| 愛の嵐 1973 |
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リリアーナ・カヴァーニ
イタロ・モスカーティ(脚)
ダーク・ボガード
シャーロット・ランプリング
フィリップ・ルロワ
イザ・ミランダ
ガブリエル・フェルゼッティ |
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| ★★★★☆ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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5 |
4 |
5 |
4 |
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1957年冬。ウィーン。身元を隠し、ホテルの夜番のフロント係として働く元SSのマックス(ボガード)の目前に、かつて性の玩具として弄び、調教を施したユダヤ少女ルチア(ランプリング)が、今や高名な指揮者の妻となって現われるのだった。互いを否定し合おうとし、失敗して愛欲へと走った時、彼らの前には破滅しか待っていなかった。処刑人を逃れ、ひたすら部屋にこもりきる二人だったが…
脚本家であり製作者でもあるリリアーナ・カヴァーニ、バルバラ・アルベルティ、アメディオ・パガーニの三人によって描かれた原作の映画化。『地獄に堕ちた勇者ども』(1969)で競演したボガードとランプリングにより、再びナチズムの狂気を、女流監督のカヴァーニ監督が描いた作品。問題作とされ、本国イタリアでは公開2週間でわいせつ罪で全面禁止となってしまったが、それで世界的に注目を浴びた。
“戦後”を描いた映画は数多くある。そしてその多くは戦争時代に受けたトラウマに振り回されると言う形式。戦争時代に苦しい目にあって、その衝撃が、平和になったときにも不意に出る。そんな映画が多い。本作も形式としてはそれに近いのだが、大きく違う部分は、この二人にとって、戦争というのは決して苦しくなかったと言うこと。これに尽きるだろう。むしろ愛欲にただれ、人殺しでさえも性愛のスパイスにしてしまう、二人にとってはこの上なく甘美な思い出だった。狂おしいほど、過去に引きずられ、時としてそこに戻りたいと思う。
これは何も彼らだけではなく、マックスと共にウィーンで潜んでいる元SSたちも、過去への思慕が強い。だが、同時にその時代を他の誰かに知られることは、身の破滅を意味する。二重生活に自らを置かざるを得ない状況だった。仲間内では過去の階級が幅を利かせ、「私は総統と国民とナチズムに対し義務を果たしたことを心から喜ぶ。悔いるところはない。もしもう一度繰り返さねばならぬとしたら、たとえこの身が焼き殺されると分かっていても同じ務めを果たすであろう」と言うニュルンベルク裁判でのルドルフ・ヘスの言葉まで引用して、仲間内では強気な彼らも、一度外に出れば、おとなしい市民を演じなければならない。殊の外裏切りに対する報復が強いのは、単純に自分たちの身の危険を怖れるだけでなく、裏切り者を処刑する事に冥い喜びを見出していたようにも思える(抜け忍狩りだな)。
マックス自身もそう言う二重生活を送ってきたわけだが、そんな彼の前にルチアが現れた時、彼の理性は吹っ飛んでしまう。彼にとって、甘美な思い出は他のSSメンバーとは明らかに異質なものだったから。多分それがタイトル通り。“愛”だったはずだ。
本来使うものと使われるものに過ぎない関係。性的に言っても、単純に性的快楽の供与者でしかあってはならないはずのルチア。彼女をを本気で愛してしまったからこそ、恐らく彼の生活は他の元SSとも異なる様相を見せていったのだろう。元SSの仲間でさえ、彼にとってはくつろげるところではなかった。故にこそ、彼らとの交流は表層的なものに留まり、可能な限り、彼らと距離を置こうとしていた。そしてその理由であるルチアとの出会いは、彼を本来の彼に戻し、そして破滅へと誘う。
結局、この作品は形はどうあれ、確かに“愛”を貫いた物語だったわけだ。
ところでこの映画、私にとっては奇妙な思い出がある。確か大学の時だったはずだが、何人かの友人と共に色々と話しつつ、脇でビデオで流していたのだが、あの「グシャッ」のシーンとか、刑務所のシーンだけ注意を促され、観た記憶が残っている。あれだけを観る限り、これは友人の言う「愛欲の話」には見えなかった。むしろ「痛い映画」として記憶に残っていた。
それで、ある本でこの映画のことが書いている記事を見つけ、もう一度観たいと思ってレンタルを探すが、そこにはなく、今度はDVDの購入を考えた。ところが私の行きつけのショップでは見つからず、別な機会で探すしかないかな。と思っていたのだが、ある日偶然その店のDVDコーナーの奥、つまりポルノDVDが設置してあるところで発見。
おいおい。こんな所にあったのかよ。道理で探し出せなかったわけだ。それにしても、「名作」と銘打ってあるくせに、扱いがえらくぞんざいだな。
そして再見。さすがに大学時代とは随分と違った目で観ることが出来た。決して美しくはない、淡々とした映像。そしてその雰囲気の中で爛れたような愛欲の生活を送るマックスとルチアを見ることが出来た。やっぱこれは、それなりに年齢を必要とするのかも知れない。少なくとも、かつてかなりの衝撃を受けた『ソフィーの選択』(1982)がえらく陳腐に見える程度には良い作品だった。
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