤塚見附付近の高速道路がロケに使われる。
 これがタルコフスキーに回ってきたのは、SFなら青少年向きで安全だろうとソ連当局が判断したために成立した企画。
僕の村は戦場だった
Ivanovo detstvo
1962ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞(タルコフスキー)
<A> <楽>
ウラジミール・ボゴモーロフ
ミハイル・パパワ(脚)
コーリャ・ブルリャーエフ
ワレンティン・ズブコフ
E・ジャリコフ
ニコライ・ブルリャーエフ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 第2次世界大戦でドイツ軍に攻め込まれた村で一人生き残った少年イワン。彼は自分の村を焼いたドイツへの復讐のため、ソ連軍に身を寄せる。彼を受けいれた部隊長グリツェフは無口なイワンと行動を共にし、その哀しさを知っていく。やがて別れの時がやってくる。そし終戦時、ベルリンに乗り込んだグリツェフは、そこでイワンの運命を知る事になる。
 何という美しい映画だろう。そして同時に何と哀しい物語か。戦争を描いているにも拘わらず、明らかにソ連の国策映画とは一線を画している。それにしてもこのイメージはどうだ。「見事」と言う言葉が陳腐に思えてしまうほど。イメージと現実の両側面を縦横に駆使することにより、美しく、そして哀しい物語を紡ぎ出してくれた。
 イワンは未だ少年に過ぎないのだが、彼の頭の中には既に過去しかない。あの歳で未来は全て切り取られ、ただ彼の前にあるのは、現在しかない。彼にとっては祖国の勝利も、戦争後の事も意味を持たない。ただ目の前に現実化している憎い敵を一人でも殺そうとだけしか考えてない。彼が軍に協力するのは、単にそうすればより多くの敵を殺せるから、と言うのがはっきりと分かる。切り取られた未来の代わりに憎しみだけを詰め込んで生きている。
 最終的にイワンは軍を離れ、目の前の敵を倒し続ける。ラストで明らかにされるが、彼はそれを重ねてベルリンまで行って、そこで殺されている。現実の連続の繰り返しで、ナチスの中枢部まで食い込んでいるのだ。未来を復讐に賭けた少年にとって、これが一生を賭けた全てだった。だけどそれが彼にとっての最大の満足だったのかも知れない。
 彼が自分の一生に満足しているとすれば、その生き方はあまりに哀しかった。

 そしてこの映画の素晴らしさは、それを裏打ちする画面の美しさにこそある。未来を失い過去に生きるだけの少年の夢となって現れる、ほんの少しだけ過去の、そして絶対に取り戻す事の出来ない温かい交流と、子供っぽい夢の世界。
 井戸の底にある月を取れないかと手を伸ばす瞬間。降り注ぐ林檎の雨。現実から少しだけ遊離した夢の世界の広がり。
 そして冷徹な現実にある、冷たい水に覆われた光景。命の危険に曝されながら泥の中を這い進み、静かに降り注ぐ照明弾の中、雪の降る川をそろそろと進むシーン。
 対比的に夢で登場する温かく柔らかい水と現実の冷たく固い水を描く事により、過去と現在の少年の心の変化をも読みとる事が出来る気がする。エイゼンシュタインによって提唱されたモンタージュをソフトに推し進め、情的なものにした姿がここにはある。

 タルコフスキー作品のレビューは本作で2本目となるが、この監督作品の場合、文字化して初めて自分がどんなところに感動したのか分かってくる。コメントを書くのは難しいけど、コメントのしがいのある監督だ。
製作年 1962
製作会社 モスフィルム
ジャンル 戦争(第二次世界大戦)
売り上げ $55,099
原作
ウラジミール・ボゴモーロフ (検索) <A> <楽>
ミハイル・パパワ (検索) <A> <楽>
歴史地域 ベルリン(ドイツ)
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