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1983 | 5'4 死去 | |
1982 | さらば箱舟 監督・脚本 | |
1981 | 上海異人娼館/チャイナ・ドール 監督・脚本 | |
1980 | アフリカ物語 原案 | |
1979 | くるみ割り人形 作詞 | |
1978 | サード 脚本 | |
1977 | ボクサー 監督・脚本 | |
書見機 演出・台本 | ||
消ゴム 演出・台本 | ||
二頭女-映画の影 演出・台本 | ||
一寸法師を記述する試み 演出・台本 | ||
マルドロールの歌 演出・脚本 | ||
1976 | ||
1975 | 審判 演出・台本 | |
迷宮譚 演出・台本 | ||
疱瘡譚 演出・台本 | ||
1974 | 青少年のための映画入門 監督 | |
ローラ 監督 | ||
蝶服記 監督 | ||
田園に死す 監督 | ||
オズの魔法使い<TV> 監修 | ||
1973 | ||
1972 | 高校生無頼控 企画 | |
1971 | ジャンケン戦争 監督 | |
書を捨てよ町へ出よう 監督 | ||
1970 | トマトケチャップ皇帝 監督・台本・編集 | |
無頼漢 脚本 | ||
1969 | ||
1968 | 初恋・地獄篇 脚本 | |
1967 | 母たち 詩 | |
1966 | 非行少女ヨーコ 出演 | |
わが心のかもめ<TV> 脚本 | ||
1962 | 涙を、獅子のたて髪に 脚本 | |
1961 | わが恋の旅路 脚本 | |
夕陽に赤い俺の顔 脚本 | ||
1960 | みな殺しの歌より 拳銃よさらば 脚本 | |
乾いた湖 脚本 | ||
1935 | 12'10 青森県弘前市で誕生 |
さらば箱舟 1982 | |||||||||||||||||||||||
1985カンヌ国際映画祭パルム・ドール 1984キネマ旬報日本映画第5位 1984男優主演賞(山崎努) 1984ヨコハマ映画祭第7位 |
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田園に死す 1974 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1975カンヌ国際映画祭パルム・ドール 1975キネマ旬報日本映画第6位 |
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恐山のふもとの寒村に母一人子一人の生活を送っている少年(高橋浩幸)。隣の地主の家にやってきた嫁(八千草薫)にあこがれの目を投げ、恐山の口寄せに亡くなった父の霊を呼び出してもらうことを楽しみにしながら毎日の閉塞した生活を送っていた。村にやってきたサーカス団の空気女と一寸法師の夫婦から遠い町のことを聞いた少年は、東京に憧れ、隣の嫁とともに家出して東京に出ることにしたのだが… 様々な分野で活躍する才人寺山修司が監督・脚本・製作と全て自分で作り上げた自伝風の創作映画。 はっきり言ってこれは私にとっては“衝撃”そのものの作品だった。これを観た時、私の求めていた映像世界はすべてここに入っている!と思えたほど。レンタルビデオで観終えた後、すぐにビデオを買い、DVDも出ると同時に購入した。観るにはそれなりに精神的な余裕が必要だが、未だ観る度に新しい発見がある。私にはかなり貴重な作品の一本だったし、寺山修司の最初の出会いとしては最高のものだった。 寺山修司と言えば、70年代に思い入れがある人には避けて通れない人で、この人の作り上げた独特の世界観は日本の生んだポップカルチャーに多大な影響を与え、当時は至る所に彼の息吹を感じたものだし(『あしたのジョー』のOPソングで今も触れることが出来る)、未だに彼の世界観は新鮮な思いを持って見ることが出来る。 私にとってもこの作品が初めての“生”の寺山修司を知った作品だが、ひどく驚かされた。何せ私がそれまで好きだった80年代に台頭してきたクリエイターのことごとくが、実は寺山修司の強い影響下にあったという事実を知らされた瞬間だったから。あの当時は「ここに全てがある」と思いこんでいたものだ。 もちろんその後様々なメディアを通じ、寺山修司自身が特に多くのサブカルチャーから影響を受けていたことも分かったが、日本の思想界が60年代の体系を70年代に上手くシフトできたという事でも貴重な存在。あくまでサブカルチャーに留まった人物だが、逆にそれ故にこそ遠慮なしにあらゆるものを斬ることが出来た。 本作は監督自らの少年時代の回想でもある。これは彼にとっては50年代から70年代に至る精神的な旅の話だったのかもしれない。閉塞感が漂い、ほんの僅か入ってくる外からの情報や、慶弔ごとにむらがる以外気晴らしの方法がない田舎と、様々な情報にさらされている現在の自分。大人の視点から少年の自分を見直し、その誤りをただそうとする今の自分。 回想形式の物語ではそれが正しい。かつての自分の過ちを直視することで現在の自分のルーツを振り返る。言い方は悪いが、「自分はもう大人なのだ」と確認することがこのタイプの作品の例となる。自分の望む過去を剥ぎとって、ありのままの自分を受け入れることがこの場合は重要となる。 本作も途中まではその定式のまま展開する。自分が人に対しても自分に対しても隠してきた、トラウマとなっている部分を目前にし、できればそれを少年に避けてほしいと願う。 だが、自分の最も観たくないところに差しかかったとき、今の自分に揺さぶりがかかってしまう。果たして私はその決定的瞬間に対し何事かできるのか?優位に立っているのは本当に自分なのだろうか?その不安が始まると、今度は今の自分自身が過去にとらわれてしまう。ここからメタ的展開へと入っていくわけだが、少年時代の自分は大人の自分を超えて予測もつかない行動をするようになり、ついには自分を過去に置き去りにして去ってしまう。物語上こんな展開はあり得ない。 結果、現在の自分は過去と決別できず、超えることもできないまま、捕われ続けて話は終わる。過去と今を並行して生きていく。その突き離しに唖然としたまま話が終わってしまう。あのラストは爆笑ものだが、同時にたまらなく不安にさせられる。 正直こう書いてみても、はっきり分かったと言うわけではないのだが、分からないからこそまた観たくなる作品でもある。 尤も、本作で評価されるのはそう言った物語性云々よりもビジュアル的な数々のギミックの方。意味不明なコーラスを伴うシーザーの音楽、土の色をした村の中に突然現れてくる人工的な原色、物語を暗示する寺山の詩の数々。一つ一つが不気味で、同時にとても綺麗。これらのビジュアルに浸っていることが本作の正しい観方ということなのかもしれない。 |
書を捨てよ町へ出よう 1971 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1971キネマ旬報日本映画第9位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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寺山修司による初の劇場用長編映画で、実験精神に溢れた作品となっている。 |