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タチ―「ぼくの伯父さん」ジャック・タチの真実 ジャック・タチの映画的宇宙(書籍) ジャック・タチ映画の研究ノート ぼくの伯父さんは、のんきな郵便屋さん |
1982 | 11'4 死去 | |
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | バラード 監督・製作・脚本・出演 | |
1973 | ||
1972 | ||
1971 | トラフィック 監督・脚本・出演 | |
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | プレイタイム 監督・脚本・出演 | |
ぼくの伯父さんの授業 脚本・出演 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ぼくの伯父さん 監督・脚本・出演 | |
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ぼくの伯父さんの休暇 監督・脚本・出演 | |
1951 | ||
1950 | ||
1949 | のんき大将脱線の巻 監督・脚本・出演 | |
1948 | ||
1947 | ||
郵便配達の学校 監督・脚本・出演 | ||
肉体の悪魔 出演 | ||
1946 | ||
1945 | 乙女の星 出演 | |
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | 左側に気をつけろ 脚本・出演 | |
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | 10'9 セーネ・ネ・オワーズ(現イヴリーヌ)で誕生 |
プレイタイム 1967 | |||||||||||||||||||||||||||
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近代的な大会社に就職しようとパリにやってきたユロ(タチ)。だが、面接にやってきたは良いが、あっという間にはぐれてしまい、最新機材の展示会場に紛れ込んでしまう。機械オンチのタチはあっという間に会場を混乱に陥れてしまう。そんな時、観光ツアーにやってきたバーバラ(デネック)と出会う… 近代社会にやってきたタチ演じるユロが混乱を引き起こす話で、話自体は『ぼくの伯父さん』1958を拡大したような物語になっており、新味はあまりないが、遥かに派手なものになってるのが特徴。実は本作はフランス映画史上屈指の超大作であり、町一つを作ってしまったという。 『ぼくの伯父さん』以来タチの作りは一貫しており、完全無機質な機械文明の中にあって、ほんの僅かに残る人間同士の関係とか花とかの有機物の香りを暖かい目で見守ると言う立場を取っている。殺伐になりがちな社会に真っ向から立ち向かっているのが最大特徴だが、それを単なる皮肉ではなく、どう工夫したら、それを楽しめるのか、その事を監督は考え続けていたように思える。 本作の最大特徴とも言えるのは演出部分で、パリを模したこの町はキュビズムの傑作と言って良く、遠近法を完全に体現した見事な作りとなっている(これこそ『カリガリ博士』(1919)に代表されるドイツ表現主義の体現とも言えるだろう)。しかも画面の一つ一つにこれだけの人数やら機材を配しているのに、動きに全くの無駄がない。これをコントロールするにはもの凄い技量が必要で、タチがここまで培ってきたパントマイム型作品の決定版と言っても良かろう。 しかし、公開当時本作は一部の評論家を除けば全く受けなかった(最大の擁護者はトリュフォー監督で、この映画を楽しむためには今までとは別の観方、別の聴き方が必要と主張していた)。やはり新味がなかったことと、微妙なさじ加減で展開するコメディ部分が受け入れられなかったことが原因だろう(結果的にタチ監督は本作で破産してしまった)。 私自身、初見では本作はコメディのくせに笑えないし、単なる退屈な作品にしか思えなかったのだが(実は本作がタチの初体験作)、その後で『ぼくの伯父さん』を観て、ようやく本作の味というものを自分なりに理解出来た。 映像演出は飛び抜けて良いので、映像の勉強をしてる人にとっては必見の作品とも言えよう。 |
ぼくの伯父さん Mon oncle |
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1958米アカデミー外国語映画賞 1958カンヌ国際映画祭審査員特別賞(タチ)、フランス映画高等技術委員会賞賞(タチ) 1958NY批評家協会外国映画賞 1958キネマ旬報外国映画第2位 |
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プラスチック工場を経営し、次々に家に電化製品を入れて文化生活を満喫するアルペル(ゾラ)は無職の義兄のユロ(タチ)を家に呼び、自分の工場に適切なポストを与えようとしたり、お嫁さんを見つけてやろうとする。だが当のユロは働かないことを別段不満に思っている訳でもなく、いつもアルペルの息子ジェラール(ベクール)と一緒にぶらぶらするばかり。やきもきする夫婦と、飄々と過ごすユロの関係を描く作品。 パントマイムの名手タチによるユロ氏を主人公としたシリーズの一作で、タチ演じるユロ自身はほとんど何も喋らずに、ただそこでウロウロして何らかのトラブルを起こす。そしてその周囲の人間が泣いたり怒ったりという構図なのだが、不思議とこれが心地良く、不思議な雰囲気を醸している。こういうパントマイム型の作品だと主人公がよく動くのが普通だが、タチは全く逆に動かないことで笑いを引き出している。 これはタチのキャラクタ性を活かすことが出来たのが一番だと思うのだが、重要なのは、それを最大限に活かすために、実に細かい構図を取っていると言うことも重要だろう。この作品にはカメラ・ワークが本当に少ない。限られ画面の中で物語は展開していくのだが、その空間を最初から最後までコントロール出来ているのが本作の最大の強味と言える。 パントマイムの名手っていうのは、要するに単に自分の姿を見せるだけでなく、限られた空間の使い方が上手いと言うことなんだろう。このコントロールがきっちり出来ているからこそ、どれだけ緩やかな動きをしていても観ている側は楽しめるのだから。 設定も良い。機械を使う側にいるはずの人間が機械に使われる側に回ったらどうなるのか?という単純な命題だと思うのだが、考えてみれば、道具が便利になればなるほど、逆にその便利なはずの道具を使いこなすため、自分の負担が増えていく。果たして今は昔と較べてどれだけ楽になってるんだろう?単に身体だけが弱くなって、逆に努力することの方が多いんじゃ無かろうか?そんなことを考えさせてくれる。事実、エアコンのリモコンが動かなくなって右往左往した挙げ句、単に電池切れだったというオチは結構実生活の中でもあるもんだ。細かいことにも注意が必要な世の中なんだな。そんな風に思うと、ここでの笑いも妙にシニカルなものになっていく。 それに、ユロの生き方って、結構憧れると共に、身につまされる部分もあるし。 生活に疲れを感じた時など、お薦めできる作品。 |
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ぼくの伯父さんの休暇 Les vacances de Monsieur Hulot |
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1953カンヌ国際映画祭FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞 1955米アカデミー脚本賞 |
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夏のある日。人でごった返す海水浴場へやってきたユロ氏(タチ)。仏頂面のリゾートホテル支配人とのやりとりを経て水泳に取りかかるまでのユロ氏の行動を、そこに居合わせたホテルの客や海水浴客のスケッチを取り混ぜて描く作品。 日本では『ぼくの伯父さん』の続編として紹介されたが、実際はその前に作られた作品で、別段誰の伯父さんでもないが、トレードマークのパイプとひしゃげた帽子の格好はここから来ている。 『ぼくの伯父さん』よりも更に台詞は少なく、一貫したストーリーも希薄だが、その分本作の報がタチのパントマイム的行動が映え、周囲の人間の細かいスケッチも巧い。細やかな何気ない動きをただカメラで追っていくことで不思議な間を作って、なんかほのぼのとした笑いが漏れる。まるで偶然の積み重ねのような風景なのだが、人間が日常的な笑いに至るタイミングを熟知しているからこそできる演出で、タチは完璧主義で知られるので、どれだけ細かい演技指導があったのだろう。と思わされる。 そしてその細かいスケッチの中にタチ演じるユロが入り込むことで、混乱度が増していくという過程も面白い。彼の存在は風景に溶け込んでいるようでいて浮いていて、彼に関わる人はなんかしらちょっとしたトラブルが起こる。ユロはトラブルメーカーだが、彼自身に何か悪気があるわけでも、トラブルが起こったからと言って、重大な怪我があるわけでもない。日常にちょっと起こる(かもしれない)トラブルがユロのお陰で連続して起こってしまう。 これらの笑いというのは爆笑するとか痛いとかではなく、ぼんやり浸り続けていたいという種類の笑いで、これこそがタチ流の特殊な笑いと言える。 |
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のんき大将 脱線の巻 Jour de fete |
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1949ヴェネツィア国際映画祭脚本賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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郵便配達の学校 L'ecole des facteurs |
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サン・セヴェル村に移動遊園地の一行が到着した。浮き立つ村の中、郵便配達員のフランソワ(タチ)は、その手伝いがしたくてたまらず、はりきって出てゆくが… それまでいくつもの短編で実験的な映像を絡めたコメディを作ってきたタチ監督による長編デビュー作。 概ねすべての作品がとぼけたタチの姿を描くことを主眼としているが、本作も基本は同じ。バランスの取れた世界の中に異分子を放り込んでバランスを崩すことによって微妙な空気を笑うと言ったもの。本作はその最初期の作品だとも言える。それまでの作品は曲がりなりにもチャップリンやキートンのような肉体を使った直接的な笑いを取っていたものだが、このあたりからタチ自身の特有の笑いを確立してきたのかと思われる。ストレートではない空気を読むタイプの独特の笑いを好む人にはお薦めできる。 デビュー作だけにタチ監督の思い入れも深かったか、何度か修復さている。有名なのは二年後の1949年に再編集して『新のんき大将』として(私が観たのもこちらのバージョン)。その後1963年に部分的な彩色を施し、いくつかのシーンを付け加えて再編集したもの。ところが実はもう一つバージョンがあった。この作品は本来タチの初カラー作となるはずだったが、フィルムのコピーが出来なかったため、同時収録したモノクロ版のみとなる。後にカラー版のコピーが可能となったためカラー版も公開される。だから現在はカラー版で観ることも出来るので、いつか観較べてみたいとは思っている。 |
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