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スチュアート・ローゼンバーグ
Stuart Rosenberg

Stuart Rosenberg
Wikipediaより
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鑑賞本数 合計点 平均点
書籍
_(書籍)
2007 3'15 死去
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986 ハリー奪還 監督
1985
1984
1983 悪の華/パッショネイト 監督
1982
1981
1980 ブルベイカー 監督
1979 悪魔の棲む家 監督
1978 チャールズ・ブロンソン/愛と銃弾 監督
1977
1976 さすらいの航海 監督
1975 新・動く標的 監督
1974
1973 マシンガン・パニック 監督
1972 ポケットマネー 監督
1971
1970
1969 幸せはパリで 監督
1968
1967 暴力脱獄 監督
1966 ネーム・オブ・ザ・ゲーム/死んだ女の住所録 監督
1965
1964
1963
1962
1961
1960 殺人会社 監督
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939
1938
1937
1936
1935
1934
1933
1932
1931
1930
1929
1928 8'11 ニューヨーク市ブルックリンで誕生

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ブルベイカー
Brubaker
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ロン・シルヴァーマン(製)
W・D・リクター(脚)
ロバート・レッドフォード
ヤフェット・コットー
マーレイ・ハミルトン
ジェーン・アレクサンダー
デヴィッド・キース
モーガン・フリーマン
マット・クラーク
ティム・マッキンタイア
リチャード・ウォード
ジョン・ヴァン・ネス
M・エメット・ウォルシュ
アルバート・サルミ
リンダ・ヘインズ
エヴェレット・マッギル
ヴァル・アヴェリー
ウィルフォード・ブリムリー
ジョー・スピネル
ジェームズ・キーン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
製作年 1980
製作会社
ジャンル
売り上げ
原作
書籍名 <A> <楽>
著者名 (検索) <A> <楽>
トーマス・O・マートン
ジョー・ハイアムズ
歴史地域
関連
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
さすらいの航海 1976
1976米アカデミー助演女優賞(グラント)、脚色賞、作曲賞
1976ゴールデン・グローブ助演女優賞(ロス)
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スティーヴ・シェイガン
デヴィッド・バトラー(脚)
フェイ・ダナウェイ
オスカー・ウェルナー
マックス・フォン・シドー
オーソン・ウェルズ
ジェームズ・メイソン
マルコム・マクダウェル
キャサリン・ロス
リン・フレデリック
リー・グラント
ジュリー・ハリス
マリア・シェル
ジャネット・サズマン
ルーサー・アドラー
デンホルム・エリオット
ホセ・ファーラー
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ゴードン・トーマス (検索) <A> <楽>
マックス・モーガン=ウィッツ (検索) <A> <楽>
新・動く標的 1975
<A> <楽>
トレイシー・キーナン・ウィン
ロレンツォ・センプル・Jr(脚)
ポール・ニューマン
ジョアン・ウッドワード
アンソニー・フランシオサ
マーレイ・ハミルトン
メラニー・グリフィス
コーラル・ブラウン
ゲイル・ストリックランド
リンダ・ヘインズ
リチャード・ジャッケル
ポール・コスロ
アンドリュー・ロビンソン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
魔のプール <A> <楽>
ロス・マクドナルド (検索) <A> <楽>
幸せはパリで 1969
<A> <楽>
ハル・ドレスナー(脚)
ジャック・レモン
カトリーヌ・ドヌーヴ
ピーター・ローフォード
マーナ・ロイ
シャルル・ボワイエ
メリンダ・ディロン
サリー・ケラーマン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
暴力脱獄 1967
1967米アカデミー助演男優賞(ケネディ)、主演男優賞(ニューマン)、脚色賞、作曲賞
<A> <楽>
ドン・ピアース
フランク・ピアソン(脚)
ポール・ニューマン
ジョージ・ケネディ
ルー・アントニオ
ストローザー・マーティン
J・D・キャノン
ジョー・ヴァン・フリート
ラルフ・ウェイト
ルーク・アスキュー
デニス・ホッパー
チャールズ・タイナー
アンソニー・ザーブ
ディーン・スタントン
ジョー・ドン・ベイカー
クリフトン・ジェームズ
ロバート・ドナー
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
クール・ハンド・ルーク <A> <楽>
ドン・ピアース (検索) <A> <楽>
 酔っぱらってパーキングメーターを次々に切り取っていった戦争帰りのルーク(ニューマン)は、懲役2年の刑を言い渡されてしまう。ドラグライン(ケネディ)を初めとする囚人と看守の間には絶えず緊張が走っていたが、その中でルークの態度のふてぶてしさに怒ったドラグラインは炎天下で殴り合いを始める。圧倒的に強いドラグラインのパンチに、何度でも立ち上がってくるルークに、やがてドラグラインは友情を感じ始め、「クール・ハンド・ルーク」のあだ名を付けるのだった…刑務所の中でも時は流れていくが、ルークは相変わらず反抗的で、機会あらば脱走を図ろうとする。そんな彼を徐々に見直していく囚人達だったが…
 映画が人生に関わる考えを作り出すと言うことは、多分映画好きな人だったら経験したことがあるだろう。映画に限らず、本やテレビでもそうだろうけど、やはり映画の感動は格別なもので、私が未だに映画を大好きと言えるのは、単に映画を知ったかぶりして批評するためでも
(そう思われがちだが)、単に数を観ることを競っているわけでもない。その感動が忘れられないし、又そういう思いをさせてくれる作品を探し求めているだけだ。常に衝撃を与えてくれる作品を私は追い求めている。
 そういう意味で、これまで私自身の考えや性格に影響を与えた映画というのはいくつも挙げることが出来るのだが、考えていくと、不思議とそういう衝撃を与えてくれた複数の作品の中で同じ俳優が登場することがある。
 それはオーソン=ウェルズであったり、ロバート=レッドフォードだったり、クリント=イーストウッドだったりメル=ギブソンだったりするわけだが
(…今挙げた人たちって全員監督でもあるんだな。自分の傾向が分かってきたぞ)、ポール=ニューマンはその筆頭かもしれない。
 彼はなんか
常に私の前にいる。多分それは、彼が反逆者として常にあったからなのだろう。
 実生活でも型破りな人物とは伝え聞くが、彼は映画界にあっても様々な影響を与えていた。『ハッド』(1962)ではアメリカの理想としている家族というものを内側から破壊していく存在として、『明日に向かって撃て』(1969)では制度に対する反逆者として…
正確には彼は「反抗者」ではない。むしろそうやってしか生きていけない人物として描かれるのだ。結果的に社会はそれを受け入れることは出来ず、彼を排除にかかる。その軋轢に悩み続けるのが彼の存在感となっている。
 考えてみると、社会には
「〜しなければならない」ことが多い。それは規則であったり、あるいは伝統であったり、時には風習であったり。私の場合、それを割と当たり前として受け入れるタイプの人間だと思うし、規則に反する人というのは、あまり好ましくはないと思う(割と体育会系だし)。しかし一方で、もちろんそういう規則に窮屈さを覚え、反抗を覚えることもしばしば。体は従順に従い、精神は反抗という、まあ、一般的な小市民的な思想ではないかと思う(んだけど)
 しかし、映画というのはそういう話はむしろ少ない。むしろ反抗が描かれるからこそ楽しいのだが、その中でもニューマンは、
私の中にある割り切れない部分をそのまま自然体で演じてくれるからこそ、引きつけられるキャラクタになるのだろう。どういう風にあがこうとも、結局下手くそな生き方しかできない彼のような生き方は、私自身の中にある何かが引きつけられる。
 ここでのニューマン演じるルークの姿はその典型のようなキャラクタであり、彼は何に対しての反抗ではなく、ただ何にも負けたくないと言う、単純な価値観しか持っていない。しかし、その価値観は当然ながら規則によって阻まれてしまうし、そういう人間を野放しには出来ない。結局だから刑務所に入れられるしかないのであり、更にその刑務所自体が彼の精神自体を封じることは出来ない。
 ルークは反抗を繰り返しているように見えるが、その心は、単純に自由でいたかっただけなんだろう。何者にも囚われない自分自身。それだけを表現しようとしたのがルークだった。そう、ここでのニューマンは、タフガイでありつつも、あくまで繊細さを忘れない存在なのだ。この繊細さこそが彼を特別な位置づけに留めているのだろう。
 もちろんこの生き方は苦労を約束されたようなものだ。従うと言うことが出来ないし、土台目的を持たないのだから、自分自身のパワーをもてあまし続ける。自由でありたいと思いながら、一人でいても苦しいし、人といても苦しい。更にここでのルークは度胸だけは据わっていても腕っ節はさほど強くない。無理を遠そうとしても、結果的にそれが阻まれ続ける。だから自分が納得いくまで反抗し続けるしか彼には出来ない。その結果として、この物語の結末はこうならざるを得なかったはず。これ以外の結末はあり得ない。
 
まるでピエロのような生き方。しかし、その生き方が格好良いと思える。それが私という人間だと、この作品を観てずいぶん時間が経過したが、今になってそう思える。
 本作の多くはオープンセットで組んだのだが、あまりに出来が良すぎたため、カリフォルニア州サン・ホアキン郡の建築基準監察官がパトロールに来て立ち入り検査を始め、建築基準不適合のシールを貼りだしたという逸話もある。

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