猿の惑星 |
1970年 テッド・ポスト(監) |
猿の闊歩するこの星は未来の地球であった。その衝撃冷めやらぬうち、テイラー(ヘストン)は猿の軍団に追われ、同じ囚人であったノヴァ(ハリソン)と共に逃亡を続けていた。彼らから逃れるため、禁断の地を突き進むが、彼らの前に突如天変地異現象が起こり、テイラーは連れ去られてしまう。一方、宇宙船に待機していたブレント(フランシスカス)は、ノヴァと出会い、彼女を保護する穏健な猿の夫婦ジーラ(ハンター)とコーネリアス(ワトソン)によってこの世界の事情を知らされる… 衝撃的なラストを迎えた第1作『猿の惑星』(1968)から2年。あのラストの虚しさは映画史に残る衝撃で、これで終わりかと思ったら、まさかの続編。実際1作目でもふんどし一丁というヘストンは「よくやるわ」とか言われていたものだが、まさか続いて登場するとは思いもせず。 一作目は日本人嫌いの原作者ブースによって、猿=日本人という悪意をもった形式で作られていたのは有名な話だが、それが映画になると、民族云々よりも、冷戦構造の中でどれだけ人間同士のコミュニケーションが難しいか。と言う事が主題になっていたように思えるが、わざわざ本作を続けたのは、その社会的な側面をもう少し掘り下げてみようと思っての事だったのかもしれない。今回はやはり冷戦構造下での核の恐ろしさを強調しようとして作られてることはよく分かる。 そう言う意味で意気は高かったのだが、物語の出来自体が胡散臭いだけで終わってしまったのが問題。話もいきなり地下人間なるものが出てきて、今までの話の整合性を思い切り崩してるし、しかもあの終わり方もいくら何でもこれは無かろうってレベル。お陰で『猿の惑星』の余韻を全てぶち壊してしまった。確かに一作目を超えるラストである事は分かるが、一作目が“衝撃”なら本作の場合“唖然”だろう。なんで短絡的にこうなるの?と呆然とする事間違いなし。 本作は一応1作目同様ヘストンが主役という事になっているが、実質的に彼が登場しているのは全長の1/3にも満たない。その不在部分を補うためにフランシスカスがもう一人の宇宙飛行士として登場させているが、このお陰で主人公の所在がごちゃごちゃになってしまい、それもバランスの悪さにつながってしまったな。 |
アーサス | → | |||
【あーさす】 | ||||
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アルビナ | → | |||
【あるびな】 | ||||
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コーネリアス | → | |||
【こーねりあす】 | ||||
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ザイウス | → | |||
【ざいうす】 | ||||
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最終爆弾 | → | |||
【さいしゅう-ばくだん】 | ||||
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ジーラ | → | |||
【じーら】 | ||||
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地下人間 | → | |||
【ちか-にんげん】 | ||||
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テイラー | → | |||
【ていらー】 | ||||
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ノヴァ | → | |||
【のう゛ぁ】 | ||||
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ファットマン | → | |||
【ふぁっと-まん】 | ||||
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ブレント | → | |||
【ぶれんと】 | ||||
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メンデス | → | |||
【めんです】 | ||||
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1971年 ドン・テイラー(監) |
カリフォルニアの沖合にロケット・カプセルが着水。から現れたのはなんと三人の猿人だった。ジーラ(ハンター)、コーネリアス(マクドウォール)、マイロ(ミネオ)と名乗る知性溢れる彼らをめぐり、世界は騒然とする。彼らは未来の地球からやってきたと告げるが、その目的や未来に何が起こるのかを語ろうとしない。やがて世界は彼らを好意的に受け入れ始めるが、催眠療法を受けたジーラは、うっかり未来の事を語ってしまう… 『続・猿の惑星』の、もはやどうでも良いどっちらけのラスト。これで地球自体が全部吹っ飛んだはずなのに、何故か作られた続編。設定はかなり無茶苦茶というか、相当に苦しいが、それでも地球の過去に何が起こったのか。と言う観点で見る物語展開は結構新鮮で、SF作品としての物語自体は決して悪いものではない。むしろ未来に一体何が起こるのかが分かった上で本作を観ているため、一体物語のつなぎはどうなるのか?という興味で観ることは出来る。それに当時SFは最も発展した小説形式だったので、それが上手くフィードバックされているのはかなり好感持てる。 1作目、2作目に登場した猿の科学者夫妻コーネリアスとジーラの二人が今度は主人公になっているのも面白く、まるで1作目を逆転させた、パロディのような物語形式になってるのも面白い。特にハンター演じるジーラは個性が際だっていて、このキャラを観てるだけでも、少なくとも飽きは来ない。 ただ残念なことに本作一作で物語は完結しないため、もの凄く後味が悪い物語となってしまい、これが未来に対する並行世界なのか、それとも本当の過去なのか、その辺が曖昧なまま終わってしまった(結局これが明らかになるのは続編になって)。 それと、作品が進むに従ってどんどん造形がちゃちくなっていて、ほとんど本作の場合白塗りの壁の部屋ばかりでほとんど物語は完結。よほどの低予算で作られたんだろうなあ。と思わせてしまうのもねえ。 面白いところも多々ある作品なのだが、バランスが悪いのが難点。 |
オットー | → | |||
【おっとー】 | ||||
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コーネリアス | → | |||
【こーねりあす】 | ||||
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ジーラ | → | |||
【じーら】 | ||||
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ステファニー | → | |||
【すてふぁにー】 | ||||
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マイロ | → | |||
【まいろ】 | ||||
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ルイス | → | |||
【るいす】 | ||||
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ロサンジェルス動物園付属病院 | → | |||
【ろさんじぇるる-どうぶつえん-ふぞく-びょういん】 | ||||
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1972年 (監)J・リー・トンプソン |
時を越えて地球にやってきたコーネリアスとジーラの猿夫婦は人間の手によって殺されたが、その息子マイロはこっそりとサーカスに引き取られ、シーザーという名前で大切に育てられていた。そんな中、コーネリアスが予言したように、強制的に知能を上げられた猿を人間はペットや奴隷として使われるようになっていく。そんな光景を見てしまったシーザーは… シリーズ第4作。実は3作と4作は連作であり、この二つを通して観ることで、猿の惑星というシリーズの中でどのような位置づけにあるのか分かるように出来ている。 第一作目『猿の惑星』(1968)では(原作とは異なり)、未来の地球は猿のものになっているという衝撃のラストシーンで有名になった。 そして本作ではどのような過程を辿ってそのような地球になってしまったか。その種明かしであると同時に、そこに異分子を紛れ込ますことによっての過去の改変が描かれていくことになる。 前史であると共に新しい歴史。この辺がややこしくなるが、かなり高度なネタを詰め込んだ作品となっていて、当時のSF映画のレベルの高さを感じることが出来る(ちなみに過去の歴史そのものは40年後に『猿の惑星:創世記』(2011)で制作されることになる)。さらに本作は当時のアメリカで起こった公民権運動にも連動しているので、時事的にも優れた作品と言えよう。 まあしかし、どうやら相当に限られた予算で作られてしまったらしく、全体的にチープな出来になってしまったのが残念というか。テレビ映画とたいして変わらない演出の低さが本作の評価を下げてしまった感がある。 でも、その点に目をつむれば、本作はかなり面白い。実は前作『新・猿の惑星』(1971)を観た時、実は「ああ、これで知性を持った猿が来ることによって猿の惑星になったんだ」と思いこんでいたし(実際そういう作り方をしている)、本作もそのつもりで観ていたのだが、実は過去の改変が行われていたというラストに相当驚かされたものだ。実はあらかじめラストが分かっていたオリジナル版の『猿の惑星』よりも本作の方が驚いたくらい。 SFマインドにあふれた作品なので、かなり面白い。決して悪く言いたくない作品でもある。 |
アーマンド | → | |||
【あーまんど】 | ||||
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カルプ | → | |||
【かるぷ】 | ||||
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コーネリアス | → | |||
【こーねりあす】 | ||||
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シーザー | → | |||
【しーざー】 | ||||
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ジーラ | → | |||
【じーら】 | ||||
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ブレック | → | |||
【ぶれっく】 | ||||
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マイロ | → | |||
【まいろ】 | ||||
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