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2009 | 6'14 死去 | ||||||||
相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿 監督 | |||||||||
2008 | |||||||||
2007 | |||||||||
2006 | |||||||||
2005 | |||||||||
2004 | |||||||||
2003 |
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2002 | |||||||||
2001 | |||||||||
2000 | 刑事 監督 | ||||||||
1999 | 組織暴力 流血の仁義2 監督・脚本 | ||||||||
組織暴力 流血の仁義 監督・脚本 | |||||||||
組織暴力 流血の抗争2 監督・脚本 | |||||||||
原野の子ら 脚本 | |||||||||
1998 | 組織暴力 流血の抗争 監督・脚本 | ||||||||
1997 | チンピラ人生 むしむしころころ 監督・脚本 | ||||||||
1996 | チンピラ仁義 新・極楽とんぼ 監督 | ||||||||
1995 | |||||||||
1994 | ろくでなし2 LAST DOWN TEN 監督 | ||||||||
レッスン LESSON 監督・脚本 | |||||||||
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1993 | ろくでなし LAST DOWN TEN 監督 | ||||||||
1992 | エロティックな関係 脚本 | ||||||||
1991 | DANGER POINT 地獄への道 監督・脚本 | ||||||||
ベイサイド・バイオレンス 群狼 監督 | |||||||||
傷だらけのライセンス 監督 | |||||||||
汚れし者の伝説 監修・脚本 | |||||||||
1990 | 悪人専用 監督・脚本 | ||||||||
1989 | |||||||||
1988 |
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1987 | あぶない刑事 監督 | ||||||||
1986 |
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1985 | CF愚連隊 演出 | ||||||||
1984 | |||||||||
1983 | |||||||||
1982 | 化石の荒野 監督 | ||||||||
1981 |
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1980 |
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1979 |
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1978 | 皮ジャン反抗族 監督 | ||||||||
暴(や)る! 監督・脚本 | |||||||||
エロチックな関係 監督・脚本 | |||||||||
襲う! 監督 | |||||||||
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1977 | (秘)ハネムーン 暴行列車 監督・脚本 | ||||||||
レイプ25時 暴姦 監督 | |||||||||
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1976 | 暴行切り裂きジャック 監督 | ||||||||
犯す! 監督 | |||||||||
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1975 | |||||||||
1974 | すけばん刑事 ダーティ・マリー 監督・脚本 | ||||||||
1973 | 女囚さそり 701号怨み節 監督・脚本 | ||||||||
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1972 | 戦国ロック 疾風の女たち 監督・脚本 | ||||||||
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1971 | 組織暴力 流血の抗争 監督 | ||||||||
男の世界 監督 | |||||||||
不良少女 魔子 脚本 | |||||||||
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1970 | 野良猫ロック マシンアニマル 監督 | ||||||||
野良猫ロック セックス・ハンター 監督・脚本 | |||||||||
女番長 野良猫ロック 監督 | |||||||||
盛り場仁義 監督・脚本 | |||||||||
あしたのジョー 監督 | |||||||||
あつい壁 脚本 | |||||||||
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1969 | 広域暴力 流血の縄張 監督 | ||||||||
あらくれ 監督 | |||||||||
野獣を消せ 監督 | |||||||||
1968 | 縄張はもらった 監督 | ||||||||
1967 | みな殺しの拳銃 監督・脚本 | ||||||||
爆弾男といわれるあいつ 監督・脚本 | |||||||||
燃える雲 脚本 | |||||||||
1966 | 俺にさわると危ないぜ 監督 | ||||||||
1965 | |||||||||
1964 | |||||||||
1963 | |||||||||
1962 | |||||||||
1961 | 俺の血が騒ぐ 脚本 | ||||||||
1960 | |||||||||
1959 | |||||||||
1958 | |||||||||
1957 | |||||||||
1956 | |||||||||
1955 | |||||||||
1954 | |||||||||
1953 | |||||||||
1952 | |||||||||
1951 | |||||||||
1950 | |||||||||
1949 | |||||||||
1948 | |||||||||
1947 | |||||||||
1946 | |||||||||
1945 | |||||||||
1944 | |||||||||
1943 | |||||||||
1942 | |||||||||
1941 | |||||||||
1940 | |||||||||
1939 | |||||||||
1938 | |||||||||
1937 | |||||||||
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1935 | |||||||||
1934 | |||||||||
1933 | |||||||||
1932 | 4'4 東京都で誕生 |
女囚さそり 701号怨み節 1973 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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男の世界 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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野良猫ロック マシンアニマル 1970 | |||||||||||||||||||||||||||
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横浜港の片隅で、マヤ(梶芽衣子)率いる不良少女グループと佐倉(郷^治)が率いる不良グループ「ドラゴン」が互いに両立していた。微妙なバランスの上に辛うじて衝突が避けられているこの二つのグループを揺るがす事件が起こる。アメリカ軍の脱走兵チャーリー(山野俊也)が、多量の麻薬を持ち込んできたのだ。故郷のスウェーデンに帰るための逃亡資金だと主張するチャーリーだが… 1970年の間に4作もの作品が立て続けに作られた『野良猫ロック』の第4作。 それぞれの作品が、1970年という特殊な時代を映し出す鏡のような作品だったが、ここでは薬を主題にして、かなりハードな青春ものとして仕上げられている。それが良かったかどうかはともかく、少々中途半端な印象はあり。そもそも物語自体が行き当たりばったりでいつの間にか終わってしまったという感じ。 話自体はかなり中途半端ではあるが、なんとなく日活アクションを若者でやってしまおうって雰囲気はあり。ただし主人公が女性になってるだけに、ストーリーの方もやや湿っぽいものになってるのが特徴か?終わり方もかなり唐突な感じだが、雰囲気だけはやっぱり70年代をよく表していると思う。 |
野良猫ロック セックス・ハンター 1970 | |||||||||||||||||||||||||||
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GHQの引き上げと共に、立川は夜な夜な危険な遊びが始まっていた。マコ(梶芽衣子)を中心とした不良少女グループとバロン(藤竜也)をリーダーとする少年グループ「イーグルス」と混血児たちの連中がその中心だった。お互いに不干渉を暗黙の了解としていたが、内部抗争や小競り合いが日常茶飯事状態。そんな中、生き別れの妹メグミを探しに立川へとやってきた数馬(安岡力也)が、その危ういバランスを崩してしまう。 登場する役者は同じだが、それぞれ全く違う設定で話が展開する野良猫ロックシリーズの第3作。この話は立川にたむろする少年達のグループの抗争を描く、なんとなく仁義なき戦いを彷彿とさせる設定で展開(こちらの方が時代は早いのだが)。 物語は意地とセックス絡みで殺し合いまでやらかす少年達の無軌道さと暴力を描いた、救いようのない暗い展開なのだが、内なるパワーをもてあまし、暴力とセックスでしかそれを発散させられない当時の若者の姿が透けて見えるよう。西部劇風の演出も、当時の荒くれたアメリカとオーバーラップさせる狙いがあったのかもしれない。シリーズを象徴する梶芽衣子の「バッキャロー」も本作から。そう考えるとパワーだけはあったか。 やや話が強引かつグダグダなのはシリーズを通して同じだが、この作品が一番話の展開に無理があるっぽいぞ。日活アクションの系統と考えるべきだろうか? このシリーズは設定こそ違えど、全ての作品が1970年という時代を描いているのが特徴で、時代のひずみこそがこの話の奥の設定となっている。この話では真っ正面から混血児の哀しみを描いている。その描き方が上手いかどうかはともかく、アメリカ人の血が流れているという、それだけで行き場を失って暴力に走るしかない彼らのパワーを感じさせることは出来ただろう。 それにしてもこの直接的で刺激的なタイトルは何とかならなかったんだろうか?確かにセックスを描いているとはいえ、それが主題って訳でもないし、物語も結構グダグダだから、タイトルに惹かれてどきどきしながら観た人はかなり失望したんじゃなかろうか? |
女番長 野良猫ロック 1970 | |||||||||||||||||||||||||||
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1970年。新宿の街では二つのスケ番グループが対立していた。その決着を付けるべく女番長二人メイ(梶芽依子)とトシエ(小磯マリ)が工場跡地で決闘することになった。だがトシエはあらかじめちんぴら組織黒シャツ隊に話を付けており、乱闘に黒シャツ隊が殴り込んできた。偶然それを見守っていた流れ者のバイク乗りアコ(和田アキ子)は敵をけちらしてメイ達を助け出すのだった。やがてこの二つのスケ番グループの対立は周囲を巻き込み、新宿に激震を巻き起こす… 日活アクション最後の輝きとされる野良猫ロックシリーズ第1作。70年〜71年という短いスパンに5本が製作された、一種のカルト作品。 さすが「カルト」と言われるのは伊達ではなく、このシリーズ全部お世辞にもまともな作品とは言いがたいのだが、この1970年に、まさにその時代を切り取って作ることが出来た。というそれが最も重要な点だろう。1970年というのは日本史においてもかなり特異な年だった。大阪万博で盛り上がる一方、1960年に締結された日米安保条約の改訂を阻止すべく学生運動が盛り上がりを見せ、更にそれらの風習に背を向け、独自の宗教観さえ生み出していく者もいた。この時代に青春時代を送った人は、その後の人生を色々と変えられてしまった人も多いという(と言うか、その下の世代がどれだけその勝手のお陰で苦労してると思ってる!)。 特に当時の新宿はまさにカオス状態で、独特の雰囲気を持っていたそうだが、その雰囲気を現代で垣間見せてくれる格好の素材として、本作は貴重なのだ。 一本目の本作は一応ちゃんとしたストーリーらしきものはあるのだが、色々詰め込んでみました。と言った感じで、まとまりが無くてピントはぼけまくってる。自分たちで勝手に盛り上がっている内にいつの間にか殺し合いにまで発展していく物語も強引すぎ。パワーだけで持って行ってみました。と言った感じ。終わり方も厭世観漂いまくり。これが70年という年の持っていたパワーなのかも知れない…でも、今改めて考えてみると、これってタランティーノが好きそうな作品だな。特に初期のタランティーノ作品には同じ雰囲気を感じ取ることが出来るぞ(梶芽依子の大ファンだって言うのだから、本作も観てた可能性あるね)。本作を洗練したものが『レザボアドッグス』(1991)であれ、『パルプ・フィクション』(1994)であると言えなくもない。 大ブレイクした梶芽依子は(この年は本シリーズを含めて9本もの出演作あり)、後の暗さよりもやけっぱちな雰囲気が漂い、これはこれで彼女の魅力の一端であることを再認識。相棒の和田アキ子は…ほとんど棒読みにしか聞こえないんだけど、よくこれを主人公に据えようと考えたもんだ。 カオス感溢れる作品が好き。という人には絶対にお勧め出来るのだが、映画に物語を求める人には薬にもならない。 |
あしたのジョー 1970 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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あしたのジョー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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東京のドヤ街。涙橋のたもとにふらりと現れた一人の少年。矢吹丈(石橋正次)は、因縁を付けてきた地元のちんぴらを叩きのめした。そこに居合わせたアル中の元ボクサー丹下段平(辰巳柳太郎)は、その動きに天性のボクシングセンスを見いだし、ジョーを本物のボクサーにしようと心に決める。だが、何よりも束縛を嫌うジョーは、そんな段平の情熱を逆に利用することで犯罪に手を染め、少年院送りになってしまう… 言うまでもない国民的大人気マンガを原作とした作品。有名なのはもちろんアニメ版で、これによってマンガを呼んだ人も多かろう(少なくとも私はそうだった)。しかし、実は実写版も作られている。しかもあの当時の最先端を走っていた長谷部安春監督である。 一体どんな変な映画になっているのだろう?期待半分恐がり半分で拝見。 しかし、かなり驚いた。ただしそれは悪い意味で。 この人が作るんだったら、どんなにとんでもないものになるのだろう?いう期待はあっけなく裏切られ、出来たものはものすごく無難なもので終わってしっまた。物語自体がほとんどマンガ版のストーリーを追うことに終始し、観てる側としてもほぼ原作の確認作業で終わってしまう。 これは無理なからぬところがあるのは分かる。どう見積もっても3時間はかかる物語を90分弱で強引に押し込めてしまったもんだから、話をまとめるにはそれ以外の選択肢が無かったとも言えるし、それ以上を期待するのは無理だっただろう。むしろよくこの時間でまとめてくれた。と言った方が良い。 だけど、私がこの監督に求めていたのはそんなことではなかった。たとえストーリーがどれほど破綻していても、あるいは徹底的に改変されていても、「この監督だったら許せる」と思わせる説得力を感じさせてほしかった。せめて前後編にして、刑務所を出るまでを前編、ボクサーとなって力石との戦いに至るまでを後編としてくれたら、さぞかし見応えのある作品に仕上がっただろうと思うと、とても残念だ。そうすれば伸び伸びととんでもない物語を作ってくれただろうに。もったいない。 それでも強いて監督が個性を出そうとしているシーンを挙げてみると、やっぱりラストシーンと言う事になるだろうか。力石を殺してしまったジョーがチンピラにボコボコにされ、突然フィルムがぶつ切りになったように終わってしまう訳だが、このシーンは丁度オープニングと同じシチュエーションを取っている。最初何も怖いものが無い少年だったジョーは平気で相手を叩きのめしているが、ラスト、恐れを知ったジョーは何も出来ず、ただ殴られるだけ。この部分を“成長”と捉えようとしているようにも感じる事が出来る。ジョーは確かに強くなったが、強くなった分、人を殴れなくなった。と言うメッセージとして受け取ることは出来る。それで正しいかどうかはともかく。 残念なのは、やはりこれだけのものを描くには短すぎたと言う事だな。 |
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