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ブルース・リーの"燃えよドラゴン"完全ガイド(書籍) _(書籍) |
1997 | 2'4 死去 | |
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1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | 死亡遊戯 監督 | |
1977 | 怒りの群れ 監督 | |
1976 | アムステルダム・キル 監督・脚本 | |
1975 | SF最後の巨人 監督・脚本 | |
1974 | 黄金の針 監督 | |
黒帯ドラゴン 監督 | ||
1973 | 燃えよドラゴン 監督 | |
1972 | ||
1971 | ヘキサゴン 脚本 | |
1970 | 闇の閃光 監督 | |
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
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1947 | ||
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1939 | ||
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1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | 3'6 ウィスコンシン州で誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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死亡遊戯 1978 | |||||||||||||||||||||||||||
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国際的スターのビリー(リー)に目を付けた国際シンジケートのボスのランド(ジャガー)は、その傘下に入ることを強要する。自らの信条に従い、頑なにそれを拒んだビリーだが、そのために脅しを受けてしまう。撮影中に襲われたビリーは、これを幸いに自分が死んだ事にして、復讐を試みる… 『燃えよドラゴン』によって爆発的なカンフーブームが巻き起こった。たった一作のヒットで、それまでの長い下積みから、一気にスターダムにのし上がったブルース・リーだったが、実質的にリーの主演作はこの作品が最後になってしまった。リーは次回作の構想中に死を迎えてしまう。 しかし、あれ一本というのはあまりに寂しく、新作の期待が異様なほどに高まっていたために本作が作られた。本作はそれまで撮影した作品を継ぎ合わせ、更につなぎには他のカンフースターを使って作られたため、話の整合性がなく、話もただリーが戦うだけという問題点がある(なんせ元々のフィルムは僅か13分しかなかったという)。 しかし、私にとっては本作は忘れられない作品であり、大好きな作品でもある。 理由は極めて単純で、私がブルース・リーの姿を観たのは本作が一番最初だったから。これ以上無いシンプルな理由である。 だってここでのリーの戦いの格好良さはもう… 後半は徐々に強まっていく敵を、塔に上りながら順番に戦っていくのだが、次の敵はどんなのが出てくるだろう?というわくわく感と、実際の戦いのシーンの派手さ。至福レベルの楽しさだった。 これは私だけじゃないはず。だって当時から今に至るも、孫引きまで含めれば、この塔のシークエンスを引用してないバトルマンガはない。順番に敵が出てきてそれを各個撃破する。これほど単純で、しかも燃える展開はなかろう。現在に至る少年ジャンプの作品の原点こそがこの作品なのだから。 私を構成する外的要素の幾分かはこの作品から来ているとも断言できる。映画としてではなく、私にとっては実地の経験に近い作品なのだから。悪く言いようがない。 まあ、この作品の場合リーの登場パートが少なく、登場時はだいたい戦っているので、リーの人間的な魅力や愛嬌がまるで無いのだけが残念だったが、それ以外で言うなら、完璧な作品といえる。 格闘シーンを撮影した所でリーはアメリカとの合作映画『燃えよドラゴン』撮影に向かうが、撮影終了後に亡くなってしまい、危うくお蔵入りする所。そのため色々苦労していたようで、リーに変装させてみたり、明らかに似ていない役者(ユン・ピョウもいる)をなるだけ光量を減らして撮ったりしてる。それは決して失敗ではなかったぞ。少なくとも完成させることこそ、この映画の最大の命題だったのだから。 |
SF最後の巨人 1975 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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燃えよドラゴン 1973 | |||||||||||||||||||||||||||
2004アメリカ国立フィルム登録簿登録 | |||||||||||||||||||||||||||
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少林寺の拳法師範・リー(リー)は、香港警察から悪人ハン率いる麻薬密売組織の内情を暴く命を受けた。ハンは3年ごとに武術大会を開催しており、リーはその参加者として組織のアジトである香港沖の孤島に潜入する。かつてハンの手下に妹を殺された復讐と、修行僧だったにも関わらず悪に手を染め、少林寺の名を汚したハンへの恨みを込めた戦いが始まろうとしていた! ブルース=リーの最終作にして、唯一のハリウッド映画。この作品は全世界に衝撃を与えた、エポック・メイキングな作品。それまでハリウッドでは見向きもされてなかった東洋人を主演とした映画を、ここまで面白いと思わさしめ、大ヒットをさせた。これがカンフー・ブームを呼んだのみならず、死後も尚リーを神格化させる。現在のハリウッドでは東洋人俳優が堂々と演技しているが、それもこの作品あってのこと。映画ファンならこの作品の果たした業績に刮目すべし。クローズ監督はその意味で理想的な作り方をしてくれた。ここでのリーは決して野暮ったくなく、しかもハリウッドの型にはめられずにのびのびと演技してくれている。 ここでのブルース・リーは本当に格好良い。何が格好良いか、勿論、あの顔の歪みだ。顔力と言うべきかもしれない。 映画で言う「格好良さ」というのは、本来整えられた舞台で「自分を完璧に演じる」ことだと思っていた。今でもそう思っているんだけど、一方で、この人に限っては、それが当てはまらないことをも痛感させられた。 とにかくブルース・リーは顔を歪めまくる。怒りの表情、悔しさの表情、そして敵とぶち当たる時の気合いを込めた表情。感情が露呈した時、彼の顔はまるでパースが狂ったのではないか?と思えるほどに歪んでいる。しかも、その顔がたとえようもなく格好良いのだ。特に戦いの時、奇声を上げつつ超絶的な動きと相まって、あの表情は一度観たら忘れられないほどの格好良さだった。 時折にっこりと笑う時の、あの屈託のない笑顔と戦いの時の怒りに歪んだあの鬼気迫る表情。このギャップが、ブルース・リーの魅力の一つであることは、間違いがない。 そしてあのとびっきりの音楽。今でもあの音楽を聴く度に、身体に流れる血液が沸騰するかのような、そして新陳代謝が急激に高まったような、もの凄い興奮を与えてくれる。体を動かさずにはいられない。未だにそんな気分にさせてくれるこの音楽は、永久に残すべきだ。 変な機材など必要がない。ダイエットをしたいと思う人、身体を動かさねばならない人は、CDを買ってこれを聞け。絶対に効果がある。 本作は他のいくつもの映画からの引用が数多く見られる。例えばストーリーフローなどはそのまんま007シリーズであり(悪の首領ハンはそのまんま『007 ドクター・ノオ』(1962)のドクター・ノオだったし)、ラスト印象的に用いられた鏡部屋での殺陣シーンは『上海から来た女』(1947)にインスパイアされてとのこと。本作品がアメリカの映画人に受けたのは、こんな所にも理由があるのかも知れない。 尚、本作は日本では最初のリー作品であるにもかかわらず、実質的には最終作。これからと言う時に惜しい人を亡くした。 尚、敵役で登場したセツ・キンは香港ではそれこそカンフー映画の始まりからずーっと演じ続けていたという超ベテラン。ただ、そのフィルモグラフィの大半は悪役だったという可哀想な人でもあり。 |