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フォー・ルームス(書籍) _(書籍) |
2019 | ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 監督・脚本 | ||||||||||
2018 | |||||||||||
2017 | |||||||||||
2016 | |||||||||||
フロム・ダスク・ティル・ドーン ザ・シリーズ(3rd)<TV> 原案 | |||||||||||
2015 | ヘイトフル・エイト 監督・脚本 | ||||||||||
フロム・ダスク・ティル・ドーン ザ・シリーズ(2nd)<TV> 原案 | |||||||||||
2014 | マイ・ファニー・レディ 出演 | ||||||||||
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2013 | |||||||||||
2012 | ジャンゴ 繋がれざる者 監督・脚本・出演 | ||||||||||
アイアン・フィスト 提供 | |||||||||||
2011 | コーマン帝国 出演 | ||||||||||
2010 | マチェーテ 製作 | ||||||||||
2009 | イングロリアス・バスターズ 監督・脚本 | ||||||||||
2008 | ヘルライド 製作 | ||||||||||
マッド・ムービーズ 〜オーストラリア映画大暴走〜 出演 | |||||||||||
2007 | デス・プルーフ in グラインドハウス 監督・制作・脚本・撮影・出演 | ||||||||||
ホステル2 製作総指揮 | |||||||||||
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ 出演 | |||||||||||
ダイアリー・オブ・ザ・デッド 出演 | |||||||||||
2006 | |||||||||||
2005 | シン・シティ 共同監督 | ||||||||||
ホステル 製作総指揮 | |||||||||||
2004 | キル・ビル VOL.2 監督・脚本・原案 | ||||||||||
悪魔の毒々映画をカンヌで売る方法! 出演 | |||||||||||
マペットのオズの魔法使い 出演 | |||||||||||
CSI:5 科学捜査班<TV> 監督 | |||||||||||
2003 | キル・ビル VOL.1 監督・脚本・原案 | ||||||||||
2002 | バッドアス・シネマ 出演 | ||||||||||
2001 |
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2000 | フロム・ダスク・ティル・ドーン3 製作総指揮 | ||||||||||
リトル★ニッキー 出演 | |||||||||||
1999 | フロム・ダスク・ティル・ドーン2 製作総指揮 | ||||||||||
セルジオ・レオーネ 出演 | |||||||||||
1998 | ジャッキー・チェン マイ・ストーリー 出演 | ||||||||||
1997 | ジャッキー・ブラウン 監督 | ||||||||||
フル・ティルト・ブギ/メイキング・オブ・フロム・ダスク・ティル・ドーン 出演 | |||||||||||
1996 | フェティッシュ 製作総指揮 | ||||||||||
フロム・ダスク・ティル・ドーン 製作総指揮・脚本・出演 | |||||||||||
ガール6 出演 | |||||||||||
1995 | フォー・ルームス 第5話ペントハウス ハリウッドから来た男 監督・製作総指揮・脚本・出演 | ||||||||||
ジョニー・ディスティニー 出演 | |||||||||||
デスペラード 出演 | |||||||||||
1994 | パルプ・フィクション 監督・原案・脚本 | ||||||||||
ナチュラル・ボーン・キラーズ 原案 | |||||||||||
スリープ・ウィズ・ミー 出演 | |||||||||||
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1993 | トゥルー・ロマンス 脚本 | ||||||||||
キリング・ゾーイ 製作総指揮 | |||||||||||
1992 | |||||||||||
1991 | レザボアドッグス 監督・脚本・出演 | ||||||||||
1990 | |||||||||||
1989 | |||||||||||
1988 | |||||||||||
1987 | |||||||||||
1986 | |||||||||||
1985 | |||||||||||
1984 | |||||||||||
1983 | |||||||||||
1982 | |||||||||||
1981 | |||||||||||
1980 | |||||||||||
1979 | |||||||||||
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1977 | |||||||||||
1976 | |||||||||||
1975 | |||||||||||
1974 | |||||||||||
1973 | |||||||||||
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1969 | |||||||||||
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1966 | |||||||||||
1965 | |||||||||||
1964 | |||||||||||
1963 | 3'27 テネシー州ノックスヴィルで誕生 |
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2019放送映画批評家協会作品賞、助演男優賞(ピット)、脚本賞、美術賞、主演男優賞(ディカプリオ)、アンサンブル演技賞、若手俳優賞(バターズ)、監督賞、撮影賞、衣装デザイン賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1969年。かつての西部劇のテレビスターだったリック・ダルトン(ディカプリオ)は今やテレビ映画の悪役として細々と仕事をこなしていくだけになっていた。自らのスタントマンであるクリフ・ブース(ピット)を伴い、与えられた仕事を淡々とこなす日々だったが、このままではいけないとも考えていた。一方相棒のクリフはこのパートナー生活ももう長続きはしないことを半ば諦めの境地で受け入れながら、今日もダルトンの運転手のようなことをしながら日銭を稼いでいた。そんなある日、リックは起死回生の映画出演に挑み、同じ日、クリフは一人のヒッチハイカーからおかしな農場に連れて行かれる。 生涯10本の映画を撮るというタランティーノ監督は、これまでほとんどジャンルが重ならない作品を作ってきた。 そして今回もこれまでの作風からガラッと変え、古き良き時代を切り取ることに注意を傾けた作品になってる。 本作の最大特徴は、本当に時間を切り取った感じに作られていると言うこと。主人公二人にとってはそれなりに人生の転機とはなるが、基本路線として劇的な展開はなく、いつものような一日が続くだけの日。ラストはともかく、そんなに大きな出来事は起きてない。 だけど、本当に実際にそれがあったように思えるリアリティが本作にはある。 なぜなら“1969年”を再現することこそが本作の最高の目的だから。確かにラストにあるシャロン・テート襲撃事件は実際にあったことだが、それを再現するために、何よりまず1969年の一面を徹底して描いた。 当時はヴェトナム戦争真っ盛りで、1965年に参戦したアメリカは泥沼のような戦争に嫌気がさしていた。そんな中で起こったのがヒッピーブームで、戦争に嫌悪する若者達が自由を求める運動を始めていた。 彼らは保守的な文明を嫌いつつ、貪欲にカウンターカルチャーを摂取しつつ、全く新しい価値観を創出しようとした。 結果、自然回帰の半裸文化と電気的なケバケバしい文化が共生するようになった。ヒッピー文化というのはとにかく矛盾だらけなのだが、その矛盾こそが新しい価値観を作り出してきたのだ。最も熱い時代だからこそ、新たな文化が生じる。そんな時代が1960年代の後半だった。そしてその渦中にいた人たちこそ文化の担い手だった。 そして映画やテレビはまさにその直撃を受けていた。 具体的には60年代初頭の映画やテレビ俳優が居場所を失ってしまったということ。古き良き伝統の上に立ったヒーロー達は、カウンターカルチャーの波をモロに受けてしまい、居場所を失ってしまった。まさに本作の主人公リックが味わっている状態である。 そんな主人公達がまさしく1969年という時代で生き残る道が提示されている。 それは二つ。国内に残るか、イタリアに渡るか。 国内に残る場合、当時作られていた低予算のテレビドラマに活路を見いだすこと。オープニング時のリックはその立場だった。 だがこれは新しく登場するヒーローに道を明け渡す役割しか持たない。過去の栄光にすがって自分を貶めることしか出来なくなるから新たな魅力も出せないし、先細りになるだけだ。 そんな役ばかりですっかりクサって酒浸りになってたリックだが、途中で起死回生。これまでのヒーローのカウンターではない本物の悪役として開き直ったことで、新しい活路を見いだした。 もう一つはイタリアに渡ること。1960年代中期からイタリア(およびスペイン)で起こった新たな西部劇の流れは世界で受け入れられるようになっていった。過激な描写と多量の血糊を用いた作風は伝統的な西部劇の世界から亜流とされて嫌われた。アメリカの西部劇スターがマカロニに出ると言うことは、自分のキャリアを捨てることにつながるため、嫌がる人も多かったし、多くのスターは実際に渡伊することを拒否した。 だが、それを敢えて行った人もいた。 リックはこの二つを同時に行った人物になるが、この二つは根は一つだ。 それまでのリックはかつてのヒーローだった自分を捨てることが出来なかった。自分はハリウッドのウエスタンスターであり、そこにしがみつかねばならないと思い続けてきたが、そのプライドを一旦リセットすることで完全に新しい自分になることを決意したことで、役者として生き残ることが出来た。 だからリックにとってこの映画の舞台となった3日間は、ある種の立ち直りの物語として観る事が出来る。 リックを中心に物語を考えるならば、それで充分に映画としては成り立つ。 だが、本作の主人公はもう一人いる。というか作品として中心となってるのはもう一人のクリフの方。これが本作の特徴であり、大変ユニークな点となっている。 映画スターという顔を持つリックと違ってクリフは複雑である。 オープニングでは傍若無人なリックに従っている理由はビジネスパートナーとしてだけのものかと思うのだが、徐々に何故クリフはリックから離れられないのかが会話の端々から推測できるように出来ている。 完全に分かっている訳ではないが、会話の中から推測されるのは、クリフも元は役者志望だったが、非常にプロデューサー受けが悪いこと。役者からも見下げられているのに、それでも媚びないこと。そしてそんなクリフのために尽力しているのがリックだと言うことが分かる。 それはクリフは過去妻を事故死させたことがあって、それがクリフが殺したという噂があるためらしい。それでも役者を続けているのは、自分のために尽力してくれるリックのためだし(これも推測でしかないが、リックはその真相を知っているためではないかと思える)、ぼやきつつもリックの家政婦のようなことまで続けてる。彼にとっては生きている意味なんてそれだけで良いんだろう。死ぬこと自体をあんまり気にしてないことも分かってくる。 この描写も三日間という時間軸の中で少しずつ分かってくること。 更にもう一つ。ここには三人目の主人公が存在する。 シャロン・テート。実在の女優である。伸び盛りの映画監督ポランスキーと結婚した彼女は毎晩のようにパーティに明け暮れ、日中時間ができると自分の出ている映画がかかってる映画館で自己顕示欲を満たす。決してお友達にはなりたくないような身勝手な描写だが、彼女が時折画面に出ると、観ている側はとても緊張する。何故なら彼女が最後にどうなるかを観てる側は分かってるのだから。 二日目にクリフが出会ったヒッピー連中がチャールズ・マンソン・ファミリーであることはなんとなく推測できて、彼らがポランスキーの留守中に自宅に押し入り、シャロンを殺害することは歴史的な事実。彼女が馬鹿っぽい行いをすればするほど、観てる側は後のことを先回りして考えてしまい、後に起こるであろう悲劇に身構える。 この映画で描かれている三日間をまとめてみよう。 初日は悪役ばかりしか来ないでクサってるリックとそれを宥めるクリフの立場。この時点でリックは典型的な駄目人間で、クリフはよくこんなのに付き合ってると思う。一方、リックのお隣さんであるシャロンは二人のことが眼中になく、夜な夜なのパーティにいそしむ。 二日目。リックは駄目な自分を反省し、悪役としてでも自分のできる渾身の演技を見せたことで役者人生の新しい段階に入り、これまでアメリカン・スターとして拒否していたイタリアに渡る決意を固める。一方リックと離れたクリフはどれだけ業界人から嫌われているかを強調した後でヒッピーの女の子を拾って危険区域に入ってしまう。一歩間違えれば死につながる綱渡りのような会話を飄々とこなす。ここで本当に危ないのはリックではなくクリフの方だと気づかされる。そんな中、シャロンは自分が馬鹿っぽい役で出てる映画館に入り、自己顕示欲を満足させる。 それから半年ほど経過した後の三日目。イタリアでそれなりの成功を収めたリックはクリフに解雇通知を突きつける。これまで共依存状態だったが、自分はもう立ち直ったという確信と共に、クリフにも自由になってほしいという友情から出たものに感じられる。だからクリフもその決定に対してなんの異議もなく受け入れる。 こう見てみると、何事もないような日常を描いてるように見えて、立派に友情と自立の物語になっているのだ。上手く作られてる。 更にそこにシャロン・テートが加わるのだが、基本的に彼女は出てるだけで何もしない。最後まで本当に何もしないが、中心であり続けるのは、最後の悲劇のためだった。ところが、その最も重要な三日目の晩。彼女は友人達と自宅でパーティを開いて騒いでるだけである。 なんとマンソン・ファミリーは家を間違えてリックの自宅に押し入ってしまったのだ。 結果は推して知るべしだが、マンソン・ファミリーにとっては不幸な出来事になってしまった。まさかこのようなオチが待っていようとは思いもよらず、唖然とさせられた。 考えてみるとタランティーノは過去イングロリアス・バスターズでモロに歴史改変やってるわけだから、ここでやって悪くない。それに映画史においても、もしこうであれば良かったのに。というものの筆頭なので、映画を愛する人にとっては大変溜飲の下げる展開でもある(火炎放射器はやり過ぎだが)。 それにこの事件はクリフにとっても大きな転機である。リックから解雇通知を受け、それを素直に受け入れたものの、これまで10年以上も一緒にいたリックから離れて自分の人生が始められるのか?という不安もあっただろうが、この事件で大怪我を負ったことで吹っ切ることが出来たんじゃないだろうか?一度死に近い経験をしたことで生まれ変わって、今度は自分の人生を歩める確信を得たのではないかという思いにもさせられる。 結局本作は間違いなく二人の男にとっての成長物語だった。 |
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ヘイトフル・エイト 2015 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015米アカデミー作曲賞、助演女優賞(リー)、撮影賞 2015英アカデミー作曲賞、助演女優賞(リー)、オリジナル脚本賞 2015ゴールデン・グローブ音楽賞、助演女優賞(リー)、脚本賞 2015LA批評家協会音楽賞 2015放送映画批評家協会音楽賞、助演女優賞(リー)、アンサンブル演技賞、脚本賞、撮影賞、ヘア&メイクアップ賞 |
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南北戦争後程ない頃のワイオミング州。一台の貸し切り馬車がレッドロックへと向かっていた。その中にいるのは凶悪な犯罪集団の首領で、1万ドルの賞金首デイジー(ジェイソン・リー)と、彼女をレッドロックで縛り首にすべく、護送中のジョン・ルース(ラッセル)だった。吹雪が近寄る中、偶然にも馬を失ったジョンと同じ賞金稼ぎのマーキス・ウォーレン(ジャクソン)と、これからレッドロックの保安官になりに行くというクリス・マニックス(ゴギンズ)がこの馬車の同乗を求める。馬車の雇い主であるジョンは嫌々ながら、二人とも乗せることにしたが、吹雪はすぐそこに近寄っており、レッドロック途中のミニーの店に避難せざるを得なくなってしまう。そこには店主のミニーがおらず、その代わり、吹雪で閉じ込められたという三人の男と、ミニーに店番を頼まれたというメキシコ人がいた。馬車の御者であるO.B.を含め、9人でこの山小屋に閉じこもることになるのだが… タランティーノと言えば、前作『ジャンゴ 繋がれざる者』のレビュー時、「毎回ジャンルを変えている」と書いていたが、『ジャンゴ』の次回作がまた西部劇と聞き及び、意外な印象を受けた。シネフィル監督としていろんなジャンルを渡り歩く姿を今回も見せてくれると期待してたため、軽く裏切られた印象があった。 そんなに西部劇気に入ったのかな?と言う気分で劇場に足を運んだら、なるほど確かにこれは納得。これは素材こそ西部劇ではあるが、むしろ西部の時代に題材を取った密室劇に仕上げた訳か。今度はヒッチコックばりの密室内での推理と駆け引きを主題にした物語を作ったということ。 基本路線は緊張感を途切れさせることなく、いろんな推測や憶測から互いを傷つけ合いつつ、その中で徐々に死体が増えていく。銃撃シーンの演出も上手く、基本路線としてはもの凄く巧みに作られた作品と言って良い。3時間という長丁場も全く気にならないほどだから、演出に関しては本当に素晴らしい出来だ。 ただ、本作が申し分ない作品かと言われたら、とてもそうは言えない。 とりあえず私限定で語らせていただくが、本作に関しては二つの点で受け入れられないものがある。 まず一点目。タイトルが“The Hateful Eight”であるにも関わらず、登場人物が8人で終わらないと言う事。小屋に閉じ込められたのは9人だし、後半もう一人増えるから10人。何で8人?タイトルそのものを例えば物語のミスリードさせるために使うとか、終わった時「ああ確かに8人だった」と思わせるならともかく、最初から人数が違っていて、しかもその整合性がないまま終わるため、非常に後味が悪い(無理矢理言うなら、この事件に関わってないのが二人いると言えなくも無いが、それだとしても数が中途半端だ)。それに途中で、密室もので、「これをやったらまずいだろ」的なことをやってしまったので、種明かしも何も全部放り投げたようなものになってしまう。もうちょっと緻密に物語構成考えてほしいところだ。 …ただ、これに関しては、私の理解力不足ということもあり得るので、この発言自体が的外れの可能性があるのでこれ以上は言わない。一応ペンディング。 もう一点が、『ジャンゴ 繋がれざる者』の時も感じたことなのだが、逆転したレイシズムがなんかとても居心地が悪いと言う事。差別を受けた側が、特定個人ではなく、人種そのものに対して復讐を行うという構図がどうにも居心地悪い。これ正義の鉄槌を下してるんじゃなくて、純粋に人を殺したいから殺してて、その後付でレイシズムに対抗するような事を言わせてるような気になってしまい、その辺がどうにもすっきりしない。 一言で言ってしまうと、「下品」。 タランティーノ作品に品を求める事自体間違っているのだろうけど、ちゃんと作れるのに、敢えて品を落として作るその姿勢が落ち着かなくさせてしまう。 |
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ヘイトフル・エイト/ サミュエル・L・ジャクソン マーキス・ウォーレン |
ジャンゴ 繋がれざる者 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012米アカデミー助演男優賞(ヴァルツ)、脚本賞、作品賞、撮影賞、音響賞 2012英アカデミー助演男優賞(ヴァルツ)、脚本賞、監督賞、編集賞、音響賞 2012ゴールデン・グローブ助演男優賞(ヴァルツ、ディカプリオ)、脚本賞、作品賞、監督賞 2012放送映画批評家協会オリジナル脚本賞、作品賞 2012AFIベスト 2012シカゴ映画批評家協会作曲賞脚本賞、助演男優賞(ディカプリオ) 2013MTVムービー・アワードトンデモ・シーン賞、作品賞、男優賞(フォックス)、キス・シーン賞、格闘シーン賞、コンビ賞、悪役賞(ディカプリオ) 2013日本アカデミー外国映画賞 |
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南北戦争前のアメリカ南部。賞金稼ぎのドイツ人Dr.キング・シュルツ(ヴァルツ)は、お尋ね者三兄弟の顔を知る黒人奴隷ジャンゴ(フォックス)を見つ出して買い取り、三兄弟の追跡に繰り出す。首尾良く賞金を手に入れたシュルツはジャンゴの腕を見込み、二人組の賞金稼ぎとして荒稼ぎを始める。そんなジャンゴの目的は、奴隷市場で生き別れとなった妻ブルームヒルダ(ワシントン)を取り戻す事だった。やがて、彼女がカルビン・キャンディ(ディカプリオ)という農園領主に売り飛ばされたことを突き止めるのだが… 毎回違ったジャンルを題材にして映画を作り続けているタランティーノ監督が、今回選んだ題材は西部劇。毎回多彩なジャンルを作り、しかも一つ一つが面白いと言うのがこの監督の素晴らしいところ。 そう言えば、『キル・ビル VOL.1』以来、この人ジャンル映画を相当意識してないか?『キル・ビル VOL.1』はチャンバラだったし、『キル・ビル VOL.2』はカンフー映画、前作『イングロリアス・バスターズ』は戦争映画。そして今回は西部劇。毎回違ったジャンルに挑戦している訳だ。とても多彩な才能を持っていると思うのだが、少し考えてみると、これは別段“挑戦”ではないのかもしれない。 普通挑戦というのは、自分の実力以上を試す難しい素材に向かっていくことを示すのだと思うのだが、タランティーノの場合、これらの映画は全て自分の中にあるものを表現するために作ってるように思える。要するに、自分の作りたいものを莫大な金を遣って作ってみましたと言った感じ。言うなれば、彼の作ろうとしているのは文学(literature)ではなく、雑誌(pulp)の方で、受けるためにではなく、単に自分が大好きだからこれを作ってるように思える。 タランティーノは自らも認める映画小僧だが、その志向するのは、いわゆるハリウッドメジャーではなく、B級と言われるものか、あるいは海外で作られたかなり過激な作品ばかり。実際彼の尊敬する監督の大半はアメリカ国外の人だ(日本でも深作欣二や三隅研次など、キレと残酷描写が映える監督を尊敬していると本人もはっきり言っている)。 だから当然タランティーノの好きな西部劇と言えばマカロニに他ならない。タイトルだけでもそれははっきりと伝わってくる。そもそも“ジャンゴ”なる名称はマカロニで使用される記号のようなもので、“誰でもない”もしくは“誰でも良い”と言った個性を持ったキャラ。そして“ジャンゴ”という名前が登場する場合、相当に過激な作品が多くなる。本人も「これは相当に過激な作品ですよ」という先入観を持たせるためにこの名称を使ったのだろう。 そしてこの作品、タランティーノのマカロニ好きを徹底して出している。いや、タランティーノの好きな所を出し惜しみ無く全部投入したというべきか。この作品にオリジナリティはほとんど無い。ほとんど全編“どこかで観た”作品からの引用ばかりだ。しかし、その引用が全て高水準にまとまっていて、全然ツギハギだらけという印象を受けない。好きなものを全部放り込みつつも、ちゃんとストーリー的にまとめ、見せるべき所をびしっと見せてくれる。コラージュのまとめ方が本当に天才的な監督と言えよう。 かつて私自身、『イングロリアス・バスターズ』のレビューで「スピルバーグが作ろうとしているのは幕の内弁当で、タランティーノが作ろうとしているのは、肉と飯以外全く入ってない焼き肉弁当のようなもの」と過去に書いたけど、本当に肉だらけでゲップが出そうな弁当を目の前に出されたような気分になった。企画から脚本、そして撮影に至るまで本当に楽しかったんだろうなあ、と、それだけははっきりと伝わってくる。だから観ているこちら側もとても楽しい気分になる。こう言うのを作ってくれるからこの監督は大好きだ。 作品のファーマットとしてマカロニを選び、そしてそれを徹底して楽しく作る。この姿勢にぶれは全く感じられないのだが、この作品でちょっと気になるところはある。 それは他でもない。人種差別の描写について。 この作品が公開される前、スパイク・リー監督が「あまりにも先祖に失礼なので、同作を見ることさえできない」と発言して物議を醸したのだが、実際この作品での“白人”対“黒人”の描き方はかなり極端だ。 差別思想のないキングによって仲間とされたジャンゴだが、彼はこれまでの鬱憤を晴らすかのように「白人を殺す事は快感だ」と劇中で言わせているし、ジャンゴが黒人であると言うだけの理由で忌み嫌う人々も登場。レイシストであることを隠さないディカプリオ演じるカルビンは悪の親玉みたいな存在。カルビンに関係する一族郎党はジャンゴによって皆殺しにされ、ラストシーンはあたかも正義を行ったかのような満足げなジャンゴの顔で終わる。 つまり、ここで描かれる民族差別は人間的な部分が全く描かれてない。黒人を差別する白人は悪いし、それを粛正するのは正しい行為であると受け取られがちになる。確かにこれまでアフリカ系のアイデンティティと、差別はあるものとして、それでも民族の歩み寄りを主張していたリー監督に言わせれば、本作は噴飯ものであることも理解できる。 実際、私自身もその描写には気持ち悪ささえ覚えたくらいだから。 その中でもカルビンの描写がちょっと気になる。カルビンは確かにレイシストではあるが、本当にそんなに悪い人間だったんだろうか?キングとジャンゴに騙されたと知った時、彼らを殺すという選択をしなかったし、それどころかちゃんと代金だけきっちりとを受け取ってブルームヒルダをジャンゴに返してもいるし、最後まできっちり商人として二人に対応している。思想はともかくとして、彼は悪人からはほど遠い存在でもある。それで一族郎党皆殺しの憂き目に遭うほどのキャラとは到底思えないんだよな。人種闘争を主題にしたとしても極端すぎる。 確かにタランティーノ監督はレイシストとは対極にある人だが、その考えに人種闘争があるとは思えない。それでこの描写を敢えてしたという理由を考えてみると、その結論は“これが面白いから”という事だけなんじゃないか?と思えてしまう。 数多くの映画を観てきたタランティーノは、西部劇における人種差別が一つの主題であったことをよく知っているはず。実際、あのフォードだって、後半の監督作品は、これまでの自分自身のやってきたことを否定するかのような人種問題を主題にすることが多くなった。それを知った上で、敢えてその本来主題として捉えられていた人種問題を、映画のスパイスとして用いる事に決めたのだろう。挑戦的と言えば挑戦的。しかし、一方でこれは“面白さ”だけを至上課題として、他のことを全部切り捨てた物語と言われても仕方のない所。 今更言う必要もないことかも知れないけど、タランティーノは、本当に映画小僧がそのまま大人になってしまった人物であり、テーマ性やら映画の意味合いなどという“大人の事情”を一切無視して、ただ面白いものを作ろうとしている監督なのだろう。 それはそれで立派すぎる立場だ。ちょっと腹が立つ部分もあるにせよ。 |
イングロリアス・バスターズ 2009 | |||||||||||||||||||||||
2009米アカデミー助演男優賞(ヴァルツ)、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、音響賞、編集賞 2009英アカデミー助演男優賞(ヴァルツ)、監督賞、脚本賞、撮影賞、プロダクション・デザイン賞、編集賞 2009カンヌ国際映画祭助演男優賞(ヴァルツ)、パルム・ドール 2009ゴールデン・グローブ助演男優賞(ヴァルツ)、作品賞、監督賞、歌曲賞 2009NY批評家協会男優賞(ヴァルツ) 2009NY批評家協会助演男優賞(ヴァルツ) 2009全米批評家協会男優賞(ヴァルツ) 2009放送映画批評家協会助演男優賞(ヴァルツ)、アンサンブル演技賞、オリジナル脚本賞、作品賞、監督賞、撮影賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、アクション映画賞 2009ナショナル・ボード・レビュートップ10 2009オンライン映画批評家協会主演女優賞(ロラン)、助演男優賞(ヴァルツ)、撮影賞 2009ロジャー・エバートベスト10 2009映画館大賞第9位 2009英エンパイア・アワード主演男優賞(ヴァルツ) 2009ロジャー・エバートベスト 2009米俳優組合助演男優賞(ヴァルツ)、アンサンブル・キャスト賞、助演女優賞(クルーガー) 2009アメリカ製作者組合作品賞 2009アメリカ監督組合賞 2010MTVムービー・アワード悪役賞(ヴァルツ) |
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1944年パリ。かつて“ユダヤ・ハンター”の異名をとるハンス・ランダSS大佐(ヴァルツ)によるユダヤ人狩りから逃れた女性ショシャナ(ロラン)は、一軒の映画館を引き継ぎ、恋人と共にひっそり暮らしていた。同じ頃、アルド・レイン中尉(ピット)率いるユダヤ系アメリカ人を中心とした連合軍の極秘部隊“イングロリアス・バスターズ(名誉なき野郎ども)”がナチスを次々と虐殺していた。そんな時、ショシャナの映画館でゲッペルス肝いりのプロパガンダ映画『国民の誇り』のプレミア上映が決まり、ヒトラーはじめナチス高官が一同に集結することとなる。ショシャナ、バスターズ双方がこの時のために動き出す… 楽しい企画映画『デス・プルーフ in グラインドハウス』以来沈黙していたタランティーノ監督の新作。てっきり『グラインドハウス』の嘘企画実現のために奔走してるとばかり思っていたが、こんな作品を用意していたとは。更にこの人が歴史を描こうとするのは多分初めてのこと。 新しい試みだろうか?歴史映画を観ると、つい一言言いたくなってしまう性分で(それでよくからかわれることも多いが)、タランティーノが歴史?と考えると、最初からマイナス要素しか感じられなかった。ろくなもんにならないだろう。と言うのが私の最初の思い。 ところがまあ、これがとんでもない思い違い。別な意味でぶっ飛んでいて、これはこれで私的には「あり」な作品に仕上がっていた。 歴史を扱った作品というのは、普通“史的事実”と言うものを重要視するものだ。特に戦争ものになると、様々な意味合いを加味して、歴史的整合性を大切にし、隙が出ないように作るのが通常の方法。私のような嫌味な人間だっているのだ。完成度を上げるためには細部に手を抜いてはいけない。更に人種問題を扱っているのだから、細心の注意を必要とする。その前提が“普通の監督”にはあるし、それに縛られた作り方をせざるを得ない。 ところがタランティーノは、そんなことを全く顧慮してなかった。彼にとって歴史なんてものは、いくつもの素材の一つにすぎない。だから歴史的な整合性なんてものは意味を持たず、ただ面白いので、歴史というアイテムを使ってるだけ。 一旦それが分かってしまうと、ツッコミは無用。作り手の方がハナッからそんなもん顧慮せず、隙の多さは折り込み済み。それを無視して楽しめる奴だけが付いてくればいい。と開き直って作ってるのだから。 その部分を超えてしまったら、やけに楽しくなってきた。 歴史という部分を除いても、本作はいろんな意味で隙が多い。アルドとショシャナという主人公からして、実際は何にも描いてないし、ナチスは全員ステロタイプの悪人だし(嫌らしい人間はとことんまで嫌らしく、ヒトラーは馬鹿だし、兵士達は全員ゲルマン魂の持ち主)、ユダヤ人はナチスを殺すためなら身を犠牲にしても構わないと思ってる奴らばかり。出てくるキャラは全員見た目が全てで内面など存在しない。そもそもバスターズの面々が何故捕まりもせずに好き放題にナチスを殺しまれるのか、その理由そのものが全然語られてない。歴史的整合性以前に真面目に映画を作ろうって考えるなら、マイナス面だらけ。 だけど、これらの隙こそが本作をストレートな痛快作品として仕上げさせているのも事実。 たとえばこれがスピルバーグだったら、それ以外にいろいろなものを詰めようとするだろう。傑作戦争映画『プライベート・ライアン』(1998)では、単純に戦争を描こうとするだけでなく、戦争をやってることの馬鹿らしさも入れるし、キャラの内面を掘り下げてヒューマンドラマとしても完成度を上げている。一本の映画に様々なメッセージを詰めてきちんとバランスも取る。スピルバーグが超一流と言えるのは、その点にある。 一方タランティーノの場合、そんな内面的なバランスは全く顧慮しない。内面なんて考えない。見た目全てで、格好よければそれで良いのだ。自分の好きな要素を全部詰め、そしてそれをサービス精神たっぷりに面白く仕上げてくれる技術に長けた監督だ。と言うか、ここまで無茶やってながら面白く仕上げられるってだけでもたいした監督には違いない。 例えて言うなら、スピルバーグが作ろうとしているのは幕の内弁当で、タランティーノが作ろうとしているのは、肉と飯以外全く入ってない焼き肉弁当のようなものだ。それでも全部おいしく平らげられるように工夫がちゃんと出来てる。こういう監督がメジャーの中にいるってだけでも充分ありがたいことだ。これに乗れるなら、とにかく楽しめる。「こうすれば格好良い」。本作を作るモチベーションなんてそんなもんだろうし、タランティーノの場合はそれでいいのだ。この人はこういう人だし、こういう風にしか作れない人なんだ。 好きな要素をたっぷり詰め込んだというのがよく分かるのは、数多くの映画の引用にも観られるだろう。本作はイタリア映画の『地獄のバスターズ』(1976)のリメイクとされているが(未見だが)、やってることはモロにアルドリッチの『特攻大作戦』(1967)だったし、ラストの劇場のシークェンスは、ヒッチコックの『間違えられた男』や『メル・ブルックスの大脱走』っぽさを色濃く残す。特攻精神部分は『ワイルドバンチ』(1969)的な部分も結構入ってるな。オチに至っては深作欣二の『柳生一族の陰謀』(1978)だったし、ワールドワイドな映画好きが作った作品としか思えないところが凄い。多分私が本作を楽しめた理由は、その元ネタが次々に頭をよぎったというところにあるだろうし。 演出にかけては相変わらず冴えまくってる。多分に借り物とは言え、ラストの劇場のシーンは見応えも雰囲気もたっぷりだし、途中の酒場のシークェンスは見事なソリッドさを見せつけた。敢えてオリジナリティを言うならあのシーンだけかもしれないが、たとえ借り物でも、本人のセンスできっちりまとめてるし、全般的な見応えで言っても良い。 勿論タランティーノ得意のパーツフェティっぽさもしっかり作られてる(いつもよりは後退してるけど)。この人の描く女性像は、全体像としての綺麗さよりも、目や唇、太股といったパーツに色気をたっぷり付け加える。今回は女性の登場が少ない分、短い時間にたっぷりとその辺を加えているところもタランティーノらしさ。 はっきり言ってこの映画は内容的にはとにかく空虚だ。だけど、作り手の方がその薄さを自覚して楽しんで作ってると言う所が救い。純粋に「映画」そのものが好きな人には、この楽しさってのが分かってくれるのではないかと思われる。 |
デス・プルーフ in グラインドハウス 2007 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007カンヌ国際映画祭パルム・ドール 2007ゴールデン・トマト・アウォーズホラー第1位、大規模公開作品第4位 2007ホラー映画第4位 2008エンパイア映画ホラー作品賞 2008サターンホラー作品賞、助演女優賞(マッゴーワン)、メイクアップ賞 2007オーウェン・グレイバーマンベスト第6位 |
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キル・ビル VOL.2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004ゴールデン・グローブ女優賞(サーマン)、助演男優賞(キャラダイン) 2004放送映画批評家協会主演女優賞(サーマン) 2004ピーター・トラヴァース第9位 2004ロジャー・エバートベスト第2位 2005MTVムービー・アワード格闘シーン賞(サーマン&ハンナ)、作品賞、女優賞 |
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日本でオーレン石井を倒したブライド(サーマン)はテキサスの荒野へと辿り着く。次なる標的は日本刀の名手でビルの実弟バド(マドセン)だったが、彼女の襲来を予見していたバドの計略に嵌まり、生きたまま地中深く埋められてしまうのだった。地面のなかで彼女が思うのは、かつてビルに連れて行かれた中国での修行の日々だった… 派手派手で、しかも架空の日本を舞台とした前作『キル・ビル Vol.1』(2003)はタランティーノ監督のオタク心全開で、無茶苦茶面白かった。それで、本作は「随分雰囲気変わったよ」。と言う前情報があり、一体どう変わったかと思いつつ劇場へ。 うん。物語自体は理解できる。いや、こうすべき作品だったのだろう。要所要所に活劇が入り、監督のオタク心も充分に入ってる。ただ、淡々と流れていく物語は、ちょっと拍子抜けっぽい。正直言わせてもらうと、二つ連続で観たら面白かったんだろうなとは思う。 前回が東映任侠映画と香港カンフー映画(それに微妙に東宝特撮作品)の思い入れが混在した作品だったが、今回は西部劇および『少林寺』(1982)のテイストをふんだんに持ち込んでいて、それで楽しめるのだが、観てる内に妙に違和感が… ストーリーがどこかで見たような展開なんだなあ。特に中盤のタメで少々退屈さを覚えてしまった辺り… あれ?これって時代劇っぽくないか? そう思ったら、妙に符合することが多い。一見単純な復讐劇に見せながら、家族の絆を持ってきたり、愛しながら倒さねばならないと言う演出とか…タランティーノ監督は梶芽依子のファンだそうだが、彼女の代表作の『女囚さそり』(1972)よりは『修羅雪姫』(1973)の方にシンパシーがあると見た…そう考えると、ハンナのエル・ドライバーの眼帯って、柳生十兵衛からか? 要所要所の演出は面白かった。『少林寺』に燃えた身としては、やはり修行シーンは良かったし、なんと言ってもエル・ドライバーとの戦いは良かったよ。『007 ロシアより愛をこめて』(1963)以来の伝統(?)に従って、狭い部屋の中での戦いは非常に見応えがあった。前作でのオーレン石井との戦いは開けた場所でのタイマンバトルだったが、あれだと勝負が長引かず、一瞬で終わってしまった。こちらは動きが制限される分、戦いが長くても飽きは来ない。良い演出だよ。 ところでちょっと気になったことなんだが、サーマンであれ、ハンナであれ、汚水をかけられたり、土に埋められたり(地中から現れるシーンはやっぱり『キャリー』(1976)か?)、果てはトイレに顔突っ込ませたりと、汚れる役が目立つ。これもひょっとして、監督の趣味?…結構嬉しかったりするんだけど(笑) 「これは!」と言う所はあまりないものの、充分に楽しい作品に仕上がってるよ…でも、やっぱり二つ連続で観るべき作品だなあ。ラストで今回も流れる「恨み節」も良し。 ビル役はB級作品のヴェテラン常連キャラダイン。このマイナーなキャスティングは流石タランティーノ。と思っていたが、実は最初のオファーはウォーレン・ベイティだったそうな。そちらはそちらで見たかったかも。もっと生々しいものになっただろうけど。 |
キル・ビル VOL.1 2003 | |||||||||||||||||||||||
2003英アカデミー主演女優賞(サーマン)、作曲賞、編集賞、音響賞、特殊視覚効果賞 2003ゴールデン・グローブ女優賞(サーマン) 2003ヨーロッパ映画インターナショナル作品賞(タランティーノ) 2003キネマ旬報外国映画第10位 2003ローリング・ストーンベスト第9位 2003サンディエゴ映画批評家協会編集賞 2003エンパイア映画監督賞、女優賞(サーマン) 2004MTVムービー・アワード女優賞(サーマン)、格闘シーン賞(サーマン&栗山千明)、悪役賞(リュー) 2004サターンアクション/アドベンチャー/スリラー作品賞、主演女優賞(サーマン)、助演男優賞(千葉真一)、助演女優賞(リュー)、監督賞 |
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ひとりの女(サーマン)が4年に及ぶ長い昏睡状態から目覚めた。彼女は4年前に結婚式を挙げていた最中、かつての彼女の仲間に襲われ、夫とお腹の子を失い、自らも意識不明となっていたのだ。かつて彼女が属していた暗殺者集団の全員、特にボスのビル(キャラダイン)に対し、復讐を誓う。最初のターゲットはトーキョーでやくざの頭領となっているオーレン・イシイ(リュー)。そのため彼女は一路オキナワへ。そこにはビルの師匠でもある刀鍛冶のハットリ・ハンゾウ(千葉真一)がいる。彼に鍛えてもらった刀を手に、東京へ乗り込むが… 久々のタランティーノ映画。前評判は上々だし、タランティーノ自身のインタビューでも自信満々に答えていた。大変期待の出来る映画であると言う感触はその時に受けた。それで公開された後の評判は…大きく二分されているようだ。あれを素晴らしい!と手放しに絶賛する人と、あれは映画になってない。と酷評する人…不思議と私の知り合いはことごとく「良い映画」と言っており、誰一人酷評してる人間がいないのは不思議だが…(交友関係、どこかで間違ってないか?俺) いずれにせよ、期待度充分で作品に臨む。 オープニングから口の中で歓声が出そうになる。「深作欣二監督に捧ぐ」かよ!しかも、その後のタイトルバック。黒ベタ背景に白抜きの何の衒いもないキャスティングが続くのだが、これだけで魅せてくれる!普通サイズの文字が続いた後、いきなりぶっとい文字で「Sony Chiba」とは!連続でやってくれる!ここまで(特に日本人に対して)ツボのはまった演出が出来るとは。ただもんじゃないな。 それで本編だが…何というか、突っ込みどころは満載。いや、いかにも突っ込んでください的な演出がそこかしこに出てくる。しかもこれは間違いなく確信犯でやってる。様々なアクション映画、日本のアニメ、特撮、チャンバラなど何でもかんでも突っ込んでミキサーにかけた上でタランティーノ風味の味付けをしたような、そんな不思議な演出がなされている。パート毎に元ネタらしきものが見え隠れするんだが、それを見事にタランティーノの演出に変えてしまってる。 特に後半になって日本の話になってからこっそり歓声上げっぱなし。 アメリカの映画だと、日本の描写をキテレツなものとして描くことが多い。概ねこれは日本という国を誤解して描くことが多いのだと思うが、ここでのタランティーノは違う。日本への誤解を敢えて逆手にとって、わざとそうしていることがありありと分かる。これは東京ではない。トーキョーの話なのだ。 考えてみると、よくアメリカの映画を観て「日本は誤解されてる」と言う意見がよく出るものの(私自身もよく言う)、日本が輸出してる作品って、誤解を受けるようなのがあまりに多すぎるのでは無かろうか?例えばチャンバラやヤクザ映画だったら、毎回一人の侍が十数人もの敵に囲まれてそれを叩ききりながら、刃こぼれも起きない。それはあくまでフィクションという暗黙の了解があるからなされるけど、それが海外で観られていると、当然誤解の元ともなる。特に娯楽映画における日本という国はいわばパラレル・ワールドのようなものだ。タランティーノはそのパラレル・ワールドとしての日本をよく理解しているし楽しんでいる。その上で、荒唐無稽な作り物の世界を舞台に考えたのだろう。それは見事だった。ユマ=サーマン演じる主人公…(一応“ブライド”とクレジットされるが最後まで名前が分からない)彼女のコード・ネームはブラック・マンバ(世界最強と言われる毒蛇だが、古い相当にマイナーな漫画でこれと同じ名前のキャラがいた。ひょっとしてタランティーノは読んでたかも?)は単独でオーレン・イシイ(石井お恋?)に殴り込みをかけ、周りを十重二十重の武装した人間に囲まれていつつ、刀一本で立ち向かう。普通だったらデウス・エクス・マキナ(救いの手)が起こるような状態でありながら、一人でばったばったと敵をなぎ倒す(子供にはお尻ペンペンまでする凝りよう)。まさにこれ、チャンバラそのもんだろ?…強いて言えば、あの演出、そのまんま『修羅雪姫』(1973)なんだけど(『女囚さそり』(1972)と合わせて主題歌まで入ってるから、確信犯であるのは間違いなし)。刀だけでなく、足を使って水に落とすとか、チャンバラ的要素は山ほど出てくる。チャンバラとの違いは本当に敵の手足が斬られたり、血が噴き出すところだが、これがタランティーノ風味と言うべきか(唯一、雪の降らせ方が不満と言えば不満だが)。 もう一つ。ユマが飛行機から東京の町を見下ろしてるシーンがあるんだが、現実にあんな風に見えるはずはない。あるとすれば…怪獣の目線だ。下界に蠢く餌食を狙う人知を越えた力を持つキャラクター…特撮好きにはたまらんわな。この演出は。 さらにイシイの幼少時代はアニメでなされているが、これも日本のアニメ会社に直接頼み込んで作ってもらったとか。わざと70年代のアニメを思わせる作りはなかなか。 とにかく、日本の、しかもあまり評価されることの少ない娯楽映画を本当に良く分かっていなければこの演出は出来ない。 あと、『パルプ・フィクション』(1994)で確立した時間軸をずらして物語を展開させる演出はこの映画でも健在。なかなか小憎らしい演出だ。 演出に関して言えば最高!な作品だが、一方、ストーリーはかなり弱いのも確か(一本の映画を二本にぶった切ったのだから仕方ないけど)。実際にこの作品をストーリーで評価するのは、続編が出てからだな(とりあえず『女囚さそり』(1972)に筋はそっくりとだけは言えるけど)。 |
ジャッキー・ブラウン 1997 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1997米アカデミー助演男優賞(フォスター) 1997ゴールデン・グローブ男優賞(ジャクソン)、女優賞(グリア) 1998ベルリン国際映画祭男優賞(ジャクソン) 1998MTVムービー・アワード男優賞(ジャクソン) |
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フォー・ルームス 1995 | |||||||||||||||||||||||
1995ゴールデン・ラズベリー最低助演女優賞(マドンナ) 1996MTVムービー・アワード サンドウィッチ賞 |
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大晦日の夜のホテルを舞台に、4つの部屋で繰り広げられる騒動を描く、オムニバスコメディ。全てのストーリーに従業員のテッド(ロス)が絡む。 お客様は魔女(ルーム321・アンダース監督):魔女の姉妹と、魔術とは関係のない娘とが同じ部屋で黒魔術を始めようとする話。 間違えられた男(ルーム404・ロックウェル監督):夫婦の部屋にルームサービスに行ったテッドが夫から間男と勘違いされ、しかも本物を逃がすために妻が口裏を合わせたため、悲惨な目に… かわいい無法者(ルーム309・ロドリゲス監督):マフィアから、外に出てる間に子供たちの面倒を見ろ。と金を渡されたテッド。脅されてやむなく309号室のこどもを見に行くが… ハリウッドから来た男(ペントハウス・タランティーノ):ハリウッドで大成功を収めた監督が開くらんちき騒ぎにシャンパンを持っていったテッドはとんでもない賭の参加を求められる。それは10回連続でライターを擦って、全てに点火させることが出来るか。というもので、もし失敗したら小指を落とせと斧がテッドに手渡される。 一晩のホテルの出来事を、巻き込まれる主人公だけを共通にして、後は好き放題作ったと言う印象のオムニバス作品。それぞれがそれなりに面白いが、コメディにしては表現的にきついのも多いし、果たしてこれは本当にコメディなのか?と言う訳の分からない作品もあり。全般的に見る限り、スクリューボール・コメディの出来損ないといった感じが強い作品群だったが、一つ一つの作品のアクの強さとほどよい短さのおかげで飽きることはない。 ただ、やっぱり“流石”と言える出来に仕上がったのは、当然というか、ロドリゲスとタランティーノによる2本だけで、この2本で話を引っ張ったって感じ(登場人物の豪華さもあるんだけど)。複数監督によるオムニバス形式の作品というのは、実力の差というのがはっきりわかってしまうために、一種の残酷なやり方のようにも思えてしまう。 ロドリゲス監督による3話目は、明らかに後の『スパイキッズ』(2001)につながる傾向の物語で、これを拡大して派手にすると、ああなるんだろう。と思わされる(私が『スパイキッズ』気に入ってるから、点数が甘いのかもしれないけど)。ロドリゲス監督は本当に子供(それに振り回される大人)の使い方がうまい。 一方、タランティーノはやはりタランティーノ。センスよくパクリを使ってる(ライターを10回連続で着火できるかどうかに小指を賭けるのはロアルド=ダールの小説からで、同じ題材は『ヒッチコック劇場』でも使われ、そこではマックィーンが演じていた)。そこに長回し撮影を効果的に用い、その実力をまざまざと見せつけたといった感じに仕上がっていた。 そういう意味で、にやにや笑って観られる作品に仕上がっているので、点数はそこそこでも、結構おもしろい作品として観られた。 |
パルプ・フィクション 1994 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1994米アカデミー脚本賞、作品賞、主演男優賞(トラヴォルタ)、助演男優賞(ジャクソン)、助演女優賞(サーマン)、監督賞(タランティーノ)、編集賞 1994英アカデミー助演男優賞(ジャクソン)、オリジナル脚本賞、作品賞、主演男優賞(トラヴォルタ)、主演女優賞(サーマン)、監督賞(タランティーノ)、撮影賞 1994カンヌ国際映画祭パルム・ドール(タランティーノ) 1994全米批評家協会作品賞、監督賞(タランティーノ)、脚本賞 1994NY批評家協会監督賞(タランティーノ)、脚本賞 1994LA批評家協会作品賞、男優賞(トラヴォルタ)、監督賞(タランティーノ)、脚本賞 1994ゴールデン・グローブ脚本賞 1994インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞、主演男優賞(ジャクソン)、脚本賞、助演男優賞(ストルツ)、 1994日本アカデミー外国作品賞 1994ブルーリボン外国作品賞 1994キネマ旬報外国作品第4位 1994シカゴ映画批評家協会脚本賞、作品賞、主演男優賞(トラヴォルタ、ジャクソン) 1995MTVムービー・アワード作品賞、ダンス・シーン賞(トラヴォルタ&サーマン)、歌曲賞、男優賞(トラヴォルタ)、女優賞(サーマン)、コンビ賞(トラヴォルタ&ジャクソン) |
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ほとんど思いつきでコーヒーショップで強盗を始めたパンプキン(ロス)とハニー・バニー(プラマー)のカップル。ギャングのボスのマーセル・ウォレス(ライムス)の命令で始末屋をしているヴィンセント(トラヴォルタ)とジュールス(ジャクソン)の二人組。そしてそのマーセルから八百長の負け試合を依頼されながら勝ってしまい、結果的に相手を殺してしまったボクサーのブッチ・クリッジ(ウィリス)。この三組の悪党達が絡み合う、長いロサンゼルスの一日を描く。 『レザボア・ドッグス』(1991)でカルト的な人気を得たタランティーノ監督が世に放った、真の意味での監督の出世作となった作品で、インディペンデント計の映画では最高の収益を上げることとなった(ついでにカンヌ映画祭でパルム・ドールを受けた作品としても)。この作品の成功こそが90年代のインディペンデント系映画の躍進を促したため、映画史に残る作品でもある。 タランティーノというと、どっちかというとオタク風味の、カルト作家のような気がするのだが、本作に関しては日本でもえらい人気で、公開当時は社会現象とまでなった。この映画を観ることがオシャレの代名詞みたいな感じで、これを観なければ乗り遅れると思った人がこぞって観に行ったものだが…果たしてその内の一体何人が本当にこれを「面白い」と感じたのだろう?ある程度のカルト映画の前知識とかないと、楽しんで観るのは難しかったんじゃないかな? 事実私も公開当時は「確かにパワーはもの凄えけど、なんだかよく分からない」ってのが正直な感想だった。なんせここに出てくる人間の大半は直感で動いてる奴ばかりだし、それがごちゃごちゃやってるうちにいつの間にか話が展開していくというイメージしかなかった。残酷なシーンが多い割に笑わそうとしているのも、妙にげんなりする感じがあり。 だが今だったら一つ言える。この作品に意味などない。要するに、監督が作りたかった“格好良い映画”を地でやった作品なんだろう。と言うこと。タランティーノはそれで良いし、それ以上に持ち上げるような人じゃない…やっぱり元々カルト監督だったのが、なんだか分からない内にメジャーになってしまいました。って感じか?しかし、自分の持ち味をあくまで捨てておらず、映画を作る姿勢はあくまでカルトだってのは充分評価できる。実際背伸びなどせず、自分の本当に作りたいものを作ってる監督というのは私の好みだ。 それにしてもこの構成は見事だった。これまでにも時空軸をずらして作られた映画はかなり存在するが、ここまで徹底的にバラバラに、しかも複数のキャラクターが過去や未来において遭遇するような構成に良く持っていったものだ。一見オムニバスに見せて、ちゃんと一つの物語になってる。これが見事にはまっているのが監督のセンスの良さなんだろう。一見バラバラに見えつつ複雑に絡み合う物語の構築。この辺の緻密さが“オタク監督”たるタランティーノの面目躍如と言ったところだ。 それに本作は非常に小物の使い方が良い。容赦なく人を殺しながら拳銃をぶらぶらさせるトラヴォルタとか、あれだけ武器が置いてある地下から、わざわざ日本刀を選ぶウィリスとか(あれは監督の談では「高倉健をイメージした」のだとか)、極めてマニアックなビザールファッションとか…ファッションじゃない?(笑) 又、本作の場合、キャラクターの描写が極めて優れていたのも特記すべきだろう。これまで出演作がこれまで見事なほどに外し続けたトラヴォルタの復帰作ともなったし、やっぱり当たりより外しが多かったウィリスも魅力的に撮られていた。サーマンに至ってはこれが出世作になったし、ウォーケンは初挑戦でコメディにも才能があることを引き出すことが出来た。とにかくタランティーノは役者の魅力を引き出すことが上手い(特に個人的に凄く好きなウォーケンがケツの話だけして退場するとか、わざわざ『アサシン』(1993)と全く同じ役で登場したカイテルにも笑える)。勿論久々のトラヴォルタのダンスが見られたのも嬉しいが、パートナーのサーマンの長身が見事に映えていた。更に言わせれば、ジャクソンが本作で延々と意味のあるんだか無いんだか分からない説教をやってるのも面白い。ジャクソンに至っては、これで“アメリカ一の説教俳優”と言われるようになったわけだし…俳優の用い方がここまではまってるとは、見事見事。 色々な意味で画期的な作品であり、それが時代に上手くはまった。本作の魅力とは、時代を顧慮に入れてこそはっきりと分かる作品なんだろう。 本作の製作はMIRAMAXだが、本作の成功により、インディ会社が一気に準メジャー会社に上ることになる。 |
レザボアドッグス 1991 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
1992インディペンデント・スピリット助演男優賞(ブシェミ)、監督賞、新人作品賞 1993キネマ旬報外国映画第6位 |
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犯罪のプロであるジョー・カボット(ティアニー)と息子のナイスガイ・エディ(ペン)はLAでの大掛りな宝石強盗を計画し、それぞれホワイト(カイテル)、オレンジ(ロス)、ブロンド(マドセン)、ピンク(ブシェーミ)、ブルー(バンカー)、ブラウン(タランティーノ)とコードネームで呼ばれるプロ達を招集する。しかし強盗計画は仲間の裏切りによって失敗。逃げ帰った生き残りは、それぞれに不信感を募らせていく… 華々しい監督デビューを飾ったタランティーノの第一回監督作品。これは昔からタランティーノが撮りたいと希望していたものの、監督未経験の彼にはなかなかそのスポンサーがつかず、ついに低予算のモノクロ16ミリで撮ろうとしていたところ、この脚本がサンダンスで高く評価され、更にこの脚本を読んだハーヴェイ=カイテルがシナリオの面白さに驚き、主演どころか製作まで買って出たという逸話を持つ作品で、いわば現代のアメリカン・ドリームを体現したようなデビュー作となった。 結論から言ってしまうと、この作品は荒削りそのもの。キャラクタに感情移入をさせるような作りはしていないし、特に後半になると、暴力のオンパレード。ストーリーも何もあったものではない。 しかしこのノリは一体何だ?と言う位に引き込まれる。極端に誇張された時間の使い方が無茶苦茶に上手い。緊張感と開放感、そして展開の意外さ、全てが最後にぴったりと収まるべきところに収まってる。タランティーノという天才演出家の出世作としては、出来すぎた作品だ。 しかし、いざこれの魅力を説明してみろ。と言われると、大変困ってしまう。どこが良いのか悪いのか以前に、これは「タランティーノ以外に作ることが出来ない」としか言いようが無い。これはタランティーノにオリジナリティが溢れているという訳ではない。むしろ全くその逆で、彼の作品のほとんどは、どこかから引っ張ってきたコラージュでしかない。しかし、そのコラージュのセンスがあまりにも卓越しているのだ。静から動へ、そして緊張感へ、めまぐるしく視点が変わり、その度ごとに観てるこちらは飲み込まれ、「おお!凄え」としか思えなくなってしまう。ほぼ演出力だけでここまで魅せられる監督は他にいない。この映画に関しては、「元ネタがどこそこから」と言う議論は全くの無意味。ただ映像の並に飲み込まれ、あっけにとられ、そして最後に「あれ?終わったの?」と思ってしまう。これが実際正しい観方と思える。 演出に関しては文句なし。というか、これぞタランティーノ!と言う作品。ただし、タランティーノ作品の例に漏れず、物語は大変単純な上に矛盾だらけという点が、後になってくると思い出されてしまう。それが結局この作品のマイナス点になってしまう。 多分本作は、観た直後にレビューするなら、全く評価は変わっていただろう。冷静に落ち着いてレビューすると、ちょっと低くなってしまう。 |