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私が生きたふたつの「日本」(書籍) _(書籍) |
2008 | ||||||||||
2007 | ||||||||||
2006 | あかね空 企画・脚本 | |||||||||
2005 | ||||||||||
2004 | ||||||||||
2003 | スパイ・ゾルゲ 監督・製作 | |||||||||
2002 | ||||||||||
2001 | ||||||||||
2000 | ||||||||||
1999 | 梟の城 監督・脚本 | |||||||||
1998 | ||||||||||
1997 | 瀬戸内ムーンライト・セレナーデ 監督 | |||||||||
1996 | ||||||||||
1995 | 写楽 監督・脚色・編集 | |||||||||
1994 | ||||||||||
1993 | ||||||||||
1992 | ||||||||||
1991 | ||||||||||
1990 | 少年時代 監督 | |||||||||
1989 | 舞姫 監督・脚本 | |||||||||
1988 | ||||||||||
1987 | ||||||||||
1986 | 鑓の権三 監督 | |||||||||
1985 | ||||||||||
1984 | 瀬戸内少年野球団 監督 | |||||||||
1983 | ||||||||||
1982 | ||||||||||
1981 | 悪霊島 監督 | |||||||||
1980 | ||||||||||
1979 | 夜叉ヶ池 監督・脚本 | |||||||||
1978 | ||||||||||
1977 | はなれ瞽女おりん 監督・脚本 | |||||||||
1976 | ||||||||||
1975 | 桜の森の満開の下 監督・脚本 | |||||||||
1974 | 卑弥呼 監督・製作・脚本 | |||||||||
1973 | 化石の森 監督 | |||||||||
1972 | 札幌オリンピック 総監督 | |||||||||
1971 | 沈黙 SILENCE 監督・脚本 | |||||||||
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1970 | 無頼漢 監督 | |||||||||
1969 | 心中天網島 監督・製作・脚本・編集 | |||||||||
薔薇の葬列 出演 | ||||||||||
1968 | ||||||||||
1967 | あかね雲 監督 | |||||||||
剣<TV> 監督 | ||||||||||
1966 | 処刑の島 監督 | |||||||||
1965 | 美しさと哀しみと 監督 | |||||||||
異聞猿飛佐助 監督 | ||||||||||
1964 | 暗殺 監督 | |||||||||
乾いた花 監督・脚本 | ||||||||||
1963 | ||||||||||
1962 | 涙を、獅子のたて髪に 監督・脚本 | |||||||||
山の讃歌 燃ゆる若者たち 監督 | ||||||||||
私たちの結婚 | ||||||||||
1961 | 三味線とオートバイ 監督 | |||||||||
わが恋の旅路 監督・脚本 | ||||||||||
夕陽に赤い俺の顔 監督 | ||||||||||
1960 | 乾いた湖 監督 | |||||||||
恋の片道切符 監督・脚本 | ||||||||||
1959 | ||||||||||
1958 | ||||||||||
1957 | ||||||||||
1956 | ||||||||||
1955 | ||||||||||
1954 | ||||||||||
1953 | ||||||||||
1952 | ||||||||||
1951 | ||||||||||
1950 | ||||||||||
1949 | ||||||||||
1948 | ||||||||||
1947 | ||||||||||
1946 | ||||||||||
1945 | ||||||||||
1944 | ||||||||||
1943 | ||||||||||
1942 | ||||||||||
1941 | ||||||||||
1940 | ||||||||||
1939 | ||||||||||
1938 | ||||||||||
1937 | ||||||||||
1936 | ||||||||||
1935 | ||||||||||
1934 | ||||||||||
1933 | ||||||||||
1932 | ||||||||||
1931 | 3'9 岐阜県で誕生 |
スパイ・ゾルゲ 2003 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003日本アカデミー美術賞、作品賞、監督賞、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、録音賞、編集賞 2003日本映画批評家大賞プラチナ大賞 2003毎日映画コンクール日本映画優秀賞 |
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梟の城 1999 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1999日本アカデミー美術賞、作品賞、主演男優賞(中井貴一)、助演男優賞(上川隆也)、監督賞(篠田正浩)、音楽賞、撮影賞、照明賞、録音賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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織田信長によって焼き払われた伊賀の里の生き残りである葛篭重蔵(中井貴一)の元に、かつての師匠下柘植次郎左衛門(山本學)が現れ、彼のたっての頼みとして太閤秀吉の暗殺が依頼されるのだった。一族を惨殺した信長への怨みを秀吉に重ね合わせることでその任務を引き受けた重蔵は任務遂行のために仲間を集めて下山する。そんな彼の前に服部半蔵の命を受けて重蔵を監視する小萩(鶴田真由)が同行するが、やがて二人は情を交わすようになっていく。そんな中、政治的な状況変化により、依頼は取り消されてしまうのだが… 『忍者秘帖 梟の城』(1963)に続いての司馬遼太郎の同名小説の映画化作。黒と原色だけで構成されたポスターが素晴らしかった作品で、更に予告では結構面白そうだった。 しかし実際はどうだったかというと…ここまでしょうもないものを作られてしまうと困ってしまう。アクションは間延びしてるし、裏切りの連続も演出思いっきり失敗してる。何より会話の間が悪い。無駄に長いし。なんだこりゃ?というレベル。 それでも軒並み日本アカデミーにノミネートされているのが不思議なところ。多分原作が司馬遼太郎だからと言うので、これだけ賞を取ったに違いない。むしろこりゃ、司馬遼太郎の冒涜のために作ったとしか思えない。よくこんなもん作ったもんだよ。 |
写楽 1995 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1995日本アカデミー音楽賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞、特別賞(フランキー堺)、作品賞、助演男優賞(フランキー堺)、監督賞(篠田正浩)、脚本賞 1995ブルー・リボン主演男優賞(真田広之) 1995カンヌ国際映画祭パルム・ドール(篠田正浩) 1995キネマ旬報第5位 1995毎日映画コンクール日本映画優秀賞、撮影賞、録音賞 1995報知映画主演男優賞(真田広之) |
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少年時代 1990 | |||||||||||||||||||||||||||
1990日本アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、音楽賞、新人俳優賞(藤田哲也)、照明賞、編集賞 1990ブルーリボン作品賞、監督賞 1990キネマ旬報日本映画第2位 1990毎日映画コンクール最優秀作品賞、脚本賞、音楽賞、録音賞 1990ヨコハマ映画祭次点 |
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太平洋戦争末期。富山に疎開した進二(細川俊之)。物見遊山半分だったが、そこでの少年達の人間関係はかなり複雑なものだった。ガキ大将のタカシに気に入られ、何かと彼の世話を受けるが、タカシの横暴ぶりに腹に据えかねた級友達のクーデターが起こる。 「少年時代」という優しげなタイトルの割にストーリーはハード。子供と言えども人間関係は複雑で、弱肉強食のきつい物語となっている。これは第二次世界大戦下という極限状態にあるというよりも、今も尚残っている日本人的感覚なのかもしれない。 これは正直、私にとってはつらい物語でもある。中学時代に同じ事をやった記憶があり、しかも私はあくまで傍観者を気取っていた。これを見ていると辛い思い出が次々と甦ってくる。 ラストの井上陽水の歌は秀逸。それだけに、映画より歌の方が有名になってしまった程。 |
舞姫 1989 | |||||||||||||||||||||||||||
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瀬戸内少年野球団 1984 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1984日本アカデミー撮影賞、新人俳優賞(佐倉しおり) 1984ブルーリボン作品賞 1984キネマ旬報日本映画第3位 1984毎日映画コンクール日本映画優秀賞、撮影賞、音楽賞、スポニチグランプリ新人賞(佐倉しおり)、日本映画ファン賞 1984ヨコハマ映画祭第6位 |
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1945年9月の淡路島。終戦直後の江坂町国民学校はいまだに敗戦のショックから抜けていなかった。そんな時に駒子(夏目雅子)の受け持つ、級長バラケツこと足柄竜太のいる初等科5年教室に海軍提督だった父に同行して島にやってきた波多野武女という転校生がやってきた。バラケツらは、美しい武女と父の提督を進駐軍の手から守ってやることを誓い合う。一方、夫正夫(郷ひろみ)を戦争で失った駒子にも厳しい現実が待っていた… 作詞家として知られる阿久悠の自伝的小説を元にした作品で、1984年邦画興行成績9位(4作同着で他に『上海バンスキング』、「刑事物語3」、「天国の駅」)。 戦争の非道を描くのはいくつかの方向性がある。戦争そのものを描き、そこで起こっていることを克明に描くこと、その背後にある国民の窮状を描くことで、この場合はどちらも戦争そのものの悲惨さを描くことに主眼が置かれる。 そしてもう一つは、戦争後の明るい時代を描きつつ、戦争の爪痕を描くと言う方法で、本作は後者に当たる。 本作は基本は戦後の子供たちが、アメリカに占領されることによって民主主義と自由というものを受け入れるまでを明るく描いてるのだが、劇中いくつもの負のキーワードが挿入される。それは戦犯であったり、進駐軍であったり、傷痍軍人であったり、戦死後家であったり。これらの影の部分を挿入することで、実は本作は戦争を総括しようとしていることを思わせられる。結果として本作はしっかり反戦映画のフォーマットを踏襲してる訳だ。その重さがこの作品を特徴づけているのは確かだろう。 もちろんそんなことを考えなくても、物語としても充分楽しめる作品になってる。メインはバラケツの初恋の行方だが、夏目雅子と郷ひろみの美男美女夫婦の哀しい関係も丁寧に描かれてる。特に夏目雅子は陰のある演技がとても映えてるので、そこも見どころ。カメラマン宮川一夫の円熟したカメラワークも美麗。 痛みを伴う恋愛というのは、この時代を舞台に取ると普通に作れるものだ。今は痛みを演出するのに苦労する時代なんだな。 …とはいえ、結構文句も多い作品だったりもするんだが、その中で最大はキャスティングがメインを除けば軽すぎるところ。全般の練り込みが足りないために淡路島という特定地域に見えないとか、描写不足がやや目立つこと。メインでもやはり郷ひろみがなあ…なんでわざわざあんなに格好良く撮ろうとする?これにかんしてはもっと汚く描いて然り。この中では浮きすぎてたよ。 |
悪霊島 1981 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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瀬戸内海に浮かぶ島、刑部島で起きる奇怪な連続殺人が起こる。ぶらりと現れた青年と共に事件に挑む金田一耕助(鹿賀丈史)だったが… 邦画の定番の一つとも言える金田一耕助シリーズだけど、角川が作ると、ひと味もふた味違う。金田一役を鹿賀丈史にして、新味を出してみたり、設定年代を今までの昭和初期から1960年代に移してみてビートルズの「レット・イット・ビー」を主題歌にしたり、CMでキャッチコピーを流しまくり、流行語を作ってみたり。良かれ悪かれ、資本力にものを言わせて作り上げた感じがある。この辺流石角川春樹と言ったところか。 出来そのもに関しては、手堅い定番ものとして作られており、あまり特筆すべき所はないけど、暗闇の使い方は結構上手く、昼の白々しいほど明るい外気との対比は上手かったと思う。鹿賀丈史の金田一も違和感なくすっきりと収まってるが、やっぱりあの頭をかきむしるシーンは石坂浩二のが見慣れてる分、ちょっと違う感じがする? |
夜叉ヶ池 1979 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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越前三国嶽の龍神が住むという伝説のある夜叉ヶ池に民俗学者の山沢学円(山崎努)という男が訪れた。池の畔の家で彼は美しい女性百合(坂東玉三郎)と出会う。彼女に自分がここにやってきた理由を語る学円は、実はこの旅は純粋な学術的な旅行ではなく、二年前に失踪した親友の跡をたどるためのものだと打ち明ける。実は百合の夫萩原晃(加藤剛)こそが学円の言う男だと気付く百合。そして二人の話を立ち聞きしてしまった晃は、学円の前に出て、自分が何故ここにいるのかの理由を語るのだった。実はここには本当に白雪姫という龍神(坂東玉三郎・二役)が住んでおり、彼女の心を静め、一日三回鐘を突かねばならないという。二年前にここにやってきた晃は、鐘突の老人弥太兵衛からその事を聞かされ、近代化によってそれを迷信と思いこむ村人にはその役目を継いでくれる人がいない。と言われ、その跡を継ぐことを決心したというのだ。そして村の娘百合と結婚し、爾来毎日鐘を突いて生きてきたという。だが、この地方にやってきた干ばつに、村人はなんと百合を雨乞いの生贄に捧げようとしていた… 岐阜県と福井県の県境にある実在の池の伝説を元に泉鏡花が仕上げた小説。それが一旦舞台劇となったものの映画化作。尚、舞台劇は時折今でも上演され、近年ではあの三池崇が作ったと言うことで結構話題にもなった。 本作は一応文学作品の映画化、しかも邦画の重鎮である篠田監督作品と言うこともあり、特撮のカテゴリーに入れるのはちょっと気も引けるが、数多くの特撮的手法も用いられている(ちなみにラストの強引な合成で分かるように特技監督は矢島信男が務めている)。 本作の最大特徴としては、メインヒロインの白雪姫=百合に女性ではなく女形の坂東玉三郎が用いられていると言うこと。これがどうか?と言われると、何ともかんとも。舞台俳優としての玉三郎は良いんだろうけど、映画になると、立ち居振る舞いが全く異なるし、何よりあの声では男丸わかりだからなあ。そもそも女形は“見立て”として女性となる。ところが映画の場合、それはリアリティにはならず、男が女の真似をしているとしか見えなくなってしまうものだから(時代が変われば、男は男のままヒロインが演じられるんだろうけど)。 特に本作を観たのが私がまだ子供の頃だったので、目を丸くした記憶があった。勿論坂東玉三郎という存在も知らなかったし、女形などというものが理解出来る歳でもなし。親に「なんで男の人が女の人の役をやってるの?」と聞いて閉口された記憶があり。 物語はともかくとして、演出部分は素晴らしいところと酷いところが混在してる。色々文句はあるものの、合成や着ぐるみ特撮部分などは、普通の邦画の中にこういうのが入っていると大変嬉しいのだが、問題は演技の仕方がモロ舞台風なため、大変嘘くさくなってしまったという点。映画的リアリティと舞台のリアリティは異なっているのだが、それを敢えて舞台寄りに持って行ったのは玉三郎の個性を活かそうとした結果だろうが、明らかにそれは雰囲気を崩してしまっていた。 ラスト部分のスペクタクルは確かに凄かった。しかし突然どこぞの大瀑布のところに飛んでいっての合成は流石に強引すぎ。流石矢島信男と言うべきか。あれには流石に唖然と出来る。 ちなみに一応本作は映画だが、公開期間がとても短く、テレビ放映も一回されただけという、結構貴重な作品らしい。たまたま子供時代テレビで観られた私は運が良かったのかな? |
卑弥呼 1974 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1974カンヌ国際映画祭パルム・ドール | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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化石の森 1973 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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母・多津子(杉村春子)の姦通を目撃して以来、他人を憎むことしかできなくなった治夫(萩原健一)。大学病院でインターンを勤める彼は、患者の心を省みずに治療する教授に嫌悪感を抱く。そんなある日、偶然同級生の井沢英子(二宮)に再会するが… 石原慎太郎の同名小説の映画化作品。あくまで母の目から見た子供の姿を淡々と描くのだが、これが又、救いようのないストーリー展開で、観てるのが辛くなる。それでも観てしまうのが性ってやつか… 低い点数を付けてやりたいのは山々なんだが、何故か心に残るのは、萩原健一、杉村春子と言った人物描写が非常に優れていたためだろう。 |
沈黙 SILENCE | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1972カンヌ国際映画祭パルム・ドール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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心中天網島 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1969キネマ旬報日本映画第1位 1969毎日映画コンクール日本映画賞、女優主演賞(岩下志麻)、音楽賞、録音賞 |
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紙屋治兵衛(中村吉右衛門)は女房のおさん(岩下志摩)の間に子供のある身でありながら、遊女の小春(岩下志摩二役)と深く馴染んでいた。だが小春につきまとう成金の太兵衛(小松方正)は金にあかして小春を身請けしようとする。冶兵衛と小春はついに心中を決意するのだが… 近松門左衛門の浄瑠璃をベースとした前衛的な心中劇。篠田監督はこれを作るために10年という時間を使った。 心中って言うのは日本の特質らしく、大学の先生が、これは日本が島国だから。と分析していた事を思い出す。陸続きだと、「逃げる」という発想に行き着くけど、周りが海に囲まれてる日本だと、精神的に「逃げる」より、死んで決着を付ける。と言う方向に頭が働くのだそうだ。 それで本作は心中ものの基本を抑えつつ、美術的に非常に手の込んだ作品。冒頭がなんと本作の製作に当たっての電話のやりとりで始まり、最初のショットで佇む黒子。そしてこの黒子は大切な場所に見え隠れする。前衛芸術的な遊郭の描写。俯瞰とアップのショットを縦横に使い分けるカメラアングル。そんなところは非常に面白いのだが…(多分、監督はこの映画は「虚構である」と言う事を言いたかったのだと思うんだけど、違うかな?) ただ、なんとも安っぽい感じに思えてしまうのだけどなあ。人物描写が薄っぺらくせにくどいし(明らかに歌舞伎を意識してるよね)、ベタベタした雰囲気がどうにも好きになれない。これは単純に私の好みの問題だけど。 今、思いついたのだが、ひょっとして監督、この安っぽさをわざと演出したのかな? |
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暗殺 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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幕末。浪士取扱の松平主税介は、かつて尊皇攘夷の急先鋒で目明しを斬った罪で追われていた浪人の清河八郎(丹波哲郎)の罪を許し、なんと浪士組の結成を任してしまう。かつての覇気は一体どこへやら、清河は身を粉にして幕府のために働くようになった。しかし清川の転向を完全には信じられない幕府側は、清川が裏切った時のため、風心流の名人佐々木唯三郎(木村功)を雇い、清河を見張るよう命じる。 和製ヌーヴェル・ヴァーグと言える作品。幕末を舞台に、思想の波が吹き荒れ、変節と裏切り。そして剣劇と、最初から最後まで緊張感が途切れない。ストーリーも二転三転で、ちょっと気を抜くと、物語に置いてけぼりにされそうになってしまう。しかも台詞が大変聞き取りにくいため、耳もそばだてねばならず、実際これ観終わったらどーっと疲れてしまった。 剣の腕が立ち、カリスマもあって一見豪快なようで、実は無茶苦茶複雑な心理を持った剣豪という設定の清川八郎は、丹波哲郎のためにあるような役柄で、完璧なはまり役。彼に較べるとどうしても小粒になってしまうものの、佐々木唯三郎役の木村功も真面目一辺倒の剣士をしっかり勤め上げていた。 その設定は買うんだが、後半になって、中心が清川より佐々木の方に移っていくと、物語そのものが破綻してきた上にじれったくなり、物語自体よりも、早く結末を観たいという思いだけになってしまった。結局結末を見せるためだけのために残りの物語があるように思えてしまったのが大変に残念。後半2/3は清川が幕府側に残るのか、尊皇攘夷の側なのか。それだけが知りたいのに、なかなかそれが分からないため、フラストレーションがたまる。 更に凝りに凝ったカメラ・ワークが、後半は嫌味にしか感じられないのも残念。 前半の清川主体を最後まで押し通し、その複雑な内面を前面に押し出してくれれば、傑作になり得たんだけどねえ。複雑な気分。 |
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涙を、獅子のたて髪に | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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横浜の波止場では労働者を低賃金、劣悪な環境で働かせ、組合の話が出る度にチンピラを使って潰していった。そんな中、水谷哲郎(南原宏治)という海運業社長の命令で組み合い潰しをしている水上三郎(藤木孝)はある日、水谷の命令のまま、組合を作ろうとしているリーダーの中島に暴力を振るうが、勢い余って中島を殺してしまうのだった。だが、その後中島は三郎がつきあいだしたウェイトレスのユキ(加賀まり子)の兄と言うことが分かってしまう… 松竹ヌーヴェル・ヴァーグの一本で、和製『波止場』(1954)と言った感じの作品だが、『波止場』とは違い、最後まで主人公は救われないで終わるところが特徴といえるか。 物語そのものはメロドラマ風で、特に語るべき所はあまり無いのだが、藤木孝演じる主人公サブの置かれている設定が凄い。 サブは根は悪くないのだが、そのお人好しさ加減で良いように使われ、それに何の疑問も持ってなかった。だが、こういう人間が一番ワリを食うのが現実世界というものだ。彼にとって真実を知ることは苦痛でしかなかったのに、否応なしに現実を見せつけられ、やってしまったことに後悔しか残らない。それで何度も目を覚まさせられ、苦悩する…良かれ悪かれ、これって私自身の姿に他ならないのでは?と思うと、ますます切なくなってしまう。 主体的に生きるって何だろう?辛い現実から目を背けて、誰かに従っていればそれで安心だ。と思っているならば、結局こういう風になってしまうのか…辛い話だ。 本作は脚本の一人として寺山修司が参加しており、陰鬱な内容ながら、パートパートに派手な演出がなされているのはやっぱりそのお陰だろうか?藤木孝が絶叫するロカビリー「地獄の恋人」は今聴いてもぞくっとするほどの演出だった。 |
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夕陽に赤い俺の顔 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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