宇宙放射線の研究のため科学者のリード(グリフィス)を始めとして、同僚で親友の科学者ベン、スポンサーの実業家ヴィクター、ヴィクターの秘書でリードの元恋人スー(アルバ)、スーの弟で宇宙パイロットのジョニーの5人は宇宙へ向かうが、実験中に予定より早くに到達した宇宙放射線に襲われ、彼らは強い放射線を浴びてしまうのだった。実験は失敗し、彼らは地球にもどってきたが、それぞれ体は異変を感じ始めていた…
映画のヒットも記憶に新しい「スパイダーマン」、「X-MEN」などのヒットコミックを世に出しているマーベルコミック原作の古いアメコミの映画化。ゴム人間のミスター・ファンタスティック、姿を消せるインビジブル・ウーマン、岩石人間のザ・シング、人間松明ヒューマン・トーチの四人が、悪の超能力者ドゥームと戦うと言う物語。他のマーベルコミックキャラとクロスオーバーしながら今も尚活躍中。ただ、オリジナル自体はかなり初期に連載された物語だけに(初出は1961年)、物語もストレートな勧善懲悪ものになっていて、映画もそれに沿った形で展開する。
『スパイダーマン』の大ヒットは記憶に新しいが、この作品がハリウッドに与えた影響は大きかった。それまで子供の読み物としか思われておらず、ましてや大人向きの映画?という疑問符がついていた新しいヒットジャンルを作り上げたのだ。
アメリカのコミック市場は潜在的にはかなり高く、歴史も長いため、ある意味では新しい映画原作の宝庫でもあり、『スパイダーマン』以降、多量のコミック、あるいはビジュアルノベルが次々に映画化されて行った。
ただ、コミックというのは元々が大人が読むにはかなりニッチなジャンルであり、公開されるまでヒットするのかどうか全然分からないという問題もある。『スパイダーマン』こそ大ヒットを記録したが、その後雨後の筍のように次々に出てきたアメコミヒーロー作品では、失敗も数多く見られる。たとえばアン・リーが監督すると言うことで鳴り物入りで公開された『ハルク』は爽快度が低すぎて、あるいは『スーパーマン・リターンズ』はバランスを取りすぎたために個性がなく、『ウォッチメン』なんてのは、ニッチジャンルの中でさえ極めつけにマニアックな作品で、大失敗作品とも言われてる(出来は最高に良いんだが)。
本作の場合、他のヒーロー作品と比べると、大きな特徴を持つ…というか、全く特徴を持たないのが最大の特徴と言えるかもしれない。
『スパイダーマン』以来、ヒーローの内面描写には力が入り、とても複雑なメンタリティを持たせるようになってきた。元々ヒーローは悪人をためらいなく倒す役割を持っているので、基本は単純な存在として描かれてきたが、対して新しいヒーローたちは、皆普通の人間としての痛みを知っており、普通の人間がヒーローと言う重責を負わされたときの反応が見どころの一つとなった。結果としてヒーローの内面描写に力が入れられるようになったが、結果としてヒーローの存在自身が複雑化してしまった。
そんな複雑なヒーローをもう一度従来通りのヒーローのあり方に戻そうとしたのが本作の特徴であり、逆にその単純さが新鮮に映ったと言う事実がある。本当に本作は素直に観て素直に楽しむことが出来る作品なのだ。歴史は繰り返すとは言うが、ヒーロー作品はかなり早いスパンで単純さと複雑さが現れるものらしい。あるいはそれが多様化なのかも知れないが。
その単純さを示すに、本作では唯一ザ・シングの例外があるものの、誰も迷わない。超人となったことを隠しもせず、依頼を受ければ即参上。トーチに至っては、その能力を楽しみで使うような真似までしてる。ある意味開き直った脚本だし、それを楽しんで作っているかのようにも見えてしまう。シングに至っても、当初こそ落ち込んでたけど、割合簡単に自分を受け入れてもいる。その悩みの薄さが陽性に拍車をかけてるのも事実で、雰囲気には合ってるみたいだし。
結果極めて陽性な作品が出来上がったが、その陽性こそが本作の最も大きな売りで、それにきちんと応えた形がここにはある。難点を言えば、敵のドゥームがあんまりにも奥行きがない位か?
当初、いろいろ文句を言うつもりで筆を取ったが、書いてる内に、「これはこれでありでね?」という気分にさせられたので、それで良しとしよう。
奥行きがないので、観たそのままを楽しんでいれば良い作品。こう言うのも大切な映画の作り方の一つだ。
<ただ、オリジナルのコミックが流石に昔に作られているだけあって、ツッコミ所は数多くあるけどね。今時放射能の影響で変質するってのは、時代遅れも甚だしいし、トーチの発火能力に一切燃えず、ファンタスティックの伸びに対応できる服ってあり得ないだろ(劇中「私が開発した」とリードが言った台詞は、そのまま『戦慄!プルトニウム人間』で、いくら巨大化しても絶対に破れない腰布を称し、「伸びる腰布」と発言したのと全く同じ発想で思わず笑ってしまった)> |